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時をかけた少女達~戦国(室町)編~

2011.03.03
 今年度大河ドラマがちょうど最後の話のお市(信長の妹)の末娘・江の話(そして彼女が作られるまでから死ぬまでの間の事象を全部盛り込むつもりらしくお市の結婚から物語は始まっている。3月3日現在はちょうどお市が柴田勝家と再婚した所です。)ということもあり関連する人々が多く出てくるので合せて読んでみるのが楽しかった本です。また大河ドラマを見ていない方でも信長関連の話ということで椎名先生の「ミスタージパング」を読んでみると関連事項が見えて結構面白いかと…。どっちも見ていた私は歴史物関連で2度3度と美味しい思いをしながら読んでました。有名どころの人は関連した本もたくさん出ていて、解釈の違いが大いに楽しめて得した気分です。

 1541年のデスティニー…武田信玄最愛の妻という通説の諏訪御寮人の話です。数年前の大河ドラマ「風林火山」(井上靖の著作。この話では名前しか登場しない軍師・山本勘介が主人公。)でも描かれており、信玄は正室・3条の方と不仲だったこともあり姫と息子・勝頼を溺愛したそうです。ここでは「湖のような青く深い美しさを持った姫」として「瑠璃姫」と呼ばれていますが実名は不詳で「湖衣姫」(こいひめ。諏訪に流れ込む之渡川から取った。)とも「由布姫」(「風林火山」を書いた際、井上靖自身が由布院に滞在して書いたので。ドラマ上ではこの名が使われていた。)とも言われています…が、法名(乾福寺殿厳妙香大禅定尼)から考えるに本名はウメ(梅)という名前らしいです…ゲフッ!(皆が色々凝った名前を考えていたというのに、また随分と和風な…ゴフッ!)話では彼女を妻にすれば諏訪の残党もおとなしくなる(根絶やしにするより頭のいいやり方。)と言われていましたが実際には武田に恨みを抱いた姫を迎えるなど危険だと家臣一同が反対しており(当然、でしょうね…。)側室にと勧めていたのは軍師の勘介だけだったそうです。ともあれ2度に渡って超都合よく姫のピンチに駆けつけた様はいくら脚色でもあり得ないだろ!とツッコミを入れてしまった私でした。(しかも2度ともたった一人で…お城の殿様というのはそんなにも行動が自由だったろうか?)

 1545年のジューン・ブライド…本能寺の変で有名な明智光秀の話です。(この事件を起こしたせいで彼の評価は非常に芳しくない。)信長の正室・濃姫とは母方のいとこ同士に当たり、それだけの理由でドラマなどではたまに「互いに憎からず思っていたけれども、光秀の方が身分が低かったこともあり斎藤道三の策略によって引き裂かれた」という描かれ方をしていますが、この話を読めば分かるとおり光秀は他に類をみないほどの愛妻家だった(全身が醜いあばたまみれだったにも関わらず本当に継室・煕子が生きている間は一人の側室も置かなかった。死んだ後初めて諦めて側室を置いたというのもこの時代には珍しく、よほど愛していたのでしょう。)そうなのでまずあり得ない話です。城を破られて攻め入られた所を超都合よく助けてもらったというのは話ができすぎ(どんだけタイミングいいんでしょう?)にしても婚約者時代から光秀が病気になった時に屋敷を訪れて快癒祈祷をお願いしたり、髪を売って光秀を助けたりとラブラブだったのは確かなようです。ちなみに話の中ではあまり似ていない煕子姉妹ですが本当は妹とは瓜二つの容貌であばたが出来た際、妹を「これが煕子です。」とごまかして婚礼を行おうとしたのを「嘘つくんじゃねえよ、ゴルァ!」と光秀に見破られて、彼の要望で本物煕子と結婚したと言われています。(注・セリフは脚色です。信じないで下さい。)

 1548年のTrue Wedding…信長に関することを漫画で知りたい場合はこの話よりも椎名先生の「ミスタージパング」を読んだ方が詳しく知れます。「ミスタージパング」でも「そろそろ真面目に子供を作ってみるか?」と言っていたり、この話でもラブラブな2人ですが実際に子供はできることがなく信長はこの後「最愛の女性」と言われた未亡人・吉乃さんを愛人に迎えることになります。タイトルにture(真実)とついていますが実は全然「真実」の愛じゃありませんでした…ゲフッ!結婚前「信長がうつけでなく夫として素晴らしい人ならばこの刃は父上に向けるやもしれません。」と言ったエピソードは有名ですがその後全く歴史の表舞台に登場してこないことから当時の奥制度(1正室多側室多愛妾多伽制。この時代に生まれなくて本当に良かった。)をきちんと管理できるしっかりした美女ではあったものの女としての魅力(可愛さとか、ポヤヤンとした優しさとか…。)には欠けてしまっていたのかも、しれません…ゴフッ!ちなみに彼女の名称「濃姫」というのは「美出身の高貴な女性」と言う意味で結婚後につけられた通称でありこの話のように親父がそう呼んでいた訳はありません。彼女の本名は帰蝶ですので騙されてはなりません、という話です。

 1561年のトライアングルLOVE…秀吉は椎名先生の「ミスタージパング」の主人公でもあり墨薪奉行の彼が経費削減に成功し、その分を軍事予算に回せたというストーリーが語られていました。秀吉(演じてた竹中直人の決め台詞「心配ご無用!」を思い出します。)に実際に会ったルイス・フロイトが「優秀な武将で戦闘に熟練しているが気品に欠けている。身長が低く醜悪な容貌の持ち主であり指が6本ある。極度に淫蕩で悪徳に汚れ獣欲に耽溺している抜け目なき策略家。」と評していること(注・あくまで「聖職者」から見た秀吉像です!)サルというあだ名を付けられた(そしてねねにあてた手紙では「ハゲネズミ」とまで書かれている。)ことからも分かる通り秀吉はこんなにイケメンではありません。(むしろどっちかというとブサメンです。)2人は当時には珍しい恋愛結婚だったというのは確かですが「野合で結ばれた」(正式の結婚をしないで結ばれること。)という表記より結婚前から婚前交渉は行っていらっしゃったようです…ゲフッ!(犬千代との事がどこまで史実なのかは未確認ですが…少なくともこの話中の犬千代はすごく哀れ。)また話では「ねねはあんなに幸せそうですよ。」と認めている母親ですが実際は実母はこの結婚に生涯反対していました。(だから浅野長勝の養女になって結婚したんだとか。)この頃は秀吉の身分も低くたかが養女のねねの方がずっと身分が上だった…というのに恋というのは偉大です。オマケですがこの話やドラマなどでは丁寧な言葉遣いをしているねねですが実際は秀吉と二人きりの時は尾張弁丸出しでしゃべっていたそうです。(諸大名の前で尾張弁で秀吉をたしなめたという逸話もある。)そんな2人もちょっと見てみたかったなあ、と思う私でありました…ゲフッ!

 1567年のプリティー・ウーマン…この時点では信長は最愛の女性・吉乃(実質上の正室とも言われている。)に出会った後なのか濃姫とは完全に冷めた夫婦として描かれてしまっています。(2話前のラブラブ話は一体何だったのか…ゲフッ!)
 という訳で「聡明な戦国一の美女」と謳われた信長の妹・お市の話です。元々織田家は美男美女の家系でモテていたそうですが最初に夫となった浅井長政も結構イケメンで政略結婚だったとはいえお互い一目惚れだったそうです。大河ドラマでは長政への愛ゆえに信長への「裏切り」(両端を縄でくくった小豆=兄さま、今あなたはこの袋の中の小豆同然。)は報告しなかったとなっていましたがお坊さんまで切り捨てたあの信長が「最も可愛がった妹」(「市が男ならいい武将になっただろう。」と言っている。)とはいえ「裏切り者」を許すはずないでしょう、と展開にツッコミを入れてしまったのを覚えています。(実際、実の甥っ子にも関わらず長男・満福丸は殺され次男・万寿丸は出家させられている。)しかしその「裏切り」のおかげもあり信長が本能寺の変で殺されるまでは「兄」の庇護の元、娘3姉妹(茶々、初、江)と共に贅沢に暮らせていたそうです。(オイ!)また、息子・満福丸殺害の際、命令したのは信長なのに執行したのは秀吉だったということで「おのれ!秀吉!」と信長本人に対する恨みはあまり無かったんだとか。(何故、兄貴を恨まん?)柴田勝家との再婚後、秀吉に攻められた時、夫と共に自刃して果てたのは秀吉に対する嫌悪感もあったから…のようです…ゴフッ!

 余談…応仁の乱(1467~)以降のこの戦国時代、男の髪形は月代(てっぺんツルツル)のはずなのにとっくに元服しているはずの殿方、しかも肖像画ではしっかり月代姿で描かれている殿方達がなぜか皆髪の毛フサフサに描かれているのに「…アレ?」と思ってしまったのは私だけでしょうか…ゲフッ!
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時をかけた少女たち平安~鎌倉編

2010.08.06
 源義経に関わる話(「歴史を動かした女帝達」)を貸した後だったので、遅くはなりましたが参考文献として貸すことにした本です。個人的には同じ時代関連の話として北条政子×源頼朝(ええ。政子が攻めです。)の、他の男との祝言の夜に抜け出して雨の中を走って頼朝の元へ行ったという政子の話が描かれてなかったのが残念でした。(第1話で大姫が言っている「両親のカケオチ」とはこのこと。カケオチというより押しかけに思えるのですが…。)第2話では第1話に登場した義高が息子としてちゃんと登場したり、静御前の話では政子さまが出てきてくれたり同じ時代に生きた人々の話だったんだなあ~と感慨深くなりました。(死人ばかりの話なのでそれが個人的に嬉しかったり…。)歴史物って色々なつながりも見えて楽しいですよね。

 1183年のお婿様…史実では鎌倉脱出を計画したのはむしろ大姫の方で、義高に女装させた後(…アレ?女装シーンは?)大姫の侍女達と共に館を抜け出させ彼女が手配した馬で鎌倉を脱出した…までは良かったのですが所詮子供の浅知恵、夜には頼朝にバレテしまい義高斬首の運びとなってしまったそうです。なお、このことがきっかけで大姫は病に伏してしまい「こうなったのは勢いに任せて義高を殺してしまったせいだ!」と政子さまのお怒りに触れたせいで、討ち取った藤内光澄はさらし首になってしまったそうです。(討ち取り損じゃないですか。)そんなエピソードをみると大姫もそこまで幼い姫ではなかったようですが(むしろ女の手を借りて生きている義高の方が情けな系に思える…ゲフッ!)それも災いして精神的ショックも大きかったようです。ともあれ生きる希望を失ってしまった姫は病気味な本性も手伝って若くして亡くなってしまった…そうです。

 1184年の女武者…巴御前は平家物語にも源平盛衰記にも出てくる女武者として有名ですが史実として疑わしく文学的脚色(架空の人物)ではないかとも言われています。(一応当時の甲信越地方では女も第一線として通用する戦闘訓練を受けている例はあったそうですが…。)ましてや嫡男の義高が実は彼女が産んだ子だなんて完全な創作です。騙されないで下さい、皆さん!(話としては面白いとは思うけれど。)太平記ではこの話と同じく最後までついて行こうとした巴を「最後に女を連れていたと言われたくない!」という義仲の説得(…ワガママでは?)に応じ兜を脱ぎ行方知れずになったそうです。今更女に戻っても惚れた相手はもういないし子供もいないし、生きる目標を新しく見つけるのは辛いでしょうね、と義仲の理不尽な命令に納得できませんでした。創作とはいえ男って勝手という世の中のシステムが見て取れる話です…ゴフッ!

 1186年の舞姫…歌の「しづやしづ しづのおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」(しず布を織る為の糸が糸巻きから繰り出されるように静よ静よとあの方が何度も名を呼んだ昔に戻れる方法はないものでしょうか?)は単純な恋情の歌でなく頼朝の世である「今」を義経が栄えていた「昔」に変えることができればという反逆の意味も含まれており、それで頼朝は激怒したそうです。(うん、そりゃ怒るだろうね。)最も一夫一婦を真髄とした政子さま(頼朝が義経を憎んだ理由の一つに妻の目が厳しくて浮気もできない自分に比べ弟はモテモテだったという理由も有りと見た。)はこの一途な恋心に大層感心され彼女がとりなしてくれたおかげで静は斬られずに済んだ…そうです。ともあれ義経との子供を埋め殺されてしまい失意のうちに20歳でこの世を去ってしまった静の恋はまさしく悲恋と言えるでしょうね。読んでて物悲しくなってきた話でした。

 1204年のプラトニック・ラブ…「あなたがはっきり嫌だと言ってくれればあたしは帰れるのに!」と膝立て移動に関わらずダダッと駆けていった姫様が凄いと思いました。ともあれ病で倒れただけで大騒ぎした大姫の場合と比べて息子の扱いに冷たさを感じるのは私だけでしょうか、政子さま?(男の子は可愛くなかったのでしょうか?政治的な駒として使い捨てに使われています…ゴフッ!)さて、話では姫としか呼ばれていませんが奥様の名前は坊門信子といい、公家の娘でした。話のように仲が悪いのを装っていただけなのか、真実仲が悪かったのかは不明ですが、源実朝が1級の歌人であったことは間違いのない事実(小倉百人一首にも彼の歌が入っています。)であり、自分では何一つ自由にできなかった彼に歌集作りは唯一オリジナルで残せた自己表現だったようです。(それが金塊和歌集というわけね。)ともあれ大姫の自滅、兄の謀殺、実朝の暗殺、公暁の手打ち(仇討ちとはいえ将軍様を殺してしまっては…それも北条の計画のうちではあったのですが許されませんよ。)と頼朝の子孫はこうして絶えてしまいました。どうやら実の子でも男の子に対する愛情は政子さまの中には無いようです…ガフッ!

 1336年のセカンド・ウェディング…それまでの話より100年程後の話だけあってこの話だけ関連人物は一人も出てきません。(寂しいなあ。)匂当内侍は太平記にこそ新田義貞の妻として登場しますが年代などの点から実在が疑わしい創作上の人物ではないかと言われています。(巴御前といいそういう人物が多いなあ、この文庫。)しかも新田義貞は京で彼女との別れを惜しみ過ぎ出兵の時期を逃したために滅亡してしまったんだとか(つまり滅亡の遠因は彼女だった。)とんでもないエピソードでした。内侍のその後は琵琶湖に身を投げたとも獄門の義貞の首級を見て比丘尼になったとも言われています。実在の真偽はともあれ彼女が義貞の最後に立ち会えなかったというのは確実なようです…ゲフッ!

時をかけた少女達~天下統一編~

2010.06.12
 富山の焼き肉チェーン店「えびす」で食中毒事件が起きました。(死者2人、重体1人。)原因はユッケという生肉(の中に入っていた細菌O-111)ですぐに原因にピンときた社長はユッケ用の肉を速攻で廃棄させたそうです。(ちなみにこのような食中毒が起きた場合に細菌を調べる為にも原材料は一定期間取っておかなくてはいけないと法律でも決まっておりこれは法律違反に当たる。)
 食中毒というと単なる腹痛や下痢程度の軽いものを連想しがちですが、こういうO-157やO-111などの細菌が原因の場合毒素で体内の機能が壊され「溶血性尿毒症」になる(病名通り血液中の赤血球が溶けてオシッコが出なくなる。)ことが多いのです。(農薬自殺などでよくこうなる。なのに昼メロ「桜心中」のヒロインさくらが後遺症もなく無事だったのが不思議。)尿毒症というのはすなわち腎不全の末期(この場合、急性腎不全となる。)のことをさし、その後の長~い人生一生ずっと2日に1度は病院に通う人工透析生活になることをさしてます。本来、腎不全というのは糖尿病からジワジワと悪化して60代の方々がなるパターン(慢性腎不全。でも最近は糖尿病のコントロールが上手くできるようになってきたのであまり見られない。)が多いのですが10代の若さ溢れる時期からそんな闘病生活が待っているなんて…辛すぎです。事態の重さも分からずに逆ギレ会見をしている社長の傲慢ぶりには私も嫌悪感を抱いてしまいました。
 しかし本当に恐ろしいのは今日の新聞で「そもそも肉の卸業者は食用生肉を卸したことが無い。」(つまり全焼き肉チェーン店は焼いて細菌を殺さないと危険な肉を生のままユッケとして出していた。)と書かれていたことです。要するに「えびす」以外でもユッケの中には細菌まみれだったという恐ろしい事実が判明しました。魚も活きづくりは魚肉と一緒に細菌も新鮮なので辞めた方がいい(-15度位のカチコチの冷凍にして細菌を殺した方がかえって安全なんだとか。)と言われてますし、やっぱり何でも生物は危険のようです。今まで食わず嫌いでユッケを食べたことが無くて本当に良かったと実感してしまいました。
 福島の原発事件といい今年は歴史的に最悪な年だな、という関連で歴史物を更新です。(関連してないから。)

 戦国(室町)編とリンクしている部分が多くて関連キャラを追えるのが楽しかった話です。今年の大河ドラマ「江」は第2話のヒロインの父・織田信長の姪っ子の話ですし(そしてこの家康の妻子切腹の話もちゃんと出てきてました。)読んでいてなるほどと色々な解釈にうなづいてしまいました。(最もこの大河ドラマ、ヒロインのキャラがとても戦国時代の姫からかけ離れていて微妙には感じるのですが…ゲフッ!)歴史物は解釈の違いでイメージが様々に変わるのが面白いですよね。

 1569年のShining Love…三条夫人「愛情は全部あの女に持っていかれて、私の子供は道具にされる。こんなバカな話!」

ここで言っている「あの女」とは何を隠そう戦国(室町)編の第一話のヒロイン琉璃姫(諏訪御寮人)のことです。とはいえ正室の三条夫人も男の子を3人も産んでおり(夭折、失明で2人は資格を失っていたものの。)そのまま行けばちゃんと自分の息子が家督を継いでいたはずだったので、息子の教育をしっかりしていなかった彼女にも自滅の原因はあったような…ゲフッ!元々三条夫人は正妻ではあったものの公家の出自を鼻にかけた高慢で嫉妬深い女(要するに本人の性格が悪かった。)という話もあり、だからこそ信玄は琉璃姫と勝頼を溺愛したとも言われています。今の結婚ではどんなに性格の悪い妻でもそんな女を選んでしまった男も見る目が無かったと男側にも責任が求められますが、相手を勝手に決められる家同士の結婚では特に女の実力が物を言うようです。(最も今の結婚でも「君がそんな性格だから浮気されたんだよ。」と言いたくなるような奥様も沢山いますが…。2人の仲が冷めるのは比率はともかくどちらにも原因はあるんですよね。)三条夫人は娘から性格の良さを学ぶべきでしたね。(霞姫が愛されたのは正室だからではなく氏政に真実愛されたからなのですし。他の女に目を向ける男がすべて悪い…のですが相手の目を自分に向けさせるよう努力しなかった自分にも原因はあるんですよね。)

 1579年のジェラシー…信康は家康の息子であるものの家督を継ぐ前に切腹になってしまったので「松平信康」となっています。信長の娘・徳姫との不仲は事実ですが、いくら信長でもそれだけで娘婿を殺そうとするかは疑問であり、また母親の築山御前についても女の身で裏で武田と外交できる力があるかは疑わしく(そして信長は信康の処断にしか触れてないのに何故家康は正室の彼女まで連座させて殺したのか不明。)色々疑惑の残る事件でした。また話では真実に気づけないお坊ちゃん的に描かれてる信康ですが史実によると気性が激しく日頃から乱暴で盆踊りの際に領民を面白半分に弓で射殺したり、鷹狩りの最中出会った僧に縄を付けて引き摺り殺したりの最低野郎だったようです。(話のように「俺が悪かった!」などとは口が裂けても言いそうにない性格…のような。)家康も無事に育てさえすればいいと思って甘やかした結果、成人しても教え諭しても親を敬わない男になってしまったと嘆いているのでこの性格は徳姫の夢でしょうね。徳姫との間に生まれたのが2人とも女の子だったせいで夫婦仲が冷え切ったとの説もあるそうですし(作るだけ作っておいてお前…!)果てしなく身勝手なこの男が「姫を想わない日はなかった…。」などと殊勝なセリフを吐くとは到底思えなかったり…ゲフッ!

 1582年のピュア・マリッジ…第1話で言っていた「あの女」(諏訪御寮人)の息子・勝頼の話です。(そして奥様は第1話に出てきた氏政の妹。氏政様のビジュアルが変わり果てすぎて最初、気づけませんでした。)北条夫人(この話では佐代姫。)との縁談は武田信玄の甲斐侵行で同盟が破れ一時破談になっていたものの勝頼期には同盟が復活していた為、縁談復活→継室(後妻)として嫁ぐことになりました。(なので姫の女の意思が勝ったわけでなく政略100%の縁談だったのですが…ゲフッ!)勝頼は諏訪家の通字「頼」が入っている名前(武田家の通字は「信」)からも分かるとおり当初は諏訪家だけを継ぐ予定でしたが兄貴が謀反を起こして自滅した(第1話参照)せいで繰り上がり式に家督を継ぐ羽目になってしまいました。しかし父・武田信玄の死を隠し通したつもりが多くの戦国大名に死んだことが知れ渡っていたり(隠し通せたと思ってたのは勝頼だけ。)息子にしては状況把握が甘すぎる(最後の逃亡も義兄の裏切りを読めなかったという失態があったり…ゴフッ!)など…信玄よりは確実に劣った人物であったことが武田家滅亡の一因でもあったように思えます…ガフッ!姫は元々上杉影虎を支持していながら彼が跡目を継げないと分かるとあっさり手を切った実家・北条家に幻滅していた節もあり勝頼と共に自刃して果てたそうです。水垢離までしていたかは不明ですが武田八幡宮には彼女が納めた願文が奉納されており武田を思っていた姫であったことは間違いないようです。

 1585年の聖母…わずか18歳で家督を相続した「独眼竜」伊達政宗の話です。(当時父はまだ41歳の働き盛り&自分は若輩ということで最初は辞退したのですが彼の武将の素質を見抜いていた父・輝政の決意は固く相続決行となりました。)肖像画・像の類では伊達政宗本人の遺言により両眼があるものが多いですが、幼い頃疱瘡(天然痘)にかかり右目を失明した彼は漫画のビジュアル同様片目でした。(そして天然痘罹患者なのでピョートル3世のようにブサメンの可能性の方が高いかと…ゲフッ!)その上政宗暗殺未遂事件の際、田村家方の内通者が関与していたのでは?と疑いを持たれ愛姫は乳母や侍女達を殺されたというのに夫婦の間には愛が芽生え(凄いよ、愛姫さん。)愛姫が伊達屋敷に移された折には「匕首を常に懐に持っております。決して辱めは受けません。」と政宗を内助の功で支えたと言われています。家庭を良く納め慈悲深く聡明な女性であり「愛姫」の愛称通り愛くるしい姫であったようです。こんな人を正室に持てたなんて政宗は幸せだったと言えるでしょうね。

 1615年の幼妻…漫画「天上天下」でも超過去編みたいな形でチラッと出てきた徳川家康の孫娘・千姫の話です。(天上天下自体がぶっ飛んだ話なので史実は全く関係ない物語でしたが…ゲフッ!)大阪城で秀頼と共に自害せず、他の男(本多忠刻)とさっさと再婚した為に評判はあまり良くないお姫様です。忠刻の死後すっかり男狂いになった千姫は吉田御殿に籠り、道に好みの男が通うのを見ては連れ込んで遊んだ挙句に殺し続けたという噂までたてられました。(「吉田通れば2階から招く、しかも鹿の子の振袖で。」という歌まで出来たほどだが、これは豊臣側の肩を持つ人達が流した真っ赤な嘘。実際の千姫は再婚した夫忠刻が死んだ後、出家して天樹院となり竹橋の御殿で静かに余生を過ごしている。)本当は貞淑だった彼女に対しては酷い噂ですが、しかし滅ぼされた豊臣側にしてみればのうのうと生き延びてあっさり他の男と再婚されたのは確かに恨まれても仕方ない話でもあるような…ゴフッ!(その後栄華を極めた徳川幕府を思うと余計に。)2話前の佐代姫の死に様(夫を想い自害。)を見ると確かに秀頼と運命を共にする気持ちは薄かったと取られてもしょうがないでしょうね…。仮にも戦国の姫がこんなにはっちゃけた性格になるかも疑問ですしちょっと美しく捕えすぎてるかなと思ってしまいました。

余談…まだまだ月代(てっぺんツルツル)の殿方が多い時代のはずなのに、お舅さんが月代してることはあってもヒロインの相手の夫が月代やっていることは決してないのね、と密やかにツッコミを入れてしまいました…ゲフッ!

時をかけた少女たち~幕末・新撰組編~

2010.04.24
 前回「浅黄色の風」(沖田総司主人公の話。)でコメントを頂いたのでその関連図書としてお貸しした本。その時代に生きたカップルの話(ということは沖田さんや土方さんの話は描いて頂けない…と。(悲)。)中心で「いい人」の山南さんの話も載っていたので思わず嬉しくなって買ってしまったという経緯があります。(「浅黄色の風」を読んだおかげで沖田さん山南さんの2人の評価は私的に高い。)現在の大河ドラマの主人公が同じ時代に生きた坂本龍馬なのでそれも合わせて見てみると楽しいかと思います。

 1863年のランデブー(幾松)…「故郷に奥さんがいるくせにこんな所で遊んで。」と人気の名妓ならではの傲慢な物言いから物語は始まりますが、その例にもれず桂小五郎もまた結婚済みでした。尊王攘夷派の志士達の中で最もモテたという長州志士、しかも顔良し、仕事能力良し(「維新の三傑」の一人ですから!)剣も達者(名門・斉藤道場の塾頭まで勤めました。)という3拍子揃った色男だったので女選びには不自由しなかったようです。なので最初の妻は防長1(防州・長州の中で1番)の美人と言われた宍戸富子(長州藩士宍戸平五郎の娘。)でした。しかし、元々裕福な家で育った富子は貧しい生活に耐えられず、また小五郎の姉(小姑)とも仲が悪く(肝心の桂小五郎は仕事であちこち飛び回り家にいること自体が少なかった。)新婚数か月で「ちょっと実家に(永遠に)行ってきます。」と出て行ったきり2度と戻ってきませんでした。(離婚成立です。)その後彼が選んだのが京都三本木の名妓、幾松です。彼女は物乞いに扮装した桂に握り飯を届けたり、新撰組の探索から桂を逃がしたり、陰に日向に尽くしてくれたのです(話のエピソードは全て本当。)…が、正式に木戸孝允夫人・松子となってからは役者にうつつをぬかし派手に遊んだ為(話で描かれていた「すれ違い」とはこのことだろう…ゲフッ!)桂は今わの際に「お前、お願いだからあまり目立つことはしないでくれ…。」と彼女に言い残したそうです。(最後の言葉がそれって…。)
 もしかして「嫌われ松子の一生」や「洗礼」(脳移植を望んだ主人公の母親の本名。)に出てくる松子は「時が経つにつれ暴走する女」として彼女から取ったのでしょうか?(いや、考えすぎだろ!)

 1865年のプリティシスターズ(近藤勇の略奪愛)…話的には近藤勇の略奪というよりお孝が近藤勇を略奪という方が正解な気がしますが…ゴフッ!あまりにもコロッと妹の方にいってしまった近藤には「ちょっとここにお座り下さい局長!」と説教したくなりました。
 さて、近藤勇と言えば小説「鞍馬天狗」での剣を掲げての「今宵の虎徹は血に飢えている…。」という名台詞で有名な鬼の局長です。(考えてみれば新撰組の厳しい掟を作ったのは土方でもそれに全部OKサイン出したのはこの人なんだよな…。)話では「あなたのような人を探していた。」と言っていた近藤でしたがその五年前既に彼は清水家家臣松井八十五郎の娘つねと結婚しており、たまという娘までもうけておられやがりました。正妻のつねは不細工な女だったらしく「だからこそ尽くしてくれるだろう。」と足元を見た理由で選んだ女性らしいです。(この野郎、女を何だと思っているんだ!)ブスフェチではない証拠に愛人の深雪太夫、金太夫、駒野、およし等々の女性達(多すぎです!)はどれも綺麗所として評判だったという悲しい事実があります。そんな最低男なのに勇処刑後も再婚話を断り続け何度か後追い自殺まで図った奥様の方がむしろ私的には哀れだったり…。(そこまでする程のいい男では絶対にないと思うよ…。)
 では話についてツッコミを、取りあえず深雪太夫はリューマチ(関節や筋肉などが痛むだけの早死にとは程遠い病気。)で死んでなんかおりません。その後勇の研究をした鹿島叔男が71歳で存命中の彼女に会って話を聞いてます。お孝についても娘のお勇を育て上げたどころかとっとと養子に出してしまい(所詮そんな女だったか、お孝。)お勇本人が真実を知ったのも再会した叔母、深雪太夫の口からでした。(お孝はどうした?)そんな事実をふまえるとますますお孝に幻滅してしまう私だったり…します。姉という身近な人間の恋人を寝取る神経もどうかと思うの…ガフッ!

 1865年のコケティッシュガール(明里)…身抜け(見受けより安い金で親類が遊女を引き取る。)の制度はこの話で初めて知りました。山南さんの隣にいる沖田さんがやっぱり美形風に描かれていて思わず笑ってしまった話です。(本当はヒラメな色黒…ゲフッ!)男達のプレゼントを質に入れたり、自分は金目当ての女だからと割り切っている明里さん(だから体面の方が大事な相手がそのままの自分を受け入れてくれなくても仕方ない、自分は所詮その程度の女だ、とプライドを捨て去ってる辺りに覚悟を感じる。)のしたたかさが妙にリアルで切なかったです。「ぼやぼやしてると一生この苦界から出られない。」その「一生」が平均20歳だという島原の環境を考えると余計に切ないではないですか。格子戸の別れでは「浅黄色の風」と同じく自分の感情をぶつけるも人格否定をしていない(単純に山南さんと死に別れるのが嫌だという幼くも必死な思いが伝わってきました。「浅黄色の風」では死んだ後まで悪く言っていて正直酷い女だと思ったので。)と逆に感動したものでした。同じ場面でも描き方の違いで印象は大きく違うんですね。

 1866年のBurninngLove(おりょう)…2010年現在の大河ドラマでもおなじみの坂本龍馬の話です。というよりそのパートナーのおりょうさんの話です。(4月現在大河ドラマ自体にはまだおりょうは登場もしてはおりませんが…ゴフッ!)おりょうこと楢崎龍(ならさきりょう)さんは安政の大獄で父を失い4人の弟妹を抱えて金の為に天誅組残党達の賄いさんをしていたのですが幕府の浪士組の追討に伴い各地を放浪していた所で龍馬と出会いました。女にしては自由奔放な所が珍しく(龍馬自身も姉への手紙で「面白い女」だと彼女の事を評している。)2人は強烈に惹かれあったようです。その後は龍馬のなじみの寺田屋で奉公することに決め仲は深まっていきました。寺田屋事件にて包囲されたことを全裸で龍馬に知らせたエピソード(注・本当は浴衣を着ていたそうです。素っ裸ではありません!まあ、どちらにせよ当時としてはハレンチな恰好に違いはないようですが…ゲフッ!)はあまりにも有名です。(その時の傷の湯治の為の温泉旅行が日本初の新婚旅行だと言われている。ラブラブです。)しかし、その後龍馬は1867年11月15日京都の近江屋で刀を抜く間もなく頭をかち割られて死亡してしまいました。(何者かの手による暗殺。1説には龍馬は千葉道場で北辰一刀流免許皆伝を得たがそれは1番低い「長刀」の初目録であり剣士的には弱かったとも言われている。)その後おりょうは龍馬の姉の乙女(すごい名前だ。)の元に身を寄せるもそりが合わずに出奔。30歳で西村松兵衛と再婚し西村ツルとなり、それとは別の愛人(妹の前夫。)の子を産み(オイ!)酒を飲んでは「私は龍馬の妻だったのに。」旦那に愚痴る(男としてそれでいいのか、旦那さんよ。)慢性アルコール依存症となりそれが原因で66歳で死亡したそうです。そんな後半生を知るとあまり共感はできない女性でもあったりします。

 1868年のナイチンゲール…色々調べたのですが松平容保×照姫のエピソードはとうとう見つけられなかったので恋話としてはあまり信じてはならない話です。(砲撃が降り注いでる中キスしてる場合じゃないよ、お二人さん。)
話に出てくる松平容保は細面の貴公子で宮中に参内したとたん女官達がそわそわしたという逸話が残っているほど色男だったそうです。(なるほど、敏姫が躍起になるわけだ。)正室となった敏姫はその当時14、病死した時19歳、で死亡後とっとと継室として浦乃局が入りました。(ちょっと待て、コラ!)彼には他に側室が2人、お子様が5人いるので照姫とのラブ話は…もしあったとしてもこの話のような純愛とはとても言い難いものになるかと、思い、ます…ゴフッ!あの時代の流れの中で幕府側に着いたこと自体が貧乏くじでもあり会津の悲劇ともいえますがその生真面目加減に信念を感じて私は結構好きだったりします。

 ちょうど明治維新の変革期だったこともあり様々なドラマのあるこの時代。調べると色々なことが分かってやっぱり歴史物は2度美味しいことを改めて実感した私でした。
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