検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

スポンサーサイト

--.--.--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

デッドコースター

2011.01.31
 ファイナルデスティネーションの続編です。だったらそのまんま「ファイナルデスティネーション2」とすればいい物を余計なひねりを利かせてジェットコースターに乗る訳でもないのに「デッドコースター」と無駄な改題をされたせいでシリーズ作中この作品だけが最寄りのTUTAYAに置いておらずゲオまで梯子する羽目になった微妙な思い出があります。シリーズはこの後も「ファイナルデッドコースター」(3作目)「ファイナルデッドサーキット3D」(4作目)と続いて行く(全て冒頭に「ファイナル」とつくせいか3、4作目の方はTUTAYAに一緒に並んでいた。)そうですが、平和の象徴の鳩や非常梯子、エアバッグ、病院の人工呼吸器など本来なら人を助けるものが原因で死に追いやられるというブラックユーモアが効いた本作と違い「ひたすら『痛い死に様』だけを追求した回避不能な死に方」と評判の口コミ評価が非常に悪い様に見るのは見合わせる事にした自分でした…。(2はネットで見た「スパゲティ踏んですっ転んで死ぬマヌケな死に様」を拝むだけでも見る価値があると思って借りたけれども…続編は何のギャグも効いてい無さそうだしね。)

 キンバリー・コールマン(A・J・クック)…クレア「私達が生き残った事であなた達の『筋書き』も変わったの。」

本当だったら母親と一緒に車泥棒に撃たれて死んでいるはずが前作で最初に死んだトッドのバスタブ死亡のニュースに夢中で(そんなニュースに夢中になるな!)家から出てこなかった為に命拾いしていた主人公です。(そしてジャンキーの友達と遊び回っている現在に至る…と。初対面の人間(クレア)にファックの指サインを出すわ奇跡的に命を拾った人間にしては罰が当たっても納得の嫌な女だなと感じてしまったヒロインでした…ゲフッ!)自分が「順番」を飛び越して死ねば「死のリスト」は破綻をきたす(そして仮死状態からの生還という「予期せぬ命の出現」で自分も助かっちゃう。)という安直な理屈から話を終えていますが前作の主人公アレックスは当の仮死状態(感電による呼吸停止)からの復活を果たしたにも関わらずレンガに頭をぶつけて死んでいる(死のリストからは免れなかった)訳で理屈としておかしいだろとツッコミを入れてしまったものでした。ちなみにやっぱりこの希望的観測理屈は間違っていたようで3作目が始まる前にこの主人公は不審死を遂げたそうです…ゲフッ!検死官(死神?)が言っていた「死のリストを無効にする方法」とは思うに飛行機事故で死んでいたはずの前登場人物達(予期せぬ命)が生きていた為に、後に死亡するはずだった今作登場人物達が入れ替わり的に今まで助かっていただけ(キンバリーの質問通り「知っている事」を言っただけで「助かる方法」は始めから無かった)なのではないかなと邪推もしてしまったものです。ハッピーエンド的に終わっていますが、そんな訳で死のリストは未だ無効になっていないようです…ゴフッ!前作でも瞬間的に「その時」が来る事もあれば6ヶ月も間が開く事もあるし逃れられた訳ではなかったんでしょうね…ガフッ!

 エバン・ルイス(デビット・パートコー)…上司「幸運を感謝すべきだ。エバンは昨日宝くじを当てて今日、最大級の玉突き事故を免れた。俺もあやかりたいよ。」

おそらく彼はその時に一生分の運を使い果たしたんでしょうね…(死んだのも1番最初だったしな。)と非常梯子が目に直撃して死んだ運の悪い死に様に合掌してしまったものでした。とはいえ床には人形だのボールだのが散乱し(すっ転んで宝くじで買ったであろうIマックに頭を割られても不思議ではない。)磁石が落ちたのも確認せずにレンジでチンして(そりゃ爆発するわ。)油料理に火を掛けたままで放置した(そりゃ発火もする。金の腕時計がハマって排水溝から身動きが取れなくなったのも己の不注意が原因である。)そんな生活をしていたら死神効果が無くても遠からず自滅していただろう(今回、死神は窓を閉めた以外何もしておらず、その窓もあっさり椅子で壊されて逃走経路を確保されている。)とだらしなさが原因の自滅死にツッコミを入れてしまったものでした。最後も自分で捨てたスパゲッティを踏んですっ転んだ所に梯子が落ちてきた(止まったその時、何故寝返りを打って速やかに場所を移動しないんだ!?)という自業自得が巡っての結果ですし、あまりにもマヌケ過ぎる死に様には、もう、乾いた笑いしか出ませんでした…ゲフッ!(前作のルートン先生以上の自滅ぶりですな、この人…。ルートン先生は包丁の上にタオルを掛けたり物の置き方に問題はあったものの整理整頓はしていたのにね…ゴフッ!)整理整頓とゴミ捨てはとても大切だという教訓的事例です…ガフッ!

 クレア・リヴァーズ(アリ・ラーター)…キンバリー「あなたは臆病なのよ。だから社会から自分を隔離してる。死んだも同然ね。」

そんな挑発に乗らずにそのまま精神病院に自主入院し続けていれば「事故死」で死なずに今も生きていたのに…(病室の壁もベッドもフッカフカで絶対死なないようにしてあった辺りもう誰も頼れなくなった彼女の恐怖が分かります。)と思うと悲しくなってくる180便最後の生き残りです。おかげで初めて会った人間(クレア)に当然の義務であるかのように助けを求め(「力を貸して!」「なぜ私が…っていうかそもそもアンタ誰よ!?初対面なんですけど!」)断られただけで無責任だの臆病者だの罵倒して、挙句の果てには死のターン仲間の「事故」で一緒くたに死ぬ原因を作ったキンバリーが憎くて仕方ありません…ゲフッ!(死んだも同然なインドア生活でも「本当に死ぬ」よりはマシな状況だったと思うの…ゴフッ!)キンバリー自身が予知夢に長けた超能力者なのだし(ということは序盤の予知夢=居眠り運転をしていたという事だったのだろうか?)頼れる刑事さん(死のターン仲間)はついていたのだし途中から安全な部屋に戻っていてほしかったです…ガフッ!

 ティム・カーペンター(ジェイムズ・カーク)…キンバリー「鳩よ!」
ティム「分かった。散らすんだね!」
クレーン業者「うわ!飛んできた鳩のせいで手元が狂った!」
    ガシャーン!
ノラ「アンタが余計な事言うから息子の脳天にガラス板があぁ!」

笑気ガスでマヒした最中に口の中に落ちてきたモールも取り除いて貰い、金魚が排水溝に詰まった事が原因での漏水→漏電事故も事前に防ぎ、「事故死」をかわしまくりでまさしく調子良好な時にうっかりな一言で背中を押すような真似をしたキンバリーが…正直憎いです…ゲフッ!(確かに鳩が原因で死んだが、これはもう「予知通り」なのか「未来日記にしてしまった」のか微妙な所では…?)おかげで目の前で息子(ティム)を亡くしてしまい本当に一人ぼっちになってしまったお母さん(ノラ)。「事故死」だから何も言えないけれど「医療過誤」だったら絶対に訴えられている家族構成だよなと秘かにツッコミも入れてしまったものでした…ゴフッ!

 ノラ・カーペンター(リンダ・ボイド)…「4年前に夫が、今度は息子。もう何も残ってないわ。次が私の番なら喜んで死ぬわ。家族に会えるもの。」

…とカッコイイことを言いながらも実際にターンが回ってくるとやっぱり怖くなったらしくパニックを起こしてエレベーターから降りようとする→鉤手に髪が絡まり首だけ挟まり→ドアの感応が悪くそのまま上昇→首チョンパ、と自滅してしまったお母さんでした…。(「ノラ、君を死に導くのは『鉤手を持った男』だ。」「そんな男なら今まさに真後ろにいるわ。だから何?」「カッコイイな、君は!」と、冷静(過ぎ)に応対できていれば「事故」も起こらなかったんですが…ね。)鉤手を持ったオッサンが成熟した女性(ノラ)の色香に惑わされていちいち匂いなど嗅ぎに行かなければ(…変態ですか?)パニックを起こされたその時オッサンが鉤手ごと一緒にエレベーターを降りてくれていれば廊下で追いかけっこが始まるだけでこの事故はここまでの展開にもならなかったのですが歯車が回る(タイミング悪い)とはこういう事を言うのかもしれません。ギロチンで首を切り落とされるよりも余程苦しい首の取れ様にはひたすら合掌するばかりでした…。同じ「エレベーター死ぬ」のなら韓国で有ったドアが閉まった事にムカついて車椅子でドンドン突進したらドアの下部分だけが外れてのれん状になってしまい次の攻撃で勢いのままに落下→転落死したという事例の方がまだ笑えたし死に方として楽だったのにと残念にも思ってしまったものです…ゲフッ!

 キャット・ジェニングズ(キーガン・コナー・トレイシー)…「ゆっくりやってね。」
業者「分かりました。ゆっくりやります。」
    ガン!ボン!ザクッ!

ゆっくり…ではなくて丁寧にやってねと伝えとくべきでしたね。エアバッグの作動により後ろから出たパイプに頭を貫かれたという一番ショッキングな瞬殺には家族一同ポカーンとしてしまったものです。ツッコミを入れるとすればパイプが貫いた位置は頭蓋骨側(脳の外側)の方であり口の中を通っていない分生き残れる可能性はある(事実、頭を鉄パイプに貫かれても生きていた事例はある。最も理性や我慢を司る脳細胞が根こそぎやられてしまった為、患者はその後、以前の温和な性格はどこへやらセクハラの連発をするケンカ早い最悪男に様変わりし「あの事故の時に死んでいれば良かったのに。」と言われてしまうほどの嫌われ者になってしまったそうですが。)のですが、そうそう上手くいくものではなかったようです…。(鉄パイプよりも明らかに太いパイプだったしね…。)前作では登場人物の一人テリーが轢かれたバスに乗っていた為に事情聴取で泊まるはずだったホテルのガス漏れ事故に巻き込まれずに済み仕事も恋人もゲットして前途洋々な出来た女性だっただけに残された遺族が哀れに思えてしまう女性です…ゲフッ!(恋人辺りが「畜生、業者が丁寧に仕事していれば俺は今頃逆玉だったのに!」と悔し涙を流していそうな気がします…ゴフッ!)

 ローリー・ペータース(ジョナサン・チェリー)…「俺が死んだら薬とかポルノ写真とか全部処分して欲しいんだ。お袋を悲しませたくない。」

死ぬ直前に託しておいて良かったね…とその後シリーズ一作目でもあったガソリン導火線を使っての爆車事故→飛んできた有刺鉄線に体を分断されてのダルマ落としのような死に様(もはやホラーをすっ飛ばした芸術ではないかと疑いたくなる位の見事なピタゴラスイッチ的トリックでした…。)には思わず溜め息が出てしまったものです。前作ではラストのパリ修学旅行看板事件の現場に居合わせた(そして野次馬に徹した)おかげでその後行くはずだった劇場の崩壊事故に巻き込まれずに済んだ彼。しかし出来る女・キャットとは正反対のダメ人間ぶり(ジャンキー)にはこの人が死んでも悲しむのはお袋さん位だろうなあ…とも思えてあんまり悲しみは感じなかったものでした…ゲフッ!という訳でこんなに人が死んでいるのに自分達だけは助かったという事でラストシーンでは笑顔でバーベキューを楽しんでいるキンバリー達カップル(皆が友達(クラスメート)だった1作目と違い最初から赤の他人同士なだけに仲間意識が薄く死んでも後腐れが無い仲だったのは分かるけれども…後腐れ無さ過ぎだろ、これ!)が余計に苦手に思え、改めて微妙に感じてしまったヒロインでした…ゴフッ!(一作目ヒロイン・クレアはいい女だったのにね…ガフッ!)
スポンサーサイト

ファイナル・デスティネーション

2011.01.30
 直訳すると「最終目的地」という意味を持つこのタイトルからも分かるとおり、未来に到る筋書きは決まっており運命の裏をかいて出し抜いた所で最終的な結末(死ぬこと)に変わりは無い、死ぬまで死に狙われる無限ループが続き主人公達がどんなにあがいても唯一できる事は「一時しのぎ」に過ぎないというのが非常に怖い(いつになったら本当に助かるんだ!?)という偶発事故死が基調のホラーです。殺人鬼が闊歩する訳でもないのに身の回りにある日常品が凶器に変貌し「誰も殺されない」のに人が死んでいく、よくできた作品だなあと感嘆した新感覚ホラー作品でした。

 トッド・ワグナー(チャド・ドネッラ)…「死は誰にもいずれ訪れます。今日がその日だなどと一体誰が想像するでしょうか?」

「狼男の殺人」の監督ジョージ・ワグナーから名前を取られた第一の被害者です。こんな不吉な苗字を名前として冠してしまった時点で兄弟共々死んでしまう結末は思えば始めから決まっていたのかもしれません…ゲフッ!ユニットバスに水が垂れ始め、ドアも閉まったし、部屋いっぱいに水が満喫して、すわ水死か(どんだけの水が必要なのか、ドアの隙間から洩れる水に確実に家族が異常に気付きます。)と思いきやスルーで、つけたラジオも消して漏電(感電)の心配もなくなり、では髭を剃っている最中にうっかり足を滑らせて「切れてな~い」とならなかったパターンか、鼻毛切っているうちに頭から転んで鋏が顔に→脳まで達しちゃいました(頭蓋骨に守られた後頭部と違い顔側(内側)は呼吸器中枢にも近く口に割りばしが刺さってしまっただけでも死ぬことがある。)というパターンか「良くある場合」をシュミレートしてみたら全部外れてバスタブで転倒+洗濯ワイヤー外れ(首に巻きつき)+シャンプー落下(足場滑り)という、まさかの死に様には予想外で充血していく目と合わせて恐怖を感じた死に様でした。首吊りの場合、縄をかけた位置が身長より低くても頸動脈が圧迫されればすぐに意識を失い後は自重で呼吸ができないまま楽に死ねるそうなので(実際ほぼ寝たきりの人がドアノブに縄をかけて自殺した例は多い。)腰が浮いている以上、充分に死因となり得てしまったんでしょうね。せめて座れる高さ位に低ければバスタブの中がどんなに滑ろうと尻もちをつくだけで大丈夫だったんですけどね…ゴフッ!洗濯ロープでなく物干し竿を使っていれば助かったのにと多少残念に感じてしまった死に様でした…ガフッ!

 テリー・チェイニー(アマンダ・テトマー)…「死んだ人間は戻らないわ、そうでしょ。人生は一度きりよ。」

「オペラ座の怪人」の俳優ロン・チェイニーから名前を取られた第2の被害者です。クラスメートが死んだ飛行機事故を吹っ切って前進したその第一歩目でバスに轢かれて死んだ不意打ちの最期にはショートカットだったにも関わらずあまりにもリアルで驚かされたものでした。(横からスーッと来たバスが1番怖かった。人を轢いたのにブレーキもかけず速度も緩めずに走り続けたその走りぶりも恐怖を感じる。←轢き逃げじゃないか!)最もこれは前も見ずに左右確認もせずに後ろ向きで車道を歩き始めた(前方不注意まっしぐらだった)彼女にも大いに問題点があったとはいえ現実の交通事故はいつもこんな風に不意打ちでやってくる(前方をよく見ていなかった点ではバスの運転手も同罪。プラスひき逃げでより罪は重い。)ので道路を歩くときは注意が必要です。昨今は赤信号でも車が横に迫っていても平然と前に自転車を走らせる高齢者も増えたのでドライバーの皆さんは特に気をつけて…くれていれば彼女は死ななかったんですが…ね。

 ルートン先生(クリステン・クローク)…「話しかけないで。気味が悪くてたまらない。」

映画自体は見た事ありませんがこの人もまたホラー映画「キャットピープル」の製作者ヴァル・ルートンから名前を取られたいわくつきネームの登場人物の一人だそうです。冷めた食器に急に熱湯をかけるとひび割れる(急激な温度差に耐えられない)ように、熱湯を入れたコップに急に氷入りの冷酒を入れてしまったが為にコップにヒビを入れ、そのままアルコール(飲料)を垂らしながらキッチン→パソコンまで移動、パソコン(ブラウン管)の上に水分を垂らして爆発させ(煙が出た時点で速やかに避難していれば良かったものを…何故近づく?)出血を抑えるための布を取ったら一緒に包丁が降ってきた→垂らしたアルコールを伝ってガス管に引火→イスのダメ押しで心臓到達という死に様にはマヌケ過ぎて言葉が出ませんでした…ゲフッ!(今回死神はヤカンを黒く染めただけで何もしておらず全ては彼女の自滅事故である。)最も↑のセリフからも分かるとおり自分の生徒(しかも命の恩人)に対しても酷い言葉を吐く教師だなと最初から印象は悪かったので全てにハマって死んだパターンというゴージャスな死亡経緯の割にはあんまり同情できなかった登場人物ですが…ゲフッ!(むしろうっかり包丁を触ってしまい警察に追われる羽目になった主人公のその後の方がよほど心配でした。自爆事故の末に教え子にまで迷惑をかけている辺りつくづく厄介な教師です…ゴフッ!)

 カーター・ホートン(カー・スミス)…カーター「俺はいつ死ぬか自分で決めたいだけだ!」
ビリー「それは俺達を車から降ろして1人でやってくれ!」

珍しく不吉な由来が何も無いマトモな名前のキャラクターであり彼が(一時しのぎとはいえ)死なずに助かったのは名前からしても納得できたものでした。踏切の中、迫りくる電車の前で(そもそもそんな所に自分で車を止めてわざわざ原因を作ったこの男自体に大いに問題があったが)死にたくないと思った瞬間に何故か車のエンジンが切れ、不思議とドアロックがかかり、シートベルトまで外れなくなったという異常事態にようやく焦りを感じた(だから早く車を降りろと言ったのに!)ものの主人公の未来予知(ベルトも古くなっているから切れる。要するに年季の入ったボロ車であちこち故障したのは当然の結果だったのかもしれない…ゲフッ!)もあって危機一髪で難を逃れ助けて貰えさえすれば「死のターン」(自分の順番)からは取りあえず逃れられるという法則も発見された事例でした。最もそのターンは飛行機事故以来「循環」しており今逃れられても巡り巡って死ぬまで自分の順番は回ってくるという恐怖の結果も後に明らかになる訳ですが…ゴフッ!

 ビリー・ヒッチコック(ショーン・ウィリアム・スコット)…カーター「生きてるぜ!」
ビリー「今はな。でも、もうすぐ死ぬんだ!」

不朽の名作「サイコ」の監督アルフレッド・ヒッチコックからの命名でこれは私もすぐにピンときたネーミングでした。(また不吉な名前を…!)列車事故でぶち壊れた車の破片がはね跳んできて顔面半分チョンパになり本人の言葉通りその後すぐに(自分が)死んでしまったのですが、おかげで1回切り抜ければ取りあえず次の人に順番が移る(速攻で移られる当の本人にとっては迷惑な話でしょうが…ゲフッ!)という法則が証明された訳でもあり希望が見えてきた事例でした。(人一人死んでるのに希望を見出すというのも変な話ですが…。)その希望が潰えるのはラストシーンでの話です…ゴフッ!

 クレア・リヴァーズ(アリ・ラーター)…クレア「その次は私の番ね。」

この人も不吉な由来ゼロの真っ当な名前であり(バイオハザードの主人公の名前ではあるが主人公ゆえに(?)最後まで助かっているヒロインの名ではある)計算ミスで順番が回ってきてはいたものの助かる展開には頷けたものです。雷で家の高圧電線が切れ犬を助けるために外でジタバタする(犬の心配より自分の命の心配をした方が良いと思うが…。)も漏電(感電死)を免れて家に登り車まで逃げた(車はタイヤがアース機能を果たす為に雷の直撃を受けても中にいる人間は無事助かる)…そこまでは良かったものの電線がエンストした車の上に乗っかってしまい降りたが(車に触れたが)最後、感電死、そのまま車中に留まれば車の下に転がり込んだスプレー缶への引火で爆死という鉄壁のデスシチュエーションにハマってしまっていました。主人公が体を張って電線を持ってくれたおかげで無事に車から降りれて助かり、半年後には恋人となって元気な姿を見せてくれた彼女。2では唯一の生き残りとして再登場もしてくれたキャラクターです。

 アレックス・ブラウニング(デヴォン・サワ)…アレックス「誰も僕を助けてはいない、という事は…。」
カーター「まだ、お前の番だ。でも、もし循環していたら?」←次は俺じゃないか

「魔人ドラキュラ」の監督トッド・ブラウニングから取られた名前を持つ主人公。思えばこんだけ縁起の悪い名前を連ねた客が勢ぞろいした貨物運搬車のナンバーも666という不吉極まりない集団(666は映画「オーメン」でも有名な悪魔の数字である。)が乗るというのであれば、そりゃ、赤ん坊や障害者への神の御慈悲効果も虚しく飛行機も落ちるだろう、不吉な事件も起きるだろうと設定に納得してしまったものでした…ゲフッ!当初の終わり方ではクレアを助けて感電した時に心肺停止から生き返らずにそのまま死亡してしまい、時を経てクレアは9:25(180便が墜落した時間でありアレックスの誕生日)に男児を出産しアレックスと名付けるという微妙な終わり方だったそうですが、試写会で大不評を喰らった為に半年後のパリ修学旅行にてバスに轢かれそうになり避ける→バス店にぶつかる→看板が壊れて落下(アレックス助かる)→振り子の原理で看板の反対側がカーター直撃(死のターン、2週目開始)という訂正ラストシーンだけで200万ドル以上かけたゴージャスな終わり方(ロケ地もパリだからね)に変えられたそうです。後になってから急遽入った仕事(撮影)の為に役を演じたデヴォン・サワが本編中よりも微妙に太ってしまったそうですが、そこは6ヶ月後(病院入院も経て幸せ太りしちゃったんだよ)ということで違和感なく見られる作りとなっている親切設定にされたりスタッフの苦労も偲ばれるラストシーンでした…ゲフッ!

All You Need Is Kill

2011.01.29
 それってビードルズの歌の「All You Need Is Love」のパクリ!?と焦ってしまったタイトルに、ハリウッドで映画化されるもアメリカ版はタイトルが「エッジオブトゥモロー」(全くの別物)に変更された経緯に納得したものでした。バクマン。で絵が偉く劣化していたのに(本当に1巻と20巻を見比べてみると酷い…。)月刊連載で締め切りに多少余裕が持てるようになったせいだろうか、多少(多大に?)丁寧になったな…と別の所で感動もしてしまった小畑先生の新連載です。が、いくら青年誌でもあんまりにもグロイ内容、壊れていく主人公の様(まあ戦場じゃ真っ当な人間でいることの方が無理なんだろうけど…。)に「この話、怖いよ…。」(いくらなんでも救いが無さ過ぎだろ。)と人気は出なかったのか全2巻で終わってしまっています。ぬるい展開の引き延ばしが無い分だけバクマンよりは読み応えがある作品だとは思うんですけどね…。(でも好き嫌いはハッキリ分かれそうな話ではありそうだしな…。)

 ギタイ…リタ「分かってきた…かもしれない。ギタイの強さの秘密は、このループ自体にある。」

一週目→160週目ですっかり強くなった主人公・ケイジと同じく何度も「やり直し」て同じ敵相手にレベルアップした後の状態で挑んでいるのだからギタイ達は「どんな戦闘にも負けない」訳だ(唯一勝利しているのは破壊手順を知っているリタの部隊のみ。)と納得したものでした。皆をループさせるアンテナ付きギタイとバックアップ機能付きギタイ(データバックアップの為に必ず戦場にいる。アンテナ付きがやられてもこいつがサッサと戻って本部にいるアンテナ付きに頼めばループは可能。)が少数しかおらず、そいつらさえ倒してしまえば時間ループは起きないというのが唯一の救いでしょうか?孤独に闘わずにその「手順」を大々的に皆に教えてしまえば人間側の勝利数も増えるのでは…?とリタにツッコミも入れてしまったものです…ゲフッ!

 リタ・ヴラタスキ(戦場の雌犬)…「今まで自分が一人でずっと働いてきたのだ。次はお前が苦労する番なのは自明であろう。」

最初の戦闘で偶然アンテナ付きギタイを倒してしまった(タキオン粒子をもろに浴びてしまった)為にギタイがループする時に一緒にループする羽目になってしまったヒロイン。自分と同じ「立場」の人間がどこかにいないかと探していたものの同じ人間が2人揃ったら互いがアンテナとバックアップ役割を果たしてしまう為にアンテナギタイとバックアップギタイを倒したその時に(自分達の力で)自動的にループが始まってしまうという困った特性が発生したのでした…ゲフッ!(という事は1回目から158回目まではリタの方がループから抜け出しているという事で人類側はどっちに転んでも優れたループ戦士を1人確保できているということか…。)結局どう転んでも一人孤独に闘い続けるしかなかった彼女に合掌すると同時に会って話をした一度きりで全ての理を理解しきった彼女の頭の良さに脱帽したものでした…ゴフッ!(独力でアンテナとバックアップの因果関係を突き止めた人間だからな…ガフッ!)

 キリヤ・ケイジ(キラー・ケイジ)…「僕は君が好きだ。だから…君が死ぬまでそばにいよう。」

戦乙女の称号を持つリタがいる限りギタイ側が「劣勢」になるのは必至で、だから何度死んでもギタイと一緒にループ出来た事に納得はできる(だから154週目、死ななくても「手順」を踏んでいなかったせいでループを抜け出すことはできなかった。)ものの、じゃあ何で同じ特性を持っているはずのリタは今回に限って記憶を継続していないのか(そもそもリタがいる時点でこの戦いに「負ける」はずが無くタキオン粒子を浴びようが主人公は死んだらそのまま土に返っているはずでは…?)という矛盾にはツッコミを入れないでおいてあげましょう。主人公である以上、彼の方が死なずに物語を引っ張っていくのは始めから決まっていたという事で…ゲフッ!

 余談…全2巻という短さに関わらず映画化された(!)そうですがケイジ→トム・クルーズ(そんな貫録のあるお方じゃなくてタイタニックの頃のディカプリオのような初々しさ溢れる若手俳優はいなかったの…!?)リタ→エミリー・ブラント(体育会系女子というカテゴリは良い。しかし私の中のリタのイメージは同じマッチョでも麗しい金髪(ハ二ーブロンド)などではなく茶髪か黒髪のショートカットでもうちょっと泥臭い感じで固定されてしまっているのに…。)というあまりにもイメージから外れたキャスティングにレンタルして見てみるかどうかは物凄く迷っています…。

シックス・センス

2011.01.28
 シックス・センム(6人の専務)ではなくシックス・センス(第6感)の事です。「この映画にはある秘密があります。まだ映画を見ていない人には決して話さないで下さい」という前置きを裏切らないどんでん返しNO.1映画でもありこの作品の大ヒットからM・ナイト・シャラマン監督も一流監督の仲間入りを果たしたという感慨深い作品です。以来シャラマン監督といえば「ラストのどんでん返し」という作風も定着するのですが「オチがそれかよ!」とガッカリしながらツッコミを入れざるを得ないダメ映画も存在するので彼の作品は口コミ評価をよく確認してから見ることをお勧めする次第です…。

 マルコム・クロウ(ブルース・ウィリス)…「悪かった。だがもう一度だけチャンスを…!」

もう一度、君のような子供を救うチャンスを欲しいその未練の思いで自覚の無いまま幽霊になってしまった彼。その後は何度も自室に鍵をかけられついには机まで置いて入れないようにされた彼の自室(これは実は死んだ人の部屋はそのまま閉ざして開かずの間にするアメリカの風習の一つです。土地が広く部屋数が多いアメリカならではの習慣で狭い島国の日本ではまず広まらないだろう慣習です…ゲフッ!)の様にも自分が死んでいる事に気づかず、コール少年の怯えぶりにも異常を感じず、表彰されるほど活躍した児童心理学者(仕事上は立派な功績を残した人物)でありながら肝心の自分の足元は全く見えていなかった様には思わず涙すると同時にリアリティを感じたものでした。(仕事の上での評価がイコール人間的魅力だと思い込んでいる男はよくいる。実際に表彰状や教授職がただ大学に長年残っているから与えられたようなもので実力のほどは大した事の無いつまらない仕事人間という事態も多く、こういう人が仕事を引退したとたん熟年離婚という現実を突き付けられる事もまた多い。)真実を知ったその時、衝撃を受けるも似たような少年・コールは救えたし、奥さんとの誤解は解けたしこれはこれで満足だ(わが人生に悔いなし!)と昇天したのが救いでしょうね。…というより、普通はもっと早くに気づかないか!?というツッコミはせっかくのラストに野暮だという事で黙っておく事に致しましょう…ゲフッ!

 コール・シアー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)…マルコム「彼らは助けを求めている。聞いてやるんだ。」

シックス・センスを持つ彼曰く「霊を見ることはしょっちゅう(オールタイム)でその辺を普通に歩いている」そうですが怖がって逃げてばかりいるのを改めて霊達の話を聞いて願いを叶える事で日常生活にも折り合いをつけられるまでにで成長していました。が、実はこういう風に霊に積極的に関わり合いになると逆に霊は「こいつを殺せばずっと自分の側で話を聞いてくれるかもしれない。」と期待を持って連れて行こうとするので本当は無視するのが正解なんだそうです。シックス・センスがあっても「霊が見えるだけ」なのと「除霊できるほどの力がある」事とは違うので話を聞いてやって救おうとするのはそっちの道に入って修行を積んでからの方が良いぞ(むしろ1人を救った事で霊達に評判が口コミで広まり今までより多くの人数が押し掛ける事になってしまうだろう。)と間違ったアドバイスをしているマルコム先生にツッコミを入れてしまったものでした…ゲフッ!

 キラ・コリンズ(ミーシャ・バートン)…母「食事よ。変な味がするなんて言わないで全部食べてね。」

そう言い続けながら床洗剤入りの食事を食わせ続けついには娘を死に追いやった鬼のような母親(保険金殺人か?)の娘である彼女の霊。おそらく彼女はこの世を去るよすがに趣味の人形劇映画を見てから去ろうと見返してみた所、母親の所業を知り何としても暴露してやろうと遠路はるばる主人公の所までやってきたのでしょうね。(ゲロしながら登場され、赤の他人であるコールには偉く迷惑な話ですが。)親戚の話によると妹の方にまで姉と同じ症状が出ていたそうで偶然とはいえ証拠が残っていて「第2の殺人」が起きる前に見事お縄になった展開には心底ホッとしたものでした。この事件をきっかけに「こんな力でも役に立つ事がある」とコールも少しずつ自信を持ち始めた様子です。

 アンナ・クロウ(オリヴィア・ウィリアムズ)…「マルコム、何故、私を置き去りにしたの?」

苦しむ夫を支えるどころか別の男と浮気を始めている嫌な妻かと思いきや実は夫は1年前の事件で死亡していて彼女はずっと一人ぼっちだった(むしろ新しい男と1線を超えようとするたびに窓ガラスが割れたりと怪奇現象が起こりいいムードをぶち壊しにされ続けている被害者だった。)というオチには驚かされたものです。そうしてもう一度見返してみるとマルコムがいなくても1シーン1シーンが場面的に成立している(「ゴメン、ゴメン。レストラン間違えちゃった。」と登場した時も彼らは指一本触れあわずに離れている。マルコムは無視された事に傷ついていたがそれ以前に霊感の無い彼女には別の意味で彼の事が眼中に入っていなかったのである。)事にも気づかされ、作りの上手さに唸らせて貰った話でした。

 余談…見返してみて主人公・コール少年が友達の誕生日パーティーで霊のいる物置小屋に閉じ込められて気絶した後に彼を診察している医師が他ならぬM・ナイト・シャラマン監督である事に気づき驚かされたものでした。(監督、そこまで出演料を惜しむ程、予算が無かったんですか!?)

ハプニング

2011.01.27
 風が吹いただけで恐怖を感じるシャラマン監督の本格的エコ・ホラーです。ラストのどんでん返しが「もう一回同じ現象が始まりました。」というシックスセンスと比べると幾分地味なオチ(伏線が全部解明されていて「伏せられていた事実」や「意外性」は無かった)な事もあり視聴者からは低評価な作品ですが、宇宙人話「サイン」に比べたら幾分(かなり)マシな「どんでん返しオチ」ですし脚本的にはよく練られていて個人的には星4つだと高評価を与えたい作品でした。

 エリオット・ムーア(マーク・ウォールバーグ)…「『自然界の出来事は完全には分からない』良い答えだ。化学で『理由づけ』してもそれは理論でしかない。」

その場で同じ空気を吸いながら、ヘアピンで自殺した女の子の真横にいたにも関わらず正気を保っていた女性といい、連続飛び降り自殺の場面の真下に居ながら「何じゃこりゃ!」と正気でビックリしていたオッサンといい、要するに花粉症と同じ現象で草木が吐いている毒素を吸っても体質的に平気な人間は大丈夫だったのだろう(で、主人公と奥さんは数メートル先(目の前)で集団自殺が起きても症状が出ていない辺り体質的に大丈夫な部類だったと思われる。)と原因が推測されます。(ラストの別地域で再度集団自殺発生の兆しが見えた時も男の子1人は「まさか…?」と言いながら思いっきり正気でしたしね。)奥さんとは一緒に逃げている中で(浮気相手は行方不明、夫しか頼れない状況に追い込まれた事もあって)徐々に絆が深まって仲直りしていましたが、振り返った思い出の中で出てきたムードリングの話(ムードリングとは指にはめると気分によって色が変わると言われている安物指輪のこと。初めて会った時に彼女の指につけたら紫色に変わったのを「『恋している気分』だろ?」と当てずっぽうでムードを盛り上げた主人公だったが後に紫色は「性的に興奮している色」だと判明した。←初対面からそんなこと考えていたのか、奥さん…。)といい、こんな女と元サヤに戻ってどうするんだ?と助かった反面これから先が不安に思える主人公でした。奥さんが妊娠した子供も疑惑の余地があるし、それで良いのか…と一番これからが心配になってしまった人物です…ゲフッ!

 アルマ・ムーア(ズーイー・デシャネル)…「もう電話しないで。『危険な情事』みたい。シャワー浴びてるとあなたが現れそうで…私達『一緒にティラミスを食べた』だけ。それだけなのよ。だからもう追わないで。」

本当に「ティラミスを食べただけ」なら残業するほどの時間はかからないだろう(たかがティラミス1個を食べきるまでに何時間かかってるんだよ!)という常識的ツッコミからも、確かにもう夫に嘘(残業説)だけはついていないけれども隠し事(浮気)はしている事は知れて、この女に対する評価は決定的に悪い我々でありました…ゲフッ!(主人公が言う「美人の薬剤師に思わず鼻の下を伸ばしちゃった」のは冗談事で済むけれども、奥さんの容疑は確実に真っ黒だろう…ゴフッ!)ラストで妊娠したのも本当に主人公の子供なのか、はたまた浮気相手との子供なのか時期的に微妙で(妊娠判明は事件からわずか3ヶ月後。挙句に主人公とは「子供は時期を待とう」と計画的に避妊していた経緯を考えると…。)元サヤに戻った反面、暗澹たる未来には再度「自殺症候群」が始まった展開と合わせて「…。」としか思えないブラックな終わり方でした。ちなみに、ここで話をしている愛人・ジョーイ(の声)こそ実はシャラマン監督ご本人だったそうで、これは芸能界特有の「大人の展開」(援助する代わりに体を頂きます)だったのかと妙に腑に落ちたものでした…ガフッ!(かの名作「ターミネーター」でもサラ・コナー役の女優が監督とデキていた(お前は相手役のカイル・リースか!?)そうですし、こんなこと「よくある事」なのかもね…ゲッフン!)

 ジュリアン(ジョン・レグイザモ)…「軽い気持ちで娘の手を取らないでくれ。守れないなら触るな。」

奥さん恋しさに真っ先に娘の手を離したお前に言われたくは無いとツッコミを入れてしまったダメ父ちゃんです。この辺りは弟と意見が別れたのですが「連絡がつかなくなった奥さんが心配」だとそこまでは分かる、けれども奥さんは既に立派な成人女性で電車の切符も買えるしヒッチハイクだってできる(…あれ?子供でもできるか?)訳です。その気になれば自分で何とかできる(はず)の大人の女を探す為に一人じゃ何も出来ない子供(娘)を他人(しかも壊れかかった夫婦)に押し付けて好きに出かけるのは親として間違った行動だろうと唖然としてしまったものでした。「すぐに君達の後を追う。」と言っても主人公達の行き先さえ決まっていないのにどうやって追いかけるつもりなのか、行くにしたって安全な場所に娘を置いてからだろう(危険地域の真っただ中に娘を置いて奥さんを探しに行きますって…。)等々ツッコミの嵐は絶えず案の定行った先のプリンストンで風にやられて自滅してしまった(車の屋根に空いていた穴(塞げよ。)から菌が入り込み全員感染。自動車はそのまま木に突っ込み幸いにも大した怪我もなく無事だったこの父親は窓ガラスの破片で手首を切って自殺するというショボイ最期を遂げた。)様にはもう溜め息しか出ませんでした…。アルマの事を「夫を頼りにはしても支えになってくれるような女じゃない」と妻失格の烙印を押していますが(それはそれで正解なのだが)この男はこの男で立派に父親失格じゃないかと冷めた目で見てしまったものです…ゲフッ!

 ジョーンズ婆さん(ベティ・バックリー)…「ヒソヒソ話のようね。何か盗もうとする相談?私が寝てる間に殺すつもり!?」

ダントツで怖いパッチギ婆ちゃんでしたが、自殺症候群のせいで窓という窓を頭突きでぶち破る以前に、ご機嫌で話していたと思ったら急に子供の手を叩いて怒ったり、部屋に入っただけで「盗むつもりね!今すぐ出ていけ!」と(どう見ても金目の物が無いのに)キレたり、被害妄想の気がある事からも草木からの毒素で正気を失う以前に既に認知症だったのだろうという事が伺えます。(最も銃を突き付けられて仲間を殺されてまで追い払われた家々の対応よりは泊めて貰えただけありがたい話であり「あの女、嫌いよ。エクソシストに出てきそう。」だなどとタダでごちそうになりながら文句を言っている妻も大概失礼だが。)結果、頭を撃ち抜く銃も芝刈り用の機械(の前に寝転ぶ)も無いのにセルフで頭蓋骨骨折を果たして自殺した彼女。どうせ自殺するのなら舌を噛み切る方が楽で早くは無いか(そして壁も窓も傷まないぞ。)というツッコミは正気を失った人間相手には届かない様子です。合掌。

ヴィレッジ

2011.01.26
 タイトル通り19世紀頃の、のどかな(しかし閉鎖的な)「村」でのお話です。新しい未来を担う為でなく過去の良き時代の猿真似を受け継がせる為に外との交流の一切をシャットアウトしている世界観の作り方が秀逸で(でも城壁都市まで作るのはさすがにやり過ぎだと思うの…。)その中での人間ドラマに心打たれたものですが、映画のテーマが「トラウマからの逃避」という「シックス・センス」(幽霊が見える)に比べると幾分難しい内容で、それ以前の作品が宇宙人物「サイン」とアクション物「アンブレイカブル」(内容はどうあれジャンルはどちらかというと子供向けの物。)だった事もあり「オチを知ると2度目視聴がさらに深く味わえる」シャラマン節は開花しているものの「分かり辛くてつまらない!地味!」と一蹴してしまっている視聴者も多くおり、評価は真っ二つに別れてしまった、そんな映画です…。(私は好きなんですけどね。)

 オーガスト・ニコルソン(ブレンダン・グリーソン)…「我々はこのような時に常に自問自答する。この地に来て良かったのか。」

7歳の息子ダニエル死亡(兄は町で殺され残りの家族はここで死んだ)は確かに痛ましい事実であり、ルシウス(青年男子)を救う前に、まずこの子を救うべきだろというツッコミはあるのですが、「村の秘密」を分かっているオーガストは町に行けば息子が助かる薬があると知りながら、それでもなお息子と一緒にこの村を出ていく決心はつかなかったという事でもあり、これは真実を知っている人間の自己判断の結果でもあると複雑に思えてしまったものでした…。実の兄を理不尽な人災で殺された彼は医療技術の上がった時代でも人間を信用できない殺伐とした現代社会より、助け合わなければ明日をも生きていけない時代でも昔の方が良かった(「ここは希望の地だ。素晴らしいよ。」byオーガスト)と思う気持ちが余計に強かったのでしょうね。姉を輪姦されて殺されたオールドミスの女性といい一人ぼっちでもあの町で生きていくのは御免だ(「他の家族をこんな事件に巻き込ませたくない」思い以前に単純に自分がこれ以上「町」に住むのに耐えられない。)という人間も少なからず居ますし、家族がいないからもう村に住む理由も無いとかの単純な理由じゃなかったんでしょうね…。

 アイヴィー・エリザベス・ウォーカー(ブライス・ダラス・ハワード)…「彼が死んだら私の全ても死んでしまう。お許しを下さい。森を抜けたいんです。」

目が見えない割に、全力でかけっこしたり(映画とはいえ疾走する盲人は初めて見ました。いくら子供の頃から慣れ親しんだ村で距離感は分かっていると言っても危ないだろ。)垂直の壁をよじ登ったり(帰りは貸して貰った梯子を使ったが行きは蔓があったとはいえ自分の身長以上ある壁を己の力だけで登りきった。)とっても体育会系な主人公です。そして目が見えないが故に事の真相を「見る」事もなく村の秘密の全ては彼女の勘違いから守り通されたのでした…。(父親から村の真実を全部聞いたというのに全然信じてません。父親の言葉よりも自分の耳(語られざる者の尾行音)を信じたのでしょう…ゲフッ!)これが例えば目の見える姉娘だったら語られざる者の正体(ノア)に「アンタ、何やってんの…?」と全てがバレていた所なので思えば最良の人選だったのでしょうね。全てが隠蔽されたままで済んだ結末には、それで良いのか…?と思わずツッコミも入れてしまったものでした…ゴフッ!

 ルシアス・ハント(ホアキン・フェニックス)…「君は彼女が好きだね。彼女も君が好きだ。でも愛には色々あるんだ。」

(相手の気持ちも確かめずに1人で盛り上がっていた痛い娘でも)大人の女だったキティ姉さんは惚れた男を妹に奪われても取り乱さないだけの分別が有ったでしょうが、精神的な疾患を抱えていて心が子供であるノアに対して「好き合っていても君達の愛は所詮その程度の愛だったんだ。」(愛にも色々あって俺の方が上だったんだ)と言ってしまった日には好きな女を奪われた恨みも合い成って、そりゃ、刺されるって…と予測通りの展開にツッコミを入れてしまったものです。そういえば彼は「妹に好きな男を取られる屈辱の展開でも笑って許せる器量の大きい姉さん」にも夜中まで泣き崩れるほどのショックを与える結婚ダメ出しのお返事を返したようですし(よっぽど直球で遠慮も容赦も無いお断りの言葉を言ったのだろう。)今回の事が無くても、いつか誰かに刺されていただろうな(同じ内容を伝えるにしたって「物の言い方」というものがあるんだし、口にはもうちょっと気をつけた方が良いと思いますよ…。)孤高のカッコイイ男を気取るのも程々にせえやと思わず語りかけてしまったものでした。今回の「事故」をきっかけに彼がその辺も学んでくれることを切に願っています…ゲフッ!

 アリス・ハント(シガニー・ウィーバー)…エドワード「私にはそれしかできない。それしか、してあげられない。」

「村から出ない」誓いを破ったが最後、自分達の存在は世間の好奇の目に晒され、ここでの生活は脆くも崩れ去るだろう…そんな正当なツッコミも「この暮らしを受け継ぐのは誰だ?君は永遠に生きるのか?正当な目的の為ならいつでも全てを危険にさらす覚悟だ。それができないのなら我々は『無垢』ではない。」という素晴らしい理論武装で退けたエドワード…ですが、その根っこには妻がいながら余所の未亡人(アリス)に心惹かれている下心があった様子です。(実は一番「無垢」ではなく「不純な思い」を抱いていたのはこの人でした…ゲフッ!)オーガストの最後の家族が死んだ時の事すら事例として利用し「自分は決して村から出ない」誓いも破らずアイヴィーに行かせる反則技とも言える手段を講じたのは、これはこれで彼の愛の形だったのでしょう。かの「エイリアン」シリーズの歴代ヒロインにもなっているシガニー・ウィーバーが相手では魅力を感じるのも仕方ないよなと1人納得してしまった私でした…。

 ノア・パーシー(エイドリアン・ブロディ)…母「床下の衣装を見つけたんだわ。動物もあの子が…。」

登場したしょっぱなから他の子をぶって反省室行き(の所を「もう2度とぶちません。」という誓いと引き換えに免除して貰った。)になっていた彼は白痴であること以上にサディズムの気があったように思われます。何度も森に入って遊ぶうちに実は「語られざる者」なんてどこにもいない(だって自分はこれだけ禁忌を犯しているのにちっとも襲われない)ということに気づき、反省室に長くいる(見た目は大人、頭脳は子供の力ばかりが強い彼は反省室の常習犯である。)うちに床下に隠してあった「語られざる者」のコスプレ衣装セットまで見つけて確信に到ったんでしょうね。という訳で村の若手の中では唯一、村の秘密を知っている男ですが、白痴であるが故に誰からも不審がられない(「語られざる者」を怖がらなくても「あいつはノータリン(脳足りん)だから」と誰も疑問に思わない)おかげで村の秘密は今日も無事に守られていました…ゲフッ!そこも利用して「この手を使えば村人全員が口を噤む完全犯罪が成立する。」とひらめいて存分に家畜の皮を剥いだり、薬を貰いに行ったアイヴィーを襲ったりサド精神を満喫していたノアさん。(本当は頭が良いのかもしれないな、この男は…。)実は最も「純粋」であるはずの彼が1番黒い感情を抱えており、全てを知って利用していたというのは皮肉な展開だとしみじみ感じてしまったものでした…。

 ケヴィン…ジェイ「忠告しておこう。余計な話をするな。俺達の給料が遺産で払われていたり保護区に誰も入れないとなると皆興味を持つ。この仕事は簡単だ。保護区の監視、それだけだ。」

監督命令じゃ仕方ないよな…と新聞を読みながら上から目線で支持をする上司ジェイ(M・ナイト・シャラマン監督)の顔色を見ながら社畜のようにコソコソと薬を調達するケヴィンの姿に納得してしまったものでした。という訳で今回の「どんでん返し」は舞台が実は抗生物質も発見された後の医学的にも発達した「現代」だったという、この設定。(初めて抗生物質ストレプトマイシンが発見されたのが1944年。という事はこの村の「設定」は遅くとも19世紀頃(1800年代)だという事が分かる。)ルシアスの言うとおりアイヴィーの目もノアの白痴も村の外だったら(治るかどうかは別として)充分な治療が受けられるのに、序盤で葬式を挙げているオーガストの息子だって死なずに済んだだろうに閉鎖的な社会を守る為に本来救えたはずの人命を落とすことすら黙認されているこの「村」が怖いと改めて感じ入ってしまったものでした。「黙っていろ」と言われれば逆に話したくなってしまうのが人情ですが、保護区の秘密に触れて(大体の事情を察して)証拠品(金時計)まで手に入れた彼は本当にこの先ずっと口を噤んでてくれるのか、多少不安を感じる結末です…ゲフッ!

 語られざる者…エドワード「ノアが作り話を現実にしてくれた。ここでの暮らしを続けるチャンスをくれた。もし我々が今でもそう望むのであれば。」

森に棲み、時に不可侵協定を脅かされたとして村を襲いに来る赤マントの怪人達。…ですが冷静に見てみると森で彼らを目にした者は一人もおらず、語られざる者に襲われて死んだ人間も一人もいない(村の年長者達が時期を見ながらコスプレして回っているだけであり、作り話の為だけに人を殺す訳にもいかなかったのだから当たり前だが。)事実に嘘がバレるのも時間の問題だったろう事は知れ、アイヴィーが「森の中で語られざる者に襲われたこと」(これで真実を話していた父親の言葉も「全て自分に勇気を持たせる為の嘘だった」と解釈している事だろう。)もノアが「森で死んだ」事も実に良いタイミングで起こってくれた出来事だった(現実に出た「犠牲者」により作り話に信憑性が生まれてしまった。)と言えるでしょうね。町に行きたがっていた好奇心旺盛なルシアスも「純粋な」障害者である2人が襲われたことで今度こそ森に踏み込もうという無謀な挑戦を諦めるでしょうし(年長者の言う事には逆らっても妻アイヴィーの言う事なら信じるだろう。)村の存続の為には都合の良い出来事が起こったん…でしょうね…ゲフッ!

最終絶叫計画4

2011.01.26
 最終→最新→最狂、ときたのに、ここでもうネタ切れとなったのか何故かここまで来てタイトルに4がついています。(最愛とか最強とか最低とか色々語呂はあったと思いますが…。)話も前作まではパロディながらにまとまっていたのにホラーなんだか宇宙戦争物にしようとしたのかノリが微妙で3作目以降せっかく下品度が下がったのに(少なくとも1、2作目のように露骨にヤッているシーンは無くなった。)面白味が薄くなったなあ~と多少残念に思えてしまった4作目でした。ギャグとしても外したのか5作目以降は作られてもいない様子です…。

 シンディ・キャンベル(アンナ・ファリス)…「実は2度結婚してたの。夫と2人でボクサーとして夢を追ってた。あのパンチを繰り出してすっ転ばなければ誰も死なずに済んだのに…!」

という訳で前作でせっかく結婚したのに夫ジョージは「ミリオンダラーベイビー」のヒロインよろしく「危ない!」と駆け寄ろうとして自分ですっ転んで椅子に頭をぶつけて首の骨を折って死んだ(誰だよ、こんな所に椅子なんか持ってきたの!?)という非業の展開から今作では再度「独身」に戻っている彼女。なのに懲りずにコブつきのつまらない男(トム)に速攻で一目惚れしている辺り相手が男なら誰だって良かったのが分かります…ゲフッ!介護の仕事を始めたは良いものの当の仕事ぶりはお婆ちゃんが満足に喋れたら真っ先にクビにされているであろうと確信できるほど酷い物でしたし、幽霊が発生したのも実はこの人の試合でのトラブルが原因でしたし、もう彼女は何もせずに家に籠っていた方が良いのではとツッコミも入れてしまったものでした…ゴフッ!

 トム・ライアン(クレイグ・ビアーコ)…現場監督「ライアン!家に帰れ!16時間ぶっ通しで働いてるぞ!」
トム「残業代が無いとやっていけないんです。大丈夫です。目はパッチリ…ZZZ。」

実はヒロインを狙う加害者だったボビー(1作目)、悪気は無いものの礼儀もなっていなかったバディ(2作目)、場を外した言動でしょっちゅう窓から放り出されていたジョージ(3作目)、と今までの相手役達はダメ男なりに良くも悪くも(悪いよ!)特徴的なキャラクターだったというのが良かったのにツッコミの入れ所も微妙な一番つまらない男が出てきたな(それじゃ元妻に三行半を書かれても仕方ないだろう。)と顔も性格も面白味の無い微妙なコブつき親父にげんなりしてしまった今作の相手役でした。(ぶっちゃけ序盤でバイアグラを飲んで死んだジョージの兄さんの方がまだバカ男として「笑える部類」に入ると余計に残念に思えてしまったり…ゲフッ!)一作ずつ相手役を変えるのがこのシリーズの宿命とはいえ正直いらないキャラクターだったなあ(こんな恋人、心の底からいらないよ…!)とラストシーンでの無駄なハイテンションと合わせて(そういうのはクライマックスでやって下さい。)引いてしまった男です…。

 佐伯俊雄(ギャレット・マスダ)…シンディ「殺されたなんて可哀想に。悲しいわね。私の人生も悲劇よ。」
俊雄「そんなの僕の知ったことか。」

アンタの事情なんて聞いてねえよ…!他人として至極当然のツッコミを入れつつも宇宙人を倒すヒントを教えてくれたり、地図まで(グーグルマップに直してまで)書いてくれたり、あわや通り過ぎてしまう所を窓ガラスに映って止めてくれたり、この子、なかなかいい奴じゃん、と見直してしまった「呪怨」のキーパーソンです。小説版でもダメ両親の痴話喧嘩に巻き込まれる形で殺された可哀想な子でしたが、パロディ版でもすっ転んだマヌケな大人の下敷きになって死んだという悲運の死に様には涙してしまいました。という訳で階段から登場するも速攻で転げ落ちたり(階段でハイハイはしない方が良いよ…。)幽霊の割に前作のタビサ(貞子)と違って悪意も無いし、あんまり怖くなかった悪役です。(そしてそのせいでインパクトが無いのも欠点です…ゲフッ!)

 ブレンダ・ミークス(レジーナ・ホール)…シンディ「今、好きな人がいるの。トム・ライアン。その人の事が心配で…。」
ブレンダ「あたし、彼と寝たわ。中国系の巨漢で…。」
シンディ「それ、違う人。全然違う!」

懐かしのあのキャラクター登場(で、歴代のファンを喜ばせたい)のならそこで出すべきは黒人ホモのレイ・ウィルキンズでしょう…(↑のネタも「そっち系」だったらヒロインの焦燥もかなり切実なものになるし面白かったろうと思うのに。←面白がるな!)と、感激の再会に反して思わず溜め息が出てしまったものでした…。ヴィレッジで服を手に入れようと女性2人に襲いかかって揃って返り討ちにあった(さすが時代設定19世紀の昔ながらの生活をしていた女性達、体育会系です。)のには笑ってしまいましたが、その後は特に面白い展開もなく…村の住人ジェレマイアと結婚したは良いものの産んだ息子はSAWで関係を持ったジグソウもどきの子供だった展開は(色々な意味で)笑えないですし正直、出すべき人物を間違えたなと実感してしまった主要キャラクターでした…ゲフッ!

 余談…ヴィレッジのパロディでかけっこをするシーンにて、走って早々目が見えないせいで木にぶつかっているヒロインに、前を見ないで走っている為に家の壁に激突している男友達の姿に盲目の人と知的障害者が全力疾走したら普通はこうなるよな(歩き始めの乳児も周りに気を取られてよく真正面にある電信柱に向かって歩いてぶつかる事が多い。)と改めて本家ヒロインの凄さ(目が見えないのに森を抜けようなんて無茶にも程がある。)に感心したものでした…。

13ゴースト

2011.01.25
 ホラーというよりはモンスターアクションと言った方がピンと来てしまいそうな、それはそれは派出な外見を持つ幽霊がたくさん登場する映画です。(普通、幽霊と言ったら殺傷能力はともかく外見はその辺の人間とそう変わらない姿(例・リングの貞子)をしてるもんなんだけどね。)金曜ロードショーで録画してくれていた父が「これは面白い!」とお勧めをした上で家族で順繰りに見たこの映画、実は1960年に作られた映画(どんな映画だったんだろう…?)のリメイクだったそうでそんな経緯にも驚かされた作品でした。

 13人のゴースト…よくもまあ、こんな個性的極まりない幽霊を集める事が出来たな…と別の意味で度肝を抜かれる印象的な幽霊さん達です。一応、由来というかどんな人間だったかという設定もあってビックリしました。
①「跡取り息子」…本物の弓矢を使ってカウボーイごっこをしている最中に矢がうっかり頭に刺さって死んだマヌケな少年。まだ戦いごっこをしてるつもりなのか映画ではトマホーク(斧)を手にしている。
②「トルソ」…マフィアとボクシング賭博をして負けた為にバラバラにされて殺されたという、まさしく賭けに生きて賭けに死んだ男。バラバラの体はそれなりに不気味だったがおかげで攻撃力はゼロで比較的安全な幽霊さんでした。
③「呪縛の女」…浮気が彼氏にバレてネクタイで「縛られて」殺された自業自得の女性。未だにネクタイは締まったまま(ほどけよ。)であり自身の呼吸困難でいっぱいいっぱいなのか攻撃はしてきませんでした。
④「悲しむ妻」…ご存じ、主人公の奥さん。死亡原因の火災は人災。(サイラスのせい。)
⑤「無念の王子」…将来有望なスラッガーだったのにうっかりドッグレースに参加してしまったが為に事故死した無念な青年。バットを手にうろついているが今の彼が打つのはボールではなく人体である。危ない男だ
⑥「怒りの王女」…「このブス!」という彼氏の罵声を真に受けて整形手術に走ったところ手術に失敗し風呂場で手首(と体中)を切って自殺した女性。「お風呂に入るには裸でなきゃね」という気持ちで死んだのか生まれたままの姿でいるのはそういう訳らしい。
⑦「巡礼の女」…魔女の疑いで晒し台に放置されたまま餓死した女性。おかげで今でも首と手に木の拘束具がついたままであり見るからに動き辛そうなのにとてもアクティブに走って追いかけてくる様はさすがである。
⑧「巨大児」…母ちゃんがいつまでも甘やかして世話をしまくったせいで立派な大男になった今もなおオムツとよだれかけをしている成人男性。挙句に肥満体なのは見ていられない。
⑨「陰惨な母」…⑧の母ちゃん。息子があんななだけでも悲劇だが小人症な体質が原因で見世物小屋に売られ、そこの男にレイプされ、出来た子供は↑の彼、挙句に皆に疎まれて殺された過去はまさしく陰惨な経緯である。
⑩「ハンマー」…その名の通り巨大なハンマーを持って襲いかかってくる男。何でそんな物を持っているのかというと、この男、生前は鍛冶屋だったそうです。
⑪「ジャッカル」…放っておくと長い爪で壁を掻き毟る為に拘束具を着せられ、それでも足りないというのかイヤミのように頭から檻を被せられている。でも引っ掻く。いい加減にして下さい。
⑫「破壊者」…映画冒頭でとっ捕まった幽霊。車を投げ飛ばし、人間の背骨をセルフで折り、その破壊力は底が知れない。殺した人間の数もむしろ幽霊になってからの方が多いというとんでもない男である。
⑬「失意の男」…主人公(の予定)。妻と家を失いまさしく失意のどん底に居る男です。
ラストの機械の破壊によりサイラスの野望の為に捕らわれた↑の幽霊達も解放されて晴れ晴れとした顔で森へ歩いて行っていましたが…アレ、放っておくと偉いことになるんじゃないでしょうか?(危な過ぎるので誰か捕まえて下さい。)各々の迷惑度が高いだけに冷静に考えると怖い結末だなと別の意味でも驚かされた終わり方でした…ゲフッ!

 サイラス・クリティコフ(F・マーリー・エイブラハム)…「再会しよう…あの世でな。」

冒頭で首に車の破片が首に刺さって死んだのかと思いきや服も血もそのままでとても元気に生きていました。(汚いから風呂くらい入って下さい。)過去も未来も全てを見通す力「オキュラリス(地獄の目)」を手に入れる為に今まで頑張ってきたそうですが、おかげで一族の財産を全て浪費され、家を燃やされ、妻を焼き殺された主人公一家は偉い迷惑です。あれだけの家(アート過ぎて落ち着かないガラス張りの豪邸。中に飾られている鎧やサムライソード(日本刀)だってそれなりの値段で売れそうだし生活に不安は無さそうである。)と金(アタッシュケースいっぱいの札束。持ち上げたが最後、幽霊達の部屋を開ける電源が作動してしまう。)が有るのならそのまま慎ましやかに暮らせば良いのに(プライバシーを考慮して「周囲に家が一軒も無い」=ど田舎という場所なら土地代もそう高くないだろうし。)欲をかくから死ぬ羽目になるんだよ、と胴上げよろしく機械に放り込まれて殺された最後にはツッコミしか出なかった男でした…ゲフッ!

 デニス・ラフキン(マシュー・リラード)…デニフ「アンタの叔父とゴーストを集めていた。」
アーサー「…山羊(ゴート)?」
デニフ「ゴートはヤギ!ゴースト(幽霊)だ!」

死者に近づかれると頭痛がし(なのに死人が12人もいる屋敷で過ごす羽目になるなんて可哀想な男だ。)生きている人間に触れられるとその人間の過去が見えるサイコメトリストの彼。サイラスに仕事の報酬は踏み倒され、言う事は↑のように頭の固いオヤジには信じて貰えず、挙句に主人公を庇って幽霊達が入る事の出来ない呪文付き壁を背に息絶えてしまった最期にはその5分後には機械が作動して幽霊達は全員その場からいなくなる安全な展開を考えても悲しくなってしまったものでした。(何故、主人公と一緒になって壁の内側に入り、あと五分が待てなかったんだ…?)ハンマー達に殺される未来が「見えて」いたからこそ人生を諦めていたのかもしれませんが最初から最後まで良い奴だったな(というか「どうでも良い奴」扱いを受けてばかりの損な役所だったな)と哀れな最期と合わせて同情してしまった登場人物でした…ゲフッ!

 マギー(ラー・ディッガ)…「もう嫌!朝一番の飛行機に乗るわ。アーサーにもキャシーにもボビーにも悪いけど…辞めるわ。」→THE END

母親の幽霊との再会(「愛してるわ。」)という感動的な終わり方かと思いきや、この映画のラストは↑のあられもない現実的な感想で締められています。子守りの仕事で雇われたのにやっている事は幽霊からの逃走、オカルトな機械の破壊、挙句に仲間だと思っていた女性にハードカバーの本で思い切り頭を殴られた経緯に神経の図太い彼女もさすがについていけなくなった様子です…ゲフッ!(料理はできない、当の子供は見失うというハウスキーパーの面目丸潰れの仕事ぶりはこの際、関係ありません。←オイ!)この先どんな仕事に就いても、はたまた仕事が無くてもこんなホーンテッドマンション(一軒家だけど)で過ごすよりはマシだよな(幽霊がいなくなった事実を知らないままだしね…。)と彼女の決断にも頷いてしまった顛末でした…ゴフッ!

ミザリー

2011.01.24
 かの「キャリー」と同じくスティーブン・キングの原作小説を映画化した作品です。(この映画よりは落ちるものの「シャイニング」といい「スタンド・バイ・ミー」といい数多くの作品が映画化されている事もあり「スティーブン・キングの小説は50年後も読まれるだろう。」と言われている。)主要登場人物は2人しかいないのに、ほとんど家の中で終わっている話なのに、いつキレるか分からない頭のおかしい女(それなのに社会生活は送れる(仕事は一応できる)からとシャバに出されている現実が怖い。)と共に暮らす恐怖がリアルに描かれていて物凄く面白い傑作となっている話です。最もこの作品を一言で評すると「わき見運転、ダメ、絶対!」(そして雪の日は徐行運転だろ!)が真っ先に来てしまう私なのですが…。

 「ミザリー」…ポール「ミザリーと彼女の命の恩人アニーに。」
アニー「まあ、あたしったらゴメンなさい。せっかくの乾杯の時にこぼしてしまうなんて。今の事は忘れて。ミザリーに(乾杯!)」
ポール「…ミザリー(みじめだ。)」

せっかく一服盛ったのに、アニーのうっかりのおかげで結果は惨め(MISERY)な物で終わってしまいました…ゲフッ!ちなみに映画のタイトルにもなっている「ミザリー」とは登場人物ポール・シェルダン(作家)の代表作であり「ハリー・ポッター」シリーズと同じく主人公ミザリー・チャステインの名前をタイトルに冠したシリーズ物のメロドラマの事です。(名詞で本当に「みじめ」という意味がある。しかし「みじめ」ってタイトルのシリーズ小説ってどうなのだろう「惨めな愛」とか「惨めな子」とか逆に本が売れなくなる気がするが。)大ヒットして大儲けはしたものの所詮は大衆向け娯楽小説。ダラダラと書き続けていても直木賞とか芥川賞とかが取れる訳でもなくこのまま行くと自分はフーテンの寅さん(「代表作」はあるものの、それしかできないダメ人間)で終わってしまうとヒロインを殺して完結させるに至りました。が…たとえばハリー・ポッターシリーズで最後に主人公のハリーが死んで終わってファンが「喜ぶか」というとそんな事は絶対にありえない(実際にやるかどうかは別として、むしろアニーのように本を焼き捨てたい気持ちになるだろう。)訳で「ミザリー」の熱狂的ファンであるアニーに読ませてしまったが為に彼女にキレられて惨劇は始まってしまいました。(編集者でさえ「『ミザリー』のおかげで子供を大学に行かせる事が出来て、家も2件も建てられたのに、なのに彼女を『殺す』の?」と難色を示していたのだから、もうちょっと終わり方は考えた方が…。)「悪いけど初稿は編集者とエージェントにしか見せない事にしてるんだ。」と断っていればこんな事にもならなかったんですけどね…。序盤で起こした交通事故(雪の中を徐行もせずにわき見運転をしたせいで起こした100%の自爆事故)といい、詰めの甘い作者だったんだなあと改めて実感もしてしまうエピソードです…。

 ア二ー・ウィルクス(キャシー・べイツ)…「最初は作家としてのあなたの頭脳と感性だけを愛していた。でも今はあなたの全てを愛している。だけど、あなたは洗練された有名人。私は綺麗でも何でもない。愛を失う気持ちなんて、あなたには分からないでしょうね。」

愛の告白をされてる反面、相手がメンへラで躁鬱病の気のあるオタク系暴力女という事もあって全然、嬉しくないな(勝手に有頂天になって勝手に逆切れして怒り出す「接し方にさえ困る性格の女」であっては、たとえ「綺麗な女」であっても男には逃げられたと思うよ…。)と感じてしまった主要登場人物のおばさんです。一応、彼女にも父親から性的虐待を受け、夫には逃げられたという不幸な境遇(おかしくなるだけの理由)はあるのですが、そんなの精神科医でもないポールが両手を広げて受け止めてあげなければいけない義務など無い訳で、彼女がどんなに被害者顔してヒロインぶっても実際には夫を転落死させ、ポールを監禁・脅迫・傷害までする弁解の余地のない加害者である事実(その前にも出来の良い同期生をブチ殺して看護学校首席の座を射止めたり、婦長を殺して自分が新しい婦長になったり「思い出のアルバム」には彼女の罪状が山とある。)の前には共感はできなかったものでした。ポールを愛しつつも彼の愛は得られない(そして自分が彼に釣り合わないだけのブスだという事も百も承知)という苦悩が根源にあるのなら、素直に自分が身を引けばいい話であって「他の人間に取られる位なら誰の所にも行けないように殺してやる!」と息巻いて本当に実行しようとするのは…違うだろ、人間として!とツッコミも入れてしまった女性です。せっかく一度捕まったんだし、そのまま刑務所から出さないでよ、警察さん(頭のおかしい人は更生しようが無いんだからさ…。)とげんなりもしたものでした…ゲフッ!

 バスター保安官(リチャード・ファーンズワース)…衆警察「誰かがポールを発見したのなら病院に行っているはずだ。自力で車からはい出したが彼は死亡したものと推定される。となると遺体はこの雪の下だ。」
バスター「連中の推理は違うよ。『自力で車から出た』だって?ドアの傷を見ろ。こじ開けられている。」

事故現場で下に降りながらも雪に埋もれた車のタイヤを見逃していたり、横を通るアニー(拉致監禁している誘拐犯)をスルーしていたり(最もこの時点では犯人と分からないだろうけれど。)そんなに有能ではない面を見せてはいるものの、↑のセリフから分かる通り取りあえず現役の警察の方々よりは有能だった様子です。(現実の警察は胸の上に車が乗っている明らかな他殺でも面倒臭い事は御免だとばかりに「自殺」で片付ける連中だからな…。)原作小説では老人ではなく若手刑事となっており手を芝刈り機で切断されたり背中に杭を打たれたりした末に殺されるという非常に痛々しい死に方をするのですが、若い身空でそんな死に方はあまりにも可哀想だと配慮されてか、映画では老人になるまで生きられ、小説には登場しない保安官補佐ヴァージニア(往年の有名女優ローレン・バコール。この映画で「特別出演」をしている。)まで妻に迎えており、死ぬのも苦しむ間もなく一撃で済んだという、改変がなされていました。(この映画がSAWじゃなくて本当に良かったね、保安官さん…。)家から出て、またドアを開けたその時にはもうアニーの姿は無かったという事は彼女は始めから猟銃を取りに行った(どの道、彼が車に乗る前に殺すつもりではあった)のでしょうし「苦しまず」に死ねただけ幸いだったかなと安堵したものでした。(オイ!)

 ポール・シェルダン(ジェイムズ・カーン)…ポール「金の為にあの恐怖を再現しろと?」
マーシャ「まだ後遺症が?」
ポール「一生かかっても忘れられるものか。確かにあの女は死んだが…記憶にこびりついてる。」

書け過ぎる人気有名作家(それはつまり作者スティーブン・キング自身がモデルなのか?)であり「女性が憧れる存在」なのだから、ここは一つ「あの有名な●●様なら同じ家にいる事に舞い上がってしまっても無理はない」という事に説得力を出そうと著名な俳優を起用しよう…と、したのですが「ええ~、寝たきりの難しい上にカッコ悪い役なんて俺、嫌ですよ。」と決まるまでに相当の人数に出演を断られたという逸話があるそうです。(まあ、アクション映画でもないし少なくとも子供ウケは期待できなさそうな映画だったしね。)小説版では同じ「足潰しの刑」(働けるけれども逃げられない状態にしたの。)でも小型電動ノコギリで親指を切断した後で斧で足を切り落とした(骨折と違って治りようが無いじゃないか!)という非常に痛い内容になっており映画では(これでも一応)扱いがソフトになったんだなあ~(ラストシーン、「自分の足」でちゃんと歩いてるよ…。)と実感した次第でした。「記憶にこびりついている」せいでアニーが確かに死んでいる事も目の前にいるのが別人である事も分かっているのに、周りの女性がアニーに見えて仕方ないという恐怖のトラウマを抱え込んでしまった彼。それでも理性で自分を落ち着かせてパニックを起こさない辺り、この人は強いなと同情しながらも感動したものでした。最も雪道を徐行もせずにわき見運転をした自業自得が招いた事態である(自分で自爆事故を起こさなければアニーと関わり合いになる事も無かった。)辺りは同情に歯止めをかけるのですが…ゲフッ!

 余談…事故を起こさなければアニーと関わることも無かったのでは?と書きましたが、弟曰く「当の事故で彼と関われたのもホテルまで様子を見に行ったり『日常的にストーカーしていたから』だし、ミザリーの結末があのようになっている以上事故が無くても彼女はいつか逆ギレして襲いかかってきただろう(それが今回多少早まっただけで。)」との意見を貰いました。そう考えると新しいナンバーワンファンが出てきたあの結末は余計に恐怖を感じるなと実感したものでした…ゲフッ!

ローズマリーの赤ちゃん

2011.01.23
 一応、ジャンルとしては「ホラー映画」のカテゴリに入るのですが、正統派オカルトファン向けの一作であり、SAWに代表されるようなスプラッタ絶叫系の映画ではないので、「エクソシスト」に代表されるオカルトブームの先駆けとなった作品ではあるものの「何、この血も肉片も大して出てこないオシャレ映画は。」と今の映画に慣れている世代からは微妙な評価を食らっているらしいです。(古典的名作なんだけどね。)舞台はビートルズのジョン・レノン&オノ・ヨーコ夫妻が住んでいたことでも有名なダコタ・ハウス、映画公開の翌年に監督ポランスキーの妊娠中の奥方(女優のシャロン・テート)がカルト集団に殺されてしまったという逸話もある曰くつきの凶作です…。

 テレサ・ジオノフリオ(アンジェラ・ドリアン)…テリー「カスタベット氏は麻薬に溺れ、飢えてた私を道で拾ってくれたの。最初、狙いはセックスかと思ったのに。」
ロー「ところが娘?親切な人がいるのね。」

カスタベット夫人から贈られたタニス草(別名・悪魔の胡椒)の臭いペンダントといい最初の「母親候補」は彼女だったのでしょうね。(結局の所「肉体目当てで自分を引き取ったのではないか」という彼女の直感は別の意味で当たっていた。)しかし、いくら他に行く当てのないバカ娘でも怪物(悪魔)に犯された挙句に異形の息子を産むのなんて御免だ!と「儀式」の後、早々に7回の窓からダイブされてしまい、当初の計画はおじゃんになってしまいました。(「絶対大丈夫なんて読みが甘いのよ!あの子には最後まで話すべきじゃなかった!」byカスタベット夫人)そして、次に目をつけられたのがお隣に越してきた若き人妻・ローズマリー(「家は多産系なの。甥っ子、姪っ子が合わせて16人もいるわ。」との事実に、この娘なら不妊症の心配も無くあっさり孕んでくれそうだと太鼓判を押したのでしょうね…ゲフッ!)だったという事なのでしょう。折しも彼女の夫は俳優、ライバルを失明させて役を与えた後は、奇跡を目の当たりにしたカルト教の信者よろしく自分達の仲間になってくれ、今度こそは失敗すまいと水面下の元でさりげなくギンギラギンに「悪魔の2代目をこの世に産み出す」計画が再スタートを切ったのでした。「普通のお産」どころか、あからさまに怪しい対応の数々に、臨月間近でなく、もっと早くに気づいて下さい、ローズマリーさん、とツッコミも入れたものです…ゲフッ!

 サパスティン先生(ラルフ・べラミー)…「出産書は読むな。現実のお産は本とは違う。友人の話もだ。個人差がある。」

「たまごクラブ」「ひよこクラブ」位、読んでも良いだろ!ママ友の話くらい聞いても良いだろ!(明らかに「余計な情報を与えない」為の布石じゃないか、それ!)としょっぱなから怪しさ爆発の対応にテレビにも出たことのある有名医者であっても、なんて胡散臭い産婦人科医だろうと不信感はバリバリだったのですが「有名な●●先生」という肩書の前にはセカンドオピニオンも後回しになってしまう様子です…ゲフッ!おかげで一か月以上も痛みに苦しむだけでなくカスタベット夫人(看護婦でもない素人)からの見るからに怪しげな(まずそうな)白いオリジナル薬草ジュースを毎日飲む羽目になるわ(栄養があるどころか明らかに体に悪かった様子で主人公はゲッソリと痩せた。その後、追い打ちをかけるように薬草のケーキまで追加される。)異常さを察知した友人は不審死を遂げるわ、散々な目に遭っているローズマリーさん。友人ハッチの遺品(悪魔関連の書物)から、隣人も夫も悪魔崇拝者だとようやく気がついたのなら、先生までグルだとやっと感づいたのなら診察の最中(しかも次に呼ばれるという先生がヒマになるその時)に逃げ出すというあからさまに怪しい行動をとるのではなく、まずは女友達の家に非難すべきだったなと当然のツッコミを入れてしまいました。詐欺事件と同じく怖いのは「騙される手口を知らない」という事(だから騙されている事に気づけない。)とはいえ、どう見ても怪しいのだから考えるまでも無く気づく事が出来ないか、と微妙に思えてしまった展開です…ゴフッ!

 ガイ・ウッドハウス(ジョン・カサヴェテス)…「君に手出しはさせない。それは誓わせた。死産だったと思えば同じ事だろう。代償は出世だ。」

一応テレビのコマーシャルに出れる程に出番のあった俳優ではあるものの思うように成功できない現実に悪魔に魂を売り渡した夫です。(どう見ても働いていない様子の奥さんを貰って、中古とはいえ新しいアパートを借りれちゃう程の金は稼いでいた。が、アメリカではつまらないテレビ番組の主人公になることよりもブロードウェイやウエストサイドの舞台に出る事の方が余程名誉な事だとされているので、専業主婦と子供を養える程度の小金を稼げても、それで「成功した」とは言えないのだろう。)「手出しさせない」どころか、思いきり「手を出させ」て子供まで作らせたじゃないか、アンタ…と思う存分妻を巻きこんでいる様にツッコミを入れてしまったものでした。薬を飲ませてまで他の男(悪魔)に妻の体を売り渡し、報酬だって「役者としての出世」という夫に対して支払われる物で体を張った当人である奥さん自身はノーギャラという顛末にはローズマリーじゃなくても唾を吐きたくなるだろうなと納得もしてしまいました…ゲフッ!(借金に首が回らないのなら、奥さんに売春まがいの真似をさせるのも「平気じゃないけど仕方ないわ。」と妥協できるかもしれないが、取り立て屋に追われる事も無く「そのまんまでも暮らしてはいけた」現実の前には理不尽しか感じない事だろう…ゴフッ!)思えばカスタベット氏が演劇界に詳しいのも、こうして数多の俳優をその悪魔的呪いの力で「成功させてきた」からだったのでしょうね。「悪魔にその身を売り渡す」のならアンタ1人で悪魔にバックバージンでも捧げておいてくれと他人(妻)を犠牲にした顛末に嫌悪感を感じてしまった最低夫でした…ガフッ!

 ローズマリー・ウッドハウス(ミア・ファロー)…ローマン「手伝わんか。母親としてエイドリアンを育てる。それだけでいい。」

こうして父親が悪魔でも(ビジュアル的にはどうあれ)可愛い我が子だと「母親」となったローズマリーですが、続編「ローズマリーの息子」によると「私は悪魔王じゃなくて普通の子に育てたいのよ!」と息子と一緒に逃げようとした為にハッチと同じように呪いで昏睡状態にさせられ再び目覚めたその時は1999年。(57歳のお婆ちゃんじゃないか!)33才の中年となった息子は「世界平和を目指すNPO」の中心人物である反面、裏では世界を破滅させようと計画するオウム真理教の麻原彰晃みたいな事をやっていたのですが、父親(悪魔)の手で地獄に連れ去られそうになっているローズマリーの姿に「心配しないで!僕が何とかするから!」と叫んだその時、ローズマリーの目が覚めた…。「アレ?私は確かアパートで息子を産んで…。」「オイオイ、しっかりしてくれよ、まだ僕達が住むアパートの下見にすら行ってないじゃないか。」…気がついた時は映画序章。そう、悪魔とセックスして子供を産んだどころかこの映画の全てはローズマリーの夢オチだった(寝る前に怪奇小説を読むもんじゃないね!)という恐るべき展開で話が締められています。(一応、超能力を持った息子が時間を巻き戻してくれたのかもしれないという解釈もできますが全てを「無かった事」にされた事実には変わり無し。)映画公開の翌年、監督の奥さん(妊娠8か月)が殺されるという痛ましい事件が起こった事も有り、作者アイラ・レヴィンは「俺があんな小説を書かなければこんな事にはならなかったかも…。」→「悪魔なんてものは結局は『夢物語』なんだよ!」と言いたかったのかもしれません…が、結末がそんなのって有りか?(何だか物凄く消化不良なんですけど。)とツッコミだけは入れさせて下さい…ゲフッ!

 余談…「戦場のピアニスト」(注・「海の上のピアニスト」ではない。)でアカデミー監督賞を獲った事でも有名なポランスキー監督ですが、実は監督自身が13歳の少女をレイプした事で有罪判決を受けている犯罪者であり、「映画撮影しなきゃいけないから。」とアメリカを出国してヨーロッパに逃亡し、2度と入国しようとしなかった(授賞式にも出席していない。)経緯を考えると、「本物の悪魔を呼び寄せてしまったのでは?」とまことしやかに語り継がれている「例の事件」は作品のせいなのか、それとも監督本人の不徳の致すところなのか(いやいや殺害犯であるカルト教集団のせいだと思うが。)は意見が割れている所だそうです…。

キャリー(リメイク版)

2011.01.22
 派手にすりゃ、良いってもんでも、ないだろう…と思わず一句詠んでしまう、絵的には綺麗になったものの(旧作ラストシーンの2分割映像と比べると分割ナシのかなり見やすい復讐劇になったが、おかげで自分の力で惨劇を引き起こしている怖いヒロインの姿にむしろ引いた。)スローモーションも回転板も見せ場の良い所全てが無くなって(墓から腕も出てこない。)、あらすじにいらない改変を加えて話の良さを落としている(オリジナルシーンを加えれば良いってもんじゃないぞ、オイ!)顛末には正直がっかりしてしまったものでした。同じく「旧作の2番煎じ」と名高い「キャリー2」と一体どっちがつまらないのか(見る気ないけど)げんなりしながら見終わったものです…。

 マーガレット・ホワイト(ジュリアン・ムーア)…「この痛みは何?腫瘍?」

いやいや、アンタ10カ月もの間、妊娠してる自覚が無かったの?(何ヶ月も腹が膨れたら原因不明でも病院行こうよ!←それでアッサリと原因は判明するかと思うよ…。)と「現代」ではあり得るはずも無い展開(輸血禁止のエホバの皆さんですら、病院には行きますよ?)にオープニングの時点からツッコミを入れてしまったお母さんです。娘に生理が来たかと思えば壁に頭をパッチギし、娘をいじめた子の母親に「謝って済む事じゃないけど(それでももちろん水に流してくれるわよね。)スーもあれでいい子なのよ。」と言われて思わず太ももを刺す自傷行為に走ったり、今作では狂信的なクリスチャンである以上に精神的に非常に脆い側面が強調されている彼女。(母親として間違ってはいるけれども彼女にはこれが精一杯。)…おかげで「娘を思うように愛せずに虐待してしまう母親」ではなく「情緒不安定な母親を虐待する娘の話」に見えて仕方ないのが致命的なリメイク版です。これで娘がビクビクオドオドした子だったら、まだ「母親の偏屈な考え方に縛られて、何も言えずにいじめられている」図式が成立したかもしれませんが、ポンポン言い返して責め立てる挙句に最後には「ゴメンね、ママ」と思いきり故意で母親を刃物の数々を刺している(それで「怖い事はもう何も無いのよ」って言われても…まずアンタが怖いわ。)そんなキャリーは、加害者以外の何物にも見えず「間違った母親だったけれど、リベンジを返してしまったけれど、それでも『母親』を愛していた」というドラマの根幹自体が伝わってこなかったものです。(むしろ、ただの娘からのDVだろ、これ。)こんな環境に生まれ育った娘が可哀想、でなく夫に逃げられ娘からは超能力を使ってまで追い詰められる母親こそが可哀想と思えて仕方なかったものでした…ゲフッ!

 キャリー・ホワイト(クロエ・グレース・モレッツ)…「罪深いのはママよ。ママなんか最低!」

旧作(1970年代)では性教育がどこまで普及していたか分からず、生理の事を知らない女の子もいたのかもしれない、それは可能性として考えられます。けれど、携帯で動画を取ってネットに流せる「現代」の時代設定で「高校3年生が生理を知らずに初潮でパニックに陥った」というのはありえない(どんだけ保健体育の授業をサボっていたんだよ!男の弟ですら生理の存在位は知ってるわ!)と時代を無視した展開にツッコミを入れてしまったものでした。(それはママじゃなくて授業をちゃんと受けて来なかったアンタ自身が悪かったんだと思うよ…。)特別じゃなくて普通の人間として皆と関わっていきたい(と、言っている割には特別な超能力を使いまくっていますが。)その気持ちは分かりますが情緒不安定な母親相手に罵倒の言葉を浴びせて文字通りに吊し上げる(超能力で無理やり立たせた挙句に懲罰室に閉じ込めて鍵まで溶接した。それで「愛してるわ、ママ」って言われても…。)のは、やり過ぎ感が否めず共感できなかったリメイク版キャリー。絶対的支配を誇る母親相手にそこまで言い返せるのなら、いじめっ子相手だって余裕で勝てるような気がしますし「問題に立ち向かっていく様」を描きたかったのでしょうが、本来の姿である「内気ないじめられっ子」という性格が完全に変貌してしまっていて(「勝気な美人」になってしまったおかげで「地味で目立たないいじめられっ子」にどう頑張っても見えないのが致命的。)引いてしまったものです。ラストの「超能力の暴走」も先生を助けた辺りが優しさ…ではなく思いきり冷静に殺す人間と殺さない人間を分ける事を計算していただけに見えて微妙でしたし、性格が悪くなったなあ~(だからトミーにも(浮気)相手にすらされないんだよ…。)と思ってしまったヒロインでした…。

 スー・スネル(ガブリエラ・ワイルド)…クリス「今まで一緒になってイジメてきたくせに何で味方してくれなかったの?プロムに彼氏と出席するのが夢だったから停学が嫌で汚い心変わりをしただけでしょ。キャリーの事なんてどうでもよく思っているくせに本性バレバレなんだから。」

旧作版では純粋に償いをしたいという気持ちから、誰に何を言われるまでも無く自主的に行動していたスーでしたが、↑のように言われたからキャリーに彼氏を譲った(償いの為に行動している事を証明する為に夢を諦めた)というのは…それはただ単に意地になっただけで罪悪感とは違う物なんじゃないの?(おかげで全く興味のない女とパーティーに出る羽目になったトミーも、そんな男と一緒に出て本当に楽しめるか微妙なキャリーも2人とも可哀想な気がする。)と疑問が出てしまった私です。旧作同様いじめっ子達の中では唯一善玉であり善意の行動ゆえに彼氏を亡くしてしまう(しかも当の彼氏は死ぬ直前キャリーと二股がけしてラブラブだった)結末に同情されてか、今作では彼氏・トミーは彼女一筋な上に本人は死んでも子供が出来ていた(彼氏は失う事になっても彼女には残されたものがあった。)という改変がなされています。が…「主人公・キャリーが幸せの絶頂から突き落とされる」というあらすじを考えるとスー以外目に入っていない彼氏(そこにあるのは義務感だけでキャリーの女としての魅力は最初から最後まで否定されている。「一日だけでも振り向いて貰えた」という幻想すら持てやしない。どこが幸せの絶頂だ。)は微妙ですし、いくら子供が愛の結晶と言っても高校3年生で妊娠しちゃった(しかもパパは死にました。)というのは物凄く重い現実でしょうし(普通にパパが生きていても「子供が出来たって言われても、俺まだ学生だから困るわ。」と手放しで喜ばれる可能性は非常に低い年齢だろう、18歳って。)全然喜べない状況だよなと特別扱いに反して溜め息が出てしまったものです。ラストもただの墓参りで終わっているし、つまらない展開になったなあ~とガッカリしてしまった顛末でした…。

 トミー・ロス(アンセル・エルゴート)…「キャリーと付き合うって言っても一日だけでしょ。有名アスリートだって高校生の子と付き合ってるじゃない、チャリティ活動で。」

登場早々キャリーの目の前でスーとキスしているし、自分をパーティーに誘ったのが罠かどうか悩む以前に他の女(自分)が入り込める隙間なんて無いじゃないか(そこまで見せられて一体どう「期待」をしろと…。)と片思いしていた憧れの男性から誘われた割には全く夢の見れない内容にキャリーでなくとも涙したくなったものでした。キャリーを誘う際にも「スーが行きたくないらしいから。(だから仕方なくお前程度でも我慢して誘ってやってるんだ。)」と無神経な本音が丸出しになっていますし、いくらパーティーのパートナーになってくれるとはいえ、こんなお誘いのされ方じゃ惨めな気持ちになるだけで嬉しくないよな、と口説きのテクが下手になったことにガッカリしたものです。むしろ、こんな誘いでもOKするキャリーの方が逆に相手に本命彼女がいるのを知っていても「男とデートできる」機会は逃さない嫌な女(母親を懲罰室に閉じ込めて鍵まで溶接した後でルンルン気分で男と腕を組むのには、さすがに神経を疑った。そこまでデートしたいか、自分に気の無い男相手でも。)と見えて共感できなかったものです。トミーもトミーでパーティーの中で先生が来たのをこれ幸いと隙を見て本命彼女にメールしていますし(「経過は順調。君が恋しい。」byトミー。めっちゃラブラブじゃないか。)よっぽどキャリーの相手をするのが苦痛なんだなというサインしか伝わってこない顛末には、スーには悪いけれども「一夜の美しい夢物語」にすら程遠いだろう(キャリーにもトミーにも打算しかないじゃないか。)とツッコミを入れてしまったものでした。ダンスしても回転数は無いし、キスシーンは無いし(ボランティアだと割り切った上でもキスするのすら嫌ですか…。)この辺は旧作より明らかに劣ったなと実感したパーティー模様です…ゲフッ!

キャリー

2011.01.21
 シンプル イズ ベスト、とリメイク版の(キャリーの性格の)微妙さと合わせて評価を上げてしまった旧作版です。作品内容のあまりの素晴らしさに、それまでホラーは対象にならないはずだったアカデミー賞にまでノミネートされたそうで不朽の名作と評されるのにも納得がいってしまったものでした。スティーブン・キングの小説版からは色々改変が加えられたものの、映画ならではの表現と相なって見せ場の全てが良く出来ている(スローモーションを使って栄光から転落までの経緯を表す表現力は見事。)と感心したこの一作、作者自身も「小説版のラストもああいう風に終わらせればよかった。」と歯がゆい思いをするほど良作に仕上がっています。

 キャリー・ホワイト(シシー・スペイセク)…「何故、教えてくれなかったの?(突然、大量に出血して)怖かったわ。死ぬかと思った。」

しょっぱなからシャワーシーンですか!(パニックを起こしたおかげで色々丸見えになってるんですけど!)と初潮以前にも色々驚かされるオープニングから始まるヒロイン。(そして後半、また一糸まとわぬ姿で風呂に入る。なんてサービスシーン満載な映画なんだ!)アメリカは学校で保健体育を教えないのか(それともこの映画をきっかけに性教育の大切さが普及したのか?)母親に教わるまでもなく授業で習って知っていた私としてはキャリーのパニックにちょっと引いてしまいました。が、それはそれとして彼女は既に高校3年生、そして生理がそこまで遅れるほど発育不良な体どころか胸も尻も素晴らしく豊満で、何故この体で初潮がそこまで遅れたのか逆に疑問が湧いて出たものです。(最もアメリカ人はモデルと俳優以外、皆ビヤ樽のような体型をしているとの情報もあるので、それを考えると日本人から見れば充分に垂涎もののキャリーのあの体でも「肉付きが悪い」部類に入ってしまうのかもしれないですが…ゲフッ!)映画では初潮をきっかけに念動力に目覚めたキャリー(小説では幼少期から念動力を持っており母親に叱責されるたびに彼女の家には石が降ってきました。)この超能力のおかげで悲劇は始まっていきます…。(最も小説版に比べると町全て→高校のみに変更された分だけ被害状況は軽くなってはいますが…。)

 マーガレット・ホワイト(パイパー・ローリー)…「神は女に罰を与えられた。毎月血を流す罰を。2つ目の罰は出産。『罪なき女』なら何故月の物を見よう?」

じゃあ娘のキャリーより貴女の方がよほど裁かれて然るべき「罪ある女」じゃないか…とツッコミは入れたものの、「罪」を犯してまで夫と結ばれたのに当の夫は他の女と逃げた(逃げたくなる気持ちはとてもよく分かるのだが!)だからこの人は女が嫌いで女の性の全てを憎んでいる、その経緯は分かる気がしました。(そうやって裏切った当の男に矛先を向けず、他の女を全否定する考え方こそ女そのものなのだが。本来なら「他の『女』さえいなければ」でなく「この男さえ浮気をしなければ」っていう話ですよね…ゲフッ!)本人も表面上は否定し続けていたものの夫とのセックスも楽しんでいて、実は自分は「自分で言っている理想」(彼女の全てである宗教)より程遠い人間だと分かっていたからこそ、殺されたその時はこれで肉の体の欲望に2度と惑わされることなく自分の理想である神に近い存在になれると(折しも飾ってあったキリストの像と同じポーズで)陶然と死んでいったようです。おかげで原作小説では娘ともみ合ううちにすっ転んで刃物の上に刺さったマヌケな終わり方と違い、超能力効果で派手に印象的に死んだ彼女。逃げる時に場所を間違えていつもの懲罰室クローゼットに逃げ込んでしまった(外に出ようよ!)娘のマヌケぶりのおかげで母子共に一緒に果てた(結局の所「娘と共に死ぬ」というこの人の望みも叶えられた)のでした…。

 コリンズ先生(ベティ・バックリー)…クリス「何よ、ババアのくせに!」
コリンズ先生「もう一言言ったら、ぶっ飛ばすわよ!」

映画上では1発で済んでいますが、実はリテイクに次ぐリテイクで30発くらいビンタしていたそうです…ゲフッ!(「絶対、仕返ししてやるから!」byクリス)キャリーの事は哀れに思いつつも持て余し気味の所は有り(「たかが生理ですよ。いじめっ子達の気持ちも分かるんです。」)優しく接しながらも本心で接していた訳ではなかった(「本気で誘ったのかも。こんなに可愛い女の子なんだもの。」→「キャリーとあなたでは釣り合わないとは思わない?」「関係ないわ…って先生、アンタあれだけキャリーの事を持ち上げておいて全否定ですか?」)だから、豚の血を浴びてクラスメートに笑われた時は先生も一緒になって笑っているものだと一緒くたに誤解してしまった(アレはキャリーのイメージであって先生だけは笑っていなかったそうです。)その優しさは「憐れみを受けていた」だけなのを感じ取っており最後の最後で信じきれなかった、と原作小説と違って皆と一緒にご臨終の憂き目に遭ってしまっていました。先生が階段に駆けよったスーを嫉妬に駆られた正妻が邪魔しに来たと誤解しなければこの惨劇も起きなかったのですがね…。(実際は惨劇を止める最後のチャンスだったのに…。)色々な誤解が積み重なってとうとう自滅に到ってしまったこの結末はまさしく日常の延長からの悲劇だったのだと感じてしまった、そんな話でした…ゴフッ!

 トミー・ロス(ウィリアム・カット)…トミー「君も綺麗だ。奥ゆかしい小悪魔に一票。」
キャリー「悪魔ね。(笑)」

ダンスシーンでは「いつもより多めに回しております!」という傘の上のボール回しの如く回っているなあ~(むしろ回り過ぎだろ)と思ったら、何と二人は動かずに回転板の上に乗っていたというオチがあったそうです。ともあれ嫌々仕方なく彼女(スー)の命令でダンスのパートナーに誘ったに過ぎないトミー(なのに、そんなことはおくびにも出さずに「僕の詞を褒めてくれた君と行きたいんだ。」と言える辺りは見事だと感じた。本心を隠して相手を騙す事の是非はともかく「騙されていても楽しかった」だけの良い思い出には充分になりそうな気がする。)もドレスアップして着飾ったキャリーの姿に見る目を改めた様子で、キスしたり、2次会に誘ったり(その後、夜中の男女がどんな展開に到るだろうかは推して知るべし…。)元々が口説き上手なだけに本領を発揮しています。何せ事は「彼女」からの依頼、始めから浮気公認な訳で舞台の上でも公衆の面前で堂々とキスしたり、もうノリノリです…ゲフッ!(あの…彼女本人が来ていなくても彼女のクラスメートはたくさん来ている訳で後々密告されるとは思わないんですか?)が、ここで一夜の美しい思い出として終わればハッピーエンドだったのですが友人の優しい思惑は心無い悪ガキ達の魔手(放置しても固まらない豚の血のバケツシャワー)により壮絶な惨劇で終わってしまうのでした…。空のバケツの直撃を受けて(浮気した天罰が当たったんだろうな。)気絶した為に皆と仲良く焼死してしまった彼。優しい彼女のスーだけが無事で済んだ(生き残った)のが唯一の救いですが、本当に、色々と、救いようの無い話で終わってしまったな、と改めて悲しく思えてしまった映画でした…。

 余談…続編として「他の女と逃げた父親」が彼女との間に作った腹違いの妹・レイチェル(どうやらあの念動力は父方の遺伝らしい)を主人公に据えた「キャリー2」があるらしいですが(「キャリー2」と銘打っておきながらキャリーはどこにもいないじゃないか…。)「素晴らしい前作を劣化焼き直ししただけ」「全く同じストーリーの上にヒロインに影が無いせいで共感し辛い」と口コミ評価は最悪の、いかにも面白くなさそうな印象なので私のキャリー記はここまでとする事にします…。

スペル

2011.01.20
 今でこそ「スパイダーマン」シリーズで有名な巨匠サム・ライミ監督だけれど、さすがは処女作「死霊のはらわた」シリーズの監督…ホラーの見せ方が上手い!(最も必ず顔めがけての吐瀉物・血液・目玉等々の汚物が降りかかる描写が多いので食事中には決して見られない映画ですが。)と最後まで中だるみ無く見れた内容の濃い展開に家族そろって「怖い!」と大満足させて貰った映画でした。(私「これは一見の価値があるよ!騙されたと思って見てみて!」→父「これは返す前に一度見ておかないと損だ!」→弟「怖いよ、コレ!」と各々が最高の評価で勧め回ったのも良い思い出。おかげで同じ家で見たのに3回も再生されています。)ホラーなのに、頭から鼻血をぶっかけられた支店長や脳天に十字架を喰らって気絶した主人公など遠くから見ると笑えるネタとして話題に出来る部分も多く楽しめた秀作でした。ちなみに原題は「私を地獄に引きずって!」(DRAG ME TO HELL)なのですがそんなコミカルな直訳じゃホラーなのに雰囲気出なくて怖くないだろうという理由かタイトルは「スペル」(呪いの言葉)に超訳されたようです。

 シルビア・ガーナッシュ(ローナ・レイヴァー)…「あんた、恥をかかせたね。私は請うた。次はお前さ。私に請いに来るんだ。」

老婆を救う事よりも自分が点数を稼ぐことを選んで彼女を切り捨ててしまった主人公。(とはいえ既に2回も取り立て延長を認めているし妥当な判断だとは思うのだが。)その後この老婆は20代の主人公相手に対等に殴り合える程に元気いっぱいな体育会系だったにも関わらず早々にお亡くなりになってしまうのですが、車中での暴行シーンをよく見ると彼女は主人公に物差しを口の中に突っ込まれており(おそらくは割り箸を咥えて走って転んで咽喉に刺さった子供と同じく、その傷から雑菌が入って脳に達してしまったのだろう。口の中は本来防壁となってくれる頭蓋骨でふさがれておらず、間の悪い事にその脳の内側には呼吸器系などを司る生命維持に必要な役割部分が集まっていてバイ菌が入るとまず助からない。)つまりこの老婆に致命傷を与えたのは間違いなく主人公だと理解すると孫の冷たい態度(「これでも万事解決できる?黙って報いを受けるのね。」by孫)にも納得がいったものでした。(正当防衛だったとはいえ素手のお婆ちゃん相手にホチキスや物差しなどの道具を使ってボコボコにしたというのも印象悪かったでしょうね…ゲフッ!)あれだけの数の一族がいながら誰も彼女に金銭援助をしなかったのか(あるいは老婆が自分で断っていたのか…誇り高さを捨てて請い願うのならまず身内相手から始めて下さいとツッコミを入れてしまいました…ゴフッ!)初対面では暴言、お葬式でも謎の液体(口移しにゲロを移されるって凄く嫌。)など登場するごとに色々な種類の反吐を吐いている彼女にバタリアン(ゾンビ)よりも怖いオバタリアンだと思わず度肝を抜かれたものでした。(この映画、嘔吐ネタが多いよね…ガフッ!)

 ショーン・サン・ディナ(アドリアナ・バラッザ)…「私は長いこと待ち続けていたの、あの屈辱を晴らす機会を。今宵その機会が訪れるわ。」

オープニングにてロマ(ジプシー。有名なバイオリン曲「ツィゴイネルワイゼン」(ジプシーの旋律)で言う所のツィゴイネル(ドイツ語圏)ジプシー(一か所に落ち付いていないで方々を渡り歩く人)自体が差別用語となっている事から現在ではロマ(英語圏)と呼ばれている。)から首飾りを盗んだ少年を助けられずに目の前で殺されてしまった霊媒士。(主人公のケースといい3日間も心霊現象で悩ませて最後には地獄に引きずり込むあまりにも酷い内容の呪いの割に彼らロマ族はたかが首飾り一つ(「返すって言ってるのに受け取りません!」by父)やローン延長ダメ出しなど割と大したことのない理由で頻繁に実行している様子です…ゲフッ!)40年という長~い時が経ってからやっと雪辱の機会が回ってきた(やっぱり3日以内に1万ドルもポンと現金で払える相談者はそうそういなかったらしい…ゴフッ!)と思ったら呼び出しただけ、主人公を無駄に怖がらせただけ、冥界に一度帰って貰うのに体力を使い果たしてお亡くなりになってしまった様には1万ドルも払ったのに…!(払ったのはプラチナカードを持っていた彼氏のクレイですが)と出費も含めて非常に残念に思えてしまった展開でした。ラム・ジャスも伯母にラミアとの決闘の機会など与えずにボタンを誰かに渡せば解決するよと主人公に簡単な解決方法を教えてあげれば良かったのにと完全に無駄死にになってしまった最後に涙を禁じえなかったものです…ガフッ!

 クリスティン・ブラウン(アリソン・ローマン)…ラム・ジャス「これを誰かに贈れば呪いは去る。贈られた者はラミアに魂を奪われ永遠に地獄で焼かれる。」

つまり、その気になれば初日に解決できた問題だったのに3日間不必要に怖い思いをした挙句に1万ドルを無駄払いし挙句に人一人死なせたという訳か…と話の顛末にツッコミを入れてしまったものでした。ラム・ジャスが解決方法を知っていたくせに黙っていたのは酷いとはいえクリスティンの問題を全く関係ない他人を犠牲に尻拭いさせるのも間違ってはいる訳で(彼女はあくまで「お客様のうちの1人」であって「誰の命を犠牲にしても救わなければいけない存在」ではない。多分ラム・ジャスは物凄く公平に商売をしていただけで、どうやったら他人を犠牲にせずに解決できるか、むしろ模索してあげていた方なのだろう。)この女性の微妙な性格の悪さ(車から追い出した老婆を「アンタの負けだよ!」と嗤ったり、自分の保身の為だけに表面つらだけの謝罪に来たり…子猫を生贄に捧げたシーンも猫好きの視聴者から許せないとクレームが来ています…ゲフッ!)を考えても妥当な対応ではあったのかなと納得はしました。ローン返済締切の延長ができない、そこまでは分かる、けれどその動機の「恋人に釣り合いたい(結婚したい)が為に出世したい」(だからみすぼらしい老婆の懇願はつっぱねます)は少なくとも遺族に共感して貰える代物ではないよな、と孫の怒りに改めて頷いてしまったものでした…ゴフッ!(主人公の昔の体型を「視る」ことができたり、呪いをかけた祖母と同様何がしかの超常的な力を持っているらしいお孫さん。しおらしい顔はしているけれども実はコイツは怪我をさせた祖母の心配なんて全然していないという事はお見通しだったのでしょうね…ガフッ!)

 クレイ・ダルトン(ジャスティン・ロング)…「君はコインを持って行ったんだよ。似たような封筒だしね。」

まさか序盤でプレゼントした(銀行で見つけて着服した)コインがこんな形で裏目に出てしまうなんて…と伏線の上手さに唸らせて貰ったものでした。急ブレーキで書類の中に封筒が紛れた瞬間から「実はボタンは彼の元にあった」オチは予測がついていたのですが、それよりも彼の手元にボタンがあることで「持ち主」が彼にすり替わって200%良い人のこの人が代わりに地獄に落ちてしまわないかそっちの方がよほど心配だったのでラストでちゃんと彼女の方が地獄に落ちた結末には安堵したものでした。(安堵するな。)タイミング良く電車が2人の間を走ってくれたおかげで彼女にしがみつかれて彼もまた一緒くたに地獄に引きずられる、そんなバナナな展開にもなりませんでしたしバッドエンド風どんでん返しの割には「面白い」で済んだ終わり方でした…ゲフッ!あの夜、全ては終わったなんてごまかさずに「ボタンを誰かに贈って身代わりに犠牲になって貰えば私は助かるの。手伝って!」と彼氏と一緒に行動していれば「まずいよ!ボタン、ここにあった!」とボタンが見つかった時の対応も変わったでしょうにね…。(後ずさりが過ぎてうっかり線路に落ちるまでもまだ時間があったのだから見つかったその瞬間、彼氏にあげるという選択肢も有ったのだが…ゴフッ!)罪のない他人を生贄に捧げる「汚い自分」を彼には見られたくないというええかっこしさから文字通り「墓穴を掘ってしまった」な(こうなると無駄に墓を荒らされたガーナッシュ婆さんも哀れ。)と見事に締められたラストに感服したものでした。(しかしこの映画、自業自得という諺を本当に地で行く脚本だな…ガフッ!)

死霊のはらわた・リメイク版

2011.01.19
 このリメイク版、最高に面白いじゃないか!と勢いだけで突っ走って脚本なんかほぼゼロに等しい旧作(ステイーブン・キングが絶賛する通り演出上の見せ方は「恐ろしく斬新」で最高の評価を下すだけあるとは思いますが…。)と比べても星5つあげたくなる非常に練られた脚本の元に作られた素晴らしい新作でしたが「旧作と違う」(こんなシリアス話はいらない)と世間様の評価は非常に低い個人的には残念な(不当な評価を受けている)映画です。サム・ライミ監督作品だけあって、やっぱり嘔吐ネタが多く食事時にお勧めしない映画NO.2(NO.1は「スぺル」)ではあるのですが息もつかせぬ展開に充分に満足できた1作でした。

 ミア(ジェーン・レヴィ)…「私は友人と家族の立ち会いの元にいかなる理由があろうとこんな薬に手を出さない事を誓います。2度と。絶対にね。」

同じ誓いが一日と持たず(「8時間で挫折だ。」)挙句の果てにはオーバードウズ(OD)で死にかけた「前科」があるだけに誰も信用しなかった、その誓い(自業自得だが。)一番に悪霊を目撃し「ここに何かいる。」と真実を言っても「1日も持たないウソつき女」の言葉など皆は疑いのまなざしを向けるばかり(自業自得だね。)…ホラーの定番です。「兄さんは私の味方になってくれると思ったのに!」と周りに真の味方が誰もいない事を嘆くまでは理解できても、被害者顔を利用して車を盗用し、挙句に悪霊相手に事故って憑りつかれたのはもはやフォローのしようが無く(自業自得じゃないか!)どうにも共感できなかったヒロインでした。旧作では同じく木々に(怪しい意味も含めて)襲われ、1番に悪霊に憑依されたシェリル姉さんと同じ立ち位置なのでしょうが、あまりにも身勝手な行動ぶりには「旧作同様ラスト・スタンディングマンは男兄弟(デビット)の方にして下さい」としか思えず、せっかく生き残っても「何で皆が犠牲になって、こんな奴が生き残ってるのさ!」と憤りばかり感じてしまいました。折しも映画が終わった時は朝。いつの間にやら禁断症状は(それどころじゃなかったので)立派に峠を越したようですが、4人もの人間が死んだこの事件の犯人は消去法から彼女に断定されるでしょうし、その後この子が大手を振って生きていけるのかは大いに疑問を感じてしまう話です…ゲフッ!

 エリック(ルー・テイラー・プッチ)…「ナチュロン・デモンド。『この本に関わるな。書くな、唱えるな、聞くな。彼への扉が開く。』」

…って、書いてあるんだから書いて唱えて聞くのは辞めろよ!と凸凹を利用して写し「書いて」独り言を言って「唱えて」(黙れ。)自分の耳で「聞いて」いる彼(誰か耳栓か粘土を奴の耳に詰めてやって下さい)にツッコミを入れてしまったものでした。どうやら憑依はミア(主犯格)の体液(血)を通して進んでしまうらしく、ゲロ血を頭から浴びせられたオリビア、血の味のキスをされたナタリーに次いで、死後気絶したミアが浮かんでいた「だし汁」に頭から沈んでしまった彼の肉体は立派に取りつかれる対象になってしまったようです。(そのせいか1滴も血をを浴びていないデビット兄ちゃんだけは最期まで正気だったしね。このシチュエーションの中で正気でいるのが幸運な事かどうかは置いといて…ゲフッ!)せっかく最後は気持ちが通じたのだしミアの体だけでなく彼の死体も並べて埋めてあげれば良かったのに、と思っても後の祭りです。友達(の体)は大切にしないとしっぺ返しを食らうという教訓話でした…ゴフッ!

 オリビア(ジェシカ・ルーカス)…オリビア「ミアがあんなことをするなんて予測できなかったわ。」
ナタリー「アンタが仕切ってんだろ。想定しとくべきよ。」

せめて病院で拘束着でも着せてれば良かったものを、人里離れた山小屋に連れてきてしまったが為に釘打ち機、鏡の破片、カッター、山刀、チェンソーと山小屋内のあらゆる工具が邪悪な凶器となる(来るんじゃなかったね。)…そんな恐怖の展開には確実に仕切り方を間違えたなとナタリー同様ツッコミを入れてしまったものでした。山に連れてきたせいで旧作同様川の増水で麓には帰れなくなっているし(オリビアさん、行き先の地形と特色くらい確認してから出かけて下さい。)惨劇に突っ走った原因の8割以上は場所にある事(悪霊を呼び覚ましたのはエリックだがその前に、こんな所に来なければエリックが本を手に取る事も無かった)を考えても事前確認及び環境設定をきちんと行っていなかった彼女の責任は重い(そもそも薬物中毒のキ印一歩手前の人間を銃やら刀やらがふんだんに置いてある場所に連れて行くって危な過ぎるだろ)と感じてしまったものです。(病院と同じ治療は出来てるとか、それ以前の問題な気がする…。)悪霊が登場するのはさすがに予想外の展開でも惨劇に突入するのは予測ができた…ような気がしました…ゲフッ!

 ナタリー(エリザベス・ブラックモア)…「顔が痛い。旧作では往復ビンタだけで済んだのに何故こんなに顔が痛い目に遭うの?」

旧作のリンダに当たる男主人公の恋人ですがプレゼントされるはずの虫眼鏡ペンダント(クロメモドキの首飾り。意志が強くなるらしいがミアはあっさりと禁断症状に負けて文字通り「暴走」していた)はミアの方に贈られてしまい、自分で自分の腕を切り落とす根性を見せるも、ゾンビ化したら恋人に躊躇なく撃たれ、死んでも大して悔やまれないドライぶりには全然愛を感じることができず(旧作ではチェンソーを手に取っても「やっぱりできない。」と中断したり滅茶苦茶苦悩していたが、今回その辺の見せ場は全部ミアに持っていかれてしまい1番割を食っている感じを受ける。)死体も埋葬してあげてない様子には、むしろこの2人は本当に愛し合っていたのか疑問まで出てくるほどでした…ゲフッ!命の危険の前には友情も愛情も儚いのは分かっていますが、もうちょっと大切にしてやっても良いのでは?と最後までミアだけを心配していた(そして仮にも一応、恋人であるナタリーの事は思い出しもしていない)デビットにツッコミを入れてしまったものです…ゴフッ!

 デビット(シャイロ・フェルナンデス)…ミア「最後まで一緒にいるって約束して。誓ってほしい。」
デビット「いいよ。命を懸ける。」

デビットが精神病で錯乱した母親と幼い妹(ミア)から逃げるように(というより就職を体の良い言い訳にして実際、逃げたのだろう。)都会の暮らしに没頭したのは確かに彼女達に対する「裏切り」にはなってしまうのでしょうがそれとミアが自分で薬に溺れたのは別問題(自業自得)であって(母親が死んだのも、自分が薬に溺れたのも、郵便ポストが赤いのも、皆が皆、兄貴が私達を捨てたのが原因、というのは違う気がする。)本当に命を懸けるほど責任を感じなくても良かったのでは、と恋人も友人も失い、それでも妹を守って死んだ死に様に思わず涙してしまったものです。(この映画の不幸大賞は間違いなく彼だろう…ゲフッ!)一度、生き埋めにしたら綺麗に火傷も2枚舌も治った妹の豹変ぶり(どうなってんだ!?)そして今度こそ彼女を助けられた事に救われてはいたようですが、どうせなら彼の命も救われてほしかった、と残念に思えてならない登場人物でした。この映画の主人公なのにアッシュと違ってレギュラーキャラになり損ねたのも彼の不幸要素の一つです…ゴフッ!

 余談…登場人物の頭文字を並べるとアナグラムで「DEMON」になる所からもこだわりぶりが伺えます。こだわりの強さから「スペル」では使ったCGも今作では使わずに特殊メイクを多用することで頑張ったそうで…タイトルが「死霊のはらわた」でなければ(普通の新作ホラーだったら)こんなに叩かれる事も無かっただろうなあ(「アンチがいるのは人気の証拠さ。」とうちの弟は言うけれど。)と改めて残念に思えてしまったものでした…。

死霊のはらわた

2011.01.18
 かのスティーブン・キングに「恐ろしく斬新だ。」と絶賛されたカルト映画の古典とも言えるサム・ライミ監督衝撃のデビュー作です。(現在ではむしろスパイダーマンシリーズで有名な監督ですが。)20歳で低予算の中で作った作品であり(メイクに到っては化粧品どころかアクリル絵の具を使っておりスチールたわしでこすり落としたとか。)公開された映画館も少なく本来誰にも注目されない所がビデオの普及で口コミで評判が広まり全米で最も盗まれたレンタルビデオ(借りようよ、皆!)となった後めでたくシリーズ化されたとの事でした。「悪霊の視点で画面を撮る」のもこれが初めての作品だったそうで映画界のルールを書き換えた作品としてその後数多の作品で真似されたそうです。

 シェリル姉さん(エレン・サンドワイズ)…「ケガね。したわ。すり傷だらけになった。」

木に強姦されるシーン(足を蔓で開かされるのは聞いていたもののラストの棒は聞いておらず本人も驚いたそうです。それさえ無ければ「殺されそうになったものの未遂で逃げ去る普通のシーン」として私も何の気まずさも感じずに家族にお勧めする事が出来たんですが…。)の後では4度以下の霧の夜の中を破れたナイトガウン一枚で森を走る羽目になり画面の傷は全部本物だったというオチがあります。(昔の女優って大変だったんだなあ…。)弟(アッシュ)と仲の良い姉がカップル2組の旅行に同伴してついてきたせいで一緒くたに犠牲になってしまった彼女。お邪魔虫になるのは状況的に目に見えているのだから最初から来なければ良かったのにとツッコミを入れても後の祭りでした…ゲフッ!

 シェリー(テレサ・ティリー)…「おかげで助かったよ。どうもありがとう。あんな燃えたぎる火の上にいたら肉が焼けただれる所だった。今度はお前のその体を焼いてやる!」

お礼を言うなんて、この悪霊はちょっといい奴?と思ったとたんに着いたオチがこれでした。「憑依を解くには体を切断するしか方法が無い」(憑依が解けても死ぬじゃないか!)というルールもこの作品が最初だったそうですが、切断して何の利点があるのかというと筋力はあっても念力は無い憑依者達はバラバラにされれば襲ってこない(鉛筆で足を貫通させるほどの肉体的力はあっても飛行能力は無いから)というだけで別に正気に戻る訳でも何でもないという嫌な現実が描かれていました。おかげで真っ先に恋人にバラバラにされて殺され友人によって埋められた彼女。友情も愛情も命の危機の前にはあっさりと吹き飛んでしまうようです…ゲフッ!

 リンダ(ベッツィ・ベイカー)…サム・ライミ監督「角材で殴られるシーンは裸で撮るべきだったな。」
ブルース・キャンベル「断られるよ。」

実際には本物の角材でなく発泡スチロールをメイクしたものですが、そんな物で殴られたり悪霊にとり憑かれて笑っただけで往復ビンタを食らったり当時の女性の立場がいかに低かったかが伺える(こんだけドメスティック・バイオレンスな展開が繰り広げられても誰もそれを問題にしない。主人公の恋人であってもゾンビになってしまえば観客は皆「彼女を切っちまえ!」とアッシュの味方になったそうな。)そんな主人公の恋人です。ここで切断できなかったが為にアイコンタクト返しで誤魔化されて襲いかかられる羽目になる主人公。ご丁寧に生き埋めにしないで鎖で縛ったまま放置しておけば良かったのにとツッコミを入れても後の祭りでした…ゲフッ!(リメイク版だったら生き埋めにされた事で憑依が解けているんだけどね…。)足を鉛筆で貫通されてもゾンビになってしまえば平気で歩ける力強さ、ドアをブチ破って「誰~だ?」ができる恐るべき筋力にそんな彼女は嫌われても仕方ないなと主人公の愛が冷めた理由にも頷いてしまったものでした…ゲフッ!

 スコット(リッチ・デマニンコー)…「迂回路はある。だけどその間に森があって木に襲われて生きて出ることはできない。」

男でも襲われてしまうのか(…で、やっぱり凌辱の最後にはシェリル姉さん同様に棒が出てきたのだろうか?)と、ボロボロの体で帰ってきた彼(…。)に同情してしまったものでした。水を飲ませて貰うも、それで気が緩んだのかアッサリと死んでしまった友人です。が、こいつが考えていた事は他の友人や自分の彼女を見殺しにしても自分が逃げて助かることだけ(ていうか真っ先に己の彼女の四肢を切断した人物)だったので個人的には好意を持てませんでした。人が次々にゾンビになる姿を見てきた(彼までゾンビに変わるのは充分に予測できる展開。)なのだし、死体を傷つけろとまでは言わないけれど、せめて彼女にしたみたいに鎖を巻きつけて動けないようにするべきだったのでは等々、主人公の対応の甘さにツッコミを入れてしまった人物でした…ゲフッ!

 アッシュ(ブルース・キャンベル)…「なぜ俺を苦しめるんだ。」

普通、ホラー映画の主人公といえば(男→女に性別を替えられた「リング」しかり)「強いヒロイン」が定番なのですが下手すると怖がりで女々しい男にしか映ってくれずに大抵失敗してしまう「男主人公」で、よく最期まで息もつかせぬ映画を作り上げたな(むしろ男主人公の方が話に合っているとさえ感じるんだから凄いもんだ。)と別の所でも感心させて貰った主人公です。そうして最後まで頑張ったのに、プレゼントした虫眼鏡ペンダントを使ってまで死者の本を焼いても、昔の子供向け粘土細工映像よろしく滅んでくれるのは憑りつかれた人間の肉体だけ。(リメイク版だと何をしても燃えてくれない本なので、こういう事態にはならないんだけどね…。)別に悪霊が全部一緒くたに滅んでくれた訳じゃなく呪文を流して呼び起こしてしまった時点でアウトであり、最後はこの人にまで取り憑いてゾンビにしてしまった(でも他に人が一人もいないから映画としてはこれで終わりです。)という終わり方には「…。」と思ってしまったものでした。次作からレギュラー出演が決まったのはおめでたいけれど、次作以降は人間でなくゾンビに変わり果てているそうですし、そんなアッシュは見たくない、とどうにも触手が伸びない私でした…。

 余談…一応続編も出ているそうですが口コミ評価によると2、3作目はよりコメディ(笑い)に走った展開になっている(それが「アダムズ・ファミリー」並のコメディにまで昇華しているのなら良いのだが「永遠に美しく」がコメディの欄にあるTUTAYAで相も変わらずホラーの欄にある辺りは…。)そうで非常に不安を感じるのでリメイク版のみで私の「死霊のはらわた」記は閉じる事にします…。

ターミネーター2

2011.01.17
 「タカミネーター」というパロディドラマが「とんねるず皆さんのおかげです」でも作られてしまうほど公開当時、話題が盛り上がっていた2作目。(興行収入もシリーズ歴代最高を誇る。)おかげで「シュワちゃんことターミネーター(抹殺する側)が人間の味方になってどうするよ!」というお話としては1作目より盛り下がる内容(将来の夫とはいえターミネーターと比べれば明らかに脆弱な戦士であるカイル・リースしか味方がおらず、周りの人はどんどん殺され「こんなんで生き延びられるの!?」と不安一杯だった一作目に比べると「マッチョが味方についた」という明らかな安心感が…。)とはいえ思い出し笑いで爆笑ばかりしてしまい、レベルが下がったとはいえ最後まで眠らずに見れる程度の秀作には仕上がっており個人的には満足な逸品です。3作目以降はパロディが作られる程の話題性すら起こらずフォローの仕様が無いですが…。

 ジョン・コナー(エドワード・ファーロング)…ジョン「急所を外せって言っただろ!」
タカミネーター「男の急所(股間)を、外した。」
ジョン「……。」

タカミネーターでは「これが未来のチップかあ~。」とポテトチップをボリボリ食べていた(貴重なチップを食うなよ!)緊迫感ゼロの子供(by木梨憲武)でしたが、本物の映画では「人を殺しちゃいけない!」というジョンの言葉を受けてターミネーターは銃をぶっ放すも急所を避けて死人を出さなかったり「信用できない悲しみも感情も無い機械」(byカイル・リース)であるはずの彼に徐々に「人間の感情」を理解させるに到る大事なキーパーソンの役割をも果たしています。…が、後に人類のリーダーになるジョンを抹殺するんなら行動力バッチリの少年に成長するもっと前、一作目と同じく彼が生まれる直前にタイムトラベルした方が無難じゃないのか?という基本的な疑問が湧いて出て(まあ、立派な女戦士の道を歩んでも妊婦役でアクションは無理だろうという常識的なツッコミから、その案は却下されたのでしょうが…。)今一つ話のリアリティには欠けてしまったものです。未来が変わり始めた(スカイネットの開発が頓挫した。)のならジョンが人類のリーダーになる未来も、現在の戦士になる為の勉強も何もかも意味が無くなる(果ては未来から「父親」のカイル・リースを任務(護衛)の名目でサラの元に行かせる事態も無くなる。)訳で未来が変わってくれたのはともかくタイムパラドックスが起こり始めてやしないか不安にも駆られたものでした…。

 サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)…映画中では省略されていますが夫カイルの遺志を継ぎ立派な女戦士(という名のテロリスト)に成長した彼女はサイバーダイン社爆破を計画し、発覚・失敗して精神病院へ入れられた後だそうです。登場したしょっぱなから懸垂を行っており筋肉質になったなあ~(そして本来頭に回すべき栄養素を全部筋肉に回してしまったんだろうなあ~。)とおバカな顛末にツッコミを入れてしまった裏事情でした…ゲフッ!(一作目のラストシーンでは普通に車を運転して犬と一緒に写真撮ってたり、監獄に入れられる事も無く普通に行動できてましたもんね。そのまま影に隠れながら準備を進めていればその時同様に自由に動けていたでしょうに…。)1作目の出来事がトラウマになってか夫を殺した奴と全く同じ顔のターミネーターを信用しきれず思わず破壊しようとしたり(未来のジョンさん、顔くらい変えて送ってやって下さい。)息子に戦闘技術ばかり教えてマトモな教育も行って来なかった彼女。(「皆、こうなんだと思ってた。でも養父母の元に引き取られて見てみたら…友達はファミコンやってた。」byジョン)母親になったは良いものの「将来の指導者を作る」事にばかり夢中で子育てに一番大切な「息子の幸せ」がなおざりになってやしないか、たくましくなった成長に反して微妙に思えてしまった母の姿でした…ゴフッ!

 液体金属T-1000(ロバート・パトリック)…タカミネーター「お前、やるな。」
液体金属「お前もな…って隙あり!」
タカミネーター「あ、よくも腕を歯車の間に!あ痛たたた!……(作り物の腕ごと服を脱いで)待てえー!」

本物の映画では腕でなく腹を貫かれてしまった為に、そのままフリーズアウトしてしまいましたが、機能が進化して予備タンクが始動した為に復活→液体金属に銃弾を喰らわせた勢いで溶鉱炉に落とすという荒技をやってのけてくれたターミネーターでした。一作目の「マッチョで力押しするだけじゃダメだった!」という失敗を反省してか、今度は氷のように冷たい冷静な殺戮者(実際、映画中で本当に冷たく凍っている。←意味が違うから!)である変幻自在の液体金属を送りこんできたスカイネット側。将来の指導者たるジョンの抹殺を試みるのはまあ分かるのですが母親(別人)であるサラまで巻き込むのは何故なのか(囮として使う為…なら映画中でもやっている通り自分で変身する方が早いですよ?)自分で変身したのなら母親はもういらないだろ(ボロが出るのを防ぐ為にも変身したその時に殺っておくべきでは?)等々冷静な割に頭の方は悪い様子に「…。」と思ってしまった機械でもあります。機械は所詮、人間の代わりにはなれない(人間の感情や考えを理解する事はとっても大切。)という裏テーマももしかしたら有ったのかもしれません…ゲフッ!

 ターミネーターT800(アーノルド・シュワルツネッガー)…ジョン「やっぱり、あいつがいなくなるなんて嫌だ!戻れ戻れ戻れ~。」
タカミネーター「…まだ、溶け途中なんですけど~。」
ジョン「うわっ!キモい!やっぱお前いらないわ!下がって下がって~。」
タカミネーター「お、オイオイ!そりゃねえだろ!熱っ!やめろって!」ジャボン!

本物の映画では一度も考え直される事なく、じっくり溶かされていたターミネーターですが冷静に見ればそれもそれで冷たいよな~(今まで散々守って貰ってきて、いくら未来には邪魔な存在だからって、本人も納得している事だからって…ジョン、君は止めるべきだろ!)とふと思ってしまったラストでした。彼がこの時に言っている「アスタラビスタ、ベイビー(地獄で会おうぜ、ベイビー)」という「不良のあおり文句」は「さようなら」という意味のスペイン語で外国語圏(英語以外)ではそのまんま「さようなら」「お別れだ」などと無難に訳されておりガラが悪くなっているのは日本語吹き替え版位らしいです…。ちなみにアーノルド・シュワルツネッガーもリンダ・ハミルトンもシナリオも読まずに「この映画に出る」と契約書にサインしたそうで(正確にはシナリオ自体がまだできておらず「サラの息子が悪いターミネーターの標的になっててサラは精神病院に入院している。息子は良いターミネーターと組んでサラを助け出し、そして皆で世界を救うんだ!」という近所の中学生が考えたような非常にアバウトな案しか無かったそうな。)この映画への意気込みが感じられたものでした。

 余談…「ジョンはサラ・コナーとカイル・リースの息子なんだから!」とリンダ・ハミルトン(サラ)とマイケル・ビーン(カイル)に似た少年を探しまわった結果、見つけ出したのがド素人のエドワード・ファーロングだそうで「こういう映画を作るんだけどやってみない?」と誘い(キャメロン監督にも見せる為に)何枚も写真を取ったところ保護者に児童ポルノビデオ撮影と勘違いされ物凄く嫌な顔をされた逸話もあるそうです…。

ターミネーター

2011.01.16
 terminate(抹殺)という英単語から取ったであろうB級映画ですが、SF、ロマンス、アクションと色々な要素が複合された良くできた話に映画は大ヒット、それまで役に恵まれず泣かず飛ばずだったアーノルドシュワルツネッガーを一躍ハリウッドのスターに押し上げた有名な映画(それまではボディービルダーのワールドチャンピオンだったが、モデルが女優に転向するように、肉体美(見た目)だけではいつまでも仕事はできないと俳優として仕事を始めていた。)です。シリーズも4作まで作られた…そうですが、正直「見れるレベル」だったのは2作目までだよなあ~(3、4作目はいらないよ…。)と思ってやまない名作シリーズです…。

 人型潜入掃討アンドロイドT-800(アーノルド・シュワルツネッガー)…「I'll be back(また来る。)」

本当はキャリアの浅さもあって主人公であるT-800でなくカイル・リース役を希望していたそうですが、役候補としてキャメロン監督と話している最中に彼がターミネーターをやったら凄いインパクトが生まれないか!?(それまでのターミネーターのイメージは雑踏の中だと目立たなくなってしまうような、まさしく暗殺者然とした物だった。)とインスピレーションが下りてきて「君、ターミネーターいけるよ。」「い、いえいえ、ボク英語も下手だし、とてもいきなり『主役』なんて…!」「なお良いじゃん!ロボットという役柄上、饒舌に喋るキャラより、むしろ片言の方が非人間的な感じが出るし!」という感じにトントン拍子に配役が決まったそうです。おかげで映画は大ヒット、警察から出てきてまたすぐ(トラックで突進して)戻ってくるシーンの時に言う↑のセリフは以来シュワちゃんのトレードマークとなり続編や他の出演作でも多くセリフとして登場することになりました。(そういえば3のコマーシャルでも「She'll be back」って言ってたもんね…。)そんな風に彼が栄光の階段を歩く事になったこの一作目、テレビで放映される時には解説をした片山長春にも「お尻がキュッと引きしまって非常に良い体をしている」(解説で何言ってるの!?)とベタ褒めされており、確かにそのお体はさすがボディビルダーだ…と私も見惚れるほどでした。そのせいかどうか他の作品でも彼はよく脱いでおります…。

 ジンジャー・ヴェンチュラ(べス・モッタ)…マッド「まずはブラウスのボタンを一つ一つ外して…。」
ジンジャー「誰から電話?」
サラ「変態男。」

本作品のヒロインであるサラのルームメイトです。未来から送り込まれたT-800が抹殺対象は「ロサンゼルス在住のサラ・コナー」という情報しか与えられず(顔くらいチェックしろよ!)そんなサラと同じ部屋に住んでいたが為に非常に迷惑な人違いで殺されてしまった女性(じゃあ全裸で寝ていて明らかに別人と分かる「男」の彼氏は何故、乱闘の果てにターミネーターに殺される必要があったのか…思うに明らかに情事の後と分かる格好で寝ている彼に「余計な種をまいてスカイネットの危機を招いた『父親』はお前かよ!てめえのせいで俺はタイムトラベルまでして本来いらない仕事を背負わされる羽目になったじゃないか!」と誤解の果てに欝憤という名のやり場のない怒りが爆発したのでしょう。)ですが、イヤホンをつけずに料理していればもっと早くに異常に気付き、部屋の外に脱出→「ジンジャー、サラよ!今●●にいるの!」というご本人様からの電話によってターミネーターは移動、と死なずに済んだ展開を思うと悲しい顛末です。抹殺するならターゲットの特徴くらい捉えておいて下さいという話でした。

 サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)…「変な男につけられているのよ!お願い、今すぐ迎えに来て!」

そのストーカーのように尾行している男こそ彼女のお腹の子供の父親になる将来の恋人カイル・リースなのですが未来を知らない彼女の瞳には不審者としか映りませんでした…ゲフッ!この時に電話などかけずに放置しておけばジンジャー=サラ・コナーと誤解してブチ殺した直後であるターミネーターは「任務完了」(候補者全員を抹殺しました。)として未来へ戻っていたでしょうに悪いタイミングとは重なるものです。部屋を物色されたおかげで顔も覚えられてしまい、もはや「この女性がサラ・コナーです。」という偽物大作戦も使えなくなってしまった彼女。彼氏がいたにも関わらずカイルと関係を持つ尻の軽さにツッコミを入れるも、実は映画に出る際にリンダ・ハミルトンは監督とも関係を持っていたことが明らかになり(監督、アンタはカイル・リースですか!?)これはリアリティ溢れる「現実」を描いた物語だったのかとその辺でも感心したものでした…ゴフッ!

 カイル・リース(マイケル・ビーン)…「写真でしか君を知らなかったが、今では愛している……言うんじゃなかった。」

その偏愛が歓迎されればストーカーこそ最高の恋人(ストーカーに惚れてしまえば既に相手は「恋人」でありストーカーとは言わなくなる…が、現実に歓迎される事はほとんどありえない。)とはいうけれど、その典型的なタイプだったようです。おかげで未来の息子ジョンの思惑通り「自分を誕生させる」事にも成功しターミネーターの無傷の右腕と破損されたチップが残った為に「スカイネットの誕生」まで招いてしまうこの顛末。(ダメじゃん!)結局この「過去」は決まった未来を招く為に必要不可避な作られた物語でしかなく、嵐を予感させる未来はどんな事をしても変えられないのか、知らず続編への期待も高まってしまう終わり方に「作り方が上手いなあ~。」と改めて感心してしまった映画でした。

エス

2011.01.15
 もし、山村貞子の子供が存在するのなら、それは誰の子で今何をしている?(「リング」より)という一文から派生したのかリング本編終了後から20年近くの長~い時を経て久しぶりの「番外編」の刊行です。が、今でこそ映画化もされて超有名になった「リング」は刊行当時あまり売れず(厳しいこと言ってしまえば「たかがホラー小説」以外の何物でもなかったので注目する人間がいなかったのだろう。)賞を取った後に発表した「光刺す海」も今一つ(1年かけて書いたのに入ってきた印税は数十万。これじゃやっていけねえなと思ったそうです。)そんな時期に3年かけて書いた続編「らせん」が「パラサイトイブ」大ヒットの影響もあってか一週間で数万部単位の増刷がかかるほどバンと売れ(鈴木先生はとっさに手に入る印税を頭の中で計算してしまったそうです。)これを機に貧乏生活から脱出したという感慨深いこのシリーズ、久しぶりの「続編」にオールドファンも感無量だろうなあ(まあ、私もその1人で思わず映画版・小説版を見返してしまったものだが。)とせっかくの機会なので合わせて語っていく事にします。

 丸山茜…「孝くん、1人で悩まないで。私だってあなたを助ける事が出来る。信じて。私にはその『力』がある。」

その言葉通りに孝くんの不眠症の原因だった新村裕之(妻・茜をつけ狙っていたストーカー男)を持ち前の超能力で排除していた彼女。(そんな「力」を始めから持っているのなら正体不明の男に尾行された位であそこまで脅える必要は無い気がするが…。)結局彼女は貞子コピーではなかったものの貞子の娘として尋常ならざる力は立派に受け継いでいる様子で(貞子の母親の志津子も超能力者だったし、この力はおそらく代々遺伝するのだろう…。)こうなると本来おめでたいはずの妊娠(出来ちゃった婚)も複雑な様相を呈してくるな(貞子が滅んでも、その力は脈々と受け継がれているって…別の意味で怖い。)と種を撒いたご本人とは言えとんでもない女を妻に迎えてしまった安藤孝則に同情もしてしまいました。新村裕之が何者かに操られるかのように電車に飛び込んだその時間帯に茜が何故か誰にも邪魔されないように携帯の電源を切っていた(偶然と片付けるにはタイミングが良過ぎる不審な展開)から真相を薄々感づきながらも「世の中には知らずに済むのであれば知らぬままでおいた方が良いこともある。」(それは「知らなかった」のではなく「見て見ぬふりをした」と言うのだと思うが…。)と全てに目を瞑った孝くん。思えば水難事故で一度「死んだ」孝くんが復活して今ここにいるのもその「力」のおかげですし自分には何も言う資格は無いと悟ったんでしょうね…ゲフッ!

 安藤孝則…竜司「俺とお前は同じ過去を持つ。共に貞子の子宮から生まれた。お前の父親はからくりを知った時にお前自身が余計な疚しさを抱く事を心配してそいつを必死で隠そうとした。世の中には知らずに済むのであれば知らぬままでおいた方が良い事がある。」

現実問題、交通事故など「予期せぬ事故」で子供を亡くす親はごまんといるのに安藤家だけが亡くした子供を取り戻す事が出来たのは狡い話で、しかも人類を売る代償と引き換えだった交換条件(読んだ人間を一週間で殺す魔の本「リング」を世に解き放つのを黙認した)を考えるとそんな出生譚は確かに知りたくもないな(知った息子は当然の展開として物凄く悩む事だろう)と竜司の言葉に頷いたものでした。つまり彼が年齢よりも若く見られるのは復活するまでに2年間のブランクがある(肉体が戸籍上の年齢よりも若い)おかげで「1度死んでいた事実」を予期せずして知ってしまう(予告無しで戸籍謄本を見てしまう。)為にも「出来ちゃった婚」となる必要性があったのだろうなあ(しかし両親に反対される心配が無いと予測がついても避妊位しろよ、お前ら!)と伏線の上手さに唸らされた展開でした。結果として桃太郎よろしく老夫婦に拾われて育てられたという出来の悪い父親の嘘は全て崩されてしまった訳ですが、孝則復活の前に父自身が貞子と関係を結んでいた事など家庭崩壊につながりかねない「らせん」での秘め事は表沙汰にならず、その後、妻との間に妹という第2子まで作った安藤満男のリア充生活(奥さんとそこまで上手くやり直せて本当に良かったですね)も伺え、もしかしてシリーズ中一番幸せになったのはこの父親ではないのかと別の面でも注目してしまった、そんな後日譚でした…。

 丸山真砂子(山村貞子)…竜司「彼女は子供を産みたかったのだ。だが産める身体ではなかった。そこで悪魔と契約を結んで…沢山の子供を…」(「リング」より)

「リング」の続編「らせん」では沢山の山村貞子を世に生み出し、あまつさえ高山竜二や安藤孝則までその特異な子宮で産み落とした彼女でしたが、それはどれもこれも「他の人間のコピー」であって「彼女の子供」ではないというジレンマを彼女は感じていたのかどうか、この本では子供(茜)を一人残したという結末に到っています。「らせん」において復活を果たしたものの両性具有(睾丸性女性化症候群)がパワーアップ(!)して子供を産める機能が備わっても男としても女としても生きられずに死ぬ死に様は変わらないままだったのは、まあ哀れとは言えるので、貞子の幸せを考えると肉体は滅んでも娘と一緒に年を取りながら過ごしている現在の生霊状態は幸せな部類とは言えるのでしょうね。そして子供を作るお相手として、元恋人(復活時の25年後は立派に妻子持ち)で短編集にて早々に死んでしまった(下半身はまだまだ現役だったが子供を作る間もありゃしなかった)遠山さんを除外すれば、こんな怖い女相手でもその気になれそうなのは確かに竜司位のものかもしれないと納得はしたものでした。半世紀(25年)前の念の力で人まで殺せる超能力を持っていた貞子なら年に一度の割合とはいえ娘だけに見える幻覚として姿を現せることができるのにも何の不思議は無いと序盤の「母の謎」についても合点も行ったものです。とはいえ「リング」で一番感情移入できたのは主人公の浅川であり彼と彼の家族を破滅に追いやった張本人の貞子だけが子供を残してのうのうと天寿を全うした展開は個人的には微妙な物を感じる私ではあるのですが…ゲフッ!

 柏木誠ニ(高山竜司)…「茜は真砂子(貞子)と俺との間の確かな行為の結果として生まれた。愛情が介在した事をどうか信じてほしい。」

高山竜司=二見馨(「ループ」の設定)で考えていた私にとっては「現実世界」で杉浦礼子との間に1子をもうけておきながらてめえ、浮気してたのかよ(それもよりによって貞子と!)と思わず憤りを感じてしまった展開でしたが、冷静に考えてみれば前世にも等しい「現実世界」のその目で見ることもできない妻子の為に「人生」を童貞のままで終わらせるのも男として哀れな話ではある(「処女のまま死にたくないって気持ちはそんなにバカげてるのかよ。俺だったら、もし俺だったらやはりそう思うぜ。童貞のまま死ぬのは嫌だってな。」と「リング」でも言ってたしね…。)と矛を収めるに到ったものでした。娘を作っても子供と暮らす事よりも次元を超える旅に出る方を選んでいる彼。肉体が無実の罪で死刑に到った以上彼が存在し続けるにはもうそれしか手が無い(貞子という復活のツールが無くなった以上ループ界でも死ぬしかない)のは分かりますが自分の子孫を残せてから死ねて娘(茜)との誤解も解けて、少なくとも誰に看取られる事も振り返られる事も無いまま死んだ死に様は「バースデイ」と同じ(「最後に自分の顔を思い浮かべながら死んだ」事で礼子は感動していたが感動したのは礼子1人だけでその時彼の周りにいた人間は誰も注目していない点は痛かったな…。)でも多分色々と納得して「次の世界」に旅立てた幸せな死に様・生き様だったのではないかなと彼の為に納得することにしました。孫の顔までは見れなかったものの娘も結婚して落ち着いているし幸福な最期ではあったのでしょうね。

ループ

2011.01.13
 まさか「リング」→「らせん」の今までの流れが全てコンピューター内の仮想空間の出来事だったなんて…と「ループ」の設定(貞子も竜司も浅川も、登場人物全員が機械で作られた世界の上に存在する人工生命に過ぎなかった。)自体にちょっとガッカリしたものでしたが、前2作を書き終わった時ですらこの続編ストーリーが全く頭になかったのに関連させながら新しくここまでの話を書ける事は驚嘆に値すると評価はできたものでした。謎解き(馨=竜司)自体はオチが見えていたもののホラー要素に頼らず貞子ワールドと化した「らせん」のラストを見事に収集させた手腕は見事と完結編に拍手したものです。

 二見馨(高山竜司)…「安藤、安心しろ。世界はお前の考えているようにはならない。お前が考えている滅亡の図は一度その通りに進んだ。しかし今度は違う。何故ならそのためにこそ俺が帰ってきたのだ。」

事件のカギを握る「高山竜司」は実は僕でした(進んだ科学技術をもってしてDNA情報を元に赤ん坊から再生されたクローン人間でした。)というオチは途中から読めていたものの、彼を「この世」に招いた為に貞子ウイルス(リングウイルス)の変異である転移性ヒトガンウイルスを研究者を中心に世界中にばら撒いてしまい(悪い事にループ・プロジェクトの為に世界中から研究者を集めており、ガン化(プロジェクトの凍結)と共に研究者達は故国に帰っていた。ウイルスと共に。)世界の危機を招いてしまった創始者エリオットのうっかりな顛末、治療法を得る為に馨の肉体情報が必要だけどニューキャップで調べたが最後、液状に溶けて死んでしまうというお約束オチ(人類の為に死んでくれ!)には微妙に思えてしまった顛末でした…ゲフッ!という訳で貞子ワールド化寸前の時間帯から「やり直す」為に善玉に生まれ変わって古巣(ループ界)に戻ってきた高山くん。おかげでわずか20年という短さで「現実世界」では死ぬことになったのですが20歳という若さで早くもパパになったって凄い生涯だな(その若さで妊娠した恋人に「俺、まだ学生でアルバイト生活している極貧男だから堕ろしてほしい。」ではなくためらいも無く「産んでほしい」と言える男はなかなかいない。そこまで愛しているのか、あるいは現実が見えてないのか…取りあえず前者と解釈しておきましょう。)と子孫を残す事にはちゃっかり成功している彼のリア充人生には拍手してしまったものでした。(普通は…晩婚化が進んだこの時代に子孫なんか残してないぞ、20歳という若さでは。)

 杉浦亮二…「僕、いなくなるから、後はちゃっかりやってよ。」

時間にして10分足らずの出来事でも検査前にはきちんと服を着ていた母親の背中のファスナーが下がっている、部屋が何か臭いなど状況の違いから同じ男の彼には一瞬で何があったのか分かったのでしょうね。(また10分足らずでそんな事ができるからこそ今までだって数分の隙を見つけてはヤッていたのではないかと誤解も生まれそうな気がする…ゲフッ!)元々「ほら、寝てるママに触りたいだろ。いいよ、僕が許可するから。チャンスをあげるから。」と挑発していたご本人ではあったものの実際に母親に触れる事を選んだ馨を見て「やっぱりアンタは僕じゃなくてママの方が目当てなんだね。」(親しげに接してくれてるけど僕は所詮ママに近づく為の口実に過ぎないんだ。)と白ける気持ちは有ったでしょうし、母親の方まで馨の恋人になってしまったことで(息子の自分よりも恋人である馨の方に夢中で神聖な病院で検査の時間を狙ってまでセックスしていた…と、取られてしまっても仕方ないし、実際に行った行動はその通りである。)自分は誰からも2の次の存在(むしろ存在しない方が良い邪魔者)になってしまったと思わず死にたくなる気持ちは少し分かる気がします。(長い闘病生活で友達が一人もおらず嫌味を言いながらも母親だけが彼の全てだったという事実も気持ちに拍車をかけた事だろう。)先立つ不孝(自殺)は確かにこれ以上ない親不幸な行動だけれど引導を渡している(原因を作っていた)のが親である以上彼一人を責めるのは難しいなと感じてしまった最期でした…。

 杉浦礼子…礼子「(↑のおかげで子供が)できたらしいのよ。」
馨「産んでほしい。」
礼子「息子が自殺した直後に、ウイルスのキャリアの私に向かって、よくも安易な言葉を吐いてくれたわね!」

病院でそんな事をした挙句に避妊までしなかったのか、お前ら…とどこまでツッコミを入れれば済むのか手に負えない展開の連発には衝撃を通り越して度肝を抜かれてしまいました…ゲフッ!彼女は被害者顔しているけれども一人じゃ子供は作れない(自身がウイルスのキャリアだと承知の上で馨本人に感染する危険性も忘れて合意の上でセックスした←馨に流された側面はあるもののあれはレイプではない)事実を考えると礼子は立派な共犯者(加害者)であり自己憐憫に浸る資格などないのではないかと多少冷めた目でも見てしまったものです。(本当に可哀想なのは情事に溺れた母親の姿に自殺するほど絶望した息子の方だろう。)そして「あなたは行くのよ、ウイルス治療法の鍵があるであろう、その土地に。」と問題解決を馨に丸投げにしているのも微妙で(他力本願かい…。)年を取っても美しさをキープしているのは大したものだが(これで美人ですらなかったら、ただでさえ病気の父親と精神不安定な母親を抱えて苦労しているのに同じ病気のコブつきの女性を選んでしまった馨はどこまでも報われない)性格はあまり良い女ではないなとガッカリしたものでした。(そもそもそれなりに大きくなった子供がいるのに20歳の男と情事に走っているって母親としてどうかと…ゴフッ!)馨の(子孫を残す)為には必要な(尻の軽い)存在ではあったのは分かるんですけどね…ガフッ!

 二見秀幸…「大切なのは遺伝子を受け継ぐことではない。親と子は接することにより絆を深めていくものだ。この20年間の俺とお前の関係を振り返ってごらん。お前は確かに俺の息子だ。」

この世界は仮想空間であるという真理に気づいた(でもって神の領域に電話までかけてきた)高山竜司の天晴な直観力に応じて彼の望み通り「こちらの世界」で生かしてあげようじゃないか…というエリオットの思い付き(!)によってDNA情報を元に再生された後、さあどこでこの赤ん坊を育てさせるかという時になって同じ「日本人」の親であれば周りにも気づかれないだろうとお鉢が回ってきたのが彼の所だったという事らしいです。(で、引き取ってしまった二見夫妻は12年後2人揃ってウイルスに感染して苦しむ羽目になったと…ゲフッ!)血が繋がっていなくても親子は親子、そう心から言いきれる関係は素敵ですがその関係こそが馨を苦しめる一因になっている(自分の肉体を調査(消滅)させない限り義父も義母も助からない)とは皮肉な展開でした。(ついでに馨の(内縁の)妻・礼子も妻との間に作った子供も立派なキャリアなので一緒くたに助からない。)続編短編「バースデイ」では取りあえず礼子の出産まで生きていた彼(どうやら治療法の発見は間に合ったらしいが胃の3分の2、肛門全部とS状結腸、肝臓の半分、と度重なる手術で切り取りまくった臓器は戻らない…ゴフッ!)ですが、それはそれとしていつまで経っても帰ってこない行方不明状態の息子の事を妻にどう説明しているのか色々気になってしまった終わり方でした…ガフッ!

リング

2011.01.11
 ボクシング物ではなくホラー物である映画「ザ・リング」の原作小説です。解説を書いている人でさえ「今までのホラーは映画においても実際にはスプラッターやサスペンスであり『怖い』と思った事はない。作り手が怖がらせようとしているのは分かるが僕が3日酒を絶った時に見た悪夢の足元にも及ばなかった。けれどこの物語を読み終わった時には1人でいることが無性に怖く新宿までタクシーを飛ばして仲間がたむろする飲み屋へ駆けつけてしまった。」ほどに怖い話なのですが物語の骨子は「見ると一週間後に死ぬ恐怖のビデオテープの謎を解く」という非常にありふれた展開(不幸の手紙等々、この手の物はザラにある。)だったこともあり作品紹介だけを読んで棚に戻した人も多く物凄い傑作なのに刊行当時はほとんど注目されなかったそうです。(鈴木先生も横溝正史賞でなく日本ホラー小説大賞の方に応募すれば良かったのに、この小説。)このシリーズ1作目が真の評価を得るのは3年後、続編「らせん」の大ヒットを待ってからの話でした。

 浅川和行…「俺は家族を守るために人類を滅ぼすかもしれない疫病を世界に解き放とうとしている。…後悔なんてしない。俺の家族が防波堤になる義理などどこにも無い。」

自分は無意識のうちに「オマジナイ」(ダビング)を実行していた為に助かり、竜司は死亡、残る「ビデオを見た人間」はエロビデオかと思ってうっかり見てしまった浅川の妻子だけ(「夜中に男2人でビデオをつけたり消したり…どんなビデオなのか何となく想像がつくわ。」「何でそういう想像がついたビデオを1歳にならない年齢とはいえ子供と一緒に見るんだよ、お前!」と主人公が結婚して初めて妻を殴りたい衝動に駆られた心理が分かります…ゲフッ!)であり、この2人が何もせずに死ねば新たな犠牲者(ビデオを見てしまいオマジナイを実行せざるを得ない人間)はこの先一人も出ることがなく騒ぎはそのまま消滅するのですが…世界人類の為に自分の妻子を亡くした所で誰も褒めてくれないし、そんな尊い犠牲心は発揮するだけ損だとマスコミ関係者(新聞記者)である浅川は十二分に分かっていたのか、妻子の為にビデオを増やす暴挙に出てしまっていました。惜しむらくはそこまでして妻子の方を選んだのにオマジナイ(増殖)の意味を履き違えて妻子は救えなかった続編「らせん」の後日談ですかね…。(「記事」にする為に逐一記録を取っていた浅川は殺したら損だと貞子も見逃したが、たかがビデオ一本分しか増えない妻子の方はそのままブチ殺された。)妻子の死亡に前方も見ずに追突事故を起こして植物状態になってしまう彼の未来にはただ涙するしかありませんでした…。

 高山竜司…「期限を切られるなんて面白いじゃねえか。罰は死…いいねえ、命がけじゃなければ遊びは面白くねえ。」

もし、竜司が死ぬ運命に陥ったとしても知ったことか。人類の滅亡を見たいなどという奴には長生きする資格は無いと浅川も彼の命に対する気遣いを失くしてビデオを見せて積極的に巻き込んでいきまいたが…何はともあれ竜司が浅川の為に命がけの道を一緒に歩んでくれた事実には変わりなく、彼の性格の問題点や真意はどうあれこの人はこの人で良い友人だったのではないか(他に「俺も一緒に頑張るよ!」と自分の命を危険に晒す危険を充分に分かった上でビデオを見てくれた「真の友人」は一人もいない。)と評価には到ったものでした。婦女暴行犯(後に竜司の大ボラだと分かる。)であり浅川の妻にさえ出禁を食らった男(「いやあ、最近の女子大生は酒も強いしアッチも強い。参ったね。」「あなた、お願いだから、もうあの人を家に呼ばないでちょうだい!」by静)であっても友人の為に東奔西走してくれた行動は真実で(彼の尽力のおかげでビデオを念写した人物が方言からどこの出身だったか突き止め、それが誰なのか超能力ネットワーク(記録)から犯罪者でもないのに割り出す事が出来た。)浅川に見せていた「下品な悪党」の顔も実は演技していただけだったという不器用な生き方と共に好感が持てたものでした。最も同じ女としては主人公の妻と同じく、こいつと親しくお付き合いするのはやはり御免こうむりたいという評価しか出ないのですが…ゲフッ!(主人公も自分で疑問に思っていたけれど何でこんな奴と友達やっているんだろうね…?まあピンチの時には滅茶苦茶頼りになる豪胆さを持っている事は確かなんだけど、そのピンチ自体が人生にはそんなに訪れない訳で…ゴフッ!)

 高野舞…「高山先生、私の前では10歳の純真な坊や、そこに第3者が加わると紳士、そして浅川さんの前では悪党を演じてらしたんじゃない?そうやって演じ分けなければ、先生、この社会で生きていく事ができなかったのよ。とても純粋な方…チャラチャラした男子学生なんて比較にもならない。」

竜司が舞に対してほのかな好意を抱いていたのも分かる、舞もまた竜司の知性や純粋さを尊敬し特別に思っていたのも分かる、けれど結局、料理、洗濯など「恋愛の真似事」はしながらも体は一切彼に許さず(真似事は所詮、真似事に過ぎず、結果、竜司は童貞のまま死ぬことに…。)そのくせ自分の所有物(手柄)のように他の男達の事を彼と比較して見下している彼女(別に「チャラチャラした男子学生」をわざわざ卑下する必要性は無いだろ?竜司も男子生徒達もどっちもアンタの物ではないのだし貴女に「評価を下す」資格自体が無いんじゃないですか?)が…なんか、あんまり良い女じゃないなぁ~と個人的には好きになれなかった女性でした。(この人が竜司と本当に特別な仲だったのなら「そりゃ恋人至上主義となってしまうのは恋愛の定石で他の男皆がイモに見えてしまうのも仕方ないよね。」と納得できるのだが、竜司に何のいい思いもさせないまま死なせた経緯も含めて彼女でもないのに何様だとしか思えない。)おかげで続編「らせん」で早々に死んでしまっても短編「バースデイ」で死に至る経緯が詳しく描かれてもあまり同情できず読みやすかった面はあるのですが…竜司も竜司で恋愛対象にする女性は選んでほしかったと残念に思ってしまったものでした…。(その願いが通じたのか続編「ループ」では礼子と、「エス」では貞子との間にそれぞれ1子を儲けているリア充にも程がある竜司の生き様が描かれていましたが…ゲフッ!)

 山村貞子…竜司「怨念だな。マスコミだけじゃねえ、最初は超能力ブラボーなんてチヤホヤしておきながら趨勢が変わるや嘲笑を浴びせ家族を破滅に追いやった一般大衆への恨み。山村貞子はそういった世間の風潮を肌で感じ取っていたはずだ。」
浅川「だからって何も無差別な攻撃を仕掛けなくたって…。」

念写、透視、予知の超能力を持つ母親は皆からインチキ呼ばわりされるのを苦に自殺してしまい、父親は「じゃあ皆から何を言われても立ち向かえる俺が超能力を身につける!」と山ごもりをしたせいで肺結核になってしまい、貞子自身はそんな父親が入院している療養所にお見舞いに行った所を担当医師に強姦された末に殺されてしまった(しかも当のレイプが初体験…。)というまさしく大衆に人生を狂わされてしまった生き様でしたが(それは哀れに思うのですが)事件が起きたのは30年近くも前、だったら当時の大衆に復讐すれば良い話でその時生まれていたかどうかも怪しい浅川さん達に矛先を向けるのは違う(当時の大衆の子供達を奪う方が精神的ダメージは確かに大きいかもしれないけれど当の大衆自身がかつてバッシングを浴びせた超能力で自分の子供が死んだことを分かっておらず、貞子達にした仕打ちさえ忘れ去っている今、あまり意味が無い気がする…ゲフッ!)と思えてならなかった私でした。(多分、当時の大衆の皆さんは原因も分かっていない上に後悔さえしてないよ…。)本人は生前女優を目指していた(で、大衆を利用する形で見返そうとした。)そうですが劇団の皆とさえ上手くいかずに夢を諦めた直後(「頭も良かったし演技の勘も悪くはなかった。でも性格的に欠陥があったからねぇ。この世界、要するに人と人との関係でしょ。彼女のような不気味な性格だとちょっと合わないんじゃないかな。」by有馬)に殺されたのもあって余計に怨念は募ったようですが(でも女優として成功しなかったのは君自身の性格のせいだよ。)だから、それなら関係者だけを祟れよ、と改めてツッコミを入れてしまったものです…ゴフッ!

ザ・リング

2011.01.10
 ハリウッドのリメイク版です。低予算映画だったにもかかわらず空前絶後の売れ行きを誇りアメリカでジャパニーズホラーブームが起きたほどの快挙を得るのですが惜しむらくは続編に到っても「(つまらない)日本映画のリメイク」を繰り返してしまい2では見事に失敗してしまった(ここは小説版同様主人公交代をして「らせん」の素晴らしいどんでん返しストーリーを紡いでほしかったです…。)事ですかね。日本映画版は「リング」からしてつまらなかったので、それを考えるとリメイク版は評価に値すると「タイムリミットのある謎解きミステリー」として満足感が得られた映画でした。

 レイチェル・ケラー(ナオミ・ワッツ)…ルーシー「答えを見つけて。真実を突き止める事が仕事でしょ。」

小説版では母親に頼まれた訳でもない(↑のセリフなんて言わずに普通にお葬式をしている。)のに「これは新たなウイルス発見という超特ダネのチャンスでは!?」と18歳の女子高校生の部屋を無断で物色したそれはお前、男としてどうなんだよ?とツッコミを入れたくなる微妙な行動を見せてくれた主人公ですが(思うに、だから日本版もハリウッド版も主人公が「女性」に変更されたんだろうな…ゲフッ!)映画版では始めから姉に頼まれての調査開始だったと正当な理由づけがなされています。真実を突き止めてしまったが為に2作に渡ってサマラにつきまとわれてしまう彼女な訳ですが、それでも息子を助けるために実の父親を犠牲にしようとした浅川さん(日本版)よりは「他人」に照準を合わせた分だけ彼女は立派だったかな、とちょっと見直した展開ではありました。最後には家族に対する甘え(「ビデオを人に見せて中傷されるのは父の役目、自分が加害者になったことさえ隠蔽する)で問題解決しようとした浅川に対して、自己責任において解決したレイチェル(他人から「あの人、自己保身の為にあんなビデオを人に見せるような人間だったのよ。」と言われる役目も臆さず堂々と悪役になった。2では周りからの中傷に耐えかねてか田舎に引っ越している。)は「家族だから許してくれるだろう」という甘えから愛しているはずの家族(父親)を命の危機に追い込める日本版よりも好感は持てたものです…ゴフッ!

 ノア(マーティン・ヘンダーソン)…レイチェル「大人になって!これじゃ以前と変わらない!」

それが1対1で付き合っている間ならまだしも本当の子供が出来て、図体だけは大きいけれどマイペースな子供(夫)と一緒に抱え込む羽目になったその時には大の男の面倒まで見きれない(こんなでかい息子を産んだ覚えはない)と切り捨てざるを得なくなった経緯がなんとなく透けて見えた…ものでした…ゲフッ!別れた夫だから愛情が皆無だったのかと思いきや「彼がもっとしっかりしてくれれば私もちゃんと付き合っていけるのに。」と未練がましく頼りたい気持ちはあったようで(それなら一週間後に死んでしまう呪いのビデオなんて見せずに息子を引き取ってもらう算段をしておくべきだと思うが…ゴフッ!)相談にかこつけて巻き込んでいる妻も妻で結構勝手な気はしました。小説版では映像の意味を解析したり出てくる方言を調べたり頼りになる男だったのですが、映画版では「学生レベルのイタズラだろ。」と協力するのもギリギリになって(ヤバイという自覚が出て)からというやる気の無さぶりで、やっぱり相談する相手を間違えたのでは?と思えてならない協力者でした…。(小説版では「まず俺にもビデオを見せろや。」と積極性抜群な男だったのにね…。)

 エイダン・ケラー(デヴィット・ドーフマン)…エイダン「僕を作ったのは『若かったから』。母さんから聞いたよ。」
ノア「僕の父親が酷い父親で『良い父親』になれる自信が無かったんだ。君に僕以外の父親を…持たせたくない。」
エイダン「難問(コナンドラム)だね。」

小説版ではわずか一歳の赤子であり母親が暇つぶしに(!)ビデオを見る際に膝の上に置いてつき合わせてしまったが為に巻き込まれた不遇の子供でしたが、そんな母親はあまりにあんまりだろう、という主人公及び読者の嘆きか映画版では日本版・ハリウッド版と共に「息子が自分で見てしまった」(まあ、どっちにしろそんな危険な物を子供の手の届く所に置いた親が悪かったという母親の管理不行き届きの責任は否めないのだが…ゲフッ!)という設定に変更されていました。映画版では共に主人公とノア(高山竜司)の息子として存在している彼ですが当の両親はとっくの昔に離婚しており父親には新しい女の影が見え始めているという不幸せな展開の連発(原作小説では普通に両親に愛されてそんな現実の嫌らしさなど知らないままだったのにね…。)に思わず溜め息が出てしまったものです。ノアもノアで真面目に責任取る気が無いのなら↑のような期待を持たせる言葉など言うなよ(口先だけなら何とでも言えるさ)とツッコミを入れてしまった難しい家庭の問題でした…ゴフッ!

 サマラ・モーガン(ダヴェィ・チェイス)…ノア「井戸に落とされるなんて…どのくらい生きていたんだろう?」
レイチェル「7日間よ。生き延びて、せいぜい7日。」

何で一週間なんですか?という問いは小説版でも問われたのか続編小説「ループ」では処女(高野舞)が神の子(貞子)を産み落とす事も、一度死んだイエス(貞子)が「一週間後」に生き返る事も仮想空間であるこの世界では可能であり違和感はないと聖書との関連を持って答えが出されていますが、映画関係者はそこまで風呂敷を広げると収拾がつかなくなると危惧したのか、はたまた単純に続編を読んでいなかったのか(禁句)この映画では超能力少女サマラが死ぬまでの期間という事になっています。タイトル(リング)に反してこちらの家族の「輪」は娘を井戸に放り込んだ挙句に精神的に病んで自殺した母親といい、風呂場にテレビを持って行って感電死した父親(ブラウン管テレビなんて重い物を持っていかずに普通に風呂場にコンセントを落とせば良いと思うが…。)見事に破綻してしまったモーガン一家。復縁の兆しを見せた主人公一家とは正反対かと思い気いやラストのノアの死でケラー家の家庭もぶち壊れてしまいこれは家族の「輪」(リング)が揃って壊れる話だったのか(冒頭からしてレイチェルの姉が最愛の一人娘を亡くしているしな…。)と納得した話でした…ゲフッ!

 余談…日本版ではテレビから出てきた後、匍匐前進でズルズル近づいてくる貞子の姿に(腰を抜かさずにいれば)走って逃げて無事に済みそうだったのにハリウッド版では瞬間移動してまで近づいてくるので逃げようがないな(この映画はいつからドラゴンボールになったんだ?)とも感じた幽霊でした…。

チャイルド・プレイ2

2011.01.08
 昔「学校の怪談」という本がありまして、その何冊目かに「テスト問題を作っていた先生が過労死してコピー機の上に倒れたせいで死に顔が人数分コピーされた」という話があったのですが、そうタイミング良くコピー機の上で死ねるものか?とずっと不審に思っていた所この映画を見てエピソードのパクリだという事が分かったという思い出があります。1で人形をあれだけしっかり破壊し(過ぎ)ただけに2作目以降を作ることは不可能だろうと思っていましたが、どんな荒業を使っても続編を作るのが映画界でした。1作目がヒットしたおかげで製作費が上がり、チャッキー人形がより表情豊かになっている(しかしその内容は悪人面オンパレード…。)という制作サイドの余裕も伺える名作です。

 グッドガイ人形…重役「問題の人形を回収して黒焦げを完璧に再現しました。」
社長「君、テープの異常だけを確認すればいい話で外見をいじくる必要はないのではないか?」
重役「…あ。」

作業員が勝手に別の言葉を吹き込んだせいで子供の精神に異常が出たのではないか?(これは会社の監督責任だろ?)という噂払拭の為に問題の人形(チャッキー)を回収した会社側でしたが手作業を使ってまでいらん作業(復元作業)をする必要性が今一つ分からないのは私だけではないはずです。(復元しないと物語は始まらない訳ですが。)そして感電死した作業員という犠牲者を出してまで復元したのに出来た人形は処分の運びへ。(「ケツに突っ込んどけ!」)無駄なコストをかけて意味の無い作業をしてるのに高い給料を貰っている堕落ぶりはさすが会社の重役です。(これじゃ実力主義のアメリカ会社じゃなくて日本の年功序列システムですよ…。)物語終盤では工場にて迷路が作れる程大量に積み上げられた人形の箱の他、それでも足りずに人形を作っている制作過程が見られますがアンディ事件が話題になって売り上げが落ち込んでいる中、一体誰がこんなに沢山の人形を買ってくれるのか?という現実に即したツッコミを入れずにはいられずむしろ物語より会社のその後の方が余程怖いと思ってしまった私でした…ゲフッ!

 チャッキー(チャールズ・リー・レイ)…「アンディ、会いたかったぜ!」

というチャッキーのセリフが2作目のコピーでした。(アンディの意見は確実に違いそうですが…。こんな粘着質野郎、普通に嫌です。)復活したチャッキーはドラゴンボ●ルのキャラクターよろしく瞬間移動能力まで会得してしまったらしく玄関を見つけたと思ったらもう家の中に入っていたり(鍵はどうした?)鉄性ゴミ箱から音も無く家の中に移動していたりあり得ない移動能力を誇っています。(人形にあるまじき筋力といいこの調子では次作でかめはめ波位撃ち出しそうです。)しかし工場で挟まれた手を自分で引っ張ってもいでしまったり、ナイフで切りかかって挟まって抜けなくなったり(フック船長のように腕に入れ込んでいなければ逃げられたのにね。)頭の中のおマヌケぶりは未だ健在(おそらく頭の中も含めて体組織の9割以上は筋肉なのでしょう…。)で今回もアンディの体を手に入れるどころかフルボッコにされて終わっていました。この作品のテーマはきっと勧善懲悪なんだ(その割にアンディの人生は酷い物になってますが。)と改めて感じたものです…ゲフッ!

 ケトルウェル先生…「FUCK YOU BITCH」

字幕では「ファック・ユー」というカタカナ表記で(ビッチという単語もきれいに抹消されて)日本語訳を放棄されていたこの答案の落書きですが、ファック・ユーとは英語でくそくらえ!くたばれ!という意味の他に名詞で性交という意味を持ち、その後に続くビッチ(メス犬)という言葉から考えてもこの言葉の訳は良くて「くたばれ!犬娘!」(犬娘って「ゲゲゲの鬼太郎」の猫娘じゃないんだからさ…。)悪くて…あんまりこういう言葉は書きたくないのですが敢えて直で言ってしまうと…「このヤリマンのメス犬が!」という意味になります。そんな卑猥な単語を若干7歳の小学生が書くものだろうかという常識はこの女教師には通用しませんでした。最後はものさしで打ち殺されていた辺りチャッキーの物理的攻撃力は未だ健在(相も変わらず人形にあるまじき凄い筋力です。)だという事が分かりましたがそれにしても嫌な先生だったなぁ(この映画、色んな意味で子供の教育に非常に悪そう。)と認識を新たにしてしまいました…。

 フィル・シンプソン…養父の登録をしている割には子供は嫌いなようで子供を引き取っているのは博愛精神を持つ妻のジョアンに付き合っているだけという部分が大きいようです。その証拠か「回転」はいいらしく現在家にいるカイル姉さんは来てまだ3週間目でアンディの前にいた男の子も既に施設に送り返された後でした。(なのでギリギリまでアンディを引き止めたがるジョアンの気持ちが分かります。年齢の低い子程「人気」が高いので多少精神面が不安定でも「7才の男の子」は貴重なのです。)チャッキーを地下室に放り込んで「人形が生きているはずがない。」と完全否定していたのに、わずかな物音ですぐにピンと来て地下室に向かっている辺り問題があることを予感しながらも解決する気力は湧かずに無意識に封じ込めていた(問題そのものを否定して見て見ぬふりをした。)経緯が分かると共に「その時見逃したことは後で代償となって自分に返ってくる」という人生真理そのままの結末を迎えてしまいました。チャッキーを否定するのなら、そのまま袋詰めにして燃えるゴミに出してしまえば良かったんですけど…ね。

 ジョアン・シンプソン…子供好きの養母。しかし「他人の子供か夫か」という選択では子供の言い分は全く聞かずに夫の方を選んでいる(口では綺麗事を言いつつも結局最後には子供を見捨てている。)辺り夫とはやはり似た者同士だったと言えるでしょうね…。(子供を養育しているのは本当の愛情からの気持ちではなく上から目線でお情けをかけてあげているだけ。子供を授からなかった気持ちを埋める為の行動で子供と関わりたいという気持ちは実は2の次になっているのだ、この夫婦の場合は。)おかげでアンディは「あんなの家族じゃない。」と(チャイルド・プレイ3より。)すっかり養父母不信になってしまい、その後色々な家庭を転々とする羽目になってしまったそうです。カイル姉さんにショールを織ってあげたりと中々マメな女性ですが、そんな「献身的な自分」に酔っている部分もあるように思えます…ゲフッ!

 カイル…「頼れるのは自分しかいないんだって、そのたびに私は強くなったわ。」

1作目ではバットを構えたものの1撃も反撃できずに大人に退治して貰った所を今作では手酷い報復に成功しているアンディの成長を見るとなかなか象徴的な言葉です。(強くなったね、アンディ。)チャッキーに迫られているアンディを素敵にフォローしてくれるお姉さんですが犯人になりそうな大人が全員抹殺されてしまった以上、養父母や施設の先生を殺した犯人はカイルという事にされてしまいそうで(おそらくは同じパターンで前作でマギーおばちゃんや精神病院の先生を殺したのはカレン母さんという事にされてしまったのでしょう。いつまで経っても精神科から出られないのはそんな背景もあるんでしょうね。)彼女のその後も前途多難に思えてしまいました。3ではやっぱり出番はないですし不良との付き合いもあったようですし火災報知機には彼女の指紋が残っているはずですし…と色々考えて暗澹たる気持ちになってしまいました…ゲフッ!

 アンディ・バークリー…チャッキー「ハイ、アイム…トミー。アイムユアフレンド。ハイディホー。HAHAHA!」
アンディ「今、名前を言う時に言葉に詰まった挙句に目を逸らしただろ、お前…。」

思わず服をはだけて電池確認をしたくなる訳です。今作でも他人に信じてもらえない恐怖、助力を請えない状況に苦しめられながら自力で状況を打破していかなくてはいけない(そして今回は本来守ってくれるべき母親も精神病院に収容されていない。)苦労人の主人公でしたが、危機を脱したアンディ達に待っていたのは彼らにはもはや帰る家は無いという厳しい現実でした。(酷い話だ。)ともあれ、ただでさえアンディ事件が取りざたされていたのに人形復元時に死人は出るわ、工場では目玉に目玉を埋め込まれて吊るされた死体が発見されるわ、血まみれの塊となった怪しげな原型留めていない人形(チャッキー)は見つかるわ会社の評判はこの事でさらに落ちこむんでしょうね…ゲフッ!

 余談…手足を溶接されたせいで下半身を引きちぎって台車に乗って襲いかかってくるチャッキーでしたが、アップだから怖いのであって「イヤアァァ!」と足で蹴っ飛ばせば車輪の効果で一気に向こうに行ってくれそうだと思った(冷静に考えればさほど危険性は無い。)のは私だけではないですよね…?ついでにその前の股間に髪の毛を縫いつけられて動けなくなったチャッキーについて、あれはヘアー(髪)とアンダーヘアーをかけたギャグだと確信した(状況が状況だけに笑えませんよ、スタッフの方々!)のは…やはり私だけなのでしょうか…ゲフッ!

チャイルド・プレイ

2011.01.07
 人形が(ザコキャラとして)襲ってくるというホラー映画はそれまでにもありましたが(例「ポルターガイスト」。ピエロのクラウン人形が男の子をベッド(の下)に連れ込んだが「この野郎!」と体内の綿を抜かれるという反撃に合いあえなく抹殺された。子供にあっさりやられる程の弱いザコキャラぶりが伺える。)人形に殺人鬼の魂が乗り移って主役(大ボス)として物語を展開させていくという話はこのシリーズが初めてでした。(作られたのは十年以上も前ですが。)この映画のあまりの出来の良さに公開後に全米で人形を捨てる子供達が続出したそうです…ゲフッ!(人形哀れ。)

 グッドガイ人形…いくらテレビ番組で人気爆発しているキャラクター人形とはいえ100ドルというのはぼったくり過ぎだと思うのですが…。(1988年はバブル崩壊前なので1ドル123円計算で約1万2千円。それだけ出してまであんなグッドではない人形は欲しくないです…。)カレンの貯金が足りなくなる訳です。可愛い(…ようには見えないのですが)人形とはいえ無駄にデカイし、デカイ割には話せる言葉は3種類だけですし(キャパシティをかなり無駄に使って製造してるでしょ?)舞台がもし日本だったら絶対に売れてないなと確信を持ってしまいました。そしてそんな無駄に高い人形の宣伝をした後、着ぐるみのビッグ・グッドガイ人形はこう続けます。「いろんな付属品も別売りであるからね❤。」この上まだ金を搾り取るつもりですか、プレイ・パルズ社!と思わずツッコミを入れてしまいました…ゲフッ!
 ちなみにこのチャッキー人形、現実にも売っているそうです。値段は安いので1万円、高いので5万円以上もするそうで、それが品切れ(売り切れ)になっていることにビックリしてしまいました…ゲッフン!(買ってしまうんですか、皆!)

 マイク・ノリス(マイキー)…チャッキー「仕返しはするぞ!貴様もエディも殺してやる!」

大声で叫んでくれた後で長~い呪文を延々と呟いてくれているのだから、普通は魂を移動させる前に居場所を発見してトドメをさせそうなもの(そして「チャイルド・プレイ」は序章で終了。)なのですがね…ゲフッ!この人がグズグズしていたおかげで魂移転時に発生する落雷でオモチャ屋も大爆発(大迷惑)してしまい、アンディ親子に対しては子供を犯人扱いして精神病院に入れたりとどんどん状況を悪化させてしまっている微妙な刑事です。チャッキーに襲われて初めて人形が生きていることを信じてくれカレンと共にアンディ救出に向かっていますが真っ先に怪我を負って動けなくなっているし正直使えない男だなあと思ってしまったり…ゴフッ!チャッキーの心臓を見事に撃ち抜いてくれたのはカッコ良かったですが、カレンのピンチ(歯の欠けた行商人に「話を聞く代金の足りない分は体で払え!」と襲われかかった時。)といい、いつもワンテンポ遅いんですよね…ガフッ!

 カレン・バークリー…アンディ「人形は生きている!」
カレン「これが生きてるっていうの!?」
→カレン「人形は生きている!」
マイク刑事「気持ちは分かるが…。」
→マイク刑事「人形は生きている!」
同僚「まさか!アハハッ!」

当の人形に襲われるまで決して人形生存説を信じてくれない大人達。(セリフだけ並べるとダメなギャグのようです…ゲフッ!)カレンのアンディに対する母としての愛情(子供が変になったのを心配する親の愛。)は本物なのですが現実味のない子供の意見は真っ向から否定してかかっています。彼女も含めた大人達は自分の忙しさを優先させて子供の言う事に耳を傾けていない、迫る危機を見ようともしていないという大人への皮肉なメッセージも込められているように感じてしまいました。(そして対象が「人形」な辺り子供の危険は実はごく身近に潜んでいるという痛烈な教訓なようにも思えます…。)徐々におかしくなっていくアンディが実は本当の事を言っていたことを知るまでの過程がとても丹念に描かれていて(正直、電池確認のシーンが1番怖い。)話の構成的に上手いなあと思ってしまいました。ちなみにこの後カレンは人形生存説を主張してしまった為に精神病院へ強制入院させられアンディは幼児保護センターに預けられることとなってしまったそうです…ゲフッ!(そして2に続いていきます。)

 アンディ・バークリー…「誰にも忘れられない誕生日がある…。」

というのがこの映画公開時のコピーでした。その通り物語はアンディの誕生日からわずか3日間の間の出来事で、その間に母の友人のマギーおばちゃんは殺され、自分は精神病院に入れられ、脱走した後に家でチャッキーと最後の対決をすることになり…なんて濃い3日間なんだろうと改めて思ってしまいました。挙句にその事件がきっかけで母子は離ればなれになって暮らす羽目にもなったので確かに忘れられない誕生日だとキャッチコピーに納得してしまいました。映画の前半ではグッドガイ人形のコスプレ(スニーカーまできっちりお揃いです。おかげで警察に疑われる羽目になっていましたがいくら一緒のデザインの靴でも足のサイズが違うはずだと思うのですが…。)をするほど人形大好きでしたが、こんな事件の後ではその熱もすっかり冷めきったことでしょうね…ゲフッ!

 まじない師ジョン…チャッキー「俺をこの人形から出せ!」
ジョン「出してあげるよ。両手を上にあげて心臓がよく狙えるポーズを取ってごらん。」

と(バカ正直に目の前で警察に連絡しようとしないで)その場で撃っていれば物語は平和的に終わっていたんですが、ね…。自身の魔除け(人形)の場所といい「死を超える術」といい正直によりによった人間に教えてしまったせいで身を滅ぼす羽目になってしまっていました。正直が悪いとは言いません。しかし話す相手と内容は選ぶべきだと切に感じてしまいました…ゲフッ!

 チャッキー(チャールズ・リー・レイ)…当時アメリカで1大ブームだったキャベツ畑人形を揶揄してクリエイトしたのがチャッキーというキャラクターなんだそうです。女性をハンマーで殴り落としたりとかなりの物理的実力行使を誇るチャッキーですが(こんな小さな人形のどこにそんな筋力が…?)カレンを押し倒して噛みついたシーンでは体格的にも体重的にもありえない展開だろうとツッコミを入れてしまいました。黒焦げにされても(全身ラテックス(水中にポリマー微粒子が安定分散したエマルジョン。植物の乳状樹液が原料で塗料にも使われるが主にゴムの原料。ゴム手袋や明るい家族計画などに使われている。)製なのでよく燃えます。)手足を撃ち飛ばされても、首がもげても元気に動いているチャッキー。もはやその生命力はゴキブリ並どころかゴキブリをも超越しています。(ゴキブリなら既に死んでいる。)超越の度合いが過ぎてあれだけしっかり抹殺したにも関わらず2では見事に復活を果たしていたお人形さんです…ゲフッ!

 余談…「相手は小さい人形なのだからしっかり首根っこ掴んで放さなれば大丈夫なのでは?」とツッコミを入れた所「ザリガニの持ち方を知っていても決して触れない人間がいるように生理的嫌悪感・危機感はそう簡単に克服できるものではない。」という最もなツッコミ返しを弟からされてしまいました。素手で対峙した場合、人間は猫にも負ける(小型犬でようやく「なんとか勝てる」というレベル。)そうで、計り知れない物に対しては余計に恐怖心がかき立てられ冷静になんてなれないそうです…。言ってみれば噛みつかれる心配がないと分かっているにも関わらずゴキブリを素手で掴めないのと同じで人間、出来ることとできないことがあるという話ですね。(ゴキブリの話はもういいから!)

テキサスチェーンソー

2011.01.06
 「悪魔のいけにえ」のリメイク作品です。オリジナルでは何が起こるか分からない(キ印の人達に何をしでかされるか予測できない)精神的恐怖の方が強かったですが、リメイク版では疑似的肉体的苦痛の方が強くて正直「見ていて痛い映画」に仕上がっています。しかし「物語で勝負した。」と言っているだけありグロいシーンはあるもののストーリー的には内容のしっかりした良作に仕上がっており私はこれはこれで好きです。(いや、昨今のホラーってグロいシーンの追求ばかりしてて肝心のお話の内容が薄い感じでしてね…グロイことをやればいいってもんじゃないんです、私にとってのホラーという物は。)本当に怖い物は生きている人間(人間の人間による理不尽な暴力)という原点(エド・ゲイン)に立ち返って作られただけあり中々面白い良作です。

 ケンパー(エリック・パルフォー)…「(ダイヤの指輪は)いつか贈るよ。」

実はこの旅行中に贈ろうと思って既にポケットの中に用意してあるというサプライズがあったのですが…。彼女のエリンを追って家の中に入ってしまったが為にレザーフェイスに速攻でハンマーで殴り殺されてしまいました。(「悪魔のいけにえ」のカークよろしくこの作品の家宅侵入罪は無駄に重いです。)今回は痙攣する間もありません。相も変わらずの問答無用の先制攻撃なのはいいとして(良くねえよ!)本来ヒロインを守るはずの人間が速攻で殺されてしまうなんて漢としてそれでいいのかと思わずツッコミを入れてしまいました。序盤でマリファナの売買をしていたのがバレて3年間同棲した彼女(エリン)には「家に帰るわ。」と付き合いにピリオドを打たれてしまっているし、色々と報われないまま死んでしまった可哀想な彼氏君です…。

 ペッパー(エリカ・リーアセン)…自殺少女の一件+ケンパーの行方不明も合わせて本能的に危機を感じており、このまま帰ることを提案するも「行きたきゃ行けば。車のキーは渡さないわ。」というエリンの正義感ぶった苛めの為に全員が惨劇に巻き込まれる羽目になってしまっていました。(その正論は1人で振りかざして下さい、エリンさん。)タイヤの外れた車の中でレザーフェイスに襲われるシーンではペッパーだけを外に出して自分は安全な車内で友人の悲劇を眺めていたり(「逃げて!」と口先で言うだけで後ろからドラム缶を転がすとか殴りかかるとかして助けようとはしないんですね…。)死んだのを見届けてから逃げている有様にはまるっきりオトリ扱いじゃないですかとエリンの行動の非情さに再度言葉を失ってしまったものです。という訳で友達といたのにさっさと(自動ノコギリで)切り捨てられてしまった可哀想な女性です…。

 アンディ(マイク・ヴォーゲル)…フックに吊るされ、それでも死ななかった(そして探しに来た仲間に発見されるもそれが助けにはなってない)2番目の犠牲者です。(「悪魔のいけにえ」ではパムの役所。)パムの場合は助けにきたジェリーが余計な手出しをしなかった(正確には手出しする間もなく撲殺された。)おかげで楽に死ねていたのですが、この人の場合はエリンが余計な正義感を見せてフックから降ろそうとしたせいで傷口に再びフックを突き刺されるという拷問を味わう羽目になってしまっていました。(辞めろっつってんだろ!)そんな正義感を見せている割には(アンディ本人が望んだとはいえ)友人を刺し殺しているし、「ごめんなさい、許して。」と泣き伏している様にはこんな拷問+殺人を犯してゴメンで済む状況じゃないだろ(苦しめるだけ苦しめて殺した人間が善人顔しないで下さい!)と思わずツッコミを入れてしまいました。助ける力が無いのなら中途半端なお節介も辞めて欲しいものだと真剣に思ってしまった、そんな名シーンでした…ゲフッ!

 モーガン(ジョナサン・タッカー)…ふてぶてしい保安官に歯は折られるわ、蹴られるわの暴行を受けても満足に反撃できない菜食主義の情けな系青年ですが、ヒロインのピンチには手錠をかけられたまま電動ノコギリを持ったレザーフェイスに体当たりをするという男らしい姿も見せてくれました。ここでエリンが取り落とされた電動ノコギリを拾ってレザーフェイスに斬りかかっていたら物語は平和に終わっていたのですがポカポカ叩くだけでそんな反撃を思いつきもしなかった辺りの頭の悪さがさらなる悲劇を招いてしまっています。シャンデリアに吊るされて身動きとれなくなったモーガンを認めるや身を翻して逃げるエリンに自分は助けて貰っておきながらアンタは逃げるのかと再度彼女の非情な行動に絶句してしまいました。「悪魔のいけにえ」で見捨てられたフランクリンの場合は彼が真実役立たず(助けた所で車椅子では満足に逃げきれずにすぐに捕まって殺されてしまうと思われる。)だったのでまだ許せましたが体張って助けてくれた恩人に対してこの扱いは酷過ぎるとヒロインに対してドン引きしてしまった瞬間でした…ゲフッ!

 エリン(ジェシカ・ヒール)…演じたジェシカさん曰く「エリンは誰1人見捨てようとしない英雄的キャラクターであり行動が裏目に出て皆を死なせてしまったのはたまたまの結果。間違った判断をしてしまっただけで彼女に非はない。」みたいなことを言っていましたが、私にはペッパーもアンディもモーガンも立派に見捨てていたようにしか見えずぶっちゃけうわべだけの正論で周りの人間を巻き添えにするブラックな女に思えてなりませんでした。(言っている事はご立派ですが結局最後は自分を優先させており身を挺して友達を守ろうとはしていません。)豚をロッカーに閉じ込めてのレザーフェイスへの反撃(豚さん哀れ。)も保安官への復讐(3度に渡る弾き逃げ。)もそれだけの物理的攻撃力・行動力があるのならさっさと友達を救うために役立ててくれ(発揮するの遅過ぎです。)と言いたいですし、正直嫌悪感を持ってしまったヒロインでした…。「悪魔のいけにえ」のサリーのように「何もできない無力な女」だったら印象も違ったかもしれないですけどね…。

 ヒューイット保安官(R・リー・アーメイ)…「女の死体は好きだ。色々触れるからな。」

等々の自殺死体にラップがけするシーンのセリフは全部この人のアドリブだそうで脚本家のコーサーはテイクのたびに違うセリフが出てくるのに気が気ではなかったそうです。作中ではモーガンに(上半身への)暴行を働いたり(下半身は無事です。)ヒロイン達を腹ばいにして拳銃で脅したり中々嫌なオッサンぶりを発揮してくれましたが実質的にはエリンの仲間を誰一人殺していないのに3度に渡ってひき逃げした(轢き殺すべきはレザーフェイスの方ではないのでしょうか?)というのは正直やり過ぎを感じてますますエリンを嫌いになってしまいました。もはやおてんば娘を通り越した悪女だなあとドン引きしてしまったシーンです…ゲフッ!

 レザーフェイス(アンドリュー・ブリニアースキー)…「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスはちょっとボテッとした姿だけで憎たらしさを感じる名キャストでしたが、リメイク版のレザーフェイスは俳優さんがボディービルダーだけあって無駄に体が締まってカッコイイという悪役らしからぬ美しさが個人的に微妙でした。(悪役に肉体美は要りません!スタミナだけ有ればいいんです!←オイ!)今作でも鉄条網に引っ掛かって転倒して自分の足を切ってしまうというオリジナルと同じドジを繰り返している(持ちネタですか?)彼ですがその後はヒロインを追って冷凍肉の間をねり歩いたりロッカーの周りをうろついたりと普通に歩いていてここでも足の怪我はどうした!?(それよりも切り落とされた腕の方が問題か。)とツッコミを入れてしまいました。オリジナルでもリメイク版でもドジっ子な根本は変わっていないようです…ゲフッ!

 余談…このリメイク版にも「テキサスチェーンソービギニング」(ビギニングの次はどうするの?)という続編というか前奇談(レザーフェイス出生編)が作られているのですがそもそもレザーフェイスに大した過去など無さそうな事は私だけでなく観客全員が分かっていた事であり、口コミ評価でも「SAWとハイテンションが財布忘れて裸足で逃げて行く大グロ大会だけを売りにした映画」「ビギニングにすりゃいいってもんじゃない」と最低の評価が下されていた(他人様の評価は信じます。)ので私の「テキサスチェーンソー」記はここまでとすることにします。

悪魔のいけにえ

2011.01.05
 英語タイトルは「THE TEXAS CHAIN SAW MASSACRE」(テキサスチェーンソーマサカー。直訳で「テキサス自動ノコギリ大虐殺」)そう、かの「テキサスチェーンソー」の原作です。(と説明しつつも私はまだ「テキサスチェーンソー」と見ていません!←オイ!)序盤で「5人の生贄達の若さが悲しみを誘う…。」と謳われていた事から「生贄を酷い目に合わせる悪魔がいました。」と日本では勝手にタイトルを改題してしまった模様です。(まあそのまんま「テキサス自動鋸大虐殺」と直でタイトル付けたら「何の大作戦だよ、これ。」と恐怖も半減しそうですし…。)というわけで悪魔と銘打ってあるものの実際には悪魔(のような性格の人間はいますが)は出てきません。先入観を捨てて人間が巻き起こす惨劇を見て行きましょう。

 というわけで見てみたのですが1回目に見た時は正直不快感しか感じませんでした。キ印の人間が数多く出てくる悪趣味な内容という事もあり(悪趣味だろうと何だろうと怖い物は怖いんですが。)嫌悪感を感じてしまったんですよね…。それなのに数日たってから無性にこの映画をもう一度見たくなったのは何故だったのでしょうか?(この映画には理解不能の魔力があるらしいです。)ともあれ1週間レンタルでまだ返す前でしたし、もう1回位見てもいいかと2度目の鑑賞に到りました。そうしたら…2度目の鑑賞に関わらず夢中でかじりついて見ていた自分がいました…。伝わってくるうだるようなテキサスの暑さといい、実はブラックコメディであった話の内容といい1度目には気づかなかった深さに感動と爆笑(笑うな!)を引き起こされてしまったんですよね。(マスターフィルムがNY近代美術館で永久保存されている理由が分かりました。)これは「製作者の意図しない所でフィルムに宿ってしまった狂気」という奇跡が作った傑作であり作ろうと思って作れる傑作ではない事から…逆にこれから「テキサスチェーンソー」(リメイク版)を見るのに不安を感じる私でありました…ゲフッ!

 カーク(ウィリアム・ヴァイル)…オッサン「古い家には近づくな。危険な目に遭うぞ。容赦しない奴もいる。」

と、ガソリンスタンドのオッサンが自分の家に関して警告をしてくれていたにも関わらず5秒で忘れて家に入っていってしまったうっかり男。不法侵入した罪として有無を言わせずレザーフェイスにハンマーで殴られてしまいました。(家宅侵入罪ってこんなに重い罪でしたっけ?)もはや問答無用です。否も応もあったもんじゃありません。撃ち所が悪かったらしく痙攣していましたが、おかげでさらに殴られる羽目になっていました。レザーフェイスのお家には骨で作った芸術作品が沢山あるだけに家でバタバタはねられるのはムカつくご様子です。(理由はそれですか?)

 パム(テリー・マクミン)…カークの彼女。彼女がブランコから家に歩いて行く際ブランコの下からカメラを移動しながら撮り彼女の歩みと合わせて徐々に家が圧迫感を増していくという効果的な手法が用いられていましたが、本人はショートパンツを纏っただけの尻と丸見えの背中のアップが映し出される羽目になり家族の横で非常に小さくなってこの映画を見ていたのはもちろん、ショックで何年も引きずってしまったそうです。(さすが1970年代の女性。貞淑です。)レザーフェイスに捕まって吊るされるまではいろんな角度から2日がかりで32回も撮ったそうで終わった後に声を出すことも歩くことも満足にできなくなったことはもちろんですが、そこまで苦労したのに「あの映画じゃ実績にならないよ。」と女優として躍進できなかった厳しい現実が痛いなあと感じてしまいました…ゲフッ!(結局フラワーアレンジメントの仕事に就いたそうです。)

 ジェリー(アレン・ダジンガー)…冷蔵庫に詰められたパムを発見するも素早くレザーフェイスに撲殺されてしまったメガネ君。(あまりの展開にパムも脱力してうなだれていました。)探しに行くなら行くで車のキーは置いていって残った人達が逃げられるようにすればいい物を、彼が車の鍵を持参したままでいた為に残りの2人まで館の方に行く羽目になってしまいました。前の人のうっかりがどんどん次の人達に被害をもたらしています。可哀想なのはいつも死んだ当人でなく残された人達という話です。(この話で1番酷い目にあったのは1番最後まで残されたサリーと言えるでしょうからね…。)

 フランクリン(ポール・A・パーティン)…突風にあおられて車椅子ごとすっ転んだり、頭のおかしいヒッチハイカーに切られたり、序番から生傷の絶えない扱いを受けていました(家の中でも木の板に車輪を挟んでやっぱり車椅子ごと転んでしまうNGシーンがありました。)が、最後もノコギリ持った変質者の前に置き捨てられてしまったというあんまりな扱いのまま終わってしまっていました。(「叫ぶだけ叫んで置いてっちゃったよ、この女!」と自分で巻き込んだ割に非常な行動を取るサリーにビックリしました。)彼女もおらず、仲間には大切にされず、思えば可哀想な立ち位置のキャラクターですよね、この人…ゲフッ!

 サリー(マリリン・バーンズ)…逃げた先が2度までもイカレ一家のテリトリーだった(3度目の正直でやっとマトモなトラックの運転手に拾ってもらった。)という劇中最も恐怖を味わう羽目になっているヒロイン。(ホラー映画のヒロインはぶっちゃけ損な役どころです。)2度に渡って気絶したおかげか目が覚めた時にはちゃんと朝になっていました。(アレは実は晩御飯じゃなくて朝ご飯だったらしい。時間的に。)取りあえず自分が助かったことで泣き笑いで去っていますが仲間が全員犠牲になったことは気にしてないんでしょうか?恋人のジェリーもしっかり殺されてるし実は笑える状況でもないという事実は自分の命の危機の前には吹き飛んでしまうんでしょうね…ゲフッ!

 ヒッチハイカー(エドウィン・二ール)…チッ!男かよ!とテキサスチェーンソーの冒頭シーンだけを(パンフレットで読んで)知っている私としては舌打ちしてしまったものです。(男を助けて何の得になるというのだ?)「弟」扱いで名前を呼ばれていないのを不思議に思ってキャストをチェックしてみた所ガソリンスタンドのオッサン(オールドマン)といい、じいさま(グランドファーザー)といい本当にこれが役名だと知った時には悲しくなりました。(名前位考えてあげましょうよフーパー監督…。)彼の演技は妄想分裂症の甥っ子を参考にしたそうでどこか知的障害者を思わせる不気味とも言える無邪気さがより恐怖を引き立ててくれました。最後は周りが見えていなかったせいでトラックに轢かれてしまったマヌケぶりはやはり頭悪かったんだな、この人と再認識するきっかけにもなりホラー映画にも関わらず思わず笑ってしまったものです。(弟のレザーフェイスの目の前で死んだのに全然悼まれなかったお兄ちゃんでした。)という訳で5人目の若さ溢れる生贄(=死体)はこの人となりました。生贄となった青年の若さ(だけ)が悲しみを誘います…。

 レザーフェイス(ガンナー・ハンセン)…削除されたシーンではモデルとなったエド・ゲインよろしく女物の化粧をしているシーンもありました。物語中1番物理的攻撃力のありそうな本作品のキーパーソンですが転んでうっかり自分の足を電動ノコギリで切ってしまったりとドジっ子な所はやはりあのヒッチハイカーの弟です。足を切った直後はヨロヨロしていたのに、その後は普通にサリーを追いかけ回しトラックに乗って逃げられた後は電動ノコギリを上げ下げしながらグルグル回っていた彼。思わず足の怪我はどうした!?(何故、無駄に回る!?)とツッコミを入れてしまいました。

 余談…一応このオリジナル自体にも「悪魔のいけにえ2」「レザーフェイスの逆襲」(逆襲って誰相手に?)「レジェンドオブレザーフェイス」(伝説ですかい!)と4まで続編が出ているらしいですが、監督のインスピレーションと様々な奇跡的偶然が重なって大傑作となった今作と違ってネット上の評価は最悪(笑えないくだらないコメディに走ってしまったクズ映画と書かれていました。)だったので他人様の評価(口コミ)は信用できると思っている私としてはその言葉を信じて「悪魔のいけにえ」記はここまでとしておくことにします。

ポルターガイスト

2011.01.04
 無縁仏に手を合わせるととりつかれてしまうので決して関わり合いになってはいけない…という雑談を車の中でしてるうち(墓参りに行った叔母が「周りの墓まで掃除してあげた。」そうで現在体調が思わしくないのは祟りでは…?との疑念があったので。最も叔母は周りの墓からお供え物や花束を奪って自家の墓にお供えしたそうなので霊達から恨まれたとしても分かる気がしますが。)ホラー映画の話になり「この話を見なきゃ損だよ!」と父に勧められたのがこの映画です。2、3と続編があるそうですがまだDVD化はされておらず見れずじまいでした…。

 庭の古木…「木には守護霊が宿る」(なのでアメリカには不幸や不運を避けるために木製の物に触るというおまじないがあります。(touch wood/knock on wood)自分の幸運を自慢した後などにその幸運が逃げないように机や柱を叩いてゲン担ぎをするのだそうです。)と言われているように木は霊的要素が強い物です。古い木の下に死体を埋めるとその生物の魂が木にとりつく…という話は聞いたこと無いですが(むしろ木の方に養分吸われるでしょうね。死体の方が負けそうな気が…ゲフッ!)数が多すぎるとさすがの木もキャパオーバーで負けてしまうのかすっかり妖怪化していました。呪いの木といえば「夕方近くにその木を見ると首つり死体の幻が見える」「木の下に霊が立っている」などの大人しい物が多いですがこの作品は木が自ら動くというまさかの派手な展開です。実際にそんなハッキリした心霊現象が起こったら立派に警察に駆け込めると思います…ゴフッ!

 椅子ピラミッド…母親がちょっと場を離れた隙に…という映画「シックス・センス」でも取られていた手法です。シックスセンスでは戸棚が開け放たれている程度でしたが、この映画では机の上にピラミッド状に椅子を乗せるというバランス技が取られており現象として派手です。こういうホラー映画の通例としては霊が誰も見ていないちょっとした隙に当事者一人だけに悪戯するという(周りに立証し辛い)プロのいじめっ子のような手口が多いのですが、この映画では人が見てようとベッドをグリングリン回してポルターガイスト現象を起こしたり、ドアいっぱいの骸骨の獣になって威嚇したり、生き物の体内のような霊界の扉が現れたり(思わず「隠す気ないだろ!」と霊達にツッコミを入れてしまう程)とにもかくにもハデハデです。映画というフィクションの中とはいえここまで堂々とした心霊現象が起きている話を見たのは生まれて初めてでした。映画を見ながら10回位「うわあ、派手~!」と呟いてしまった覚えがあります…ゲフッ!

 クラウン人形(ピエロ)…人形は人の形に近く、しかも中身が空っぽな事から霊が宿りやすいアイテムだったりします。(それでなくとも見立て遊びに使ったりとイメージを投影して遊ぶ、念が残りやすい玩具で処分する時には供養が必要なこともあるんだとか…。)パターンとしては使った人や作った人の念が宿ることが多いのですが時に悪霊の格好の器になってしまう事もあるらしくこの作品では映画「チャイルド・プレイ」同様悪用されてしまっていました。思わず布で覆って隠したくなる程不気味さを感じている人形ならもうその時点で捨ててしまっていいような気がします…。(オイ!)

 浮かぶ棺桶…棺桶(木)や人体って水に浮くんですよね、浮力で…。これが日本だったら骨壺に入ったどこの部品かも(専門職でないと)分からない欠片程度で済むのですが、いかんせん舞台はアメリカ。土葬の風習で骨は全身分残っておりとんでもないことになってしまっていました。(やだなあ、そんな人達と泥水のプールで泳ぐの…。)助けを呼ぶのはいいけれども足元にはしっかり注意して呼びに行きなさい(あんな所に落っこちたのは地面が崩れたわけでなくプール予定地で足を滑らせた母親のうっかりの結果である。)とお母さんにツッコミを入れてしまったそんなシーンでした…ゲフッ!

 ダナ・フリーリング(ドミニク・ダン)…この映画の公開直後に交際相手に絞殺されてしまった長女役です。年齢がいってることもあり大人な生活を利用して家からは逃げていました。(おかげで1番霊現象からは遠ざかっており対処の仕方としては正解だったようです。)最後のお家崩壊のシーンでも家の外にいた為に全く被害が無くいるんだかいないんだかよく分からない存在感の無いキャラな反面、立ち位置的にはお得な人だなあと思ってしまったり…ゲフッ!(本人は家の外で「何よこれ!」と叫ぶだけで済んでいるものの、中にいる家族の方は天井に引き摺られたり霊界に吸い込まれそうになったり物凄く大変でした。)無駄に叫んでいないで早く車に乗りなさい!ともツッコミを入れてしまったり…ゴフッ!

 霊能力者タンジーナ…「この家は清められました。」

適当言わないで下さい、このインチキ霊能力者と思わずその後の展開を見てツッコミを入れてしまった女性霊能力者。考えてみればあの時はキャロル・アンを取り戻しただけで別に霊達に1撃喰らわせたわけでも封印を施したわけでもなかったので、元気なポルターガイスト現象(むしろ前より悪化している。)が再発して当然ではあったんですよね…ゲフッ!そんな当然の結末さえ分かっていない辺りこの人が本当に有能な霊能力者なのかは疑問の余地が多かったり…ゴフッ!自身のテレパス能力を試された時(「イタズラは嫌いです!」)も単純に地獄耳だっただけという解釈ができますし、この世ならざる所に行くのも「経験が無いでしょ!」の一言で素人(母親)に任せているし(そこでプロが辞退してどうするんですか?結果が伴っていない胡散臭い人に見えて仕方ありませんでした。取りあえずお祓いくらいはしっかりしてあげて下さい。(問題を片付けた後放置しないで下さい。それじゃ墓石だけどかして死体を放置した会社のやり口と大差ありません…ゴフッ!)

 キャロル・アン・フリーリング(レザー・オルーク)…3の撮影中に原因不明の腸疾患であるクローン病(完治は難しいが直接命にかかわることはほとんどない病気。)にかかってしまい公開4か月前に急変(免疫力が低下した体内にバクテリアが入ってしまい敗血性ショックを起こした。)してわずか12歳でお亡くなりになってしまった本作品の末娘役です。一般的に赤子は体の自由が利かない分感覚が鋭く、それもあって幼い子供は霊を見やすいんだそうですが、この子はその典型的なパターンだったようです。(真っ先に霊に気づいて会話してるしね。)彼女が生まれてから5年間も異常な現象は無かった辺り今回の事はさらなる宅地拡張で自分達と同じく墓を破壊される(そして死体はそのまま放置する)であろう同胞の状況を怒って社員(父親)に霊達が抗議しているというのが正解のようで(そりゃ宅地拡張を放置して自分達だけ引っ越そうとすれば怒りますよね…。)展開に納得してしまいました。最後のシーンでは全く関係の無いホテルのテレビさえ「もう霊界通信はこりごりだ。」と言わんばかりに外に出している(それはホテルの備品ではないのでしょうか?)辺り家族のトラウマの深さが窺え、暗澹たる気持ちになりました…ゲフッ!

 (ケイン牧師)…本作では名前さえ出てきませんが悪霊達の大ボスに当たる人です。(ドアいっぱいの大口開けてる霊ね。)2によるとあの土地は墓地の死体を放置した場所というだけでなく宗教の信者が集団自決した場所でもあったそうで1で大量の霊を利用できる程の強い魂の輝きを持つキャロル・アンを忘れられなかったケイン牧師は2にて再度追いかけて彼女の周りで超常現象を起こすんだそうです。(3ではそれもあってキャロル・アンは親戚に預けられる羽目になり大迷惑しました。)一般人でさえ悪霊になったら迷惑なのに彼のように霊的な力が強い人間が悪霊になったらとんでもない事になる(サイコゴースト。他者が来たら収まりやすく記録に残し辛いポルターガイストが全く収まっておらず部屋中の物が飛び交っている辺り力の強さが分かります。もはや始末に負えません。)という悪い事例です。という訳で悲しい事にこれで話は終わらなかったのだそうです…ゲフッ!

 余談…この作品の出演者が次々と怪死している事もありそれもあって話題性が高まったそうです。(↑の人達だけでなく続編の牧師役も急性の癌で死んでいる。)最も全員事故死や病死で心霊現象の類は一切起こっていない(全員死因がハッキリしている。)辺り偶然と言える範疇ではありますが…。

A.I.

2011.01.03
 AIは人間が作った「もの」に過ぎないと思いますか?というキャッチコピーの元にロボットと人間の親子愛が描かれるスピルバーグ監督の名作…ですが本当の「親」であるうちの父さんに言わせれば親が子供を思うのは当たり前のことで特別に感動するような要素は無かった、とクールな反応を返されました。言われてみれば確かに、ロボットの子供を思ってはいるもののこの映画の母親がした事って子供を家の外に「捨てた」事だけで後は一生探しにも来なかったもんな(スクラップ一直線じゃなかった分だけはマシだけど…。)と感動話に反してちょっとハッとさせられた思い出がある映画です…。

 ディビット(ハーレイ・ジョエル・オスメント)…「少年は数千年の時を超える。ただ一度、愛される為に。」

あの、数千年の時を超える意味は…?(そして数千年後に彼の希望を叶える為(だけ?)に超都合良く登場した宇宙人達も何者だったんだ?そもそも地球はどうなったんだ?)と疑問符は数多く残るものの、親子再会という感動ドラマの前には全てがスルーされて話は終わっています…ゲフッ!(数千年も経ってしまえば、いくら寿命の無いロボットでも金属疲労や何やらで機能しなくはなるだろう、と母親の傍らで一緒に「死亡」した様に納得はできたものでした。)それまでの「ロボット」が労働や仕事の為に使われるのが普通だった所を可愛がられる為だけに作られた新型である彼(と言えば聞こえは良いが要するにアイボくん(犬)の人間バージョンである。)映画中では母子の別れにボロボロ泣かせて貰ったけれども冷静に考えればこき使われた果てに愛される事も無く拷問パーティーで殺された他のロボットの方がずっと哀れであり、彼は物凄く恵まれた部類だったよな、とツッコミも入ってしまいました。「自分はロボットなのか?人間なのか?」と長い自分探しの旅に出ていましたが、そもそも真実を偽ってまでロボを「自分は本当の人間の子供だ」と思いこませる事に必然性って有ったのか、サイバートロニクス社は色々な意味でプログラミングを間違えてしまったよなと親子愛とは違う方向でも色々考えさせられてしまった映画でした…ゴフッ!

 モニカ・スウィントン(フランシス・オーコナー)…「警告・決意を固めた者のみ7つのキーワードを入力すること。1度作動させたキーワードはリセット不可能。」

リセット可能だったら別の家で全てを忘れて幸せに過ごす事も可能だったろうに…と、ここでもまたプログラム時点からの問題点が感じたものでした。サイバートロニクス社の文句を借りるとこの新しいロボット(AI)は「愛らしく病気知らずでずっと子供のまま、子供取得の許可を持つ夫婦にはぴったりの『代用品』です」が、その代わりいつまでも子供のまま、年老いていく両親を養う事も出来ず、いつか老人になったご夫婦は子供のパワーについて行けずに手放さざるを得なくなる時が確実にやってくる。それは目に見えているんだから、よくある育成ゲームのようにリセットシステムは必須である気がしました。何でも我慢する「聞き分けの良い子供」でなく嫉妬心から食べ物を口にして自分から壊れたり子供特有のワガママさや自制心の無さまで再現してしまっている(この食事事件も「親」が「辞めなさい!」と言っているのに言う事を聞かずに無視している。)のなら、なおさらだろう…と実感してしまったロボットです。元々が試験的なケースとしてサイバートロニクス社の従業員夫婦の「養子」になっていた訳ですが改善点は多々あるなと返品となった運命と共に頷いてしまいました…。キーワードを入力しなくても動くんだから母ちゃんも起動させるなよとツッコミも入れてしまったり…ゲフッ!

 マーティン・スウィントン(ジェイク・トーマス)…級友「それがお前の弟か?」
マーティン「正確には違う。(奴はロボで俺の敵だ。)」

ディビットに対しては始めから敵意を抱いていた感があるモニカの息子ですが、それもそのはず、好きで病気になっていた訳でもないのに(果ては期限の分からない、治療法が見つかるまでの冷凍保存を喜んで行っていた訳でもないのに)母親は自分一途に待っていてくれるどころか本来自分に注がれるはずの愛情を身代り(AI)を見つけて発散させていたとなれば、面白いと思えないのは当然だろうとディビット相手に実子である優越感、人間である優越感をあらわにする彼(見せびらかしの復讐とも言う。)の気持ちは分かる気がしました。本当だったらそこを乗り越えて兄弟の絆を作っていくのが本来の展開なのですが、返品と同時に最後まで「家族」にはならないまま終わってしまい(ディビットにしがみつかれたせいで彼は危うく溺れ死にかけたし当たり前と言えば当たり前なのだが…。)ひたすらモニカとAI(だけ)の母子物語に集中した辺りはちょっと違う気がしたものです。ラストで遺伝情報(髪の毛)を元に復活した母親がディビットと遊ぶばかりで実の息子がそこにいないのを全然気にしていないのもどうなのか、親子愛だけでなく家族愛も含めて話を考えてほしかったと言っても映画の中には届きませんでした…ゲフッ!

 スーパートイ・テディ…家を追い出されたディビットにそのままついて行き保護者兼相棒の立ち位置にいるクマのぬいぐるみですが(どこまでも一人ぼっちじゃないディビットは本当に恵まれている。スウィントン家にあったということはこのクマはマーティンの持ち物になるのではないのだろうか?)中身には自動制御装置で動くサーボモーターが50個も搭載されており重さはなんと13キロ(せいぜい7、8キロの0歳児より断然重い。)体を丸めたり、鼻や耳をピクピクさせたり、物を掴む事もできるこのぬいぐるみは本当にスーパー(見かけに反して超重量級)だったそうです。おかげで走らせたりジャンプしたりの激しい動きは不可能(人間もそうだけど、あまりに体重が重いと…ね。)で、その辺の動きはCGを使ったそうですが、毛深い(あんな小っちゃい体で150万本も毛がある)だけにCG再現も大変だったそうでスタッフの苦労が偲ばれたものでした。そんな訳で現代の技術で考えるとディビットのように、かくれんぼをして走って飛んでという人間型アイボ君…もといAIの完成はまだまだ先の話になりそうです…。

海の上のピアニスト

2011.01.02
 1900~1946年という第一次・第二次世界大戦を経た時代を舞台にしているのですが、その実、戦争はほとんどスルーされている音楽映画です。(一応、戦時中に傷病船としてさんざん使われて船の寿命がきたから船を爆破解体する、という風に戦争は背景として入ってはいるのですが…。)原作小説「ノヴェチェント」(イタリア語で1900という意味。そのまんまなタイトルである。)を映画化したもので立派なフィクションであり、信じてはいけない歴史事項だという事を充分に理解して視聴することに致しましょう。

 ダニー・ブードマン(ビル・ナン)…「お前の名前はナインティーン・ハンドレッドだ。新世紀の最初の年に見つけたんだから!」

捨てられた箱に印刷されていた文字は「T・D・レモン」すなわち「この子を拾ってくれてありがとう、ダニー!(Thanks Danny)」という自分へのメッセージ(絶対に違うと思うよ。)であり、自分がこの子を育てるのは運命なんだ、と1人盛り上がっていたおめでたい養父です。(運命昂じて息子につけた↓の長~い本名からも、頭の中身の軽さが伺えます…ゲフッ!)しかし「子供を自分の手元に置く」こと以外は何も考えていなかったらしく愛情をかけている反面、やっている事は船の中だけの軟禁生活で(そもそもナインティーン・ハンドレッドに戸籍があるのかどうかすら怪しい。軽く虐待である。)おかげで外の世界に飛び立てなくなってしまった息子は船の寿命と共に46歳で爆死する運命を迎えてしまうのでした…。血も繋がらない捨て子を拾って育てるのは立派だけど、育て方は確実に間違えたなと実感してしまうお父さんです…ゴフッ!

 ダニー・ブードマン・T・D・レモン・ナインティーン・ハンドレッド(ティム・ロス)…「ルールなんて、くそっくらえだ。」

大人になってからはジャズの創始者ジェリー・ロール・モートンとのピアノ勝負でも勝利してしまうほどの名ピアニストに成長した彼ですが、その実彼は譜面を読む事も書く事も出来ないダメ音楽家でもあり、もし陸に上がってもベートーベンの「月光」など古来の名曲を弾く一般的なピアニストとして大成するのは難しかったろうと思います。彼に出来る事は「人間」を見て無から音楽を作り出し、そして演奏した次の瞬間には忘れてしまう事だけ(ダメじゃん!)レコードに曲を吹き込めたのも窓越しに「少女」を見て初恋に落ちたからだというオチから来るもので、心動かされる人間がいないと曲を作る事もできない彼。ルールという一般的常識から外れた生き方をしているからこそ才能も特出していたのでしょうが、もうちょっと器用に生きることはできなかったものか(現実においては臨機応変な対応ができることの方が大切だと思いますけれども…。)第二次世界大戦が終わり船の爆破(解体)と共に命を散らせた最後には、我知らず脱力してしまったものでした…。(いや、今度こそ降りようよ、船を…。)

 少女(メラニー・ティエリー)…「私の父は言ってたわ。『海の声を聞いた』と…。」

なぜ主人公の初恋の女性にも当たる重要な登場人物なのに彼女だけ無名なのかと思ったら、実はこの「少女」は原作小説には登場しないオリジナル登場人物だという事が判明しました。主人公が一生船の外の世界に触れないまま死んでいくのは原作上もう決まっている事だけれども46年も生きてきて恋一つ知らずに死んでいったのは、あまりにも灰色過ぎる青春だという配慮なのか、監督のインスピレーションの元に誕生した登場人物です。が、そんな彼女に対して主人公がやっている事はつけ回して背後から見つめ続ける事と(普通に話しかけたらどうでしょうか…?)寝込みを襲って唇を奪う事(セクハラです!)という微妙な行動ばかりで、昔は初心で可愛いと思えたその行為も女の立場に立って見ればたまったもんじゃないよなという現実が見える今はマイナスポイントにしかなりませんでした。むしろ彼女がいなくてもお話としては立派に成り立つんだし妙なストーカーエピソードを盛りこまなくても良かったのではとツッコミを入れてしまったり…ゲフッ!

 マックス(プルート・テイラー・ヴィンス)…「いい物語があって、それを語る人がいる限り、人生、捨てたもんじゃない。」

結果としてナインティーン・ハンドレッド(いい物語)のおかげでサックスの代金を丸儲けしたストーリーテラーです。(質屋のおっちゃん、気前良過ぎ!)話では主人公の良き友達(というより友達が少ない主人公の数少ない貴重な知り合い。)というように描かれていますが、友達なら船の爆破直前、せっかく主人公がレコードの音楽につられて姿を現してくれた事だしそのまま猿轡でもかませて有無を言わさず引き摺り出せば良かったのに、説得が失敗したと見るやアッサリと見殺しにするのはどうなのか(船から連れて行くのでなければアンタは何の為に会いに行ったんだ?)ちょっと考えてしまったものです。その後、音楽家としては結局泣かず飛ばずで商売道具さえも質に入れる羽目になるのだし、ここで才能溢れる主人公を今度は自宅で軟禁しピアノ曲を知らない振りして録音して売り飛ばせば未来も明るかったろうにと残念に思えてならなかったラストでした…ゲフッ!

KAGEROU

2011.01.01
 作者は斉藤智裕(本名)となっていますが売れなかった元タレント(事務所は既に辞めている。)の水嶋ヒロ(現在は奥様・絢香歌手のヒモ。)のことです。本名で出したため編集部は水嶋ヒロが書いたと知らなかった(実力でポプラ社小説大賞を勝ち取った。)というシナリオが作られていますが、辞退した賞金が何故かポプラ社経由で施設等に寄付されていること(施設からポプラ社が感謝されるということです。)それまで賞の候補者がいなかったこと(出来レースということです。)よりによって主人公の名前を途中で間違えて(作者なら間違えようはずもないですよね。)初版には訂正シールが貼られたこと…などから全てはポプラ社が作った策略だとも言われています。(もちろん本の内容を書いたのも編集部の皆様です。)私はそんな策にハマって買ったりしないぞと思っていたのですが父がハマって買ってしまっていた(父さん…。)のでつい読んでしまいました。余談ですが父が買った本屋では売れ行きがいいせいか読み終わった後本屋に持っていくと3割の値段で買い取ってくれるというサービスまで行ってくれてました。

<ストーリー>
主人公・大東泰男は借金を苦に自殺しようとしたところ臓器移植協会の京谷に引きとめられ、死ぬ前に自分の臓器全てを売り払う契約をしてしまいます。ところが型の合う患者が見つかるのに時間がかかり心臓移植以外の手術は日延べになってしまいました。手術後、手動切り替えの利く人工心臓で自由に動けることが分かると自分の心臓を与えた患者に会いに行く大東。彼はそれまで単純に死ぬのを嫌がっていましたが「死にたい。」と絶望しながら死ぬのより「まだ生きていたい。」と最後まで可能性を諦めない中で死んでしまう人生の方がはるかに充実していることに気が付きます。全てを受け入れて残りの手術に挑む大東。しかし時同じくして京谷が蜘蛛膜下出血で死んでしまった為、急遽脳移植が行われ(楳図かずおの「洗礼」ですかい!)彼はその後京谷として新しい人生を歩み始めることになりました。ラストでは自分の心臓を移植した患者の心音を聞かせてもらいながら命の大切さを感じる大東でした。

感想として、他の提供者は無条件に死んでいるのに家族に金を残せた上で(他の人間としてでも)生き続けることができた主人公がずるいなあと感じてしまいました。またさらさら読める文章で処女作でこんな文が書ける作者がいるはずが無い、と編集部執筆説がよりリアルに思えたり…ゲフッ!

<オヤジギャグ>
大東「タバコ持ってないですか?」
京谷「すみません、吸わないもので。」
大東「すいません、吸いません。なんちゃって。」
京谷「…。」

大東「強い酒…ロシアならウオッカだ?」
京谷「ですね。」
大東「イギリスならジンだな。イギリスジン、なんちゃって。」
京谷「…。」

大東「茜ちゃんに心臓をあげた人は多分天国で喜んでるよ。」
茜「どうして多分なの?」
大東「多分ヘブン。」

京谷「子供の頃なりたかった職業って…お菓子屋さん?」
茜「ブー。」
京谷「お菓子屋だけにおかしいなあ。」
茜「まさか…当てずっぽうで言ってる?」
京谷「まさかマッカーサー。でまかせで負かせ。」
茜「やっぱり変な人…。」

家族で「寒う~!」と言いながら爆笑してしまいました。こんなベタなギャグをあの絢香歌手の旦那さんが考えていたのかと思うと泣けてきます。…そんなわけでやっぱり別の人(編集部の皆さん。)が書いたんでしょうね。

<まとめ>
物語の後半は作者が書いた原作より大きく変わったとの噂も聞きました。書いた人が編集部の人でも無名の新人の面白いかどうか分からない本は誰も買わない事、水島ヒロが家でブラブラしてるわけではないという証明(これで執筆活動をしていたという言い訳がきく。)などなど厳しい現実の状況から生み出された妥協説が真実だろうとは思いますが、それでもここまで話題にしてくれて、話のネタにもなって、本の内容もそこそこ面白かったですし(一冊引っ張るネタではなかったとも思いますが…。)個人的には満足の1冊でした。ポプラ社の皆さんお疲れ様でした。(これで水嶋ヒロ一人の手柄だとは言わせません。)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。