検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

スポンサーサイト

--.--.--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ガラスの仮面23

2011.03.20
 とうとう文庫版最終巻です。(完結するのはいつの日かな…?)文庫版の表紙も4冊続いて紅天女の絵が描かれていますが(梅の谷から打ちかけ越しにこちらを見つめる阿古夜、天に向かって手を広げる紅天女、湖に向かって微笑みかける紅天女、豪華な衣装で舞を舞う阿古夜)「京の都が荒れすさんでいた時代」(南北朝時代)にふさわしい着物姿でいると思ったら弥生時代を彷彿させる質素な服装でいることもあり、服装がコロコロ変わる天女の姿に話の迷走ぶりも感じたものでした。(天女だから弥生時代から存在していた、時代に合わせて服装を変えていった(え?)としても不思議は無いのかもしれませんが…。)

 「紅天女」…ナレーター「仏師・一真と梅の木の姫神の化身・阿古夜。この2人がどうなったのか、この後梅の谷で何があったのか、今は語りますまい。」

物語最大の修羅場(痴話喧嘩)は語られなくてもエピローグとして「それから数年後」の仏師一真の姿が語られる辺り結末は分かりきっており、あまり興味はかきたてられないな(結局「勝利」して生き残ったのは一真の方で、薬草の知識や天地神明と心を通わす術などを彼に伝えながらも阿古夜は負けて死んでしまった。「死んでも恋は終わらない」と一真は言うが死に追いやった当人の言葉だと思うと感動も半減しようというものです…ゲフッ!)と思ってしまった全容でした。激しく「一途」な恋をしていた(確かに「浮気」はしていない。)反面、恋より使命を優先させて恋人を死なせた一真が微妙に思え、人間が争い傷つけ合う様を「捨ておけ」とスルーしている紅天女にも冷たさを感じて自然界の理と恋を描いた幻の名作ではあるんだろうけど同じ人間としては共感し辛い話だな(仏の魂を体現した仏師、女神の化身という「慈愛溢れた存在」のイメージに反してあまりに慈悲に欠けており自分の事しか考えていない…ような。)とも感じてしまったものです。どちらかというと泥臭いけれど懸命に生きている「狼少女ジェーン」や陰謀渦巻く「2人の王女」の方が話としては面白かったと思ってしまったり…ゴフッ!

 源造…「この私が一真役を演れるなんて夢のようです。源造はもう思い残すことはございません…。」

一日限りの舞台の上だけの話とはいえ永遠の憧れの女性・月影千草の恋人役をやれて感無量の様子の源造さんですが健康極まりなく生きているのに死期が迫っている人間のように達観しないで下さいよ!君が生きて幸せを掴むのは、まだまだこれからの話だ!と、いいな…。)と焦ってツッコミも入れてしまったものです。今回は劇団つきかげの皆と共に1人3役(語り手兼ナレーター兼楠の殿様)という難しい役をこなしておりいつの間に彼は演劇を学んだのか驚かせて貰いましたが思えば彼は元々女優(千草)の付き人で芸能界関係の人間だった(マヤの元付き人ののりさんも演技達者だったし付き人は役者の卵というパターンが多いのかもしれない。)という事も思い出し1人で納得をしてしまいました。結果、劇が終わったと同時に血を吐いて倒れた(これでもう3回目位の瀕死の状態に陥った)月影先生もカッと目を見開いて無事に生き返った(最後の舞台は終わったが彼女の人生はまだまだ続く)ことですし、そろそろ新しいパートナー(源造さん)と人生を歩んでは貰えないんですかね…?(別居されたとはいえ奥さんと二股かけていた一連と比べると一途に尽くしている彼の方がどう見ても良い男なんですが…美しいイメージばかりが増幅される死人は無敵なのだろうか?)

 姫川亜弓…「私には取り巻きはいても仲間がいない…華やかに見えても本当はいつも一人…本当の友達なんて一人もいないわ!」

真の天才であるマヤは世の中を変える力を持っている。影響力が大きいだけに大きな渦を巻き、彼女がその渦に巻き込まれて飲まれるか中心にありながら不動のままいられるか、支えてその渦から守ってやれる者がその鍵になる、みたいなことを速水親社長が言っていましたが、亜弓さんの言うとおりマヤには劇団つきかげ+一角獣の仲間達や厳しい保護者の月影先生、将来の恋人(と1人で盛り上がっている)桜小路くんと喜んで支えてくれる人達が沢山いるし、熱を上げている所悪いけれども速水さんなんていなくても大丈夫なんじゃ…?(1人孤独に頑張っている亜弓さんに比べたら滅茶苦茶恵まれているじゃないですか、この女。)と読み返してふと思ってしまったものでした。つり橋が壊れているのを知りながらマヤを見殺しにしようとしたり(でも結局見捨てきれなくて助けている。良い奴じゃん。)一瞬でも不正な手段で役を得たいと思ってしまった自己嫌悪に苦しんだり(一瞬だけの話ですぐに理性を取り戻したじゃないですか。本当にずるい人間なら最後まで見捨ててますよ。)完璧な存在でなく人間らしい弱さや深みも出てきた彼女。紅天女編に入ってから同じ人間として大いに共感したと共に恋にうつつを抜かすばかりで全然頑張っていないマヤを応援する気持ちがどんどん薄らいでしまいました。今回は殴り合いのケンカにおいて男同士の友情のように新しい絆を築いた2人(「おぬし、できるな。」と互いを認めている2人でしたが演技でなく喧嘩の能力を競ってどうするんですか、あなた達…ゲフッ!)でしたが正直怪我してるのに何が笑い転げるほど面白いか分からない友情の築き方は、定型パターンとはいえ疑問ばかりが湧きでて(キャッツファイトを通して絆が出来るどころか、決定的に溝ができてしまう場合もあると思う。)あんまり共感はできなかったものでした。亜弓さんの方はともかくマヤは明らかに彼女を特別視していない(思い出したように気にしているだけで恋の行方に遊びに、自分の事ばかり気にしている。)し色々微妙に思えてしまうライバル関係です…ゴフッ!

 北島マヤ…「良かった、あたし、もう少しでバカな事をする所だった…。」

「始めから失うものが何もないんだもの。こういう時は強くなれるわ。傷つく事を恐れていたら何も出来ないもの。」(ダメでもともと。勇気を出してぶつかってみよう。)と「ふたりの王女」のオーディションに芸能界を追放された身で乗り込んだ人間と同一人物のセリフとはとても思えません。(かつて桜小路くんも「芝居に夢中になる程には恋人を思ってくれないのだろうか?」と嘆いていましたね。)そういえばこの子は演劇に対してなら驚くほど大胆になれるけれど恋愛面に関してはいつも受け身で、そのくせ惚れっぽくて冷めやすい性格だったなあ(桜小路くんの事を捨ててまで付き合った里美さんの事もスピーディーに忘れ去っているし好きな相手に対しての情熱は昔から無かったな。)と改めて思い出した次第です…ゲフッ!マヤ本人が自分で言っているように「自分の運命の扉を開く事が出来るのは自分のこの手だけ」、速水さんに告白するよりも、そんなしょうもないプライドの方を大事に思っているのならいつまで経っても月影先生の言う「本物の恋」なんてできやしないよ(紫織さんの立場を考えると今更になって略奪愛に目覚められるのも困りますが。)とツッコミを入れてしまいました。互いに存在に気づき不穏な空気の中で終わる23巻ですが、その後も身を引くと見せかけている割にはウジウジと未練たらしいマヤにも思ったような修羅場には発展せずあっさりスルーされる展開にも色々ガッカリさせられたものです…ゴフッ!

 余談…この「魂の半身」の恋を描いた幻の名作「紅天女」にて男役(一真)の
「死ねば恋が終わるとは思わぬ。」(だから恋の為に死んで良し!)
のセリフ(魂の半身カップルは一連×千草の例もそうだが、どちらかが早死にする運命にある。劇中では阿古夜の方が死んだらしいが。)もあって速水さん死亡説が信憑性を増してしまったのではないかな~と邪推もしてしまったものでした。真澄様に長生きして欲しい自分としては「そんな不吉な悲恋」(マヤ)に人生捧げて欲しくないんですけど…ね。(いいじゃんか、無難に平和に紫織さんで。)
スポンサーサイト

ガラスの仮面22

2011.02.14
 時代は第2次世界大戦(1945年)をまたいで月影先生の過去が語られます。だとすると桜小路くんが携帯電話でメールの送受信をし真澄さまが思いっきりスマホを使っている(昭和をすっ飛ばして時代が2010年以降になっている)「現在」では東京大空襲時に立派に成人していた彼女は今何歳なのか(65年+20歳として少なく見積もっても85歳。そりゃ年齢的に倒れもするし杖が必要になるほど足も不自由になるだろう)マヤが中学生だった頃(わずか数年前)にはブラウン管テレビだったのに時代の流れ方が異常だ(この漫画は「昭和物」じゃなかったのか…。)と感じる今日この頃です。(ていうかサッサと新刊が出ればこんな事にもならないのでは?←禁句)

 月影千草…「ああ、一連…!7歳のあの時から私の手は今もあなたと繋がったままです…!」

手をつないで結ばれた後に1人でさっさと自殺してしまうなんて一連も勝手だよなとツッコミを入れてしまった過去エピソードでした…ゲフッ!ともあれ狼少女ジェーン編に到っても「一蓮が愛していたのは生涯彼の奥さんと子供だけで、千草は彼に片想いしつつも一生女として見て貰えなかった(のに未だにその報われない片想いだけが続いている)」とされていた初期設定は、そんな人生はあまりにあんまりだと作者が思い直したのか、ここに置いて大幅に改稿された様子です。おかげで千草も「実はしっかりと結ばれていたという事実関係」(自分の愛)に自信を持って「魂の結ばれていない夫婦よりも魂の結ばれた他人の方がずっと素敵な事だとは思わなくて?源造。」「千草様…あなたに恋している私に入り込む余地は無いと言わんばかりに惚気を聞かせるって…。」と超満足気に過ごしている様が見られますが(満足しててもあなたの愛は不倫という純愛とは程遠い言葉でしか言い表せないのですが…ゲフッ!)愛した人に長年袖にされ続け、やっと奪い取ったその直後に速攻で死なれ、舞台の上で彼の魂を表現できると思ったら顔に怪我をして当の舞台にも立てなくなったという人生もあまりにあんまりで思わず同情してしまったものでした…ゴフッ!(本人は「誰よりも深い絆で結ばれる相手と出会えた私はきっと誰よりも幸せ」と言っていますが客観的に見て「あんまりな人生」という評価に変わりは無いような…ガフッ!)「紅天女」は言ってみれば一蓮と千草の唯一の愛の結晶であり、いわばこれは2人の壮大な愛の物語であったのでしょうが当の芝居が難解過ぎ・抽象的過ぎて今一つ面白味を感じない(ヒロインがあくまでも「天女」であって「人間」として描かれていない分、共感し辛い点もあるのでしょうが…。)点もあって個人的に「魅力」は感じなかったエピソードでした。(一生懸命な千草の姿は認めるけれど同じ女としてこんな恋をしたいとは思えない。相手は親ほど年の離れたつまらないオッサン(しかも後半はほとんどヒモ状態)ですし…ねえ。)むしろ一蓮が余計な手を出さなければ千草はこんなにも彼の存在を引きずる事も無かったのではないかな~と思えて微妙にも感じた前奇譚でした…ゲッフン!

 尾崎一連…「大丈夫だよ、僕がいるから。」

…と最初は確かにスリやかっぱらいで生活をしのいでいた孤児の千津(千草)を引き取った「頼れる保護者」だったのですが東京大空襲では当の彼女におぶわれて逃げのびたり(男として女に助けられるのはどうなのだろう?)かと思えば翌日には黙って姿を消していたり(「先生、一体どこへ…!」by千草)見つけたその時には1人で立ち直っているし(心配するだけ損しました。)奥さんには逃げられているし(死別したんじゃなかったのか。ますますみっともないな。)やっと千草と結ばれたと思ったら自殺しているし(死ぬつもりならヤルなよ…!もしかしたら死ぬつもりだったからこそ最後に好き勝手やりたくなったのかもしれないが、どちらにしろ生きて取り残される人間にとっては残酷な話である。)年を取るにつれて「しょうもないオッサン」になったなあというのが全体を通しての感想になってしまいました。(千草を「保護する側」から千草に「保護される側」へと立場が逆転したよね、この人…。)元々が金持ちのボンボンで劇団に親から続く資産(自分で稼ぎ出した金ではない)を元に金を出していた人だった彼は時代の変化にもついて行けなかった(「いい人」であれたのは自分で金を稼ぐ必要のない経済的余裕があればこその話で生粋のお坊ちゃんである彼は所詮逆境には弱かった。)そこがバイタリティのある千草や速水英介との違いである)のでしょうが、それならそれで千草のヒモという情けない立場になってでも生き抜いてあげるのが彼女への愛なのではないかなと思えて話の後半は特に自分一人で自己完結した勝手な行動ばかりが目立つ世話の焼ける中年だな、全く…と呆れながらツッコミを入れてしまったものでした。辛い時代だったのは分かりますがあの時代に五体満足の年頃の男が何故か召集(赤紙)を免れて戦場に行かずに済んでいるだけでも恵まれていますし、どこまでも千草がついているそうですし、いくらでもやり直しがきいた人生だったと思うのですが、ね…ゲフッ!

 速水英介…会長「知っておったかの?君のお義父上はずっと月影千草を紅天女を愛しておったのじゃ。」
真澄「ええ、知っていました。誰よりも深く、苦しいほど愛していたことを…。」

それはそれとして母と愛の無い結婚をし、ないがしろに扱った挙句に死に追いやった経緯は許せない(だから「紅天女」は自分が奪って上演してやる!)という思いは今でもまだ有るのでしょうが「今」ならば同じように愛した女優に想いが届かず結ばれない立場に自分を追いやりながらも諦めきれずに懸命に意地を張り続けている気持ちだけは分かる(分かる自分に心底嫌悪を感じるとしても。)と、おんぶという彼を助ける手段に出たんでしょうね、真澄さまは。(今になって親子愛に目覚めた訳ではない証拠に彼を背負う真澄さまの表情に暖かみは無く背景も暗い。)そこまで相手を愛しながらも所詮千草にはIt(あの男)と呼ばれたオッサンでしかなかった(自分の策略で墓穴を掘ってしまい両想いになるどころか決定的に嫌われてしまった。この点も軟禁中のマヤの母親をうっかり死なせてしまい関係に溝を作ってしまった真澄様に似ている。)点は多少、同情に値するでしょうか?(多少程度には。)その他にも自分が想いを寄せながら彼女は他の男(一蓮=桜小路くん)と良い感じで嫉妬に駆られる反面、手出しはできないという状況も同じで思う所はきっと色々あったのではないかと思われます。ただ一つ違う点は真澄様にはまだ可能性がある(本人が知らないだけで真実マヤに嫌われきってはいない)のに対し、このオヤジには一片の可能性も残されていない(今でも見舞いの品を門前払いされるほどハッキリと嫌われている。真澄様が機転を利かせていなかったら受け取っても貰えなかった)点ですかね…ゲフッ!諦めきれない恋心が分かるのなら息子(真澄)の恋の応援者に転身する事が期待できるでしょうか…?(いや紅天女(千草)に恋していながら「恋と結婚は違うから」と後継者ゲットの為に打算的に考えて結婚した野郎だから多分無理だな…ゴフッ!)

 北島マヤ…真澄「君の演るのは梅の木の根っこの精だったのかな?稽古中のこの格好を見ると相当おてんばで個性的な精霊と見える。」
マヤ「…グスッ(泣)」
真澄「…え?何で泣くの!?」

恋心を自覚した故の態度の変化とはいえベタベタウジウジと後ろ向きな面倒臭い女になったなあ…(こんな人前で泣かれたら普通に対応に困るんですけど。)という印象しか持てず正直「…。」と思ってしまったものでした。速水さんのことが好きと胸の内で言いながらも目の前で他の男(桜小路くん)の胸に縋って泣くのもどうなのか(そういう事をするから桜小路くんも自分とマヤがいい感じだと「誤解」を深めるんだと思うよ…。)恋している割には保身ばかりが先走っていてあんまり共感できない恋の有様だなあと感じたものでした。社務所でも速水さんが紫のバラの人(=ずっと自分を想っていて、ここまでしてくれるほど愛していたこと)を明かしてくれれば自分も想いをさらけ出して彼の胸に飛び込めるみたいなことを思っていましたが、そうやって「確実な見返り」が見込めなければ動けない(結局のところ速水さんよりも「自分が傷つかない事」の方を大事に思っている)のならどうぞ保身大事に身を引いていれば?と冷めた目でしか見れずに応援はできなかったものです。(むしろ真澄様が自分に対して距離を置きたがっているのを知りながら「あなたがとても好きです。」と踏みこんで告白する紫織さんのほうが余程ひたむきで打算無く彼を愛しているんじゃないのかなと思えて…うん、私は紫織さん派。)演劇面に関しても今巻も遊んでばっかりだし恋愛面においても演劇面においても全く努力していない奴が才能や宿命などの「生まれ持った条件」だけで望みの物を手にする物語など見たくないので紅天女→亜弓さん、真澄様→紫織さんと「頑張っている人間」にちゃんと譲ってやれよ(もうずっと遊んでて良いからさ。)としか思う所は無かったり…ゲフッ!亜弓さんのように体を動かせなくて表現力が無いのも要するに努力してないからであって(毎日筋トレしてそれでもやっぱりできませんだったら分かるけれども、劇団つきかげの皆も来た事もあって遊んでばかりじゃないですか、あなた…。)自業自得じゃないの?としか思えませんでした…ゴフッ!(「あたしみたいな女の子でも希望さえ持っていればいつかは叶う」と思うのは勝手だけれど何の努力もしていないくせに望みの役が手に入るという都合の良い「希望」だけは捨てないというのも考え方としてはどうかと思う。)昔から無邪気に名を借りた無神経な所は有ったけれど、そこから「ひたむきに努力する姿」も無くなってキャラが変わったな(「今」の性格に共感ができなくなった)と感じる今日この頃です…ガフッ!

 余談…一蓮と千草のセリフにある「私は君よりこんなにも年上だ。」「私は年を気にした事などありませんわ!」という速水さんがいつも気にしている(実際は些細な事に過ぎない)年齢の問題といい、性格は全然似ていないキャラクター(速水さんはもっとやり手だし、マヤには千草ほどの大胆さ・一途さは無い)だけれど「立場」だけを見ると
一連→妻も財産も社会的立場も何もかもを失った後の速水さん
千草→そんな彼の元に残った演技力がずば抜けた女性(マヤ)

…という構図(駆け落ちでもした後の2人の未来予想図?)が見えてしまったのですが、それだと速水さんは早死にしてしまう運命になるので(以前ネットで見かけた真澄様死亡説はこの「魂の半身」先輩世代のエピソードからも来ているのでは?と不安も感じてしまいました。)やっぱりこのカップリングは辞めて欲しいと切に感じてしまったものでした。紫織さんとの婚約も決まって、この後マヤと結ばれるには駆け落ち位しか手段がない訳ですが何もかも捨てての駆け落ちなんて楽しいのは最初の一年位で後は生活費の配分とかで毎日喧嘩する羽目になるんだから辞めとけやとツッコミも入れてしまったものです…ゲフッ!

ガラスの仮面21

2011.02.13
 「この本は読み始めたら最後まで止められません。くれぐれも時間と体力に余裕がある時に読んで下さい」という手紙と共に送られたこともあるという少女漫画史上の最高傑作「ガラスの仮面」…ですがこの最終章(?)である紅天女編に入ってからジワジワと主人公に共感し辛くなって夢中になりきれなくなったものでした。(我々姉妹的に。)演技の天才少女・マヤの「才能と心の成長物語」だったのが成長しなくなった(才能に胡坐をかいて努力する姿が無くなった。代わりに恋ばかり追いかけるようになったが当の我々はすっかり「長い春」として関心が無くなっていたものだから、あんまり…。)のが遠因なので理由も含めてここで語っていこうと思います。

 「火」のエチュード…月影先生「今の『八百屋お七』、あなたの目に恋の狂気は無いわ。美しい造花より生き生きとした野の花の方が長く人を惹きつけるように『上手な演技』と『魅力ある演技』は違うわ。」

それはそうでしょう。月影先生がかつてお七(役柄)に託して自分の本物の恋を演じて見せた(その恋の内容が不倫だったという事実関係は置いといて…ゲフッ!)のに対してマヤのはネタ出しの為のエセ表現でしかなかった訳ですから。しかもその案さえ速水会長からまた聞きした話をパクっただけの何のひねりもアイディアも無い(自分では何も考えていない)薄っぺらい内容だという経緯も合わせて「上手な演技」に反して感動はできなかったものでした。結果として速水会長は大満足していました(「千草め、さぞかし驚いただろうな!」)が、その点もマヤ本人が知らなかった事とはいえ何を敵の手先になって動いてるんだ、お前は!と更に引いた目で見てしまったり…ゴフッ!「女」としてはともかく(その点は里見さん事件の時から諦めていた。)「女優」としての頑張りだけは認めていたのに女優としてのマヤにまで疑問符が出始めた最初のきっかけでした。ちなみにここで描かれている放火犯として有名なお七のつけ火はボヤで終わっており(「明暦の大火」「目黒行人坂の大火」と並んで三大大火と呼ばれる「八百屋お七の大火」(1682年12月28日に出火し東は下谷・浅草・本所、南は本郷、神田、日本橋にまで火が及び大名屋敷や旗本屋敷、神社を焼いた。焼死者3500人)の時に彼女は寺に避難しただけで本人が放火を行ったのは翌年。被害者はゼロで済んだ。)しかし放火には違いないとして市中引き回しの上に磔にされて焼き殺されたそうです。結果として被害者が出なかったから良いだろうではなくやってはいけない事だと知っているくせに自分のエゴの為に行った(「幸運にも犠牲者が出なかった」だけで「放火をした」事に違いはない)事は立派に罪になったようです。大火の方まで彼女の仕業と思われているのは気の毒ですが、やった事を考えると同情はできないな(普通に寺に出かけて告白する方が無難に思えるのですが…。)と劇中劇の内容と合わせてあんまり共感できなかったエチュードです…ガフッ!

 「水」のエチュード…亜弓「命をかけて恋した人魚の心と動きを演じてみたいなと思ったのです。」

風のエチュードで風そのものになったマヤに倣って火のエチュードでは火そのものになり、水のエチュードでは八百屋お七と同じく「命がけで恋した女性」を演じた亜弓さん。(お七も人魚姫もそうですが(自滅して)非業の最期を遂げる結末に、命がけで恋する前にもっと頭使ってよとツッコミを入れてしまうのは私だけ…?)土のエチュードでは水の神である龍神を演じたマヤのように大地の神である蛇(縄文土器)をモチーフとした踊りを踊っており「マヤと同じこと」をひたすら繰り返している割に彼女の演技を見て退屈しないのは、その中に彼女の考え抜かれたアイディアや表現する為の努力が見られていて原案は同じだったものが亜弓さんの作品(別物)として昇華されているからだろうなと彼女に拍手したものでした。(そこが完全パクリに過ぎないマヤとの違いかな。)「北島マヤ、水の演技。只今より本番でーす!」と二人の王女のオーデイションの時は好感が持てたアドリブ(何故ならば実力がずば抜けていたから多少のドジはほほえましく見えた。)が今回は全然共感できなかった(実力も無いのに気にかける所が、皆にアピールする所が違うだろ…と。)のもマヤに対して見る目が変わった証拠だなとどんどん彼女への評価が急降下している自分達を自覚する我々姉妹でした…。

 速水真澄…「俺も男だからな。責任が持てなくなるかもしれんぞ。」

その予告通り抱きしめた勢いで思わずコートをずり落として「手を出しかけた」速水さんでしたがマヤの怯えた表情に速攻で理性を取り戻した辺り、どこまでも彼は純情でした。1晩という長きに渡ってよく我慢が効いたな(いつ襲われるとも分からない「男」の腕の中でグウグウ眠れるマヤの神経も凄いな。)と改めて彼の鉄面皮ぶりに感動したものです…ゲフッ!1度は2人で超都合よく出合わせて星空を見上げ、2度目はご都合よく誰も来ない社務所で夜を過ごしたり、チャンスはいっぱいありながらも既成事実にまでこぎつけられない辺りが真澄さまのピュアっぷりと言いましょうか。紫織さんに正式に「お返事」を返した後の今になって(初めてマヤとスキンシップを取れて)本当に恋してる相手が誰なのかを改めて自覚している真澄さまですが本当に恋している相手はマヤでも、より真澄様を愛して必要としているのは紫織さんの方なのだし「さよなら」とも言われた(もはや完全に終わった恋である)のだから、いい加減に熱を冷まして目を覚まして貰えないかな…と今回も詮無いツッコミを入れてしまったものでした…ゴフッ!

 「土」のエチュード…マヤ「あーん、わかんなーい。土の演技なんてできないよー。もう、いや。遊んじゃお。」

多分作者は「ギャグ」のつもりで描いたのでしょうが紅天女編に入ってから、この女、全然努力してないじゃん!(今のマヤは「なんとなく行き当たりばったりの演技で後は才能にお任せ」という感じでキャラが変わった、と妹にも言われていました。)とマヤに対する評価は決定的に落ちてしまったものでした。(大した努力もしてないくせに才能の差だけに物を言わせて高評価(合格点)を得ているのも話としてどうなのか…。)かつて不祥事を起こして芸能界を追放されたマヤに「人は『今』しか見ないものなのよ。今が素晴らしければ人々は昔のことなんか忘れ去ろうとしてくれる。」と演劇部の部長が語ってくれていましたが、それって逆もまたしかり(「今」が悪ければ人々は大昔に取った華麗な経歴の事など忘れて誰も拍手する気になれない。)で少なくとも我々には共感できないよとツッコミを入れてしまいました。亜弓さんが考え抜いて努力して本質を掴もうとしているのに対してマヤの方は「よく分からないけどなんとなく」行動してるだけでほとんど遊んでいる(真澄様と1夜を過ごしたのも言い換えれば男と遊んでいるのと同じことですしね…ゲフッ!)という内容にも差別を感じて(それが秀才と天才の違いだと言われればそれまでかもしれませんが)どうにも笑えなかったものです。紅天女候補になるまでは確かに頑張っていた(過去形)けれど正式な候補になってからは安心しきったのか、それまでのひたむきさが無くなったなと残念に思う次第でした…ゴフッ!

ガラスの仮面⑳

2011.02.12
 つまらないと評判の紅天女編(風火水土エチュード編)ですが、まだここまでは主人公がひたむきに演じようという姿勢は有ったし好感は持てる巻です。(21巻からはダレてきたけど)真澄さまの過去が語られたり月影先生の昔話が入ったり挿入エピソードが多過ぎて追っていくのも大変ですが頑張って読み進める事に致しましょう。真澄様の義理のお父さんが戦争に行っていたりこの漫画は昭和物なんだなあ~(それはそれとして狭い日本であれだけの豪邸を建てられるなんて凄過ぎる)とも感じる巻です。

 速水英介…真澄「速水氏には腹違いの兄や姉弟達がいた。14歳の時に郷里の岡山を飛び出したのは彼が父親の妾の子供であり、義理の母(本妻)やこの兄弟達との争いが絶えなかったからだと後に聞いた。」

その後、戦争に行った時に熱病にかかり子供を作れない体になってしまったり、紅天女コレクションを集めるも家ごと火事でなくしたり、千草のストーカーをして交通事故に遭い両足が不自由になったり、この人はこの人で恵まれない人生を送ってきた(この人もまた親からの愛情には恵まれず、愛した女性からは嫌われて、身体的障害に苦しんでいる。)のが分かりますが、それはそれとして人に軽蔑されるだけの行動を取って義理の息子も含めた周り中の人間に嫌われたのは自業自得だ(後継者が欲しい為に子供目当てで愛の無い結婚をし、当の子供さえ政治資金の為に見殺しにした事実は彼自身を襲った不幸とは何の関係も無い。幼少時が不遇だった事はその後出会った人間を欲の為に利用して許される免罪符にはならないし、それで同情して両手を広げて何でも許してくれるおめでたい人間も現実にはほとんどいない。)とツッコミを入れてしまったものでした。理想の後継者を作れた所で当の跡継ぎにクーデターを起こされない可能性は未知数ですし(事実、真澄は虎視眈々と復讐の機会を狙っており、マヤと出会うまでその為だけに生きてきた。)人生そうそう思い通りにはいかないよと語りかけたものです。同情は全く出来ない男(紅天女の打ちかけの為に奥さんを火事の中に追いやった経緯を考えると特に。)なので真澄さまが復讐を忘れたにしても何らかの形で報いが来る事を願って幕を閉めるとしましょう。(うん、取りあえず最後は真澄様に会社を乗っ取られて孤老死する方向で…ゲフッ!)

 速水真澄…「お義父さん、僕はあなたの期待通りの人間になってみせますよ。そしていつか奪ってみせよう。紅天女を、あなたが築き上げたもの何もかもを…!」

そして復讐を終えて全てを奪った真澄様には一体何が残るのか?「母親の復讐」の為だけに生きてきて自分の人生を歩んでこなかった彼は目的を達成したその時(目的を失ったその時)虚しさばかりが募ってしまうのではないかと不安にかられたものでした。(真澄様死亡説はここからも来ているのかもね…。)唯一の愛情の対象であった母親も亡くし誰も愛さず誰にも本当には愛されずに生きてきた彼の目の前に現れた(彼に人間らしい表情を取り戻させた)のが当の彼の人生を狂わせる発端となった「紅天女」を演じる候補のマヤだったというのは皮肉な結果です。ですが彼が人間らしい情熱を取り戻したのは彼自身の力(マヤが彼を誘惑した訳ではない以上「マヤのおかげ」とは言えないし、実際問題速水さんが尽くすばかりでマヤ自身は「速水さんの為」には何一つしてあげた事は無い)であり、本当に彼を愛してくれる紫織さん(財産や立場といった打算で関心を持ったわけでなく、真澄様の優しさに惚れた女性)も現れた以上マヤにこだわる必要性はもう無いんじゃないかなとツッコミも忘れない私でした。この巻の紫織さんからの逆プロポーズに打たれたこともあって、マヤよりも紫織さんの方がずっと速水さんを愛していて必要としてるんじゃないか、真澄さまは「今」マヤを愛していても長い人生を考えるとマヤなんて必要(必須の存在)じゃないのではないかという思いが拭えず(真澄さまの為にも一生影で秘め無ければならない恋なんて忘れて明るい日の下で堂々と会える女性と幸せを築いて欲しい。個人的に。)マヤとの間に危機感を感じるどころか大いに新しい恋(紫織さん)を応援してしまった我々姉妹でした…ゲフッ!

 「風」のエチュード…月影先生「風そのものを演じるのならもっとバレエやダンスを学ぶ必要があります。今のあなたの動きはとても舞台では通用しませんよ!」

という月影先生の言葉からも分かるとおり問題は「風になりきった」(風の本質をとらえた)事ではなく「観客を魅了する演技ではなかった」(動きそのものは稚拙で見映えがしないものだった)事が分かります。(それで「火」のエチュードで火そのものになりきった亜弓さんに対しては「このまま舞台に立ってもきっと通用する」と何も言われなかったのでしょう。ポイントは役(対象物)そのものになりきっているかどうかでなく舞台映えするかどうかなのです。)思えば1巻の「逃げた小鳥」のパントマイムの時と同様の問題点であり、状況を想定してなりきってはいるけれど自己完結していて観客には退屈されている(亜弓さんなど見る人が見れば状況は分かるが一般的大多数の普通の人はそこまで細かく注目してくれない。)という役者としては致命的な欠点(役になりきる反面、自己陶酔して周りが目に入っていない。)とも言えるでしょうね。役に憑依されたかのように性格や癖まで変わってなりきれるのは凄いけれども演じる以上は観客を楽しませる必要があり「1人で風になりきった」だけで「観客に感動を与える演技ではなかった」以上はプロとしては失格…だったのでしょうね。なし崩しに次に課題に進んでいる辺り落第点を取っても次に進めるエチュードではあったようです…ゲフッ!

 鷹宮紫織…「あなたは何も答えて下さらない…!私の気持ちに…私の言葉に…。ただ他人行儀に優しくしてくださるだけ…!」

そう、真澄様が彼女を求めた(見合いを承諾した)のはどんなに恋い焦がれても報われないマヤとの恋に疲れて誰でもいいから側にいて自分を慕ってくれる女性が欲しくなった(実際に付き合ってみるとその気持ちが却って重苦しいだけだったけれど。)もっとハッキリ言ってしまえばブタ並の慰めでいいから欲しくなったという、ただそれだけの理由だったんですよね。(まあ、プライドの高いお嬢様である紫織様が「そんな愛され方、イヤアァァ!」と引きこもりに走る理由は納得できるな…ゲフッ!)紫織さんはこんな自分に真剣に向かってくれている、ただ、そこまで愛されても自分は彼女に興味は無いから虚しさばかりが募るという真澄様の気持ちも分かりますが「一緒にいて満たされない相手」というのなら気持ちがすれ違って人(真澄)を傷つける事を平気でズケズケ言うマヤ相手でも全く同じことであり、だったらマヤを愛して貢ぐ君になってめどのつかない独身生活を続けるよりも、紫織さんに愛されて結婚する道を選んだ方が人生幸せなんじゃなかなあ…と思えて改めて彼女を推薦したくなった我々姉妹でした。おそらくはこれが彼女との縁談を破談にする最後のチャンスだったでしょうに「花は自分で選びました。あなたに気に入っていただけるか分からないが、長い間あなたを悲しませて済みませんでした。」(なんて謙虚で紳士的で大人な応対なんだろう。責任を取る為だけに出た社交術に過ぎないとはいえ。)と惚れ直させてしまってはもう、後戻りはできないでしょうね。彼女相手に本気の恋はできないにしても癒しや慰めには充分になり得る存在のような気がしますしこの辺で手を打ってほしい物なのですが…ね。(テラスから無断で侵入するほど愛されているんだしさ…ゴフッ!)

ガラスの仮面⑲

2011.02.11
 狼少女ジェーン編最終巻です。文庫版でも狼と一緒にいるジェーン、人に囲まれて怯えるジェーン、スチュワートに餌のお預けを喰らっているジェーンと3冊に渡って表紙にその姿が描かれており、同時期に上演されながら(仮にも一応ライバルの立ち位置にいながら)1回も描いて貰えなかった「イザドラ」さん達にちょっぴり同情もしてしまいました。(亜弓さんのジュリエットは描いて貰えていたのにね…。)主演女優賞まで取ったのに影が薄い人達だなと2度と出番の無い今後の展開と合わせて影の薄いキャラクターの末路に哀愁を感じてしまったものです…。

 鷹宮紫織…「真澄様、あなたはいつも私にはやさしい。不愉快な顔をなさったことなど1度も無い…やさしすぎます…。」

その時の紫織さんがやった事といえば突然連絡も無く人の家(別荘)を訪ねてきて上がり込んだ挙句にガラス戸の付いた本棚の本を漁るという、間違いなく居住者に不愉快に思われる行動だったにも関わらず何も言わない辺り真澄様の関心の無さ(立場的に尊重はしているけれど他人行儀にやさしくしているだけという事実)が分かります。友人の別荘が近くにあるので寄っただけと彼女は言いますがその話の真偽はともかく目的の1番目は真澄様を探ることだったろう事は透けて見え(携帯のメモリを全て調べ上げたり、トイレットペーパーの取り出し口が三角に折られていないかチェックしたり(3角に美しく折るのはほとんど女性だけ=女が来た証拠)パンツの匂いまで嗅いだり(「そんなに疑わなくても家と同じ石けんの匂いだろ。」「そもそも入浴前の今、何で石けんの匂いがする訳?」「ギクッ!」)挙動不審な男に対する女性の調査力(という名のプライバシー侵害能力)は侮らない方が良い。むしろ現実はもっと修羅場である。)「調査」の結果クロだという判定は思えばこの時既に出ていたのでしょうね。(本人は信じたくないから「(あくまでも)女優として興味がおありになるのね。」と目を逸らしていますが単なるファン心理を超えている事は充分に嗅ぎ取っています。)何故速水一家はそんなにも紅天女にこだわるのか彼女は不思議がっていますが少なくとも真澄の義父の速水会長の紅天女へのこだわりは舞台を通して自分と千草が結ばれる事(「一蓮…決して結ばれる事の無かったあなた。けれど舞台の上であなたと私はしっかりと結ばれていたのです。」「じゃあ『わしの舞台』だったらわしと千草が結ばれるという事に…!」「すっこんでろ、このゲジゲジの大将!」という経緯。)なのでそこからもまた余計な誤解や厄介事が生まれそうで先行き不安に思える私でした…。

 舞…「約束したんだもん!桜小路くんに舞の作ったケーキ食べさせてあげるって…!」

台風の中という危険な状況の中、ただ恋人に贈り物をする為に出かけて行くなんて…ハッキリ言って無茶で無謀な行動ではありますが、その一途過ぎ・健気過ぎな姿には思わず涙を誘われたものです。(せっかく作ったケーキは飛んできた木の枝にぶつかったせいで崩れているし、何か報われない子だな、この子も…。)心配していた桜小路くん×マヤのフラグも舞台のストーリーがラブラブとは程遠い内容だった(「まるで舞台の上で本気で闘っているみたい…。」by舞)おかげで「誤解」としてスルーされているし(正しくは桜小路くんの独り相撲に過ぎないので誤解は誤解。)一度たりとも恋人にプレゼントをする発想すら浮かばない女性(マヤ)よりも、この子の方を大事にすべきだと思うんですがね…ゲフッ!主人公であり演じる役と合わせて「目立つ」のはもちろんヒロインのマヤなのですが「恋する女の子」としては舞ちゃんや紫織さんの方がはるかにパートナーの事を考えていて理想的なのではと思えてならない我々姉妹でした…ゴフッ!(彼女らを「正妻」に据えた男達の判断が「正解」に思えてならない…ガフッ!)

 「忘れられた荒野」…スチュワート「立つんだジェーン、君は人間だぞ!今度四つ這いになったら体を柱にくくりつけてでも立たせてやるぞ!」

狼として育ったジェーンに人間と同じ事をさせようと「一生懸命」なのは分かるけれど、椅子に縛り付けてちゃんと発音できるまで食事を抜いたりやっている事は虐待の1歩手前(どころか50歩位踏み出してしまっている)じゃないかとツッコミを入れてしまったものでした。その後スチュワートがジェーンの養育権を取れずにお別れに到った最期も今までの経緯を振り返ってみれば納得できる展開(「さようなら、ジェーン。僕は研究者としてだけでなく養父としてもダメ出しを喰らってしまったんだ…。」という別れの理由だったに違いない。)で人権の出来上がった20世紀(1928年9月からの物語。1929年に死んだ狼少女カマラもここまでの扱いは受けていない。)の対応として色々無理のある接し方だったんだろうなあ…とリアルに感じたものでした。
 おそらくは一時期教科書にも載った狼少女カマラ(8歳)とアマラ(1歳)の姉妹を元にしたオリジナル台本と思われますが「人間は人間に育てられて人間になる」(だから狼に育てられれば狼になるし天使に育てられれば天使になる)という幼児教育理論を証明する為にこれ以上ない例証としてあげられるこの「実例」は写真も彼女らを保護したキリスト教伝道師シングのリクエストで別の少女が生肉を食べたり四つ足で歩いたりのポーズを取っているだけ(問い合わせを受けた為に急きょ作成された捏造写真だった)で記録も矛盾点が多く真相は狼に育てられた訳でもないただの障害児だった(要するに自閉症児を育てられなくなった親が新たに生まれてきた妹と一緒に森に捨てただけだったらしい。)というオチがついたそうです。(乳児が「4つ足」で「言葉を話せない」のと同じ発達段階なだけで別に狼のように俊敏に動ける訳でもなかった。直立歩行より4つ足の移動の方が速かったと言ってもそれは歩行を覚えたての1歳児全員に共通している現象であって別に不思議な事は何も無い。)そもそも人間の幼児(肉)が狼の巣穴の中で食べられることなく生きていられるという事実自体が腑に落ちませんしね…。(大体狼と人間とでは母乳の成分が違い過ぎて人間は消化できない。もしも成分が同じだった所で子供に積極的に乳を与えることをしない狼のメスと、乳首を口元に持っていかないと乳を吸わない(他の動物のように自分で探り当てない)人の乳児との間では授乳が成立しない。)「夜になると目が青白く発光した」という記述(夜行性動物の目には眼底に特殊な反射膜があるから光を「反射」するが人間の目にそんな特性は無い。)からも分かるとおり全くのデタラメのようです。という訳で信じてはなりません。

 速水真澄…紫のバラの人「受賞おめでとうございます。いよいよ紅天女ですね。頑張って下さい。いつも(今まさに)あなたを見守っています。」
黒沼監督「すごい。どうして受賞した次の瞬間にはこんなに早く紫のバラを贈れるんだろう。君のファンの人は…。」

さては真澄様、花束だけ用意しておいてカードはその場でこっそり書いたな(で、受賞できなかった時には「受賞が叶わず残念でしたね。それはそれとして『忘れられた荒野』でのあなたの狼少女ジェーンは素敵でしたから。」と文面を変えるつもりだったに違いない。)とあまりのタイミングの良さにいつもながら見事だとツッコミを入れてしまったものでした。ここにおいて初日しか使っていない青いスカーフの事が原因でとうとう正体がバレてしまう訳ですが(文庫本にしても19冊分という長きに渡って、むしろ今までよくバレなかったなと言いたいですが)ロングランになりテレビ放映までされたにも関わらず目にする機会は一杯あったのに、ちゃんとチェックしていなかったのはさすがに詰めが甘過ぎだろうとツッコミを入れてしまったものでした。(5日ごとに芝居の内容も変わったんですから確認位すれば良いのに。)黒沼さんの過去作品まで調べ上げた(「上演作品、上演日数と回数、再演の有無etc全部調べさせて頂きました。お忘れなら何年何月何日の芝居はどの劇場で開演は何時何分、観客は何人だったかという事までお教えできますよ。」by真澄)割に現作品に対しての調べは手抜かりがあった様子です…ゲフッ!見合い相手との付き合いも始まって細かくチェックする間もないほどお忙しかったんでしょうね…ゴフッ!
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。