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バック・トゥ・ザ・フューチャー

2011.02.28
 ラストシーンに出ていた「to be continued」の文字は「主人公達の人生の旅(冒険)はこれからも『続く』!」という意味の「ジョーク」であり、本当だったらこの1作(単品映画)で終わる予定の映画だったそうですが、テロップを見た多くの人間が「続編を制作する」という意味に誤解し、問い合わせが殺到した(実は主演のマイケル・J・フォックスも「エージェントに電話しようかと思った。」という、テロップを見て驚いた人間の一人。)結果、急遽シリーズ化する事になったという異例のシリーズ映画です。という訳で公開当時、全米で「フューチャー現象」と呼ばれるブームが生まれるほど大ヒットした映画、堂々の1作目です。

 エメット・ブラウン博士(クリストファー・ロイド)…ドク「燃料のプルトニウムはリビアの過激派から巻き上げたんだ。プルトニウム爆弾を作ってくれと言うから、壊れたパチンコの部品でインチキ爆弾を作ってやったよ。」
マーティの手紙「ブラウン博士へ。僕が未来に戻った夜、あなたはテロリストに撃ち殺されます。そんなバカな事にならないように何とか身を守る方法を考えて下さい。」

そりゃ、過激派の皆さん、怒りますって…と弟と一緒に当然のツッコミを入れてしまったものでした。タイムマシーンを完成させておきながら、そんなバカバカしい理由で殺されてしまう最後には主人公も何とかあの手この手で博士を救おう(未来を教えよう)としていますが「余計な情報を『知る』だけでタイムパラドックスが起こる可能性がある!」とせっかく書いた手紙まで破ってしまった彼。しかして実は自分も気になってはいたのか、マーティーが未来に帰った後にちゃっかりセロテープで復元させて(パズルですか。)未来をチェックして死を逃れた(防弾チョッキを着込んで難を逃れた。)様には思わず笑ってしまいました。(「この際、堅いこと言うな。」byドク。)考えてもみれば真実、未来改竄を恐れている人間がタイムマシーンなど始めから作るはずがないよなと納得もした結果です…。

 マーティン・マクフライ(マイケル・J・フォックス)…「僕、もう行っちゃうけど、一言、言っておきたかったんだ。君達のおかげで…すごく勉強になった。」

ダウンベストを幾度となく救命胴衣と勘違いされ、ついには「沿岸警備隊です。」と開き直った本作品の主人公です。家では電話をかけてくる(だけで)自分のガールフレンドを「はしたない女」呼ばわりして(「じゃあ、どうやって付き合う機会を作るのよ?」by姉リンダ)酒や煙草は以ての外、品行方正を絵にかいたような教育を強いてきた母親が、若い頃は一転して男(マーティ)の尻を追いかけ、酒を盗み飲みし、煙草も習慣的に吸っている不良娘だった(自分が知っている母親像との、あまりのギャップにマーティも吹くほど驚いております…。)という様に女って裏表のある生き物なんだなあ…と彼もとても勉強になった様子です。(ジョージとの恋に関しても、あのふがいない親父が自分から女を追いかけたとは考え辛いし、おそらく確実に「追いかけた」のはこの肉食系の母親の方であったと思われる。)マーティの奮闘のおかげも有り、変わった後の未来(1985年)では自分と同じく肉食系女子(ジェニファー)に関しても理解を示すようになった母。(思うに、変わる前の未来ではジョージと結婚した事を後悔はしていなくても「誰が見ても素敵とは思えない男」相手に突っ走り過ぎた自覚は有ったのだろう。)ハッピーエンドと思いきや、ドクの登場(とテロップの文字)によって彼の冒険は急遽3まで続く事になり、まだまだ苦労は絶えない主人公でした…。

 ロレイン・ベインズ(リー・トンプソン)…ビフ「もしもし、マクフライ?(頭の中身は)入ってますか?」
マーティ「あそこで『KICK ME』(僕を蹴って)の張り紙を背中につけて皆にからかわれてるアレが僕の父さん。」
ドク「お袋さんは奴の何処に惹かれたんだね?」
マーティ「…思うに『ビフ以外の男』なら誰だってマシだったんじゃないのかな?」

変わってしまった未来(1985年)では頼もしく成長した夫のジョージに、よりラブラブな様を見せてくれますが、元の未来でも社会的に成功した「上司」のビフではなく、ふがいない万年平社員のジョージと結婚した事を微塵も後悔していない辺り↑の結論が見い出せた私でした…。学校では皆にいじめられ、プライベート(学校外)でも父親の車に轢かれてそのまま放置されたり(いくらアメリカは医療費がバカ高くて救急車も有料とはいえ、そこは病院に連れて行ってあげるシーンだと思うが…。)踏んだり蹴ったりの人生を生きている彼に同情した結果の恋(「ナイチンゲール症候群だな。看護婦が患者に惚れてしまうアレだよ。」byドク)でありジョージの方も「押せば、そのまま押し倒せる男」だったからこそ実った結婚だったんだろうなあ、と実感した恋模様です。それをうっかり車に轢かれそうなジョージを庇ったマーティと知りあってしまったが為に「普通の恋」に堕ちたロレインの元に事態はこじれ始めていきます…。(それにしても、このお母さん、ちょっと惚れっぽ過ぎやしませんか?byうちの弟。主人公にキスしたその数分後にジョージに心変わりしているし、全くその通りだ。)

 ビフ・タネン(トーマス・F・ウィルソン)…ジョージ「全く、ビフは油断するとすぐサボろうとするから目が離せない。あいつは高校の頃からそうだった。」
ロレイン「でも彼(引き立て役)がいなかったら私達は恋に落ちてなかったわ。」
ジョージ「そういう事。」

デール・カーネギーの「人を動かす」を読んで一念発起して明るく振る舞おうとしたジョージが外しまくった結果、初対面のビフにサンドイッチを顔にぶつけられ、女子達には「偽善的でいけすかない男」の烙印を押され、挙句に両親にまで不審に思われ…とすっかり自信を失くした(by小説版。父ジョージが引き籠もりに走ったのはこういう側面もあったらしい。)のを良い事に高校時代から手柄を全部横取りしてジョージに寄生(利用)する事で上司にまでのし上がっていたビフでした。が、何と言う事は無いジョージの力が無ければ仕事一つ満足にきない社畜で、彼の協力を失くした未来では車のワックスがけ専門の使用人に成り下がっていた(それすら「彼は自分達のキューピットという『きっかけ』だったんだから。」と大目に見てくれるマクフライ夫妻でなかったら、とっくの昔にクビになっていた事だろう。)という現実には、態度を一転させてヘコヘコしている姿(自分より弱そうな人間にはデカイ態度に出るけど、立場が悪いと分かれば手の平を返してゴマをする。所詮こんな人間。)と合わせて笑いながら納得してしまったものでした。彼にはモデルもいる(大統領選にも出た、かのトランプ氏。)そうで、人間の本性がよく表れているな~と改めて実感もしてしまったり…ゲフッ!

 余談…「1985年の大統領は(1955年当時は俳優だった)ロナルド・レーガンだ。」「俳優の?じゃあ副大統領はジュリー・ルイスか?ファーストレディはジューン・ワイマンか?」(ちなみに正しくは副大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、ファーストレディはナンシー・デイビス。)とバカにして信じない場面において「レーガン批判だ!」と言う視聴者もいたものの、当のレーガン大統領自身はこの場面をとても気に入って巻き戻させた程で、その後の演説でも「映画「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」で述べられているように『我々がこれから行こうとする場所に道など必要ない』のです。」と流用したり、お気に入りぶりを見せたそうです。
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バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2

2011.02.28
 奇しくもこの映画を改めて見たのが2016年。主人公達が30年後の未来に行った後の年であり、当時の人達が夢見ていた「21世紀の未来」ってこんなだったんだ(なるほど映画「20世紀少年」の作者・視聴者達が「夢見た未来はこんな場末感漂う、しょうもない現実じゃなかったはずなのに!」と嘆いている訳だ。)と理解すると同時に「車、飛んでないよ?」と思わず現実と合わせてツッコミを入れてしまったものでした。という訳で3部作の中でも最も興行成績が良かったこの2作目、ラストの文字も「to be continued」(次回作へ続く)から「to be concluded」(次回作にて完結)に変わって予告編と共に閉幕という憎い演出を見せて終わっています。

 エメット・ブラウン博士(クリストファー・ロイド)…ドク「ジェニファーにはαリズム催眠装置を当てただけだ。未来の事をあまり知り過ぎてはいかん。これで目が覚めても『夢』だと思うだろう。」
マーティ「だったら連れて来なきゃいいじゃない!」

タイムマシーンを見られたからには、まさか目の前でタイムスリップする様を見せる訳にもいかない(なら尚のこと一緒にタイムスリップしてはダメだと思うが…。)だから乗せるしかない!と車に乗せたは良いものの、あまりにも自分の未来を知りたがるからと機械で強制的に眠らせた様には私もマーティ同様1985年に置いてきたまま眠らせれば良かったじゃないかどうせ眠らせるなら、わざわざ未来に連れてくる意味は無いじゃないか!)とツッコミを入れてしまったオープニングです。おかげで寝ている彼女が警官に保護されて未来の自宅に強制送還されたり、その隙をついてビフにタイムマシーンを悪用されてしまったり(結果、未来新聞ではドク本人も精神病患者として病院に強制入院させられる羽目になる。)様々なハプニングが生じている様には「…。」と思えてしまった話の展開でした。思うにこの人、発明の才能はあるけれど常識の部分ではやっぱりちょっとズレていたんだろうなあ、と改めて感じてしまったメインキャラクターです…。

 マーティン・マクフライ(マイケル・J・フォックス)…「誰にも僕を腰抜け(チキン)だなんて言わせない!」

「逆鱗に触れる言葉」を言われたせいでよせばいいのにわざわざ揉め事に足を突っ込んだ結果①ビフの孫のグリフとしなくてもいいケンカ勃発。おかげでホバーボードでの追走劇にまで発展し裁判所に突っ込んだ女性スタントマンは本当に全治2週間の大怪我を負ったんだそうな、②未来で挑発に乗せられるままにカード(貯金)を違法株取り引きに流用。会社をクビとなった、③ビフからの悪口に思わず引き返した為に過去の自分が思いきり開けたドアにぶつかりノックダウン。喧嘩のしょっぱなから倒れた末に、せっかく取り返したスポーツ年鑑まで奪い返される羽目になった…と損ばかりする羽目になる(そんな程度の低い悪口位スルーしていれば面倒事に巻き込まれる事も無かったでしょうに。)様には思わず溜め息が出てしまいました。もしかしてマーティがチキン(腰抜け)だからライバルの名前がビフ(ビーフ。牛肉)なのか?と別の所で気にもなったものです…。

 ロレイン・ベインズ(リー・トンプソン)…ビフ「お前は俺のガールフレンドなんだよ!」
ロレイン「ゴメンだわ!誰がアンタのガールフレンドなんか!アンタが億万長者になったってお断りよ!」

出会って一日のマーティに入れ上げ、ふがいない男のままのジョージにすら合格点を出す(そこまで彼氏のランクを下げる事が出来る)あの尻の軽いロレインにお断りされるなんて男としてはもうお終いだな(「女友達」というお友達の立場すら嫌だってさ。)と頷いてしまうと同時に、それでも愛だけでは食っていけない事から「億万長者になったビフ」とは結婚した彼女に女の打算を見た気がしました。とはいえ夫のジョージが死ななければ貧乏ヒマなしのドン底生活でも取りあえず(ビフに身売りする事なく)食っては行けた(別に今の生活を不満に思ってはいない。)訳で、元々セレブ思考&豊胸手術希望が有った訳でもない彼女は子供達の生活費の為だけに結婚したものの傲岸不遜なビフに対して愛が芽生えることはなく夫婦としては冷え切っていた様子です。「結婚」さえすれば、それで全てが上手くいくというほど愛って単純なものではないんだよな(…と、2回も結婚に失敗した経験からビフも学習すれば良かったのに。)と妙に当たり前の事を感じてしまった、そんなブラックな未来像でした…。

 ビフ・タネン(トーマス・F・ウィルソン)…「私は一言だけ言う。アメリカに栄光を!」

そんな事を言っていた割に作り上げた未来(ビフ・タネンのホテル「娯楽のパラダイス」)は賭博が合法化し、道には所々に死体の跡(人型チョークの線と血の跡)が有り、悲鳴が絶えない犯罪街という荒廃しきった町(何が栄光だ!)であり、手に入れた「真実の愛」(ロレイン)すら夫のジョージを撃ち殺しての策略によるもの(まあ、ジジイになっても「婆さん(ロレイン)によろしくな。」と孫までいながらしつこく気にかけていたり、変わった先の未来(1985年)でも3番目とはいえ正妻に据えたり、彼なりの愛は有ったのだろうがその為に夫を撃ち殺されたロレインとしてはいい迷惑だった事だろう。)で、富と権力を手に入れただけあって彼の腹黒さが炸裂している現実の様には、そのどす黒い生き方と合わせて、ただ、ただ笑わせて貰ったものでした。(いや、笑えないだろ、こんな未来。)ちなみにそんな経緯で結婚した事もあってか夫婦仲は全く上手くいっておらず、1985年までは何とか持っていたもののその後とうとうキレたロレインによって射殺されてしまったそうで、老人ビフは未来に帰った後しばらくして消滅していたそうです。合掌。

 余談…2015年で主人公をクビにした業務上の上司イトウ・T・フジツウさん(どんな名前だ!?)は42歳。47歳のマーティよりも「年下の上司」だったそうで(アメリカでは珍しい事では無いのだろうけれど)その辺からも主人公の落ちぶれた様が見て取れて哀愁を感じたものでした…。

バック・トゥ・ザ・フューチャー パート3

2011.02.27
 元々2と3は1本の映画だったはずが配給会社からの「短くカットしろ!」の声と「時間短縮の為だけに、せっかくのアイデアを削りたくない!」というジレンマから「2作に分ける」という暴挙…もとい配慮がなされてこの最終パートに到った(ほとんど2と同時進行で撮影した)そうです。ちなみにこの3作目に置いて「マーティ達主人公にはもうプライベートの時間をあげてもいいんじゃないかな?」とパート4、リメイクの製作はきっぱりと否定された(監督のロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルの同意がないとリメイクは出来ないから「僕とボブが亡くならない限り実現はあり得ない。」と断言された。)そうで、引き伸ばされたものの正真正銘これが最終作となった3作目です。

 エメット・ブラウン博士(クリストファー・ロイド)…「わしは500メートル離れた犬についた蝿を撃ち抜く事が出来る!お前(タネン)の頭なら楽なもんだ!」

その後80ドルを巡っての揉め事(イチャモン)が原因で当のタネンに撃ち殺される事を考えると「(恐喝に屈する事になっても)80ドルを払っておけば良かった。」のではなく今この場でしっかりとタネンの頭を撃ち抜いておくべきだったなとツッコミを入れてしまったものでした。(子孫も子孫で嫌がる女性(ロレイン)をつけ回すストーカー一歩手前の男(ビフ)なら、一言悪口を言われただけで相手を銃殺しようとする先祖(ビュフォード)のイカレぶりはそれ以上に拍車が掛かっている。歴史を変える事にはなってもこんな人間がいなくなって困る奴は誰もいないだろう。)今回はマーティにジェニファーという恋人がいるのに対してそれを横目で見ながら研究に人生を捧げて一人寂しく独身で一生を終えるのはあまりにも侘し過ぎるという配慮か、テーマが「ドクの恋の成就」になっている…気がします。愛妻(クララ)もゲットして息子(ジュール、ヴェルヌ)にも恵まれた様には素直に「おめでとう!」と祝福をした最終章でした。

 マーティン・マクフライ(マイケル・J・フォックス)…シェイマス「わしにはマーティンという兄が『居た』んだ。売られたケンカは全部買わないと腰抜け呼ばわりされると思って揉め事を起こし続け、ある日ナイフで刺し殺されてしまったがね。アンタも自分の『未来』をもっとよく考えた方が良い。」

おかげで開祖として系譜に名前を連ねるどころか子孫を残す事も出来なかった兄(先祖)のアホな生き様・死に様に1985年版マーティも色々考えるきっかけになった様子です。ともあれ、先祖の前で同じ「マクフライ姓」を名乗る訳にはいかないからって偽名クリント・イーストウッドって!(注・もちろんちゃんと俳優クリント・イーストウッドには許諾を取っています。)と、シリーズの1、2で名乗っていた紫ブリーフの名前(カルバン・クライン。アメリカではいい大人でも下着にまでしっかり名前を書く風習があった為にそう誤解された。)よりは大分マシな名前であることは認めるけれど、どんなセンスだよ!と思わず吹いてしまったものでした。ちなみにこの極悪人ビュフォード・タネンを倒して、汽車で峡谷に落っこちた青年は街の皆も印象的だったのか、以来あの峡谷は「イーストウッド峡谷」(本当ならクレイトン峡谷だった)と呼ばれるようになったそうです…。

 クララ・クレイトン(メアリー・スティーンバージェン)…「馬を驚かせた蛇にお礼を言いたいくらいですわ。エメット、貴方と出会えたんですもの。」

「実際の歴史」ではその時にドクは存在せずクララは素敵な男性(彼氏候補)と出会うどころか、そのまま峡谷に落っこちて死ぬ所だった(そしてその谷はクレイトン峡谷と名付けられる。辞めてよ。)のですが、運命はこのように変わってしまいました。祭りの夜には盛り上がって、降るような星空の中でキスをしていた2人でしたが果たしてキス止まりで済んだのか、そうではなかったのか?いやいや18歳未満どころかとうの昔に成人(20歳以上)を果たした立派な中年である、お2人の事だ。きっとこの時にデキ上がっていたに違いない(…野外で?)と確信を持つと同時に、事を成し遂げた後になってから「実は僕、未来の人間で30年後の時代に帰らなくちゃいけないんです。」なんて言い出した日には「どうせなら、もっとマシな嘘を吐きやがれ!バカ野郎!」とクララが怒る理由がとてもよく分かる気がしました。1855年の人間なのに未来の人間であるドクとくっついてしまって良いのかという疑問は、本来死ぬはずだった彼女がこの時代で子孫を残してしまう事こそタイムパラドックスになる(むしろこの時代から連れて行くしかない。)という理屈の元に問題は無いと考えて…いいですかね?

 ビュフォード・タネン(トーマス・F・ウィルソン)…「誰にも、俺をマッド・ドッグ(狂犬)と呼ばせやしねえ!」

「誰にも、僕をチキン(腰抜け)と呼ばせやしない!」…って、どこかで聞いたセリフだな~(ていうか、マーティの口癖だよね。)と実感すると同時に「NGワード」を言われたが最後、涎を垂らしてかんしゃく起こして銃をぶっ放す彼の姿「プライドの為に戦っている」反面、どう見ても素敵とは思えない有り様。)にマーティも「俺って第三者から見ればこんな風に見えていたのか…。」と思う所があったのか、その後は「腰抜け」と言われても冷静に対処できるようになるまで成長していました。という訳で西部開拓編(アメリカがイギリスから独立したのはフランス革命のちょっと前の1783年だが、この時代1885年は「西部の先住民掃討時代」アメリカ合衆国憲法は「国民」以外には適用されない=先住民を含めた「他国の人間」の人権は保証しないという狂った偏理屈から映画のように投げ縄で引き摺り回したり、首を吊るしたりする文字通りの「無法地帯」と化していた。)では子孫のビフ以上の迷惑野郎という様を見せていたタネン氏。ラストシーンで逮捕された時は既に保安官のストリックランド(教頭先生の先祖)をぶち殺した後だったそうで、馬糞まみれになっても全く同情は出来ませんでした。ざまあみろです。

 余談…タイムマシーンのマイクロチップが壊れた事に関してドクが「日本製じゃ壊れるのも当たり前だ。」(1955年当時、日本は国際復帰したばかりで売るもの全てが粗悪品ばかりだった。)と言うのに対して「何言ってんだよ、日本製が最高なんだぜ。」(車に関しても「排気ガス10分の1じゃなきゃダメ!」というマスキー法(by1970年)を世界で最初にクリアしたし1985年には立派な技術大国として発展を遂げている。たった30年で凄い進歩だ。)とマーティが返しているのに何気に歴史を感じたものでした…。

お金がないっ①~⑦

2011.02.26
 「大人気小説シリーズ、待望の漫画化!連載スタート!」(大人気なんだ…。)というアオリと共に始まったBL小説シリーズ「お金がないっ」の漫画版です。小説版の作者は篠崎一夜先生ですが、その元ネタ(ミナミの帝王)設定を作ったのも、小説版の挿絵を描いているのもこの漫画版担当の香坂透先生で、ほぼ産みの親という点もあってかキャラクターに対する愛情を感じて(肉欲だけの為に襲われかかっていた…というかBまで果たされていた事も多い)小説版と比べると、かなり読みやすかったものでした。最もレディース誌連載漫画という事もあり情事のシーンはしっかり描かれているので読めない人間(頭の固い男)も多いでしょうが…。

 綾瀬雪弥…狩納「お前の従兄弟の石井鉄夫はカジノで調子くれた挙句、イカサマでハメられたんだろうよ。そしてお前は石井の借金のカタに、奴等の裏の競売にかけられたって訳さ。」
綾瀬「じゃあ鉄夫も男に買われ…!」
狩納「そんな物好きが、この宇宙に存在するか!」

いくらハーフの美形でも、男は普通に売れないだろう(そしてたとえ女であっても「使い捨ての道具」にする為の人間が1千万以上の高値で売れるとは考え辛い。)という常識的なツッコミは綺麗に流れて話は進んでいきます。その特出した容姿ゆえに一億以上もの売値がつき、結果として学生の身で諸経費合わせて二億もの借金(買われた代金)を抱え込む羽目になった様には同情しつつも、真っ当な人間ではあった事実に共感は出来た「ヒロイン」でした。(これが鉄夫のように「騙された」とはいえ元はといえば「博打にハマった自業自得」とかいう事情だったら、数多の男に狙われようが犯されようが、もはや同情も共感もできない。)とはいえ自分を騙して処女(バックバージン)を奪われる原因を作った張本人・鉄夫のことを、薄々はそういう人間だと勘付きながらも騙された振りをして見限らない辺りは私も狩納さん同様イライラしてしてしまいました。(「親戚だから」と期待を持っている所、悪いけれどこういう人間は一生改まらないし、一緒にいるだけ食い物にされるだけだよ。)血の繋がりにこだわる前に人を見る目を持てと、友人の内訳(4分の3が綾瀬目当てのホモだった。)と合わせてツッコミを入れてしまった主人公です…ゲフッ!

 狩納北…狩納「例えばだ。双子のお前らのどっちかが実は凄い悪人で、家族を食い物にしてるとする。そこで騙されている事にも気づいていない『被害者』に、俺が親切心から全てをバラしてやったとしたら、人間のクズの身内と、善意溢れる他人のこの俺…どっちを信じる?」
久芳兄弟「善意溢れるってアンタ…たった今2、3人は殺してきたような顔で言われても…!」

綾瀬にとって人間としてマシなのは間違いなく、人に言えない性癖の持ち主が大枚はたいてまで次の「獲物」を漁りに来る店に綾瀬を売った「身内の鉄夫」(「サディストに発狂するまで調教されるか、食人嗜好者に生きたまま食われるか、死体愛好者に生体実験マニア…何にせよまず人間扱いはされないだろうぜ。それを承知で綾瀬を売る気なんだろ?」「い、いや、そこまでの罪悪感は、その…。」by鉄夫)ではなく、高価なマンションと衣服を用意し、愛人として囲ってくれている「他人の狩納さん」(しかも扱いこそ「結婚の出来ない愛人」の立場ではあるものの、別に「本妻」がいる訳ではなく愛情は独占し放題。)の方でしょうが、肝心の本人に見る目が無い(他に友達が少ない、身内がいないというのを言い訳に、そんな人間だと分かっていながらも縋りついている。)というのが災いして尽くしている(金をかけている)割には報われていない相手役です。(「狩納社長に愛されて同棲している」なんてトド子以下オカマバーの男達(ファン)が聞いたら涙目で羨ましがる状況である。)とはいえ一度でも強姦してしまえばその相手とは終わるのが普通(触れられるのも耐えられなくなるのが普通。)であることを考えると現状でも「奇跡的に上手くいっている」事態ではあるのですが…ゲフッ!

 飯田純…飯田「なあ、ちょっといい?一年だろ?連れとか居ねえの?一人?俺もこの大学に知り合い全然いないんだけど…つーか、もし良かったら、説明会とか一緒に行かねえ?」
綾瀬「大学に入って一番最初に声をかけてくれたのも飯田なんですよ。」
狩納「もしかしなくてもナンパだったんじゃねえのか、それは。」

小説版では綾瀬に下心を抱きつつも都合の良いセフレ候補としてしか見ていなかった感じのある彼でしたが(狩納との関係…もとい先に他の男に手を出された事実を知っても嫉妬するどころかそこまで尻の軽い「女」なら俺もご相伴に預かりますみたいな感じでむしろ喜んでいる。)漫画版では元々綾瀬にきちんとした「好意」を持っており他の男に先を越された事を知り、暴走してしまった結果の強姦未遂(「俺が犯した所で、どうせもう散々ヤらせまくってんだろうが!あのカノウって男に…!」by飯田)だという風に描かれていたのには、肉欲の為だけに行動していた小説版よりも(「失恋」のショックで傷ついていた分だけ)まだ受け入れやすかった展開でした。↑のセリフはもしかしなくても間違いなくナンパだったでしょうに、忘れ物の届けたついでで部屋に上がった事もあったのに(普通はそこで「彼の想い」に気づきそうなものだが…。)ひたすら「いいお友達」で終わってしまっていたのは鈍い綾瀬が原因なのか、保身大事に告白できなかった飯田が原因なのか…多分両方だな、と実感もしてしまった学友その1でした。

 時川敬昌…時川「俺が綾瀬を傷つけるはずないじゃないか。こんなに大切に想っている人の事を。」
狩納「まさかまだ大学に行く気じゃねえだろうな!?同じような奴がいないって保証は無いだろうが!」

何という事は無い、大学に行くことさえ禁じようとした狩納の判断(行かせる事こそ綾瀬の危険)は正鵠を得ていた(時川の穏やかで優しい性格は綾瀬を釣る為に行っていた演技に過ぎず、実際は盗撮・盗聴に始まるストーカー男だった。)…というのには利害関係(下心)絡みの人間しか周りにいない綾瀬に溜め息をつくべきか、危機的状況を見事に予想していたのに泥沼に足を突っ込む羽目になった狩納さんに同情するべきか真剣に迷ってしまったものでした。時川が今まで一線を踏み越えなかったのは一重に「素の自分」にドン引きされるのも、振られるのも怖かったから(まあ、ストーカー行為を知られたその日には便所コオロギを見るのと同じ目で見られるのが当然だし、元々の綾瀬はゲイではないから、まずその恋が実ることは無かっただろうが。)で、きっかけは狩納に奪われた事に起因する逆ギレでも元々がそんな変態である事実には変わりなく、狩納さんとの関係が無くても彼が発狂するのは時間の問題だったろう(「正気」で一浪してまで大学まで追いかけることなどできないだろう。)事を考えると、彼との未来はどう考えてもあり得なかったなと当然の結末に頷けたエピソードでした…。

 トド子(金玉山)…綾瀬「染谷さんのお店(オカマバー)は想像をはるかに超えた所だった…特にこの2人が。」
トド子「狩納社長のプライベートを知るチャンスだと思うとつい…大臀筋(尻)に力が入り過ぎちゃって。」

ちなみに↑のシコ名は「キンタマヤマ」ではなく「キンギョクザン」と読むので念の為。(でも、まわし一枚(ほぼ裸)でくんずほぐれつというゲイにとっては「グッとくる状況満載のスポーツ」でもデブはやっぱりタイプじゃないと相撲は辞めた様子。)自分は未だ「彼氏ナシ」なのに、対して綾瀬は自分のモロ好みの狩納社長とラブラブな挙句にこれ見よがしにキスマークをつけてバイトに来ている様に思う所(勝手な嫉妬心)は色々あった様子で、愛されている割にウジウジと悩んでいる綾瀬の態度も相まって(あの体重で)足を踏んだり嫌がらせに走っていました。…が、ヤクザ崩れの男に脅されても仲間(オカマ)を庇ってくれたその姿勢に、ようやく彼女(?)も綾瀬の良さ(負けても納得の人の良さ。お人好しが過ぎて自分を売った従兄弟や、強姦仕掛けた学友に到るまで許しているのは…確かになかなか出来る事ではない。)に気づいて認めた様子です。…それにしても元自衛官(マッチョ)のブル子ちゃんと同じく、濃いキャラクターだなあ(オカマって皆が皆「女以上に綺麗な化粧美人」だと思っていたよ。)と見た目・性格共に度肝を抜かれたキャラクターでした…。

 樋田さん…狩納「挨拶代りに教えておいてやる。人(俺)の物(綾瀬)に手を出すと痛い目に遭うってな…!」
樋田「ご…誤解です!僕が綾瀬君に手を出すなんて有り得ない…っ!だって僕は、狩納社長のような野性的な男性が好みなんですから…。」

ちなみに当の狩納社長への想いは「芸能人への憧れ」に近い割り切った気持ちだそうで、彼とは別に本気で付き合っている彼氏がいるそうです。(本命は別の人間だが、それはそれ、これはこれ。)しかし当の本命彼氏が人前では自分によそよそしいし、所詮自分は影でコソコソ隠れながらの不倫みたいな恋愛しかできないのか(横にいる綾瀬君は社長に隠されるどころか堂々と皆にラブラブぶりを見せつけられているのにね。)と悩んではいた様子です。それでも2人の仲を全く隠そうとせずに「見せつける姿勢」が過ぎて試着室だのトイレだの「ほぼ人前」でセックスするのは問題あるだろう(お前らはもっと忍びなさい!)とかの、綾瀬の「堂々とした彼氏」に対する悩みもちゃんと分かっている様子(「人前では忍ぶ彼氏」と「人前でも構わずにサカる彼氏」と、ある意味で究極の2択。)で理解はある様子に好感が持てた漫画版オリジナルキャラクターでした。ていうか、この人だけは店内で唯一マトモな普通の人間だと思っていたのにね…。(真実マトモな人間がオカマバーなんかで働いているはずがない…か。)

 鷹嘴大和…大和「綾瀬さん、すげーいい人だった…!ていうか惚れた。俺のものになってよ、雪弥。十年後にカナダかベルギーで籍を…」
狩納「このエロガキが…今すぐテメエだけ貨物船でカナダに送ってやろうか!?」

男として尊敬されている訳じゃない(どころか誰からも「女」としてしか見られていない。)というのが綾瀬(性別・男)の悲しい所ですが、それでも普通はドアごしの情事を聞かされた時点(9歳の小学生の前で辞めろっての、お前ら!)で「そこまで見せつけられたら納得するわ!」と諦める場面でしょうに、大和君、アンタまで…と誰も彼もがヒロイン(男)を思い上げていく展開になっている様には「…。」としか思えなかったものでした。(「沢山の『男』に奪い合われるなんて、女にとっては夢のようなシチュエーションって言うけど、男にとっては悪夢のような状況よね~。」by染谷)その気持ちがかつて養子(自分を差し置いての跡取り候補)にとまで考えられていた狩納への対抗心なのか、純粋な恋心なのかは微妙な所ですが(それにしたって2人の「関係」を知った時点で終わりを告げる恋だと思うが。)ともかく綾瀬の苦悩はこれからも続く様子です…ゲフッ!

永遠に美しく…

2011.02.25
 これはコメディ(笑い話)で済む内容なのか(冷静に考えると怖すぎて笑えないんだが…。)というツッコミは入ってしまうものの、アクションものとは何か違うし(銃をぶっ放すシーンはあるけど1シーンだけだしな…。)ホラーと言うには幽霊も怪人も出てこないし、サスペンス(人間ドラマ)と呼ぶには特撮使いまくりだし、ジャンルを分類していくと、やっぱりそこしか入る所は無かったのでしょうね。とはいえ、ただのブラック・コメディでは終わらずに皮肉に皮肉を利かせた内容に色々考えさせられた1作でした。さすが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのロバート・ゼメキス監督作品だけあって、中身が濃い作品です。

 ヘレン・シャープ(ゴールディ・ホーン)…「マデリーンは私に恋人が出来るとすぐ盗むの。前にも何人か取られたのよ。だから結婚前に会わせなきゃって思ったの。あなたが『マデリーンのテスト』にパスするかどうか見たいからよ。お願いだから合格して。あなただけは…。」
アーネスト「君ってバカだな。僕はマデリーンなんかに、これっぽっちも興味は無いんだ。」

そんな事を言っていたのに次のシーンでは高らかに当のマデリーンと式を挙げている辺り、男っていい加減な生き物だな、と実感すると同時にそんな女に婚約者(男)を紹介するべきじゃなかったな(結婚後に子供でもできてしまった後になってから浮気→本気になって捨てられるのは辛い。それは分かる。けれど「出会わせなければ」奪われるどころか知り合う機会も無かっただろうし、結婚するその時も「過去に男を奪った女友達」を式に呼ばないのはごく普通の対応で誰も不審に思わないだろう。)と「試す」つもりで無自覚の内に彼の目の前に「エサ」をぶら下げてしまった彼女の手際の悪さに溜め息が出てしまったものでした。(もちろんぶら下がっている人参が腐っているかどうかも確かめずにさっさと食らいついてしまった男の節操の無さに一番問題があるけれど。)7年経っても、また更に7年が経っても忘れられずに、復讐心昂じて彼の心を奪う為だけに秘薬を飲んだり(どう考えても「取り合う価値のある男」に見えないんですが…。)離婚なんて展開は生ぬるい!と飲酒運転に見せかけた彼女の殺害計画を立てたりした所までは元恋人のアーネストも「最低の妻」に対する幻滅から正当防衛(いや、過剰防衛だろ。)だと受け入れていましたが、よりにもよって彼の目の前で醜く争う姿を見せてしまった展開には、せっかく復活した彼女への想いも、ものの見事に砕け散ってしまった様子です。男の心を掴む時には、まず男に美しいイメージの元に「誤解」させる事が大切なんだなと実感できた女性でした。

 マデリーン・アシュトン(メリル・ストリープ)…夫「誓いを第一にして全てを犠牲にする人間を何と呼ぶか知っているか?バカと呼ぶんだよ。それに結婚の誓いは守り通した。『死が2人を別つまで』。マデリーン、君は死んだ。だから私は行く。」

原題「Death Becomes Her」(彼女に死が訪れた)が皮肉を利かせてそんな結論に使われるとは…と50歳にして夫に去られた結果に驚きながらも頷いてしまったものでした。秘薬のおかげで若さを取り戻したけれど、夫の心は取り戻せていないし(「髪形変えた?」「その目は節穴?」byメンヴィル夫妻)「永遠に若く美しくいたい」という女性の願望が逆に彼女達を醜くしている様には同じ女として悲しみすら感じてしまいました。(あの薬は、確かに見た目は美しくなるけれど中身の醜さは変わらないんだよな…。)愛人にババアになり果てた見た目を理由に振られた(その前に50歳という、いい年齢になって不倫をしている事自体が間違いだと思うが。)事から、薬を飲む事を決意していましたが、私が男でもいくら若く美しくてもこんな尻軽で口の悪いゲス女は御免だとしか思えず(事実、夫も「美しくなった妻」をアッサリと見捨てている。)「いつまでも若く美しくありたい」という願望以前に見た目さえ綺麗に整えれば何もかも上手くいくという思考回路自体を見直すべきだったなと、ツッコミを入れてしまったものでした。

 アーネスト・メンヴィル(ブルース・ウィリス)…神父「メンヴィル博士はいつも『人生は50からだ。』と言っていました。それ以前の彼の経歴は謎ですが体験で悟ったのでしょう。50歳を過ぎて素晴らしい奥さんに巡り会い2人の息子と4人の娘に恵まれた彼は各種活動に精力的に参加してきました。メンヴィル結婚相談所、女性研究センター、断酒の会…」

何故あと5年、いや10年早く出て行かなかったのか…と本人も言っていましたが何歳になっても何かを始めるのに遅過ぎるという事は無いんだな(むしろ家(豪邸)も妻も捨ててのマイナスからのスタートで50歳から始めてそこまでできたのは凄い。)と妙に当たり前のことを実感した彼の最後でした。(それにしても彼のトラウマをひしひしと感じる「各種活動」だな…。)6人の子供に恵まれたという事は奥さんは確実に一回り以上年の離れた女性(女が自分の卵子で受精できるのは平均で43歳=年子で次々に産んだとしても、出会ったその時最低でも37歳以下でなければならない。)であることが伺い知れ、同い年の美しい婚約者ヘレン(当時50-14年=36歳)を捨てて、華やかな化粧美人のマデリーン(小じわの目立つ36歳)と結婚し、最後には1ダース以上若い現妻クレーブと再婚したって下半身的にはリア充にも程がある人生だな(下半身は「フニャフニャの能無し」だと言われていたのに、現・正妻の前では「本物の男」になれたのか…ゲフッ!)と、最後に1から人生をやり直して社会貢献もしながら幸せに暮らした彼に拍手したものでした。神父様が「色々な足跡を残し、死んだ後も子孫や友人達の心に生き続けている彼こそが尊い『永遠の命』を授かった稀なる人」だと言っているように人生というのは長生きしたかどうかではなく「何を残したのか」で決まるのでしょうね。

 余談…彼女達に薬を与えたすっぽんぽん魔女リスル役にイタリア女優イザベラ・ロッセリーニ(「アメリカの聖女」と謳われた女優イングリッド・バーグマンの娘。ちなみにイングリッド結婚退職後に台頭してきたのが、かの「クール・ビューティー」のグレース・ケリーである。)が起用されていたり、主演男優の情けな系夫を「ダイ・ハード」シリーズのイメージが強い、若き日のブルース・ウィリス(時の流れって…。)が演じていたり、何気に豪華キャストだな、と感じた配役でした。

フィリップ、きみを愛してる!

2011.02.24
 恐るべきはこの「オッサン2人のラブコメディ」が実話だという点です。(事実は小説よりも奇なり、とはよく言うけれど…。)脱獄キング(King of Cons)ともフーディーニ(脱出術を得意とする奇術師)とも呼ばれたIQ169の天才詐欺師・スティーブンの物語ですが脱獄するまでは良いものの、向かう先が必ず恋人フィリップの元なので(ついでに言えば「脱獄する日」がフィリップの誕生日である13日の金曜日に設定されている。)よく捕まえられてはいたようです。(普通は「脱獄する」より「町中を逃げる」方が簡単なんだけどね。)そんな、どこまでも愛に生きた「嘘つき彼氏」と、何故いい年したオッサンがこんなにも可愛いんだ!と思わず女として焦りを感じてしまうほど素敵な「乙女彼氏」との愛の映画です…。

 元妻デビー・ラッセル(レスリー・マン)…スティーブン「もちろん俺がゲイであるという事実はカミングアウトするには重い問題だ。だから、妻のデビーには慎重に…」
デビー「…何ですって?」
スティーブン「俺はゲイだ!」

どこが慎重やねん!と思わずツッコミを入れてしまったものの、それはそれとして別れてもなお仲良くお友達ができるって凄いな(むしろよく平気で付き合えるな。)と子供までいるのに捨てられた彼女の心の広さに驚かされた元妻でした。相手が夫と同性だった(反応に困る内容だった)というだけで浮気は浮気であり、「正妻に嘘をついて愛人と不倫していた事実」には変わりないのに、「別れても~好きな人~♪」であったのか、刑務所に入れられた後になっても連絡を取ってくれる優しさには感嘆させられたものです。(普通は相手が刑務所に入るほどの犯罪者になった時点で絶縁する所だが。)酷い表現をしてしまえば、彼がゲイ=彼女は「ノンケの男の妻」というカモフラージュに利用されただけで、彼が「理想的な人間を演じる」のを辞めたと同時に使い捨てにされて用済みになっただけだというのに、恨まずにいるってまさしく天使のような女性だな、と感嘆した女性でした…。(でも「都合の良い女」は結局「都合の良い女」で終わるのね…。)

 恋人ジミー・ケンプル(ロドリゴ・サントロ)…スティーブン「君が必要だ。一生ものの愛だ。」
ジミー「優しいね。でも相手は僕じゃない。分かるんだ。未だ見ぬ人…でも必ず出会って君は幸せになる。信じないかもしれないけど、その資格がある。約束してくれないか。彼に誠実であると。…誠実にね。」

え?恋人は「フィリップ」じゃなかったの!?(よりによってタイトルに誤植が?)と最初に彼が登場したことに驚くと同時に、彼とは警察に捕まった事をきっかけに「絶交された」ものだとばかり思っていたので、展開に意外性を感じたと共に「エイズで死んだ彼の最期」を見ていたことまで利用して詐欺(脱獄)に役立てたスティーブンのしたたかさに舌を巻いたものでした。それにしても、運命の一目惚れを経て手に入れた永遠の恋人(フィリップ)以外の相手にも↑のような事を言ってくれるなんて(ここまでの愛情表現をしてくれるなんて)たとえ「本命」ではなくとも元妻デビーが陥落してしまう(そして別れた後でも何故か親しく付き合ってくれている)理由が少し分かる気がしました。それがアメリカ男というものか(いやいや本当に口先だけでなく「死ぬ」まで世話して看取ってくれる男はなかなかいない。)詐欺という行為は確実に間違っていたけれど、スティーブンは「恋人」に対して(それがフィリップに限らず)元々が愛情深い人間であったのだろうなと彼の性格に多少納得した過去でした…。

 スティーブン・ラッセル(ジム・キャリー)…養母「大切な話があるの。でも変わる事は何も無いのよ。あなたはこの家の大切な…」
実子「養子なのさ!」
スティーブン「もちろん傷ついたがメゲまいと心に誓った。そう、必ず最高の息子に…いや、最高の人間になる。」

本当は「最高の人間」どころか世間から後ろ指刺されるゲイの立場(偏見です!)なのですが、何の為にそんな嘘まみれの人生を送ってきたのかというと実母に「良い息子」として認めて貰いたかったという思いがあったように感じました。奇しくも彼の暴走が始まったのは実母に完全に見捨てられた後(「人間、過ちはある。許します。せめて理由を!3人兄弟で真ん中の俺だけ、何故、捨てられたんです!?」byスティーブン)だったという事も有り、交通事故で死にかけた経験にも後押しされて、それからは自分に正直に思うように生きていこうと、まっすぐに曲がった人生を突っ走り始めた…のでしょうね。ただ一言言わせてもらえば「ありのままの自分」で生きていると言えば聞こえは良いけれど、ゲイに限らず「人間の本性」なんて大概は醜いんだし、そこを上手くオブラートに包んで覆い隠しながら生きていくのが人間関係というものではないかな(誰だって世間様に対しては「良い所」を見せようと、風呂から上がれば裸でウロウロして、鏡を見ながら必死で眉毛を整え、子供の卒園式では1時間以上の長きに渡って膝が離れる事は無くても家では全開状態である「素の自分」の姿なんて覆い隠してるでしょ?)と思う私としては嘘まみれの人生を送る事に関して異論は無い(むしろ人間、皆そんなもんだ。)けれど、嘘をつく方向を間違ってしまったなとツッコミを入れてしまったものでした。(「自分に正直」と「開き直れば何でも許される」は違うんだよ…。)しかし、保釈書類を偽造して、医者に化けて、変態的な服を着た一般人に化けてまで脱獄した理由が「一目愛する彼に会う為」とは何ともロマンチックな天才犯罪者だなと感心すると同時に、それだけの頭があれば詐欺に走らなくても充分にゴージャスに暮らせたでしょうに何で犯罪に走るんだ、と溜め息も出てしまったものでした…。「他人」の自分としては、もうその凄さに免じて何もかも許してやりたい気持ちになるけれどモロに被害を受けた被害者の「身内」の陪審員からは許されなかったんだろうな(物凄い偶然だが彼を裁いた陪審員は、学歴詐称の上で就職し会社の金を横領しての詐欺を行われて良い迷惑を被った元上司リングボトムの義妹だった。)と現在も1日23時間監視付きで投獄されている姿に合掌してしまった、そんな男でした…。

 フィリップ・モリス(ユアン・マクレガー)…「僕らは愛の道化だね。ありえないような愛の…でも君となら、それも有りだ。」

ゲイで恋人の男と同棲している(一般的大多数の人達から後ろ指差されるのも気にせずに、大っぴらに「同性」と恋をしている。)そこまではまだ許容範囲だった。けれど「恋人」がトマトの産地偽装に始まって(果物でも桐の箱に入っている高級メロンはその辺のスーパーで売っている物に比べて桁が一つ違うように本当に高い食べ物は値段が違う。)怪我の保険金詐欺、カード詐欺、旅券詐欺、会社の金を使い込んでの投資詐欺と詐欺に次ぐ詐欺の常習犯(犯罪者)で自分をも騙していた「僕の名前で口座まで!おかげで共犯者扱いされてる!」→「無実の罪」で7年も刑務所に入る事になりました。)というのはさすがにアウトだったらしく、リムジンでお出迎え(しかも手にはシャンパンと花束。女性なら小踊りしそうな位、嬉しい場面だが男も同じように嬉しい場面かどうかは微妙な所である。)されても、すげなく突っぱねるほど怒り心頭の様子でした。自分を騙した彼がしゃあしゃあと同じ事を繰り返しながら生きていくのが許せなかったけれど、憎み合ったまま死に別れるのは良しとしなかったから↑のように電話で愛を告白した(でも「彼に許して貰えた」だけで「最後に彼に一目会いたい」というスティーブンの願いは叶わなかったのね。)…と、思えただけに、予想外の最後のどんでん返し(実はエイズ死を偽装していただけで、立派な健康体だった。金さえ積めばどんな工作もできる刑務所の中でお役所仕事特有の手抜きを元に、書類を偽造されただけでどの医者も看護婦も誰もエイズ再検査を考えなかったテキサス州の負けである。)には思わず笑みが零れてしまったものでした。ちなみに実は映画の最後のシーンでジム・キャリーに並んで本物フィリップが出演しており(時の流れって…。)こんなに詳しく映画化できたのは7年後にシャバに戻った彼から詳しく話が聞けたおかげという経緯もあるそうです。

 余談…「有名なアメリカ人俳優がゲイの役を演じる事に抵抗はありませんでしたか?」「僕は気にしないけど、でも…(チラッ)」「ジム、君はカナダ人だろ。」「そう、僕はカナダ人だ。」というインタビューでのやり取りに思わず笑ってしまったものでした。

エスター

2011.02.23
 見た目は子供、頭脳は大人!という某探偵アニメの設定を女に置き換えて泥沼三角関係に詰め込んだら、こんな感じになってしまうのだろうか、と「小人症」という実際の病気(下垂体の異常により「成長」ができない障害。だが、成長は出来なくても「老化」は立派に訪れるのが人間という物でいくら身長が低かろうと化粧をしようと、30過ぎの女が9歳に化けるのはさすがに無理があるだろうとツッコミを入れてしまったものでした。)と合わせて度肝を抜かれた話でした。「この娘、どこか変だ」というキャッチコピーから、普通の障害児(「普通と違っても血が繋がってなくても、それでも家族だから頑張って生きていこうね!」というお涙頂戴)の話を想像していた私としては予想外の「当たり」だった映画です。

 ライオンの絵…エスター「眼が覚めたら夢は現実になる。家族に会えるの。」

目が覚めたら夢にまで見た「理想の子供」がそこにいる。実の子の有無に関わらずそんな幻想を求めて孤児院に来る親にとっては本音を刺激される、まさしく心の琴線に触れる言葉だったでしょうね。ジェシカを死産させてしまった償い(という名の親のエゴ)から愛情のはけ口を求めていたコールマン夫妻にとっては文化系の頭のいい理想的な子供に見えるエスター(いかにも「出来のいい『お姉ちゃん』を見習って勉強しなさい。」と子供に言えるような周囲にも自慢できるいい子ちゃんタイプ。「孤児だったのを育ててあげている」という美談が付けばなおさら自尊心はくすぐられることだろう。)はうってつけだったでしょうね。「年かさ=育てるのが大変な子を敢えて引き取るなんて立派だ。」とシスターに褒められたこともあってすっかり舞い上がってしまったのかトントン拍子に養子縁組が決まってしまいました。それにしたって初対面からたった3週間で一緒に暮らし始めるなんて間違っているだろうとも思うのですが…。(日本の場合結婚した夫婦であっても面会を重ねて、何回かお泊りを重ねて、年単位で長~い段階を踏んでから一緒に暮らし始めることになるのですが…子供が既にいる場合は事情は違ってくるのでしょうか?)

 ジェシカの薔薇…ケイト「あなたのぬくもりを感じる。あなたの声が聞こえる。会えなかったけど愛してる。」

臨月近くなる程の長い間お腹の中で育てた子供を亡くしてしまい精神的な辛さからアルコール依存症にまでなってしまった(おかげでマックスが氷の張った池に落ちても酔い潰れてて気づけず、危うくもう一人子供を死なせてしまう所だった。)母親・ケイトの苦しみは確かに本物だったでしょうが容姿(ホルモン異常)のせいで女として生きることすらできなかったエスターから見れば夫をゲットして、子供も二人も産めた「女としての幸せを満喫している女性」の贅沢な悩みとしか映らなかったでしょうね。その後、養父母のセックスを目撃してしまった事からも大人の女として愛されているケイトに対する許し難い嫉妬と憎悪の想いはエスカレートし、エスターの頭脳プレイを通してだんだん家族の絆は崩壊していくこととなります…。

 ダニエル・コールマン(ジミー・ベネット)…エスター「証拠は『燃やす』に限るわね。」

前の家でも家ごと放火して全てを隠蔽した彼女の経歴を考えるとなかなか象徴的なセリフです。子供にしては物覚えが良い(だって本当は大人だからな…。)いかにも「出来の良い、いい子ちゃん」であるエスターは親ウケは良かったものの、同じ子供の目線から見れば何でもできる鼻持ちならない女子(ぶっちゃけ、うざい女)にしか映らなかったらしく、両親の注目をかっさらわれた事も有り親の愛情を巡っての強力なライバルとして始めから彼女の存在は面白くなかった様子のお兄ちゃん。おかげで当初から「あんな奴、妹じゃない。」と毛嫌いしていますが、カッターで脅されたり、ツリーハウスに鍵を掛けて一緒に燃やされかけたりと本当に敵として対決する事になるのはその後の話でした。(といってもその勝負には全部負けているような気がしますが…ゲフッ!)最も殺されかけながらも最後には息を吹き返し入院していたおかげで壮絶なラストシーンに参加しなくて済んだという事が幸運と言えば幸運だったでしょうか?父親は殺されてしまったけれど自分が殺されずに済んだ分は救いだったなと実感もしてしまった少年でした…。

 ケイト・コールマン(ヴェラ・ファーミガ)…エスター「パパ!パパ、来て!腕がとても痛いの。」
ジョン「君がさっき掴んだエスターの腕が折れてた。」
ケイト「そんな馬鹿な!」

実際には万力を使ってのエスターの自作自演であり、弟曰く「骨折はその瞬間から腫れあがる訳ではなく、特にヒビだと発覚は遅れる。」(実際に自分も自転車ですっ転んだ時に「医者」に「あ~、捻挫ね。」とシップだけ出されて放置された。)から、これは自然に騙されるのも仕方ないだろうとの意見を頂きましたが…それ以前の問題としてアンタの妻の握力は万力並みなのか?という真っ当なツッコミから真相が発覚しそうな気がするのですが…ゲフッ!ともあれ、夫と愛し合っている姿(セックスシーン)を垣間見られてから、聞えよがしに完璧なチャイコフスキーを弾かれたり(「寂しかったんでしょ。息子も娘も『聞く耳』が無くて。」byエスター)花束にかこつけてジェシカの薔薇を切られたり(「どんな薔薇か言ったのに!」byケイト)果ては家族共々殺されかけたり、一番被害を受けている女性です。なのにアルコール依存症(「酒はもう飲まない!」と言いながら、ちょっとした事でまた飲むを繰り返し、既に「嘘つき狼少年」という立場を確立している。)という前科から「信用ならない母親」として既に夫からの信頼を失っており、誰も言う事を信じてくれないというのが彼女の痛い所でした。夫も夫でかつての浮気をネタに「悪いのはお前だ!」の水かけ論に発展されていますし、やっぱり酒(アルコール依存症)とワンちゃん(犬並みに節操の無い下半身)はマズイよなと妙に当たり前の事を再度認識してしまった家族の様でした…。

 エスター/リーマ(イザベル・ファーマン)…「子供扱いしないで!」

天使の外面と悪魔的頭脳を持ち合わせた本作品のヒロイン…という名の悪役です。それまでは夫のジョンに横恋慕していたもののアプローチに失敗してからは愛情が一気に憎しみに逆転したのか(それまでは目からハートマークを出して相手を慕っていたくせに、振られたとたん180度態度を変えて目の敵にする女性というのはエスターに限らず数多く存在する。そしてそこには「男の方にも選ぶ権利があるんじゃないのか?」とか「いくらセクシーな格好をされても中身である貴女自身に萌えないよ。」とかの「一人の人間としての意見」が介入できる余地は無い。)腕の骨折なんて何のその、立派に体の出来上がっている大人の男の彼(女子供に比べれば体力も筋力も有り、家族の中では一番殺し辛いであろう人物。)をナイフでめった刺しにし、更に他の家族をも全滅させようとした様にはただ、ただ脱帽するばかりでした。こんな女なんだから、奥さんも気絶して動かなくなったことに安心なんかせずにしっかり足でも撃って確実に動けなくしてからその場を立ち去れば良かったのに…とラストシーンにツッコミも入ってしまった女子です…。

 余談…現実に血のつながりの無い子供を養子として育てる親は存在しますが、成長して大人になった元・孤児の中には自分の子供を養父母に押し付けて行方を眩ましたり、子供の存在が重荷になれば自分もそうして育ってきたんだし、と施設に丸投げする、実の子に対してさえ情の無い扱いをする人間も存在するそうで親に捨てられた可哀想な境遇で育ったから、聖人君子が出来上がるという訳でも無いようです。何の関わりもない子供を育てるのは確かに美談かも知れませんが美しいだけで済まないのが子育てというものなんですよね…。

アニー

2011.02.22
 何十回もミュージカルとして舞台化され、話は知らなくても名前位は聞いたことがある人が多い、そんな「アニー」(原題Little Orphan Annie。「小さな孤児アニー」。Orphanだけだと映画「エスター」の原題だがこの話は決して30過ぎのオバサンが9歳の子供に化けて家庭崩壊をさせる話ではないので、ご安心を。)の映画化作品です。小説自体には「アニー2~ミス・ハニガンの復讐~」「アニー・ウォーバックス~アニーのその後~」と続編は出てるのですが、1と違って舞台化すらされていない様子から話の質の低下は何となく伺える(「赤毛のアン」シリーズも1作目は面白かったが、後は別に…という内容(もちろん映画化されたのも1作目のみ)だったので分かる。)ので現在も未読な現状です…。

 アニー・ベネット(クヮヴェンジャネ・ウォレス)…「両親はあの店でカンノーリを注文して書いた。『この子を頼みます。名前はアニー。ハート形のロケットは私達が片方を、迎えに行った時の目印です。』いい人達よ。そうに決まってる。ただ一つの過ちは私を捨てたこと。」

その決定的な過ち一つで何をどう頑張っても「いい人」の範疇には入れないと思いますが…子供というのは純真です。最後まで名乗り出て来てくれない彼女の実の両親(映画で偽両親を作るのにオーディションまで開けるほどの人数が集まった事からも分かるとおり血の繋がらない赤の他人ですら「我こそは金持ちと縁続きとなった金の卵・アニーの親なのだ」と名乗りを上げる状況なのだから普通は確実に見つかる。)は実は数年前に火事で亡くなっており出て来てくれないのは恥を知った訳ではなく、どこまでも自分達の都合だった(自己破産しようが、頭にシラミが湧こうが、ゴミ漁りしようが、ダンボールハウスに住もうが、貧乏でも世間から後ろ指を指されるのを気にもしなければ何をやっても「子供を手放さない」ことは可能。(たとえそれで子供本人もいじめられようとも。)生活が大変なのを言い訳に「子供を育てるのが面倒臭い」から捨てた訳で、無計画なセックスをして子供を作った経緯と合わせて、そこに弁解の余地は無いと思う。)という裏事情が分かると余計に「…。」と思えてしまう両親です。(大体ロケットを置いて行く位なら家族写真位挟んでやれよ。)まあ、おかげで大富豪の養女になれた訳ですし恵まれた娘ですけどね…。

 ウィル・スタックス(ジェイミー・フォックス)…ウィル「この高架線で父は一日に20時間働いていた。働きづめでそのまま死んだ。私は12歳だったが仕事でいなかった父の顔を覚えてはいなかった。だから私は懸命に働けば父に近づけると人を拒絶した。」
アニー「でも今は私がいる。」

1日20時間も働かなければいけない父親(過労死した自販機入れ替え業者みたいだな。)から自然と「貧乏な家庭」のイメージが湧いたのですが、その割には屋台のマッシュポテトも食べられずに噴き出したり(汚泥を啜って屍肉を食らうほどの生活…とまではいかなくても「貧乏」で貧しい食生活をしていたのではないの?)病的な潔癖症で他人との触れ合いも満足に出来ない(子供とぶつかっても除菌を考えるほどに。)辺り性格は完全なる「温室育ちのエリート」な彼。もしかして20時間も働いて稼ぎまくってくれていた父親のおかげで彼は子供の頃から何不自由の無い豊かな生活を送ってきたのか?と逆方向の疑問すら出たものでした。(普通に働いて家族と過ごす時間を取れば良かっただろうに、充分な収入が有りながらまだ足りないとワーカホリックになって挙句に死んだら意味無いだろう。逆に「仕事は出来たがどう考えても地頭は悪かった父親」の事を人には言えない、彼の秘密の理由は理解できましたが…ゲフッ!)そう考えると家族(養女アニー)を作って仕事にストップをかけたのは英断だった(このままでは父親の二の舞になる。)とは言えますかね。(映画を見て2時間時間を潰した(連絡が取れなかった)だけで部下が「あの人まさか死んでないよね!?」と不安になる位の働きぶりだからな。)美人秘書の彼女も手に入れた訳ですし、仕事は多少停滞しても(もう既に充分稼いでいるし。)幸せな結末を迎えたと言えるでしょうね。

 ミス・ハニガン(キャメロン・ディアス)…「私の目当ては州から出る週157ドルの助成金。でも悪ガキじゃ割を食う。私は輝くスター歌手だった。でも出演直前にクビ。無名のまま死ぬの。」

原作小説ではアニーが捨てられた孤児院の院長であり、引き取っている小ネズミ(子供)は5人どころじゃない話でした。子供達が彼女の元での生活を「辛い人生」と評しているだけあり1933年(小説版)のこの時、児童虐待については問題にもされておらず(虐待自体は大昔からあったが「問題視」されて子供達を庇う運動や法令が出始めたのはここ最近の30年位の歴史しかない。まして孤児院の「親がクレームをつける心配も無い子供達」など、どんな扱いをしてもどこからも非難されない無法地帯だった。)子供達は彼女の元でタダ働きの召使いのように働かされていた様子です。なので映画版の金目当てに子供達を利用している腹黒い女とはいえ、最低限の衣食住は保証され、(勉強できているかどうかはともかく)学校にも行かせて貰っている様には口うるさい女であることは確かだけど同情するほど「悲劇的な環境」とも思えず、あんまり共感できなかった(むしろシンデレラストーリーに必須と言える「どん底の環境」として成り立っていないような…ゲフッ!)ものでした。却って子供達の言う「こんなに厳しい私達の人生」とやらに世間を知らない小娘達が生意気言ってるんじゃない(腕を焼かれた「Itと呼ばれた子」や性的虐待から多重人格障害が悪化した「24人のビリー・ミリガン」など、アンタ達より「酷い人生」はこの世に山とあるだろう。)とすら思えてしまったり…ゴフッ!

 ルースター(ディヴィット・ザヤス)…ハニガン「このみすぼらしさの出口はどこ?スターに戻りたい!小娘なんてもう、うんざり!」
ルー「なんて良い声だ。さすが美女は違う。君が鐘を下げているのか、鐘の中に入っているのか…もしも君が鐘なら、俺は教会に通うよ。…鐘の意味、伝わった?」

女を見る目も最悪だが、どんだけ彼女を曲解して勘違い思考を働かせているのか(「今度俺と踊りに行こう。」「そこまで堕ちてない。」「その罵倒、シビれるね!(愛情の裏返しさ。俺に惚れてんだよ。←違います。)」)歌声ではなく歌詞の方にツッコミを入れるべき所が山ほどあるだろうと、彼女が他の男と寝ても全く気にせずに思い続ける(「彼と踊った(寝た)なんて!」「彼と?」「ヤケだったのよ!」「ああ、それなら…。」←本来スルー出来る事柄じゃないぞ、確実に!)ひたすらおめでたい思考回路にツッコミを入れてしまったものでした。ちなみにこの人は原作小説ではミス・ハニガンの恋人ではなく「弟」であり、報奨金の5万ドル欲しさにアニーの親になりすまして攫ったた極悪人でした。映画ではミス・ハニガンも改心し、彼もまた、愚直なまでに(むしろバカ過ぎるほどに)いい人という出来過ぎた設定にされたのには却ってリアリティを感じなかった終わり方でした…。

天使にラブ・ソングを…

2011.02.20
 子供の頃金曜ロードショーで日本語吹き替え版を見たのですが「この食事まずいわねえ~。って、ちょっと!塩ぶっかけて食べるから持って行かないでよ!」と言う「ガラの悪いヒロイン」の姿に一気に興味を失くしてマトモに見ようともしなかった記憶があります。が、大人になった(「そんな程度のガラの悪さなら可愛いもんだ。現実にはもっと酷い『実例』が山とある」ことを知った)今だからこそ見直して楽しめたミュージカル映画です。映画自体も公開当時6か月連続公開を記録する大ヒットを箔したそうで、主演のウーピー・ゴールドバーグの人気を不動のものにしたのも納得の、コメディの形を取りながら見事に「人間」を描いた素晴らしい作品でした。

 デロリス・ヴァン・カルティエ(ウーピー・ゴールドバーグ)…「さよなら、ヴィンス。止めても無駄よ、ロスへ行くわ。あそこは暖かいから毛皮もいらないしね。熱いマイアミに行くわ。私には才能があるのよ、1人でシカゴに行くわ。ニューヨークで成功するわ、歌手として身を立てるのよ。」

しょっぱなから舞台で歌って登場する「オープニングを飾る歌手」という役柄もあり(当の舞台がパラパラとしか拍手を貰えない全く注目されていない内容でも一般人レベルまでド下手な歌ではその後聖歌隊を引き上げるのに説得力が足りない、という事で)主演の彼女はこの映画の為に歌唱訓練を受けており「バスタブで歌う鼻歌がどれだけ気楽か思い知った。」とインタビューで答えていたそうです。子供時代に担任シスターに将来を危ぶまれていた通り見事に道を踏み外してギャングの愛人歌手になっていたデロリス。(日本で言えば極道組長の妾の一人にでもなったという所か。仕事も彼から貰っているお情けの内容ですし確かに堕ちる所まで堕ちているな、と納得してしまいました…ゲフッ!)ヴィンスを追っていた警察も限りなく疑わしく犯人がその人間以外に考えられなくても「物的証拠」や「目撃者」がいない限り「事件」として立件はできない(ストーカー殺人などで「事前に被害者から相談も受けていたのに何で防ぐことができなかったの!?」という事例が多いが、実際は事件が起こった後もこんな体たらくらしい。)事情から、殺人の瞬間をその目で見た貴重な「生きた証言者」たり得るデロリスを特例として(放置せずに)修道院に入れる形で守っている辺りはさすが映画だな、と出来た展開に感動したものでした。(実際、この映画(作りごとの話)以外に警察が寄付金を出してまで現段階では何もされていないストーカー被害者を守ろうとした話など見た事も聞いたこともありません…ゲフッ!)そして結果的にはこの修道院に入ったおかげで歌手としても成功し始める彼女。人生何が幸いするかなんて本当に分からないと実感できる素敵なお話でした…。

 修道院長(マギー・スミス)…院長「その女性には同情しますけど修道院にとっては危険です。」
神父「安全は警察が保証します。ついでに寛大な寄付も。修道院存続の危機でしょう?」
院長「…警察の寛大さ(寄付金)に応えねばなりませんね。」

奉仕の精神の元に神への愛に生きるのは素晴らしいことですが愛だけでやっていけるほど世の中は甘くも無かったという厳しい現実の前には妥協せざるを得ませんでした…。「戒律を守るシスター」としては理想的な人物ですが「経営者」としての実績は無いも同然という彼女(「次はポップコーン?カーテンコール?あなたは冒瀆によって聖歌隊を堕落させたのよ!」「じゃあ貴女は私のように道行く人達を呼び込む事が出来るんですか?」「えっ…。」という内容。厳格で保守的だが少なくとも「イベント向き」の性格ではないだろう。)神父様の口車とデロリスの調子の良さ(「院長様は地域との交流も計画しておられます。」「何と立派な!」「はあ!?この地域がどんなに危険かご存知でしょう!」「でもあなたはやる気だ。止められはしない。」「責任は全部私かよ!」という展開。)によって修道院も活気を取り戻してきましたがその全ては自分の力じゃない(「成功」はしたけれど自分は何の助け手にもなれなかった)ことも重々分かっている彼女は、身近なシスター達でさえ自分では無くデロリスの方を支持している事を実感して辞表を出す決意を固めたのでしょうね。しかしシスター達のトップにいる彼女が動かなかったらデロリスを助けられなかったのもまた確か(「シスターだらけだ。デロリスはどれだよ!?」「バカ野郎!探せばいいだろう!ねえ、君。」「何かしら?」「…人違いでした。」という終盤。)であり「こんな自分でもできる事があるはずよ。」(デロリスの言葉)という事を実感して成長した後はその場から逃げずに頑張ることを決めた様子です。この話はデロリスと修道院長、全く正反対の2人が互いに感化されて成長する物語だったのだなと実感したストーリーでした。

 メアリー・ロバート(ケイト・ベッキンセイル)…「もっと自分の力を発揮したいの。私でなければできない事で…良くない考えかしら?」

金髪の一番の可愛い子ちゃんシスターです。弱々しくか細い声しか出せなかった彼女が、短期間でよくソロパートを歌えるまでに上達したものだ…と思ったらアレは彼女本人が歌っていたのではなく口パクだったというオチがついていました…ゲフッ!(まあ、主役でもないし、いいんですけどね…。)目覚まし時計を持ってきてくれた彼女に触発されてか「こんな私でもできることがあるはずよ。」とせっかくの修道院追放の機会を棒に振ってまでその場で頑張る事を選んだデロリス。何故、修道院を抜け出すというとんでもない規則違反をした彼女が罰せられず、聖歌隊にまで入れるのかという疑問は「彼女は『経験者』だそうよ。」「院長とアンタの企て位、分かってるわよ!私に代わって指揮者になる気ね!そこまで自信があるならやってみなさいよ!」(自棄を起こして自ら引退してどうするんですか、前任者…。)という世の中の事情に滅茶苦茶鈍いシスター達の誤解によって、その日も秘密は守られていました。その後、聖歌としては明らかに異質なモータウン楽曲風アレンジが展開されてもなお単純にデロリス=シスターと信じ上げられる彼女達の精神の健やかさ(誰一人ツッコミを入れなかったのか、アレに…!)には感謝すらしてしまった程です…ゴフッ!

 ヴィンス・ラロッカ(ハーヴェィ・カイテル)…「愛していたんだぞ。何でもやった。愛情も時間も仕事までも。恩を仇で返すつもりか!下手を承知で歌わせてやったのに!」

もちろんここで言う「愛」とは「君の体だけを愛している」という意味であり、ミンクのコートも、舞台で歌える仕事も、(一般人の感覚からすれば「大金」ですが)ネヴァダ州一帯に縄張りを持つギャングのボスである彼にしてみれば「はした金に過ぎない」出費でしかなかったというオチがついています。しかし、愛人にプレゼントした紫のミンクは奥さんの物と間違えているし(奥さんの方も奥さんの方で「『デロリス・ヴァン・カルティエ』?誰の名前よ、これ!?」と修羅場に突入した事だろうな…。)これから部下を「始末」するという時にドアに鍵もかけていないオープンな体たらくだし(鍵位かけておけば、怒って押し掛けた愛人という新しい「目撃者」を作る事も無かったでしょうに…。)邪魔者を始末するにしても聖職者は殺せない(巡礼者など神に身を捧げた者を殺すのは最大の冒瀆に当たる。しかし既に不倫をし数多の殺人をした戒律犯しまくりの彼がそれを気にしても今さらな気がするが…。)から部下に丸投げという有様だしギャングのボスにしてはあまりにも間抜けていたというか、詰めが甘過ぎる男ではあったんでしょうね。デロリス発見にしても奥様に言われるがままにきちんとテレビを見ていれば(「ねえ、あなた!私達もこの教会に寄付しない?」「ああ?今ビリヤードの練習してて忙しいんだよ!」)もっと早くに見つけられたはずですし、警察に追われる身の割には危機感が足りな過ぎたんでしょうね…ゲフッ!

マイノリティ・リポート

2011.02.19
 特定の人間からどんなにつけ回されても、待ち伏せされても、連日電話をかけられて本人が真剣に「殺されるかもしれない」という予感を抱いても「結果の発生」(殺人事件)が起こらない限り刑法上の犯罪には当たらない(そこでストーカー規制法による処罰規定が設けられた訳ですが、逆に言えば特別に新しく法律を作らないと厳重注意すらできない例外的な類型の犯罪ではある。)それなら「予感がした」というだけで事件発生前に「殺人犯」が捕えられるようにしたらどうだろう、という面白いアイデアの元に作られた秀作です。そんなアイデアの元に作られているのに捕まえられる犯罪者達の方に思わず同情してしまうほど扱いが惨かったり、真の黒幕はシステムを逆手に取って殺人を犯している(結局、どんな法律やシステムを作っても皆その穴をくぐって犯罪を犯すという訳か…。)辺りも面白いなと感じた作品でした。

 ハワード・マークス…ハワード「眼鏡が無いと何も見えないんだ。ド近眼だから。」
ジョン「未来殺人予防法により(何もしてないけど)逮捕する!」

え?浮気した奥さんの方が明らかに非があるし、旦那さんの方は何も悪い事をしていないじゃない(むしろショックで泣いていた所のすぐ横で情事に突入されそうになった「泣き面に蜂」状態で、どう見ても旦那さんの方が哀れなんですが…。)と何もしていない(衝動的に殺そうとはしたけれど結果的には未遂。)なのに収容所行きになった夫に思わず同情してしまったものでした。息子は息子で父親の写真の目を切り裂いているし(親の写真を拡大コピーしてそんな扱い…。)妻は妻で夫とのランチの誘いを蹴ってまで浮気相手と逢瀬を重ねようとしているし(だからって普通、愛人を「自宅」に呼ぶか?浮気の是非はともかく(注・悪いです!)こういう問題って「家に持ち込まない」のがマナーなんじゃないの?)衝動殺人を犯す以前の問題で、この一家は家族として終わっていたのが分かりますが夫として魅力を感じなくてもATMとして利用はしている(男としては卑下しているが家と給料だけは体よく利用している)妻のしたたかさにドン引きしたご一家でした。ラストにおいて「囚人は全員免罪され自由になった」(そもそも何もしてませんから!)そうですし不貞行為を理由にこんな奥さんとは別れてしまえ(不倫は立派に離婚要因として認められる。最も「私に浮気をさせた夫が悪いのよ!」という強引なへ理屈の元に家も子供(養育費)も手に入れたつわものも存在はするそうですが…ゲフッ!)と心から彼の不幸に哀悼の意を示したものです…。

 ジョン・アンダーソン(トム・クルーズ)…「この6年、僕は2つの事だけを考えてた。『息子が生きてたら、どう育ってる?』『さらった奴をどうするか?』。君は正しい。冤罪なんかじゃない。君の言った通り少数報告(マイノリティ・リポート)は無い。僕の未来は予知通り。僕はこの男を殺す。」

しかしアガサの言う通り「よく考えて」みたら自分が誘拐した子供の写真をわざわざベッドに撒くか?これはいわゆる証拠過剰(でっち上げ)だ(「私は殺人課だったがこんな事例が何件あったと思う?ゼロだ。」byウィットワー)と彼を追う捜査官同様、不自然な展開に気づいた主人公でした…。そしてこの計画的殺人(茶玉)が予知されたのも予知能力者アガサの母親アン・ライブリー殺害事件を調べ出してから(でもってそれをラマー局長に報告してから)で、、自分を失墜させる人物として一番怪しいと睨んでいたウィットワーも犯人でなかった(殺された)となれば消去法から真犯人(ラマー)はバレバレではあったのでしょうね…。「犯罪予知システムで働けばあのような許し難い事件が2度と起こらなくなる。」と麻薬中毒&仕事中毒になるきっかけを作った息子の誘拐事件もラマーが仕組んだものらしい(「君は選ばれたのだ。システムの誕生が半年早ければ君とララは息子を失わずに済んだ。」←そもそもシステム発足半年前という超都合の良いタイミングでそんな事件が起こったという経緯が…。)ですし、事件のおかげで奥さんとは別れる羽目になっているし(ラストでは再婚して新しい子供を妊娠もしてるけど立ち直るまで6年もかかったというのは長い。)どんだけラマーに人生狂わされているんだ、この主人公は…!と思わず同情してしまったものでした…。

 預言者アガサ(サマンサ・モートン)…ジョン「あの子がいたら…。」
アガサ「その気持ちは彼女(アン・ライブリー)も同じ。娘を取り戻そうとしたのよ。でも遅過ぎた。娘は彼女の手に戻ってこない。」
ジョン「でも生きてるよ。」
アガサ「死んではいないけど生きてもいない。」

「夢で殺人の場面を見る」のなら、ずっと寝かせておけばいい(そうすれば24時間対応で予知ができる。)と薬で常に半覚醒状態にされている彼女達。(健康体なのに能力を利用する為だけに一服盛られて朦朧状態にされているプリコグ達といい、未来に殺人を犯す予定だからと何もしていないのに問答無用で収容所に入れられている人達といい、この映画って基本的に人権を無視してるよね…。)ことアガサに到っては最も能力が優れているおかげで目を覚ましていても「(近い未来で使うから)傘を取って!」「小銭を置いて来て!(拾う浮浪者につまずいて追手が転ぶから!)」「浮気がバレるわよ!」等々、殺人以外の未来も事細かに予知できる様子です。ラリっているから育児なんてできないと麻薬中毒で子供を手放した母親(散々他人に育てさせたけど更生施設で麻薬も絶ったし手もかからないほど大きくなった娘をご都合良く返してね。)は確かにロクデナシだったでしょうが、ダメ母の元での生活であっても犯罪予知システムの中で生きながらの「道具」として扱われるよりはまだ「人間」として生きて行けただろう展開を考えると殺された(そしてその場面を持ち前の能力でくまなく「見て」、知っていながら何もできなかった娘)が物凄く哀れに感じた過去でした。最後は予知システムの廃止から「秘密の某所」(…何所ですか?)に移されて安らかな日々を過ごしているそうですが、ロングショットになっていく彼らの家(大自然あふれる環境と言えば聞こえは良いが周囲に一軒の家も無い辺鄙なド田舎の島国)の様に陸の孤島じゃないか!(相変わらず一般社会から隔絶した環境じゃないか!)と思わずツッコミを入れてしまったものです…ゲフッ!

 ラマー・バージェス局長(マックス・フォン・シドー)…
ジョン「終わりだ、ラマー。自分に尋ねるがいい、次はどうすべきかを。もちろん自分の未来は自分のもの。自分の意志で変える事も出来る。僕がしたように予知以外の道も選べる。」
ラマー「そう、自分で選べる。決断したよ。許してくれ、ジョン。…私を許してくれ。」

息子の誘拐殺人といい、濡れ衣を着せてのクロウ、ウィットワー殺害容疑(殺された2人だっていい迷惑)といい自殺したからって許せる内容か?と個人的には疑問が出てしまいました。ジョンを殺しても収容所行き、殺さなくてもアン・ライブリー殺害はバレているから然るべき刑罰は受ける羽目になる(どっちみち今の地位からは転落する)のが嫌で逃げただけでしょう?(結局アンタの一番大切なものは「予知システムの継続」ではなく「保身」だったという話…だけではないの?)と死んで終わった最後に反して全然同情できなかった真の黒幕です。「自分の意志で予知以外の道を選んだ」(未来なんて自分の意志でいくらでも変えられる)という事を示す為にもあの終わり方にしたのでしょうが、おかげで予知システムは崩壊していますし「自分が死んでも予知システムが継続するようにした」のなら、アガサ達の人権はともかく彼には彼なりの信念があったのだろうと別の意味で感心はできたのですが…結局、彼にとって大切なのは「自分が出世すること」で「犯罪の無い社会を作ること」じゃなかったのね(そもそもシステムを確立する為にアン・ライブリー抹殺という「犯罪」を自分で行っているしな。)という本心が透けて見えたものです。「銃犯罪の無い未来を期待しようじゃありませんか。」と口先では言いながらクロウとウィットワーを他ならぬ銃で殺し、自身もまた銃で死んだ犯罪者だとは皮肉な結末だなと、ダジャレに即した内容にツッコミも入れた終わり方でした…。(主人公の目を手術した医師のセリフ「うちの助手はアンタに惚れたらしい。アンタに『目が無く』て、これ(他人の眼球)がプレゼントさ。」といい、この作品ってブラックユーモアが効いてるよね…。)

トータルリコール

2011.02.18
 旧作版です。リメイク版があまりにも酷かったので、思わず見返してしまいました。(リメイク版公開を記念してか、ちょっと前に金曜ロードショーで放映されていた…のを父さんがしっかりビデオに撮っておいてくれたのが2度目視聴のきっかけ。旧作の方は本当に面白かったのに…。)「未来」の割にブラウン管テレビだったり、電話ボックスから電話をかけていたり(携帯が普及した現在、電話ボックスの姿はほとんど見なくなった。)何気に90年代特有の匂いも感じる、そんなSF作品です。

 ハウザー/ダグラス・クエイド(アーノルド・シュワルツネッガー)…ハウザー「やあ、クエイド。この映像を見てるって事はクアトーは死んだんだな。君のおかげだ。色々と酷い目に合わせて済まないが、俺達の仲だ、大目に見てくれ。君に幸せと長寿を祈りたいが…残念ながら、そうもいかない。お前の体は最初から俺のものなんだ。悪いと思うが返して貰う。じゃあな、クエイド。またいつか夢で会えるかもな。」
ダグ「畜生!この野郎!」

実は「自分」にも裏切られていたという驚きのオチには公開当時も驚かされたものでした。序盤の悪夢から目覚めた後、寝乱れた姿で半裸で身を起こすというサービスシーン(しょっぱなから上半身裸ですか!)から始まるこの映画、職場は建築現場ですし(あのたくましい体では似合い過ぎ。)シュワちゃんといえば筋肉だよね!という彼の特性をこの映画でもちゃんと分かっていた事が伺える物語です。最後は元人格(「今までの記憶」であるハウザー)を無視する形でダグとして生きていくことを選んだ主人公ですが、確かに↑のような性格の悪い男ではファンはついてこないでしょうし、今までダグ目線で話を見てきたのに、ここに置いて↑のような奴に「主人公」が殺されるのも納得がいかないですし、クアトーの言うとおり(「人を定義するのは行動だ。記憶ではない。」byクアトー)元人格には悪いですが、これで良かったんでしょうね。

 ローリー(シャロン・ストーン)…ローリー「私は『妻』だけど本当はあなたの監視役なの。6週間前までは会った事も無かった、ただの他人。気の毒だけど今までの生活は全て幻よ。…でも、これだけは分かって。今までの男であなたは最高だったわ。」
ダグ「光栄だね。」
ローリー「お別れね。最後の思い出に…どう?もし私を信じられないのだったら縛っても良いわ。」

「夫」が記憶を取り戻し始めた後、銃口を向けるも全弾外している辺り、射撃の腕は今一つである様子です。(ここで見事に命中させていたら、物語は舞台を火星に移してまで長丁場になる事も無く、話はここで終わっていたのだが…。)ダグとは任務で「妻役」を行っていただけで、本命は上司のリクターだった(ぶっちゃけ、頭髪も後退し始めたオヤジ(リクター)なんかより、若くてピチピチ筋肉質のダグの方がどう見てもいい男なんだが、人の趣味は分からん。)様子ですが「そんな程度の男」相手でも↑のように股を広げることができるなんて、「演技」であっても、それはそれで凄いなと別の意味で感心してしまったビッチでした。「結婚して8年が経っている設定」なのに今でも恋人感覚でラブラブな奥様がいて、家は巨大テレビとホログラフがついたアパート(土木作業員という仕事は、内容がきつくても給料は良いんだよな…。)という理想的な様に、これで「生きている実感が欲しかった」なんて贅沢過ぎる悩みを持ったな、と「今までの生活」が幻と消えた様には思わず涙もした、そんな物語の始まりでした…。

 メリーナ(レイチェル・ティコティン)…メリーナ「酷い男!殺されたと思ってたわ!連絡ぐらいくれたって良いでしょ!私の事は心配じゃなかったの!?…ハウザー、無事で良かった。」(キスの嵐)
ダグ「メリーナ、聞いてくれ。君を覚えていない。コーヘイゲンを裏切ったので『別人』にされたんだ。地球に送られ妻や仕事を…」
メリーナ「ちょっと今、『妻』って言ったわね!ハウザーには奥さんがいるって訳!?バカにしないで!」

平手打ちを喰らわせて責め立てた後に態度を一変させて、甘えた仕草で抱きついてきた辺りどうやら典型的なツンデレ性格奔放(淫ら)で従順(控え目)という条件をかけ合わせるとツンデレになるらしい。)の様子です。↑のようにケンカ別れしておきながら、それでも諦めきれずに機関銃を手に追いかけて(…え?彼を殺す気?)、再会しながら(ヨリを戻しながら)もまだ「コーヘイゲンの敵は私達(レジスタンス)の仲間だから!」と素直になれない辺りは「可愛い」と取るか「いちいち面倒臭い女」と取るか意見が別れそうな所だとも思ってしまいました。ちなみに、記録ビデオによるとハウザー(コーヘイゲンの手先)には奥さんこそいなかったものの、メリーナに近づいたのはダグ(何も知らない一般人)になった時に「恋人同士の感動の再会」を通して自分が内部に潜り込みやすくする為で、メリーナは「利用する為にハウザーには騙されていた」事に違いは無かったらしいです…。

 コーヘイゲン(ロ二ー・コックス)…コーヘイゲン「もし火星の反乱分子が勝てば私はお終いだ。お前はそれを望んでいるのか!?」
リクター「奴には協力者がいます。考えてみるに…」
コーヘイゲン「考えなくていい!私はお前に判断する事など望んでいない!お前は言われた事だけ、やってりゃいいんだ!」

部下の恋人(ローリー)を他の男にあてがい、事情も説明せずに、ロボットのように動けというセクハラ&パワハラの連発をする上司に「学習」して、どこまでもイエスマンになる事で生き残っていった旧作版リクターでしたが、リメイク版ではそんな上司について行けなかったのか(はたまた今度こそ「大目に見られず」に消されてしまったのか?)部下の姿が見られない辺りに納得がいったものでした。非情なくせに友達を失うのは惜しかったのか、ハウザーを復活させようとしてダグを生かしておいた為に、それが仇になって火星の解放を招いてしまったのはいかにも友達がいなそうな彼の落ち度(中途半端な情)です。親友を最初から見捨てるほど非常になりきれば、最後に火星の大気の中に放り出されて死ぬ事も無かったんですけどね…。(というか、「偉大な指導者」クアトーをぶち殺す任務を終えた時点で、ダグはもう用済みなのだから、その時にサッサと殺しておくべきだったな。親友を失いたくなかったのなら、映画序盤のように何十回でも鎮静剤を打ってから(むしろアレは打ち過ぎ。)リコールにかけるべきだったし、上手く行っておきながら詰めが甘かった男です。)

トータルリコール

2011.02.17
 リメイク版です。あの名作が新キャストで帰ってきた、というのでレイトショー&レディースデーというお得な値段設定で(オイ!)初日に家族で見てきました。(実際に公開されたのは2012年の8月という日付のズレは気にしないで下さい。)…が、話のスケールは小さくなるわ、ノリは悪いわ、重大なオチを最初にバラすわ話の構成的に完全に間違えてしまったガッカリしてしまう程のダメ映画になり果ててしまっており正直お勧めはできない映画でした…ゲフッ!もはやタイトルと登場人物の名前だけ同じの別の映画だという評価が我々の中では下されてしまっています…ゴフッ!

 序盤の悪夢…舞台は火星じゃないんですか!?と旧作の重要なキーポイントをバッサリ削除してメリーナとの涙の別れ(だけ)にしてしまったベタな展開に思わずげんなりしてしまったものです。繋いだ手を銃弾に貫かれて引き裂かれてしまった2人に対して我々はアクション映画を見に行ったのであってメロドラマを見に来たのではないと思わずツッコミを入れてしまいました…ゲフッ!そもそもハウザー(元人格)は敵の内部に潜入する為にメリーナと関係を持っただけであり(つまりメリーナの方はともかくハウザーにとっては利用する為の遊びに過ぎなかった。)原作を考えるとあり得ない展開(そもそもハウザーはメリーナにそんなに固執していない。)なのですが、脚本を書いた人はその辺を理解していなかったようです。悪夢から覚めたダグラス(新人格)に儀礼的にキスはするもののツンデレでじゃれ合わないローリーにもがっかりでした。(あんな甘さの欠片も無い生活じゃ義務で仕方なく暮らしていることがすぐにバレてしまいやしませんかね?)

 住居…旧作では(ホイホイ宇宙旅行ができる近未来にも関わらずブラウン管テレビが多い設定はさておいて)ハイソ&小奇麗&広いと3拍子揃った素敵な家で或いは何も思い出さずにこのままの暮らしを続けていた方が幸せかもしれないと思わせる恵まれた環境でした。(だからこそ妻とリコール社の社員が「元の現実に戻れ。」と説得に来た時に葛藤も生まれる。)それが何でこんな中国の下町みたいな場末感漂う汚い街になってしまったんでしょうか?(ラピュタじゃあるまいし街が空中に浮いてりゃいいってもんじゃない。)昇進がフイになったことと併せてこれでは現実から逃げたいと思うのも無理はないなとベタ過ぎる展開に微妙さを感じてしまいました…ゲフッ!旧作では「バカなことを考えていると人生を棒に振るぞ。」という友達の忠告通り「恵まれた生活を失くしてしまった」(全てが偽りだった。)というその喪失感が良かったのですが…。

 リコール社…「同じ記憶があると脳が混乱して上手く作動できない。」

だからお前は2重スパイだったんだな、この犯罪者!と言われてもいきなりの展開でもう何が何やら…。(2重スパイという重要なオチをこんな序盤でバラされても、組織図がよく分からない。)超都合よく駆けつけた警察の皆さん(24時間体制で待機ですか?)を殴り殺した「体の記憶」(どんな生活送ってたんですか?)から「俺はいったい何者なんだ!?」と疑問が出て来る訳ですが何の為に誰から戦闘訓練を受けていたのか、何故ピアノが弾けるのかその疑問は最後まで解決されずに終わってしまい、正直話としてこれでいいのかとツッコミを入れてしまいました。ビックリするシーンを繋げれば観客が引き込まれるという訳ではないですよ、脚本書いた人。(むしろいきなり過ぎてビックリに対する余韻が生まれてきません。)

 ローリー(ケイト・ベッキンセイル)…旧作では(演技とはいえ)明るく可愛い奥さんでこんな人と一緒に暮らしたら楽しいだろうなあ~と思えるほどのいい女だったのですが、この作品では逆DVの鬼嫁です。(旧作でも主人公を殴ってはいたものの男の急所への攻撃が多くて逆に笑えたのに。)メリーナとの殴り合いの場面でもガンガン女同士で顔を殴り合っており(拳で殴り合っている割に顔が不自然に綺麗なままというダメージの少なさは不思議。)もはや「女の戦い」というより「醜い争い」に見えて、見ていて別の意味で痛すぎました…。旧作で存在した愛人(恋人?)のリクターが登場しないのもこんな性格じゃ逃げられるよなあと納得してしまう程です…ゲフッ!

 メリーナ(ジェシカ・ビール)…あの「テキサスチェーンソー」で友人全員を救えずに自分だけ助かった女か…と第1印象からしてあまりいいイメージが出てこない女優さんです。(初めて彼女を見た映画が悪かったね…ゲフッ!)旧作ではリコール社員の冷や汗で虚偽を見破ったというのに、リメイク版では彼女の涙を信じて友人を撃つというひたすらロマンティックな展開に変わり果てていました。(ロマンで殺された友人・ハリーが哀れ。)旧作版だったらヒロインのタイプ(黒髪・筋肉質・奔放に見せかけて従順。)を催眠前に選ばせたことから彼女が妄想から生まれた存在かもしれないという解釈もあり得たでしょうが、夢(過去の記憶)で見ていた以上その仮説を成り立たせるのには厳しい物がありどっちかを撃ち殺さなければ話が進まないという選択も非情に思えて(真っ赤な見るからに怪しげな錠剤を飲むという平和的な選択は無いのね…。)共感できませんでした。「究極の選択」を突き付ければドキドキ・ハラハラ感が生まれるという訳じゃないですよ、脚本書いた人。

 ハウザー/ダグラス・クエイド(コリン・ファレル)…ハリー「脳をいじるなんて辞めとけ。」

原作「記憶売ります」の話では火星でのアクション物語も含めて全てが夢であり、日本語版(の1部)でもラストのキスシーンの後に「これは全てリコール社が見せた夢である。」(今まで長~い夢を見ていただけで話は全部フィクションでした。)と但し書きが出てくるそうですが、リメイク版ではそう思わせた直後に変装した鬼嫁に殺されかけるというドタバタ展開が待っていました。(ていうか気絶している間にさっさと殺しておけばいいのに…ゴフッ!)鬼嫁をぶち殺した後やっぱり物語は現実にあったこととして強引に終わっていた辺りは(鬼嫁ことローリーさんは死に損か…ゲフッ!)夢にしたいんだか現実にしたいんだか(旧作映画通りにしたいんだか、原作に近い話にしたいんだか)分からなくてひたすらドタバタ話が進んでいく様について行けませんでした…。発信機(携帯電話)が埋め込まれていたのも手の平で(鼻の穴じゃないのか…。)楽々取り出せたのにもスケールの小ささを感じて引き込まれなかった主人公です…ゲフッ!

 コーヘイゲン(ブライアン・クランストン)…旧作版での有能な部下であったリクターがローリーに愛想を尽かして蒸発してしまったおかげで(違うだろ。)自らガチンコでダグラスと戦ったり自分で足を運んで色々行動せざるを得ない敵組織のボスです。(人員がいないというのは厳しい事です。)旧作ではハウザーとは親友同士でありレジスタンス側のボスを倒す為に2人でつるんでいたという驚きのオチが待っていたのですが、リメイク版では「コーヘイゲンに従っていたのは間違っていた。」と元の人格であるハウザー(のビデオ)にまで三行半を書かれており部下だけでなく友達もいないのかと思わず同情してしまいました。唯一のキーパーソンレベルの部下であるローリーは使えない女(失敗している)ですし、レジスタンス側と対決する前に自分の組織を立て直すことが先決ではないか、等々色々考えてしまうボスでした…。

 余談…原作では物語の舞台である火星には放射能が溢れていて超能力を持った反面、奇形である人が多いという設定から胸の山が3つある(それを逆にセックスアピールに利用してバーで働いている。)女性がいたのですが、奇形人が一人もいない地球上でそれをやっては整形手術の方向性を完全に間違えた頭の悪い女性にしか見えないよとサブキャラに対してもツッコミを入れてしまいました…ゲフッ!

ポセイドン・アドベンチャー

2011.02.16
 ポセイドンとはギリシャ神話でも有名な自信や竜巻をもたらす短気な海の神で、だから海底地震が起こって津波に巻き込まれる訳ね…と話の展開及び船の名前に納得したものでした。もちろんかの「タイタニック」(犠牲者1513名を出した海運史上最大の海難事故)と違って、こちらは完全な創作であり、実際には乗客1400人中6人しか助からなかったという海運史上トップ3に入りそうな事故は起こってはいない(さすがに窓を破って外に出たり、海に浮いている人がもう少し位いるだろう。タイタニック号のように流氷が浮かんでいるような海上でなければ即座に凍死する心配も無いし。)ので、その辺を理解してもなお充分に楽しめる70年代パニック映画の最高峰とも言える作品です。

 フランク・スコット牧師(ジーン・ハックマン)…「ひざまずいて神に祈れば全て上手くいく?馬鹿らしい。私の国では祈っても手にツララだ。」

「祈る」(だけの)オーソドックスな神父様と、助かる為に「行動する」スコット牧師、対照的な様を見せてくれる2人で、どちらが正解だと断じることはできないのですが(いや、後者だろ、確実に。)「地獄」には神も仏もヒーローもいないし、奇跡のストーリーなども存在しない。行動した所で助かるかどうかは未知数だけれど、北方の故国で絶望的な結末ばかりを見てきた彼としては、頭の中で何百回祈った所で何も変わらないし、自ら行動する事が大事なのだと分かっていた様子です。(「逃げないのは、この人達の勝手だ。何故あなたが付き合う?」「私はこの人達を救えない。だが、それでも見捨てられない。他に道は無い。」by神父)ここでポイントなのは本当はそれが正解だと分かっている心ある人間は他にもいたのに、皆から外れて「行動する」だけの勇気のある人間はほとんどいない(結局、彼についてきた人間も8人だけ。)という点です。どんな時でも「戦う時」は1人で戦わなければいけないし、皆は長いものに撒かれる多数決バカで「味方」はどこからも湧いて出てこない(でもね、「量よりも質の問題」だから周りにいる人間の数が多ければ思い通りになるというものでもないのよ。)それでも行動しなければ何も変えられずに皆と一緒に沈むだけ…なので1人でも進もうと動き出した彼は偉いな(口は悪いけど。)と感心した主人公でした。それだけに最後の絶望的な結末には、おかげで助かった人間が出たとはいえ、やりきれない気持ちになったものです…。

 マイク・ロゴ刑事(アーネスト・ボーグナイン)…マイク「いつまで『昔のなじみ』に出くわす心配をしてる?」
リンダ「若い船員にいたのよ。向こうも売春婦だった私を知ってる。アンタは平気なの!?」
マイク「だから結婚したんだ。」

ぶっきらぼうだけど本当は不器用で優しい頭の固い夫のマイクと、風俗的に問題はあるけれど物事の本質は理解できる行動派の奥さん(「動かずに救助を待ったらどうだ!?」「規則一辺倒で融通の利かない男ね。サッサと手伝いな!」byリンダ)と、どっちも口が悪いながらも対照的な部分が作用して上手くいっているカップルだと思えただけに…最後の、あそこまで進んだ後になってからのいきなりの転落死には絶句してしまったものでした。(人生、何が起こるか本当に分からない、とはいえ…。)とはいえ最愛の妻を失った夫よりも夫に罵られて呆然と立ち尽くすスコット牧師の苦悩の方がよほど不憫に感じてはしまったのですが…ゲフッ!(だって妻を含めたこの御一行を率いてきたのは牧師様であってアンタじゃないじゃないですか。最愛の妻を失ったその悲劇は分かるけれど、それは数分前にローゼン夫婦が経験している物と全く同じ内容でもあり、その時誰にも何の文句も言わずにただ悲しみに耐えたローゼン氏に比べると、後ろからついてきただけのくせに不都合な事態が起きると「お前が責任を取れ!」と文句を言うこの男って…。)おかげで命がけで牧師が取った行動を思うと、涙ばかりが溢れてしまう結末です。そういう風に奇跡もお涙頂戴も何も起こらず、ただ「絶望的な展開」を見せたのがこの作品の魅力でもあるのですが…。

 ベル・ローゼン(シェリー・ウィンタース)…ベル「上にいい物があるの?」
スコット牧師「ある。命です。」

上手いこと言うな、牧師様、と思うと同時に潜水大会で優勝した事もある彼女(最もそれは30年以上前、彼女が17歳の時の話ですが。)を連れて行ったおかげで、その後水中で瓦礫の下敷きになった時も助けて貰えて道を繋ぐことができた様には人生、何(誰)が役に立つか分からないとしみじみ感じてしまったものでした。惜しむらくは、水圧の中で瓦礫をどかすなんて「重労働」をしてしまった日には立派に心臓に負担がかかってしまったらしく、彼女本人は持たなかった点ですが…。(水から上がってから発作を起こした辺りは急激な「水圧の変化」に体がついて行けなかったんでしょうね。50センチの水が貯まればもうそのドアは開かないし、鉄砲水が来ればそれが自分の膝下程度の水位でも体は持って行かれるし、水って意外に威力があるから…。)そして、改めて見直すと彼女が死んだ時は牧師に一言も文句を言わなかったロゴ刑事(「彼女は行きついた。道をつけた。ついたんだ。」「…何かあったね?」byローゼン氏)が自分の妻が死んだ時にだけ非難轟々だった身勝手さが浮き彫りになって再度、微妙に思えてしまったものでした…。

 ノ二ー・パリー(キャロル・リンレー)…ノニー「テディ兄さん、お願い、目を覚まして。2人の夢は?私1人じゃ無理よ。」
パーサー「しっかりするんだ。1人でも生きていかなきゃ。最初は絶望的になる。でも時が経てば新しい生活を見つけられる。好きな人だって…。」

特に役立っている訳ではない…どころか、階段では怖がって動けなくなるわ(おかげで1人は滑り落ちて死ぬ羽目になるし、後ろをついて行っているロゴ刑事も危うく水に飲まれて死ぬ所でした。)水中を移動する時には「私、泳げないの!」というまさかの足手纏いぶりを発揮するわ、役立たずの筆頭とも言える彼女ですが(「でも、可愛いから全部許す!」by父。水難事故という、この非常時での彼女の甘さ・弱々しさは正直滅茶苦茶イライラするが、そもそも「船」という物は、火をくぐって水に潜って蒸気をかわす事を想定して乗り込むものではないし、実際にそんな状況に放り込まれたら普通の人間はおそらく彼女以上に動けないであろう事態を考えると…何も言えなくはなる。)そんな彼女が最後まで持って助かったのだから、本当に…人生とは分からないものです。たとえこの中では役立たずであろうと1人でも多くの人間の命が助かったのは良かった事ではあるので、素直に喜ぶことにしておきましょう。

ポセイドン

2011.02.15
 「その瞬間、運命も逆さまに転覆し始める…!」というキャッチコピーからも分かるとおり船が転覆して天井と床が逆になった中を上を目指して進む「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク作品なのですが、人間ドラマの諸々が省かれ、豪華な船中セット位しか見所が無くなった出来映えの悪さには第27回ゴールデンラズベリー賞(その年の最低の映画に贈られる非常に不名誉な賞)の「最低リメイク賞」に選ばれてしまうほどでした。見るのなら旧作版をお勧めします…。

 ディラン・ジョーンズ(ジョシュ・ルーカス)…「悪いが俺は一人(で逃げる)の方が良い。」

旧作版でも(結果的には正しかったが)根拠の無い自信の元に皆を導くリーダー的存在でしたが、あの牧師様と大きく違う点は、この野郎は他人を蹴落として自分が助かる事しか考えていない(足にしがみついている従業員の事も「振り落とせ!二人とも死ぬぞ!」と他人の命を見捨てることを積極的に勧めている)所にあります。途中でコナーを助けるために戻っているのも母親マギーに対する下心があるからで人間的に成長した訳ではない(つまりこの人「自分に都合の良さそうな人間」しか助けようとしていない。)ですし、なんだか利己的が過ぎて最初から最後まで共感できなかった主人公でした。旧作と違って「皆を守る為に犠牲になった」訳でもなく犠牲者を出しながらも自分はちゃっかり生き残っているというのも何だかなぁ…と、げんなりしてしまったものです。この人は死んでてもいいからラムジー父さんを生き残らせてほしかったなあ、とも思ってしまったり…ゲフッ!

 ロバート・ラムジー(カート・ラッセル)…ロバート「約束は覚えてるな?お前はまだ嫁入り前だ。この船がいくら広くてもここは今『我が家』と同じ。そこで2人きりというのは…。」
ジェニファー「パパ、この船はとても広いのよ。パパが考えているような事をする気なら他にいくらでも場所があるでしょ。」

そういう問題じゃないでしょうに何を開き直っているんだ、このバカ娘は…!と、お父さんの苦労が垣間見えたものでした。(甥っ子を引き取ったら、息子同然に育ててきたその男は自分の娘とイイ感じになってしまい、その気になれば隙を狙っていくらでも手を出し放題な自分の家で同居している…って設定自体に気苦労は絶えないと思う。「一線を超えていない」のも父親の厳しい監視の目があるおかげで、このバカ娘一人の判断に任せていたらどうなっていたか怪しいだろう…ゲフッ!)彼が最初から最後まで娘を守る事を考えて生き抜いた反面娘は彼氏とくっつく事しか考えておらずワガママばかり言っている所には同情ばかりしてしまったものです。彼じゃなくて若い男として甥っ子の方が頑張るべきだと思うんですがね…ゴフッ!

 リチャード・ネルソン(リチャード・ドレイファス)…ネルソン「今までの思い出に真夜中の12時でもいいから電話をくれ。」
携帯「メッセージはありません。」

別れた奥さんに未練タラタラかと思ったら密航女のエレナ相手にやたらベタベタと世話を焼こうとしている(「ディスコで知り合った船員の彼に潜り込ませて貰ったの。つまり彼のベッドで…。いい人だったのに…。」「つまり今、君はフリーで船のチケット一つの為だけでもホイホイとパンツを脱ぐような尻の軽い娘なんだね。私も今、妻に逃げられてフリーだ。『パートナーを失くした者』同士これから仲良くやろうじゃないか。」と言わんばかりの下心が見えるんですけど…。)辺りこのジジイにとっては「お手軽な女」であれば結局誰でも良かったんだろうなという本音が態度から感じられて、同じ女としてはどちらにも引いてしまったものです。結局ドジなエレナは水の中を進んでいる最中に自分で頭をぶつけて自滅し上手い事いかないまま終わってしまった有り様に、生き残ったのが全員カップルだった事と合わせて哀愁を感じてしまったサブキャラクターでした…ゲフッ!

 クリスチャン(マイク・ヴォーゲル)…クリス「エンジンルームまでは遠過ぎる。けれど行くのなら3人の中で1番成功率が高いのは僕だ。そうですよね。」
ジェニファー「パパ!(アンタがやって!)」

これでパパに先を越されたのを良い事に人に任せるのでなくグズグズ言ってないでサッサと潜れば良いだろとツッコミを入れてしまいました。最初はディスコで足を挟まれたのを助けて貰って、その後のルートも他の人達が先導、長距離を潜ってプロペラを回す男らしい役目も叔父に丸投げしている辺り、この男はヒーローではなくお姫様状態だなと白い目でも見てしまったものです。救助が来たのに皆で笑い合っていますが父親同然の叔父を亡くして助かってアハハハという状況でも無いだろう(船も完全に沈んだ(他の乗客全員が死んだ事を目の当たりにした)のだし自分達は助かったがあまりに多くを犠牲にした事実を前に笑えない状況だと思う。)とドン引きしかできず、生き残りがいた反面、一緒に喜ぶ事は出来なかった映画でした…。

ガラスの仮面22

2011.02.14
 時代は第2次世界大戦(1945年)をまたいで月影先生の過去が語られます。だとすると桜小路くんが携帯電話でメールの送受信をし真澄さまが思いっきりスマホを使っている(昭和をすっ飛ばして時代が2010年以降になっている)「現在」では東京大空襲時に立派に成人していた彼女は今何歳なのか(65年+20歳として少なく見積もっても85歳。そりゃ年齢的に倒れもするし杖が必要になるほど足も不自由になるだろう)マヤが中学生だった頃(わずか数年前)にはブラウン管テレビだったのに時代の流れ方が異常だ(この漫画は「昭和物」じゃなかったのか…。)と感じる今日この頃です。(ていうかサッサと新刊が出ればこんな事にもならないのでは?←禁句)

 月影千草…「ああ、一連…!7歳のあの時から私の手は今もあなたと繋がったままです…!」

手をつないで結ばれた後に1人でさっさと自殺してしまうなんて一連も勝手だよなとツッコミを入れてしまった過去エピソードでした…ゲフッ!ともあれ狼少女ジェーン編に到っても「一蓮が愛していたのは生涯彼の奥さんと子供だけで、千草は彼に片想いしつつも一生女として見て貰えなかった(のに未だにその報われない片想いだけが続いている)」とされていた初期設定は、そんな人生はあまりにあんまりだと作者が思い直したのか、ここに置いて大幅に改稿された様子です。おかげで千草も「実はしっかりと結ばれていたという事実関係」(自分の愛)に自信を持って「魂の結ばれていない夫婦よりも魂の結ばれた他人の方がずっと素敵な事だとは思わなくて?源造。」「千草様…あなたに恋している私に入り込む余地は無いと言わんばかりに惚気を聞かせるって…。」と超満足気に過ごしている様が見られますが(満足しててもあなたの愛は不倫という純愛とは程遠い言葉でしか言い表せないのですが…ゲフッ!)愛した人に長年袖にされ続け、やっと奪い取ったその直後に速攻で死なれ、舞台の上で彼の魂を表現できると思ったら顔に怪我をして当の舞台にも立てなくなったという人生もあまりにあんまりで思わず同情してしまったものでした…ゴフッ!(本人は「誰よりも深い絆で結ばれる相手と出会えた私はきっと誰よりも幸せ」と言っていますが客観的に見て「あんまりな人生」という評価に変わりは無いような…ガフッ!)「紅天女」は言ってみれば一蓮と千草の唯一の愛の結晶であり、いわばこれは2人の壮大な愛の物語であったのでしょうが当の芝居が難解過ぎ・抽象的過ぎて今一つ面白味を感じない(ヒロインがあくまでも「天女」であって「人間」として描かれていない分、共感し辛い点もあるのでしょうが…。)点もあって個人的に「魅力」は感じなかったエピソードでした。(一生懸命な千草の姿は認めるけれど同じ女としてこんな恋をしたいとは思えない。相手は親ほど年の離れたつまらないオッサン(しかも後半はほとんどヒモ状態)ですし…ねえ。)むしろ一蓮が余計な手を出さなければ千草はこんなにも彼の存在を引きずる事も無かったのではないかな~と思えて微妙にも感じた前奇譚でした…ゲッフン!

 尾崎一連…「大丈夫だよ、僕がいるから。」

…と最初は確かにスリやかっぱらいで生活をしのいでいた孤児の千津(千草)を引き取った「頼れる保護者」だったのですが東京大空襲では当の彼女におぶわれて逃げのびたり(男として女に助けられるのはどうなのだろう?)かと思えば翌日には黙って姿を消していたり(「先生、一体どこへ…!」by千草)見つけたその時には1人で立ち直っているし(心配するだけ損しました。)奥さんには逃げられているし(死別したんじゃなかったのか。ますますみっともないな。)やっと千草と結ばれたと思ったら自殺しているし(死ぬつもりならヤルなよ…!もしかしたら死ぬつもりだったからこそ最後に好き勝手やりたくなったのかもしれないが、どちらにしろ生きて取り残される人間にとっては残酷な話である。)年を取るにつれて「しょうもないオッサン」になったなあというのが全体を通しての感想になってしまいました。(千草を「保護する側」から千草に「保護される側」へと立場が逆転したよね、この人…。)元々が金持ちのボンボンで劇団に親から続く資産(自分で稼ぎ出した金ではない)を元に金を出していた人だった彼は時代の変化にもついて行けなかった(「いい人」であれたのは自分で金を稼ぐ必要のない経済的余裕があればこその話で生粋のお坊ちゃんである彼は所詮逆境には弱かった。)そこがバイタリティのある千草や速水英介との違いである)のでしょうが、それならそれで千草のヒモという情けない立場になってでも生き抜いてあげるのが彼女への愛なのではないかなと思えて話の後半は特に自分一人で自己完結した勝手な行動ばかりが目立つ世話の焼ける中年だな、全く…と呆れながらツッコミを入れてしまったものでした。辛い時代だったのは分かりますがあの時代に五体満足の年頃の男が何故か召集(赤紙)を免れて戦場に行かずに済んでいるだけでも恵まれていますし、どこまでも千草がついているそうですし、いくらでもやり直しがきいた人生だったと思うのですが、ね…ゲフッ!

 速水英介…会長「知っておったかの?君のお義父上はずっと月影千草を紅天女を愛しておったのじゃ。」
真澄「ええ、知っていました。誰よりも深く、苦しいほど愛していたことを…。」

それはそれとして母と愛の無い結婚をし、ないがしろに扱った挙句に死に追いやった経緯は許せない(だから「紅天女」は自分が奪って上演してやる!)という思いは今でもまだ有るのでしょうが「今」ならば同じように愛した女優に想いが届かず結ばれない立場に自分を追いやりながらも諦めきれずに懸命に意地を張り続けている気持ちだけは分かる(分かる自分に心底嫌悪を感じるとしても。)と、おんぶという彼を助ける手段に出たんでしょうね、真澄さまは。(今になって親子愛に目覚めた訳ではない証拠に彼を背負う真澄さまの表情に暖かみは無く背景も暗い。)そこまで相手を愛しながらも所詮千草にはIt(あの男)と呼ばれたオッサンでしかなかった(自分の策略で墓穴を掘ってしまい両想いになるどころか決定的に嫌われてしまった。この点も軟禁中のマヤの母親をうっかり死なせてしまい関係に溝を作ってしまった真澄様に似ている。)点は多少、同情に値するでしょうか?(多少程度には。)その他にも自分が想いを寄せながら彼女は他の男(一蓮=桜小路くん)と良い感じで嫉妬に駆られる反面、手出しはできないという状況も同じで思う所はきっと色々あったのではないかと思われます。ただ一つ違う点は真澄様にはまだ可能性がある(本人が知らないだけで真実マヤに嫌われきってはいない)のに対し、このオヤジには一片の可能性も残されていない(今でも見舞いの品を門前払いされるほどハッキリと嫌われている。真澄様が機転を利かせていなかったら受け取っても貰えなかった)点ですかね…ゲフッ!諦めきれない恋心が分かるのなら息子(真澄)の恋の応援者に転身する事が期待できるでしょうか…?(いや紅天女(千草)に恋していながら「恋と結婚は違うから」と後継者ゲットの為に打算的に考えて結婚した野郎だから多分無理だな…ゴフッ!)

 北島マヤ…真澄「君の演るのは梅の木の根っこの精だったのかな?稽古中のこの格好を見ると相当おてんばで個性的な精霊と見える。」
マヤ「…グスッ(泣)」
真澄「…え?何で泣くの!?」

恋心を自覚した故の態度の変化とはいえベタベタウジウジと後ろ向きな面倒臭い女になったなあ…(こんな人前で泣かれたら普通に対応に困るんですけど。)という印象しか持てず正直「…。」と思ってしまったものでした。速水さんのことが好きと胸の内で言いながらも目の前で他の男(桜小路くん)の胸に縋って泣くのもどうなのか(そういう事をするから桜小路くんも自分とマヤがいい感じだと「誤解」を深めるんだと思うよ…。)恋している割には保身ばかりが先走っていてあんまり共感できない恋の有様だなあと感じたものでした。社務所でも速水さんが紫のバラの人(=ずっと自分を想っていて、ここまでしてくれるほど愛していたこと)を明かしてくれれば自分も想いをさらけ出して彼の胸に飛び込めるみたいなことを思っていましたが、そうやって「確実な見返り」が見込めなければ動けない(結局のところ速水さんよりも「自分が傷つかない事」の方を大事に思っている)のならどうぞ保身大事に身を引いていれば?と冷めた目でしか見れずに応援はできなかったものです。(むしろ真澄様が自分に対して距離を置きたがっているのを知りながら「あなたがとても好きです。」と踏みこんで告白する紫織さんのほうが余程ひたむきで打算無く彼を愛しているんじゃないのかなと思えて…うん、私は紫織さん派。)演劇面に関しても今巻も遊んでばっかりだし恋愛面においても演劇面においても全く努力していない奴が才能や宿命などの「生まれ持った条件」だけで望みの物を手にする物語など見たくないので紅天女→亜弓さん、真澄様→紫織さんと「頑張っている人間」にちゃんと譲ってやれよ(もうずっと遊んでて良いからさ。)としか思う所は無かったり…ゲフッ!亜弓さんのように体を動かせなくて表現力が無いのも要するに努力してないからであって(毎日筋トレしてそれでもやっぱりできませんだったら分かるけれども、劇団つきかげの皆も来た事もあって遊んでばかりじゃないですか、あなた…。)自業自得じゃないの?としか思えませんでした…ゴフッ!(「あたしみたいな女の子でも希望さえ持っていればいつかは叶う」と思うのは勝手だけれど何の努力もしていないくせに望みの役が手に入るという都合の良い「希望」だけは捨てないというのも考え方としてはどうかと思う。)昔から無邪気に名を借りた無神経な所は有ったけれど、そこから「ひたむきに努力する姿」も無くなってキャラが変わったな(「今」の性格に共感ができなくなった)と感じる今日この頃です…ガフッ!

 余談…一蓮と千草のセリフにある「私は君よりこんなにも年上だ。」「私は年を気にした事などありませんわ!」という速水さんがいつも気にしている(実際は些細な事に過ぎない)年齢の問題といい、性格は全然似ていないキャラクター(速水さんはもっとやり手だし、マヤには千草ほどの大胆さ・一途さは無い)だけれど「立場」だけを見ると
一連→妻も財産も社会的立場も何もかもを失った後の速水さん
千草→そんな彼の元に残った演技力がずば抜けた女性(マヤ)

…という構図(駆け落ちでもした後の2人の未来予想図?)が見えてしまったのですが、それだと速水さんは早死にしてしまう運命になるので(以前ネットで見かけた真澄様死亡説はこの「魂の半身」先輩世代のエピソードからも来ているのでは?と不安も感じてしまいました。)やっぱりこのカップリングは辞めて欲しいと切に感じてしまったものでした。紫織さんとの婚約も決まって、この後マヤと結ばれるには駆け落ち位しか手段がない訳ですが何もかも捨てての駆け落ちなんて楽しいのは最初の一年位で後は生活費の配分とかで毎日喧嘩する羽目になるんだから辞めとけやとツッコミも入れてしまったものです…ゲフッ!

ガラスの仮面21

2011.02.13
 「この本は読み始めたら最後まで止められません。くれぐれも時間と体力に余裕がある時に読んで下さい」という手紙と共に送られたこともあるという少女漫画史上の最高傑作「ガラスの仮面」…ですがこの最終章(?)である紅天女編に入ってからジワジワと主人公に共感し辛くなって夢中になりきれなくなったものでした。(我々姉妹的に。)演技の天才少女・マヤの「才能と心の成長物語」だったのが成長しなくなった(才能に胡坐をかいて努力する姿が無くなった。代わりに恋ばかり追いかけるようになったが当の我々はすっかり「長い春」として関心が無くなっていたものだから、あんまり…。)のが遠因なので理由も含めてここで語っていこうと思います。

 「火」のエチュード…月影先生「今の『八百屋お七』、あなたの目に恋の狂気は無いわ。美しい造花より生き生きとした野の花の方が長く人を惹きつけるように『上手な演技』と『魅力ある演技』は違うわ。」

それはそうでしょう。月影先生がかつてお七(役柄)に託して自分の本物の恋を演じて見せた(その恋の内容が不倫だったという事実関係は置いといて…ゲフッ!)のに対してマヤのはネタ出しの為のエセ表現でしかなかった訳ですから。しかもその案さえ速水会長からまた聞きした話をパクっただけの何のひねりもアイディアも無い(自分では何も考えていない)薄っぺらい内容だという経緯も合わせて「上手な演技」に反して感動はできなかったものでした。結果として速水会長は大満足していました(「千草め、さぞかし驚いただろうな!」)が、その点もマヤ本人が知らなかった事とはいえ何を敵の手先になって動いてるんだ、お前は!と更に引いた目で見てしまったり…ゴフッ!「女」としてはともかく(その点は里見さん事件の時から諦めていた。)「女優」としての頑張りだけは認めていたのに女優としてのマヤにまで疑問符が出始めた最初のきっかけでした。ちなみにここで描かれている放火犯として有名なお七のつけ火はボヤで終わっており(「明暦の大火」「目黒行人坂の大火」と並んで三大大火と呼ばれる「八百屋お七の大火」(1682年12月28日に出火し東は下谷・浅草・本所、南は本郷、神田、日本橋にまで火が及び大名屋敷や旗本屋敷、神社を焼いた。焼死者3500人)の時に彼女は寺に避難しただけで本人が放火を行ったのは翌年。被害者はゼロで済んだ。)しかし放火には違いないとして市中引き回しの上に磔にされて焼き殺されたそうです。結果として被害者が出なかったから良いだろうではなくやってはいけない事だと知っているくせに自分のエゴの為に行った(「幸運にも犠牲者が出なかった」だけで「放火をした」事に違いはない)事は立派に罪になったようです。大火の方まで彼女の仕業と思われているのは気の毒ですが、やった事を考えると同情はできないな(普通に寺に出かけて告白する方が無難に思えるのですが…。)と劇中劇の内容と合わせてあんまり共感できなかったエチュードです…ガフッ!

 「水」のエチュード…亜弓「命をかけて恋した人魚の心と動きを演じてみたいなと思ったのです。」

風のエチュードで風そのものになったマヤに倣って火のエチュードでは火そのものになり、水のエチュードでは八百屋お七と同じく「命がけで恋した女性」を演じた亜弓さん。(お七も人魚姫もそうですが(自滅して)非業の最期を遂げる結末に、命がけで恋する前にもっと頭使ってよとツッコミを入れてしまうのは私だけ…?)土のエチュードでは水の神である龍神を演じたマヤのように大地の神である蛇(縄文土器)をモチーフとした踊りを踊っており「マヤと同じこと」をひたすら繰り返している割に彼女の演技を見て退屈しないのは、その中に彼女の考え抜かれたアイディアや表現する為の努力が見られていて原案は同じだったものが亜弓さんの作品(別物)として昇華されているからだろうなと彼女に拍手したものでした。(そこが完全パクリに過ぎないマヤとの違いかな。)「北島マヤ、水の演技。只今より本番でーす!」と二人の王女のオーデイションの時は好感が持てたアドリブ(何故ならば実力がずば抜けていたから多少のドジはほほえましく見えた。)が今回は全然共感できなかった(実力も無いのに気にかける所が、皆にアピールする所が違うだろ…と。)のもマヤに対して見る目が変わった証拠だなとどんどん彼女への評価が急降下している自分達を自覚する我々姉妹でした…。

 速水真澄…「俺も男だからな。責任が持てなくなるかもしれんぞ。」

その予告通り抱きしめた勢いで思わずコートをずり落として「手を出しかけた」速水さんでしたがマヤの怯えた表情に速攻で理性を取り戻した辺り、どこまでも彼は純情でした。1晩という長きに渡ってよく我慢が効いたな(いつ襲われるとも分からない「男」の腕の中でグウグウ眠れるマヤの神経も凄いな。)と改めて彼の鉄面皮ぶりに感動したものです…ゲフッ!1度は2人で超都合よく出合わせて星空を見上げ、2度目はご都合よく誰も来ない社務所で夜を過ごしたり、チャンスはいっぱいありながらも既成事実にまでこぎつけられない辺りが真澄さまのピュアっぷりと言いましょうか。紫織さんに正式に「お返事」を返した後の今になって(初めてマヤとスキンシップを取れて)本当に恋してる相手が誰なのかを改めて自覚している真澄さまですが本当に恋している相手はマヤでも、より真澄様を愛して必要としているのは紫織さんの方なのだし「さよなら」とも言われた(もはや完全に終わった恋である)のだから、いい加減に熱を冷まして目を覚まして貰えないかな…と今回も詮無いツッコミを入れてしまったものでした…ゴフッ!

 「土」のエチュード…マヤ「あーん、わかんなーい。土の演技なんてできないよー。もう、いや。遊んじゃお。」

多分作者は「ギャグ」のつもりで描いたのでしょうが紅天女編に入ってから、この女、全然努力してないじゃん!(今のマヤは「なんとなく行き当たりばったりの演技で後は才能にお任せ」という感じでキャラが変わった、と妹にも言われていました。)とマヤに対する評価は決定的に落ちてしまったものでした。(大した努力もしてないくせに才能の差だけに物を言わせて高評価(合格点)を得ているのも話としてどうなのか…。)かつて不祥事を起こして芸能界を追放されたマヤに「人は『今』しか見ないものなのよ。今が素晴らしければ人々は昔のことなんか忘れ去ろうとしてくれる。」と演劇部の部長が語ってくれていましたが、それって逆もまたしかり(「今」が悪ければ人々は大昔に取った華麗な経歴の事など忘れて誰も拍手する気になれない。)で少なくとも我々には共感できないよとツッコミを入れてしまいました。亜弓さんが考え抜いて努力して本質を掴もうとしているのに対してマヤの方は「よく分からないけどなんとなく」行動してるだけでほとんど遊んでいる(真澄様と1夜を過ごしたのも言い換えれば男と遊んでいるのと同じことですしね…ゲフッ!)という内容にも差別を感じて(それが秀才と天才の違いだと言われればそれまでかもしれませんが)どうにも笑えなかったものです。紅天女候補になるまでは確かに頑張っていた(過去形)けれど正式な候補になってからは安心しきったのか、それまでのひたむきさが無くなったなと残念に思う次第でした…ゴフッ!

ガラスの仮面⑳

2011.02.12
 つまらないと評判の紅天女編(風火水土エチュード編)ですが、まだここまでは主人公がひたむきに演じようという姿勢は有ったし好感は持てる巻です。(21巻からはダレてきたけど)真澄さまの過去が語られたり月影先生の昔話が入ったり挿入エピソードが多過ぎて追っていくのも大変ですが頑張って読み進める事に致しましょう。真澄様の義理のお父さんが戦争に行っていたりこの漫画は昭和物なんだなあ~(それはそれとして狭い日本であれだけの豪邸を建てられるなんて凄過ぎる)とも感じる巻です。

 速水英介…真澄「速水氏には腹違いの兄や姉弟達がいた。14歳の時に郷里の岡山を飛び出したのは彼が父親の妾の子供であり、義理の母(本妻)やこの兄弟達との争いが絶えなかったからだと後に聞いた。」

その後、戦争に行った時に熱病にかかり子供を作れない体になってしまったり、紅天女コレクションを集めるも家ごと火事でなくしたり、千草のストーカーをして交通事故に遭い両足が不自由になったり、この人はこの人で恵まれない人生を送ってきた(この人もまた親からの愛情には恵まれず、愛した女性からは嫌われて、身体的障害に苦しんでいる。)のが分かりますが、それはそれとして人に軽蔑されるだけの行動を取って義理の息子も含めた周り中の人間に嫌われたのは自業自得だ(後継者が欲しい為に子供目当てで愛の無い結婚をし、当の子供さえ政治資金の為に見殺しにした事実は彼自身を襲った不幸とは何の関係も無い。幼少時が不遇だった事はその後出会った人間を欲の為に利用して許される免罪符にはならないし、それで同情して両手を広げて何でも許してくれるおめでたい人間も現実にはほとんどいない。)とツッコミを入れてしまったものでした。理想の後継者を作れた所で当の跡継ぎにクーデターを起こされない可能性は未知数ですし(事実、真澄は虎視眈々と復讐の機会を狙っており、マヤと出会うまでその為だけに生きてきた。)人生そうそう思い通りにはいかないよと語りかけたものです。同情は全く出来ない男(紅天女の打ちかけの為に奥さんを火事の中に追いやった経緯を考えると特に。)なので真澄さまが復讐を忘れたにしても何らかの形で報いが来る事を願って幕を閉めるとしましょう。(うん、取りあえず最後は真澄様に会社を乗っ取られて孤老死する方向で…ゲフッ!)

 速水真澄…「お義父さん、僕はあなたの期待通りの人間になってみせますよ。そしていつか奪ってみせよう。紅天女を、あなたが築き上げたもの何もかもを…!」

そして復讐を終えて全てを奪った真澄様には一体何が残るのか?「母親の復讐」の為だけに生きてきて自分の人生を歩んでこなかった彼は目的を達成したその時(目的を失ったその時)虚しさばかりが募ってしまうのではないかと不安にかられたものでした。(真澄様死亡説はここからも来ているのかもね…。)唯一の愛情の対象であった母親も亡くし誰も愛さず誰にも本当には愛されずに生きてきた彼の目の前に現れた(彼に人間らしい表情を取り戻させた)のが当の彼の人生を狂わせる発端となった「紅天女」を演じる候補のマヤだったというのは皮肉な結果です。ですが彼が人間らしい情熱を取り戻したのは彼自身の力(マヤが彼を誘惑した訳ではない以上「マヤのおかげ」とは言えないし、実際問題速水さんが尽くすばかりでマヤ自身は「速水さんの為」には何一つしてあげた事は無い)であり、本当に彼を愛してくれる紫織さん(財産や立場といった打算で関心を持ったわけでなく、真澄様の優しさに惚れた女性)も現れた以上マヤにこだわる必要性はもう無いんじゃないかなとツッコミも忘れない私でした。この巻の紫織さんからの逆プロポーズに打たれたこともあって、マヤよりも紫織さんの方がずっと速水さんを愛していて必要としてるんじゃないか、真澄さまは「今」マヤを愛していても長い人生を考えるとマヤなんて必要(必須の存在)じゃないのではないかという思いが拭えず(真澄さまの為にも一生影で秘め無ければならない恋なんて忘れて明るい日の下で堂々と会える女性と幸せを築いて欲しい。個人的に。)マヤとの間に危機感を感じるどころか大いに新しい恋(紫織さん)を応援してしまった我々姉妹でした…ゲフッ!

 「風」のエチュード…月影先生「風そのものを演じるのならもっとバレエやダンスを学ぶ必要があります。今のあなたの動きはとても舞台では通用しませんよ!」

という月影先生の言葉からも分かるとおり問題は「風になりきった」(風の本質をとらえた)事ではなく「観客を魅了する演技ではなかった」(動きそのものは稚拙で見映えがしないものだった)事が分かります。(それで「火」のエチュードで火そのものになりきった亜弓さんに対しては「このまま舞台に立ってもきっと通用する」と何も言われなかったのでしょう。ポイントは役(対象物)そのものになりきっているかどうかでなく舞台映えするかどうかなのです。)思えば1巻の「逃げた小鳥」のパントマイムの時と同様の問題点であり、状況を想定してなりきってはいるけれど自己完結していて観客には退屈されている(亜弓さんなど見る人が見れば状況は分かるが一般的大多数の普通の人はそこまで細かく注目してくれない。)という役者としては致命的な欠点(役になりきる反面、自己陶酔して周りが目に入っていない。)とも言えるでしょうね。役に憑依されたかのように性格や癖まで変わってなりきれるのは凄いけれども演じる以上は観客を楽しませる必要があり「1人で風になりきった」だけで「観客に感動を与える演技ではなかった」以上はプロとしては失格…だったのでしょうね。なし崩しに次に課題に進んでいる辺り落第点を取っても次に進めるエチュードではあったようです…ゲフッ!

 鷹宮紫織…「あなたは何も答えて下さらない…!私の気持ちに…私の言葉に…。ただ他人行儀に優しくしてくださるだけ…!」

そう、真澄様が彼女を求めた(見合いを承諾した)のはどんなに恋い焦がれても報われないマヤとの恋に疲れて誰でもいいから側にいて自分を慕ってくれる女性が欲しくなった(実際に付き合ってみるとその気持ちが却って重苦しいだけだったけれど。)もっとハッキリ言ってしまえばブタ並の慰めでいいから欲しくなったという、ただそれだけの理由だったんですよね。(まあ、プライドの高いお嬢様である紫織様が「そんな愛され方、イヤアァァ!」と引きこもりに走る理由は納得できるな…ゲフッ!)紫織さんはこんな自分に真剣に向かってくれている、ただ、そこまで愛されても自分は彼女に興味は無いから虚しさばかりが募るという真澄様の気持ちも分かりますが「一緒にいて満たされない相手」というのなら気持ちがすれ違って人(真澄)を傷つける事を平気でズケズケ言うマヤ相手でも全く同じことであり、だったらマヤを愛して貢ぐ君になってめどのつかない独身生活を続けるよりも、紫織さんに愛されて結婚する道を選んだ方が人生幸せなんじゃなかなあ…と思えて改めて彼女を推薦したくなった我々姉妹でした。おそらくはこれが彼女との縁談を破談にする最後のチャンスだったでしょうに「花は自分で選びました。あなたに気に入っていただけるか分からないが、長い間あなたを悲しませて済みませんでした。」(なんて謙虚で紳士的で大人な応対なんだろう。責任を取る為だけに出た社交術に過ぎないとはいえ。)と惚れ直させてしまってはもう、後戻りはできないでしょうね。彼女相手に本気の恋はできないにしても癒しや慰めには充分になり得る存在のような気がしますしこの辺で手を打ってほしい物なのですが…ね。(テラスから無断で侵入するほど愛されているんだしさ…ゴフッ!)

ガラスの仮面⑲

2011.02.11
 狼少女ジェーン編最終巻です。文庫版でも狼と一緒にいるジェーン、人に囲まれて怯えるジェーン、スチュワートに餌のお預けを喰らっているジェーンと3冊に渡って表紙にその姿が描かれており、同時期に上演されながら(仮にも一応ライバルの立ち位置にいながら)1回も描いて貰えなかった「イザドラ」さん達にちょっぴり同情もしてしまいました。(亜弓さんのジュリエットは描いて貰えていたのにね…。)主演女優賞まで取ったのに影が薄い人達だなと2度と出番の無い今後の展開と合わせて影の薄いキャラクターの末路に哀愁を感じてしまったものです…。

 鷹宮紫織…「真澄様、あなたはいつも私にはやさしい。不愉快な顔をなさったことなど1度も無い…やさしすぎます…。」

その時の紫織さんがやった事といえば突然連絡も無く人の家(別荘)を訪ねてきて上がり込んだ挙句にガラス戸の付いた本棚の本を漁るという、間違いなく居住者に不愉快に思われる行動だったにも関わらず何も言わない辺り真澄様の関心の無さ(立場的に尊重はしているけれど他人行儀にやさしくしているだけという事実)が分かります。友人の別荘が近くにあるので寄っただけと彼女は言いますがその話の真偽はともかく目的の1番目は真澄様を探ることだったろう事は透けて見え(携帯のメモリを全て調べ上げたり、トイレットペーパーの取り出し口が三角に折られていないかチェックしたり(3角に美しく折るのはほとんど女性だけ=女が来た証拠)パンツの匂いまで嗅いだり(「そんなに疑わなくても家と同じ石けんの匂いだろ。」「そもそも入浴前の今、何で石けんの匂いがする訳?」「ギクッ!」)挙動不審な男に対する女性の調査力(という名のプライバシー侵害能力)は侮らない方が良い。むしろ現実はもっと修羅場である。)「調査」の結果クロだという判定は思えばこの時既に出ていたのでしょうね。(本人は信じたくないから「(あくまでも)女優として興味がおありになるのね。」と目を逸らしていますが単なるファン心理を超えている事は充分に嗅ぎ取っています。)何故速水一家はそんなにも紅天女にこだわるのか彼女は不思議がっていますが少なくとも真澄の義父の速水会長の紅天女へのこだわりは舞台を通して自分と千草が結ばれる事(「一蓮…決して結ばれる事の無かったあなた。けれど舞台の上であなたと私はしっかりと結ばれていたのです。」「じゃあ『わしの舞台』だったらわしと千草が結ばれるという事に…!」「すっこんでろ、このゲジゲジの大将!」という経緯。)なのでそこからもまた余計な誤解や厄介事が生まれそうで先行き不安に思える私でした…。

 舞…「約束したんだもん!桜小路くんに舞の作ったケーキ食べさせてあげるって…!」

台風の中という危険な状況の中、ただ恋人に贈り物をする為に出かけて行くなんて…ハッキリ言って無茶で無謀な行動ではありますが、その一途過ぎ・健気過ぎな姿には思わず涙を誘われたものです。(せっかく作ったケーキは飛んできた木の枝にぶつかったせいで崩れているし、何か報われない子だな、この子も…。)心配していた桜小路くん×マヤのフラグも舞台のストーリーがラブラブとは程遠い内容だった(「まるで舞台の上で本気で闘っているみたい…。」by舞)おかげで「誤解」としてスルーされているし(正しくは桜小路くんの独り相撲に過ぎないので誤解は誤解。)一度たりとも恋人にプレゼントをする発想すら浮かばない女性(マヤ)よりも、この子の方を大事にすべきだと思うんですがね…ゲフッ!主人公であり演じる役と合わせて「目立つ」のはもちろんヒロインのマヤなのですが「恋する女の子」としては舞ちゃんや紫織さんの方がはるかにパートナーの事を考えていて理想的なのではと思えてならない我々姉妹でした…ゴフッ!(彼女らを「正妻」に据えた男達の判断が「正解」に思えてならない…ガフッ!)

 「忘れられた荒野」…スチュワート「立つんだジェーン、君は人間だぞ!今度四つ這いになったら体を柱にくくりつけてでも立たせてやるぞ!」

狼として育ったジェーンに人間と同じ事をさせようと「一生懸命」なのは分かるけれど、椅子に縛り付けてちゃんと発音できるまで食事を抜いたりやっている事は虐待の1歩手前(どころか50歩位踏み出してしまっている)じゃないかとツッコミを入れてしまったものでした。その後スチュワートがジェーンの養育権を取れずにお別れに到った最期も今までの経緯を振り返ってみれば納得できる展開(「さようなら、ジェーン。僕は研究者としてだけでなく養父としてもダメ出しを喰らってしまったんだ…。」という別れの理由だったに違いない。)で人権の出来上がった20世紀(1928年9月からの物語。1929年に死んだ狼少女カマラもここまでの扱いは受けていない。)の対応として色々無理のある接し方だったんだろうなあ…とリアルに感じたものでした。
 おそらくは一時期教科書にも載った狼少女カマラ(8歳)とアマラ(1歳)の姉妹を元にしたオリジナル台本と思われますが「人間は人間に育てられて人間になる」(だから狼に育てられれば狼になるし天使に育てられれば天使になる)という幼児教育理論を証明する為にこれ以上ない例証としてあげられるこの「実例」は写真も彼女らを保護したキリスト教伝道師シングのリクエストで別の少女が生肉を食べたり四つ足で歩いたりのポーズを取っているだけ(問い合わせを受けた為に急きょ作成された捏造写真だった)で記録も矛盾点が多く真相は狼に育てられた訳でもないただの障害児だった(要するに自閉症児を育てられなくなった親が新たに生まれてきた妹と一緒に森に捨てただけだったらしい。)というオチがついたそうです。(乳児が「4つ足」で「言葉を話せない」のと同じ発達段階なだけで別に狼のように俊敏に動ける訳でもなかった。直立歩行より4つ足の移動の方が速かったと言ってもそれは歩行を覚えたての1歳児全員に共通している現象であって別に不思議な事は何も無い。)そもそも人間の幼児(肉)が狼の巣穴の中で食べられることなく生きていられるという事実自体が腑に落ちませんしね…。(大体狼と人間とでは母乳の成分が違い過ぎて人間は消化できない。もしも成分が同じだった所で子供に積極的に乳を与えることをしない狼のメスと、乳首を口元に持っていかないと乳を吸わない(他の動物のように自分で探り当てない)人の乳児との間では授乳が成立しない。)「夜になると目が青白く発光した」という記述(夜行性動物の目には眼底に特殊な反射膜があるから光を「反射」するが人間の目にそんな特性は無い。)からも分かるとおり全くのデタラメのようです。という訳で信じてはなりません。

 速水真澄…紫のバラの人「受賞おめでとうございます。いよいよ紅天女ですね。頑張って下さい。いつも(今まさに)あなたを見守っています。」
黒沼監督「すごい。どうして受賞した次の瞬間にはこんなに早く紫のバラを贈れるんだろう。君のファンの人は…。」

さては真澄様、花束だけ用意しておいてカードはその場でこっそり書いたな(で、受賞できなかった時には「受賞が叶わず残念でしたね。それはそれとして『忘れられた荒野』でのあなたの狼少女ジェーンは素敵でしたから。」と文面を変えるつもりだったに違いない。)とあまりのタイミングの良さにいつもながら見事だとツッコミを入れてしまったものでした。ここにおいて初日しか使っていない青いスカーフの事が原因でとうとう正体がバレてしまう訳ですが(文庫本にしても19冊分という長きに渡って、むしろ今までよくバレなかったなと言いたいですが)ロングランになりテレビ放映までされたにも関わらず目にする機会は一杯あったのに、ちゃんとチェックしていなかったのはさすがに詰めが甘過ぎだろうとツッコミを入れてしまったものでした。(5日ごとに芝居の内容も変わったんですから確認位すれば良いのに。)黒沼さんの過去作品まで調べ上げた(「上演作品、上演日数と回数、再演の有無etc全部調べさせて頂きました。お忘れなら何年何月何日の芝居はどの劇場で開演は何時何分、観客は何人だったかという事までお教えできますよ。」by真澄)割に現作品に対しての調べは手抜かりがあった様子です…ゲフッ!見合い相手との付き合いも始まって細かくチェックする間もないほどお忙しかったんでしょうね…ゴフッ!

ガラスの仮面⑱

2011.02.10
 最近の漫画はバラエティに富んでいてとても面白い反面、自分を主人公に重ねていけるだけの重々しい作品にはなかなか出会えない(その点「ガラスの仮面」は綿密な取材をされているだけあり何度読んでも奥深さを感じる。)と後書きの感想にも書いてありました。一つの役や賞を取る為にお金も使うだろうし体という武器も使う、当然男も利用して相手の足を引っ張りのしあがっていく「芸能界もの」(…芸能界ってそんななの?)を描いている割にはこの作品に出てくる登場人物達は皆お芝居が好きな「いい人」達ばかりで殺伐とした今の時代の中で主人公達がとても新鮮で暖かい存在に思えるとの評価も受けているこの作品、いよいよ「紅天女」前の最後の芝居です。

 鷹宮紫織…「子供の頃から病弱でお友達もあまりいませんでしたし、こうやって男の方とお付き合いする事もあまり…内気で外に出るのも嫌で温室の花が唯一のお友達でしたの。」

逆玉の輿である事はもちろん周りの女性皆が「負け」を認める位の美女であり、しかも生粋の箱入り娘(普通に考えて「資産家の娘」が見合い(年貢の納め時)を前にして「遊んで」いないはずがない、一体どんなアバズレ娘が来るのかと戦々恐々としていたけれど、その予想は良い方向に裏切られた。)という「見合い相手」の内訳に凄い、「男の理想」が詰まってる!(こんな理想的な奥さん候補に想われるだなんて嬉しい!)と妹共々物凄く喜んだ記憶があります。(うちの妹は貧血が酷くて医者に診て貰う事が多かっただけに、思うように出歩けない辛さもよく共感できたんだとか。)とはいえ「聡明」なだけに自分が恋して夢中になっている反面真澄さまの方は遠い目をして自分を見ていないという事にも気がつき始めている様子です。(「気のせいですわよね。」と気づかないふりはしているけれど。)それが昂じて後に別荘での「調査」(ガラス戸付きの本棚からマヤアルバム発見)にも繋がってしまう彼女。プライドがあるだけに体裁だけ整った結婚では満足できない女性ではあるようです…。(いや、誰だってそんな結婚は嫌だろうけど、それだけ真澄様に惚れてるという事でもあっていざ結婚したら「無難に生活をこなす」事は出来る気がするんですが…。)

 桜小路優…マヤ「お願い桜小路くん。ジェーンを一人にしないで。あたし桜小路くんが…『スチュワート』が必要なの…!」
桜小路くん「あくまでもジェーンとして僕の役柄が必要なのであって個人的に僕が欲しいって訳じゃない…んだよね。」

ともあれおかげで抱きしめて以来、意識的にマヤに避けられていた関係も肩を抱きしめても逃げられない程度にはステップアップし、その後毎回稽古&舞台で堂々とハグができるラッキースケベ万歳の状態がキープできる程には進展した様子です。実際に一緒に舞台に立って見ると2人の相性は思いの他良く、協力して役を舞台を作っていくうちにどんどん絆が深まっているお2人さん。(それでも彼への恋心は芽生えてこないマヤが悲しい所ですが…ゲフッ!)「もっと昔(恋人同士だった頃)に共演したかった。(そうすれば絆もしっかりと出来て別れる事も無かったろうに。)」と「もしも」を仮定して嘆いている所悪いけれど今も昔もマヤは桜小路くんに恋してないよ(ただ優しさに甘ったれているだけで)とツッコミも入れてしまったものでした…ゴフッ!

 「忘れられた荒野」…医者「つまりです。ジェーンの体は味覚、嗅覚、聴覚、筋肉や神経など全ての機能が狼と同じように発達している訳でして従って人間として生活するにはかなり無理がある訳です。」

昔、演技に煮詰まった売れないお笑い芸人が4つ足で歩く猿を見て同じように4つ足で走る特訓をして日本記録を作った(!)という話を聞いたことがありますがおかげで彼は骨盤の位置がずれたそうです。(そもそも人間は2足歩行に適した体に何百代もかけて進化してきた生物であってたとえ動物と一緒に生活した所でたった一代で進化の過程を覆す事など不可能。)なので話の元ネタは分かる(狼少女と言われたカマラとアマラ姉妹と自身の短編「炎のマリア」に登場する野生の小狼のような少女ジェーンから取ったと思われる)けれども設定自体が作者のドリームであり、あり得ない動きである事が分かります。(奇しくも今巻の後書きでは「ここまでしなくちゃ女優になれないの!?」とビビった読者の感想が描かれていましたがこんな事をしたら女優になる前に骨に異常をきたす事は目に見えています。)漫画だからこそ可能なこのぶっ飛んだ芝居はこうして3冊もかけてじっくりと描かれる事になるのでした…。

 「イザドラ!」…円城寺まどか「な…何なの、これは一体…今日は『イザドラ!』の初日なのよ。系列劇場の演目にハンコ(GOサイン)押した速水さんまでどうしたって言うの…!?」

モダンダンスの祖とも言われ20世紀を代表する天才舞踏家(実在人物)イザドラ・ダンカンの生涯を描いている舞台…ですがメインの話が「忘れられた荒野」に持っていかれている事もありせっかくのあらすじはわずか4ページで終わっているという短縮ぶりを見せてくれています…ゲフッ!(同じ実在人物のヘレン・ケラーは文庫版2冊に渡ってその人生が描かれていたのにね…ゴフッ!)大沢演劇事務所の筆頭舞台とされ大都芸能で公演している舞台(速水さんの立場にしてみれば自分の劇場で演じられているこの芝居がウケてくれた方がはるかに都合が良い)にも関わらずマヤの舞台に関心を集める為(だけ)にかませ犬扱いとなってしまった悲しき舞台。(「さすがだわ、マヤ。『イザドラ』の舞台など消し飛んでしまった…。」by亜弓さん)歌と踊りという「表現」に重点を置いた始めからアカデミー芸術祭狙いの作品だったにも関わらず全然話題にならなかった哀れな結果には同情もしてしまったものでした。一流の振付師に照明家、他、大道具だけで5千万もかけた熱の入れた舞台だったんですけどね…ガフッ!(で初日からぶっ潰されたこの舞台、果たして元は取れたんでしょうか…?←禁句)

ガラスの仮面⑰

2011.02.09
 ご家庭に置かれている電話機がダイアル式の黒電話(!)だったり時代を感じる文庫版です。(私が物心ついた時すでに家の電話機はファックス機能付きのものでした。この目で見た黒電話は正月にお邪魔する祖母の家のみ。当時既に珍しくなっていた電話機です。)主人公が電話をかけるのも公衆電話から(携帯やスマホが普及した現代、駅前に数を連ねていた公衆電話はほとんどその姿を消した。)だったり今のこの時代は昭和なんだなあ~と実感させられる巻です。

 速水真澄…真澄「マヤ、はっきりして!でないと私、今度のお見合いで結婚させられちゃう!」
マヤ「待ってくれ、今はダメだ。俺を好きなら待ってくれ!」
真澄「待つってあとどのくらい?」
マヤ「狼少女ジェーン編が終わってグダグダ続く紅天女編に入ってアストリア号に乗ってもまだ先に進まない辺り作者の筆の速度を考えてもリアルに20年以上。」
真澄「マヤのバカァァァ!」

以上「ワイルドハーフ」の寿文兄さんの恋愛譚を元にオマージュにしてみました。今までのように「紫のバラの人の延長上」ではなく「速水真澄」としての初のデートであったのに(デートなのに、間接キスで笛吹いたりしてるのに、何だろう、この緊迫感は…?)迷子の子供を肩車して母親探しに一役買ってあげたりと良い感じに雰囲気も盛り上がってきたのに(「普段見せない優しさに相手の好感度はUP」というデートの定石である。)タイミング悪くかかってきた月影先生失踪の電話に、真澄様がバカ正直に電話の内容を大声で繰り返してしまったが為に台無しになってしまったこの顛末(「真澄様、大変です!月影千草が失踪しました!」「悪い。また後で折り返すわ。」「折り返さないで下さい!」と何故できなかったのだろうか…?)その後アストリア号で両想いになるまで長~く報われない事を考えても切ない展開です。(報われたその時も婚約者との対立に頭を悩ませる羽目になる事を思うと虚しい展開です…ゲフッ!)告白するつもりが「月影先生まであたしの母さんと同じ目に合わせたら一生許さないから!」と先に憎悪を表明されてしまっては何も言えなかったんでしょうね…。(私に言わせれば当の月影先生の弟子のくせに、心臓病患者(月影先生)と一緒に舞台に立った直後のくせに見舞いすら行かなかったマヤの方によほど問題があると思うが…。他人に世話を任せきって非常事態になって初めて「自分はこんなに病人の事を思っていたのに!」と言わんばかりに悪態をつく遺族って現実にもよくいるけれど、たとえ患者が生き長らえた所でこの人間が思いやりを持って接する事は無かっただろうという事は職員全員が分かっていますよ。)真澄様が見合いをしたことで初めて動揺しているマヤでしたがだったら普段から大切にしていれば良かっただろ(「非常事態」になってから初めて慌てても遅いんですよ。)というツッコミも消せずに「…。」と思ってしまった節目でした…ゴフッ!

 源造…千草「お前に私は長い間甘えてばかり来ましたね。感謝していますよ。(口先だけで何もしないけど。)」
源造(いいえ、奥様。私はお側にいられるだけで…満足なので、薄給を捧げたり世話をしたり甘えられるのは上等です!)

昔の付き人(かつての仕事仲間。たかが仕事つながりの人間。)にしては随分と思いやりのあり過ぎるオッサンだと思っていましたが、そこにはやっぱり千草への恋心が下地にあったようです。それなのに当の千草は彼の献身に甘えながらも別の男の事で胸がいっぱい(「あそこへ行けばあなたに会える気がする、一連…。」by千草)という現実が痛すぎました…ゲフッ!(アンタ、これだけ源造さんに世話になっておいて思う事はそれだけなの…?)おかげで一蓮が昔彼女に余計な手出しさえしなければ、千草は一蓮とのことは過去の思い出(所詮は自分の片想い)として源造さんと新しい絆(家庭)を作る事も出来たのではないかという思いは増幅し、ますます微妙に思えてしまった月影先生の恋愛譚でした。(完全なる片想いだったら「自分1人で盛り上がってただけじゃん。」と冷める日も来たような気がする。)一蓮が死んでそれこそ何十年も経っているんですし、いい加減昔の男の事は忘れてくれるといいんですけどね…ゴフッ!

 桜小路優…「元気そうだね。」

昔の彼だったら「相変わらず芝居に夢中で俺のこと見てないじゃん!」とウジウジと逆ギレしそうなものなのに、過去に浮気されて捨てられた経緯も何のその明るくサラッと流して挨拶してくれる彼に成長を感じました。(マヤの好みのタイプを研究したのか性格が里美さん化したような…。しかしこの時既にマヤが里美さんを忘れ去っている事からも分かるとおり既に彼女はこのタイプへの恋愛的興味は失っているという現実が桜小路くんの悲劇でした…ゲフッ!)別れてからも未練だけはあって「真夏の夜の夢」も「二人の王女」もマヤの舞台は欠かさず見ていた桜小路くん。(そりゃ彼女も怪しむわ。)それなのに昔も今も変わらずにマヤの中では(どうでも)いい人に過ぎないという状況が痛かったです…ゴフッ!ストーカーになり果てる前に現実をサッサと理解して今の彼女を大切にして欲しいものなのですが、ね…。

 麻生舞…舞「知ってるのよ、私。ずっと以前あの子が桜小路くんと付き合っていたって。お願い教えて、今も好きなの?」
桜小路くん「今では彼女とはライバル(敵)だよ。自分の劇団での公演を棒に振ってまでこの芝居に出たのはこの芝居が面白そうだから。それだけだよ。」

…と口先で誤魔化されながらも稽古場への出入りを禁止され(稽古が大変だから…でなく久しぶりに会った恋人(マヤ)との逢瀬を邪魔するなって意図でしょうね、明らかに。)電話連絡もなくなり(忘れ去られてるな…。)思い余ってコッソリ様子を見に行ったら当の彼氏がマヤにキスしようとしていた所だった(マヤがとっさに下を向いたために果たせずじまいだったが当のマヤも桜小路くんを意識してドギマギしているのは明らか。)という状況に不安が募る彼女の気持ちがとてもよく分かったものでした。遠慮して通用口の外で待つ(言われた通りに稽古場には入っていない)彼女の姿がいじらしかったものです。こんな良い彼女なんだから桜小路くんも昔の彼女だった性格の悪い女(自分という彼氏がいながら浮気して自分を捨てたマヤ)なんて忘れてもっと大切にしてあげればいいんですけどね…。

ビューティフル

2011.02.08
 作者曰く「源氏物語」のつもりで描いたロシアを舞台にした作品(源氏物語は日本の古典なのに何故ロシア?)だそうですが、いくらペレストロイカの時期とはいえボリショイ劇場で日本人(母・杏里)が踊っている(!)のもその後その人がウクライナの片田舎で軍人と生活を送る(何故にそこまで落ちぶれるの?何で日本に帰らなかったの?)などなど色々と無理のある設定も多く(そもそもボリショイバレエ学校はボリショイ劇場の中には無い。)この作品はフィクションだという事を念頭において読む事は必須な作品です。自分は結構面白く読めたんですが近親相姦要素といい作品の評価は押し並べて微妙になっているらしいです…。

 悠里・レルモントフ…悠里「僕達の故郷のベラローザ村で一生暮らそう。」
杏奈「そうね、悠里が踊れなくなって、あたし達がおじいちゃんとおばあちゃんになったその時に。」

原発事故の後遺症を考えると2人共おじいちゃんとおばあちゃんになる年齢まで生きられるはずがなく、お互いそれが絵空事に過ぎない夢である事が分かっているからこそ今だけの限りある恋を貫いている…と思いきや、その後禁忌を乗り越えて本当にその夢を実現させてしまった展開にはドン引きした読者も多かったようです。父親譲りの天才的なバレエの才能もあるものの、それは所詮「日本人の顔と体という優男風の容姿にしては凄い」というレベルで、世界レベルで見ればダイナミックでも男っぽくも無い彼は「やわらかい表現力」はあっても所詮ボリショイバレエの試験には落ちるレベル(で、彼に殴り倒された学友の方が受かっている。)でもあったようで(それでも「日本人」にしては世界のいろんな場所で公演して、それで食っていけるなんて充分凄いけれど。)だから練習はきちんとしろよ、と父親のキマイラはやきもきしていた様子です。チェルノブイリ原発事故の被爆者にも関わらず数多の女性達と浮名を流す様は作者曰く主人公・悠里は「光源氏」であり様々な女性と恋(セックス)をするが「紫の上」に当たる本命(杏奈)がいるという設定だそうですがそんな男を女性読者が支持するはずもなく数々の女性遍歴を重ねる展開には不評を喰らっていたそうです…ゲフッ!(本命がいるのなら他の女を毒牙にかけず一途でいろっての!)最後に本命に戻った以前に結局そういう結論に帰着するのなら最初から他の女達の所を渡り歩くなと思わずツッコミを入れてしまった主人公でした…ゴフッ!

 杏奈・アンドレエヴナ・レルモントワ…「神様ありがとう。巡り会わせてくれた事に、悠里の妹に生まれてきたことに感謝します。」

確かに妹に生まれてこなければバレエを踊れない彼女は一生、悠里に巡り会う機会は無かった(チェルノブイリ原発事故の後遺症から風羽子のように取材を通して追いかけることも不可能)でしょうが、文字通り死ぬほど恋した男が実の兄だという非情な運命には神に感謝すべき点など何も無いような気がするのですが…。(むしろどうして仲の良い幼馴染とかの普通の運命にしてくれなかったのかと神様を恨む所では?)一度は悠里(近親相姦)と別れて神に仕える道に進み、「この世ならざる世界」だけで繋がっている特別な2人(でも既に一回ヤっている。)という様を呈していたのですが、結局修道女として生きることを放棄して禁断の恋にカムバックしている辺りは残念ながらあまり褒められた女性とは言えないなと感じてしまった本命ヒロインでした。(アンタは何の為に修道院に入ったんですか?)他作品で種違いの子供を作りながら3人もの男と結婚した湖都(「円舞曲は白いドレスで」)夫がいながら他の男(プリンス)と10分でセックスしていた美雨(「ファーストガール」)不倫の恋に夢中になったナターリア(「ブロンズの天使」)に比べると珍しく「一途」な女性といえますが純粋に一途に思い続けているだけに浮気な恋を繰り返している悠里を余計に微妙に思えてしまったものでした。復活愛の様を見せているものの、被爆者であるこの妹も倒れて病院に行くほど深刻に後遺症が進んでいる(立派に衰弱している。)様から彼女の寿命も長くはなさそうで、父・キマイラは納得しているものの、この先が心配になってしまった終わり方でした…。

 名雪…「ニンフは男をその気にさせて去るだけ?見た目の美しさしかない、それだけの役?」

男の性は「見ること」で天宮さんはそれで満足だと言いますが、バレエで自分を「裸」にさせて「その気になっておきながら手を出さない」、言わば「女に恥をかかせている」彼の姿勢に不満だった名雪は、「自分だったらそれだけで満足しないで追いかける。」(そしてしっかり「つまみ食い」をする。)という悠里の考え方に深く共感してしまった様子です。元々彼女は高校や親を捨てて外国まで男(天宮さん)を追いかけていく「情熱」の持ち主であり「一歩を踏み出すこと」に関しては躊躇しない性格のようですがだからって流されるままに悠里と関係を持つのは違うだろ!と読者からの共感は得られなかったらしく、杏奈やくるみと違ってその後も登場できるほどの人気はゲットできなかったようでした。そんな訳で序盤の1話限りの登場・主演です…。

 朝倉珠音…「あたしは到底この人に入り込めない。」

泣かせた女性が星の数、そこまではまだ男の甲斐祥としても(いや肝心の「責任」を取っていないのだから甲斐性の内には入らないな…ゲフッ!)悠里との付き合いを苦に飛び降り自殺をした女性がいるというのはもう完全にアウトでしょうね…ゴフッ!この人もこの人で悠里を見限ってアロン監督の元に出戻るしたたかさがあれば死ぬことは無かったのですが、当のバレエでも限界を感じてしまった(オペラ座ではアロン監督のえこひいき、天宮バレエでは悠里のレベル下げと、所詮自分は男の手助けが無ければ満足に踊れないダンサーなのかと行き詰ってしまった。最も「コネを利用している」にしたって実力はある方だとは思いますが。)上に、女としてもバレエが踊れなくても無条件に(兄妹の禁忌をすっ飛ばしてまで)愛された杏奈に負けていると感じて、色々な意味で煮詰まってしまったようです。(家族(父親)も再婚して子供ができた以上、日本の家にも居場所がない「鬼っ子」でしたしね…。)日本人がオペラ座に入っているだけでも奇跡(というよりあり得ない展開)なので(悠里には劣っているとはいえ彼女にも充分に才覚はある。)その才能を生かして生きて行ってほしかったのですが…ね。

 春木風羽子…「ごめん…。いくらファンで貴方が好きでも、ちょっとこれ以上は付き合えないから…。」

悠里と関わった女性達の中では1番ぞんざいな扱い(下僕扱い)を受けている女性。悠里が好きだから「便利に使われる惨めな女」でも自分と関わってくれるだけで満足だと体の良い道具扱いを甘受してきた彼女でしたが本当に性処理道具として使われそうになった(「これは恋愛感情じゃないから体だけ貸してくれる?」)のはいくらなんでも人間として耐えられなかったようで途中で脱落していました。(ここで名雪だったら「全然OK!」とトントン拍子に話が進んだんでしょうけどね。)かの光源氏だって不細工で教養も無い末摘花に対してすら気を使って面倒を見ていたのに、生活費も渡さずにこれでは何様だお前は!とツッコミを受けても仕方ないなと感じてしまったエピソードでした。唯一褒められた点があるとすれば彼女には手を出していない部分ですが、それにしたって風羽子さん本人が涙ながらに拒絶したからでOKサインを出す女性だったらそのまま食っていたであろう展開を思うと微妙な所です。彼女が真面目な相手(紫藤犬太郎ことシバケン)と結婚して幸せになったのが唯一の救い…ですかね?

 結論…悠里がもうちょっとマシな性格だったら不定期連載とはいえ話はもう少し続いていたのではなかろうか…ゲフッ!(光源氏は一度きりで逃げられた空蝉に至るまで後に館に招いて暮らさせたりどこまでも責任は取る男(生活の保障はする男)ではあったからまだ評価できる訳でヤルだけヤッて後はポイ捨ての悠里とは責任感が違うように感じました…ゴフッ!)

少女革命ウテナ~アドゥレセンス黙示録~

2011.02.07
 アドゥレセンスとはフランス語で「思春期」という意味だそうでイメージ通り青臭くてセンチメンタルでHで…という題名通りの作品だと思って頂ければ嬉しいみたいなことがコメントで書かれていました。が、思春期ってHって決まっている物なの!?と個人的には疑問が残るタイトルでもあったり…しました。内容の濃さもさることながら前後編で(2ヶ月で)あの量を描きあげたさいとう先生の仕事ぶりにも脱帽したものでした。

 天上ウテナ…冬芽「君の心が俺を想う限り俺はこうしてこの学園世界に存在し続けることができる。」
ウテナ「永遠に…君はここにいるの?ずっとボクのそばに?」
冬芽「…永遠に留年し続けるつもりですか、ウテナさん?」

学園世界限定の話なので在学してなきゃダメって事ですよね…ゲフッ!王子様(男)を目指していると口では言いながら何故「女のように」髪を伸ばしているの?(おまけに女のようにドレスを着るわ女の制服を着るわ…立派に「普通の女生徒」では?)というツッコミが多数届いたのか今作では徹底して男ルック(短髪含む)を貫いていました。(学生帽までかぶっています。)でもそれは所詮「憧れの男の真似」であって「中身は女の子」というコンセプトは変わっていません。(なので好きになる相手も男です。)とはいえダメ男(理事長)に熱を上げていいように利用される展開は避けられていたので今作はまだ彼女に好感をもって読み進めることができました。「男との幸せな恋愛」より「アンシーとの友情」を選ぶ最後は同じなものの男がダメ男かそうでないかで印象は大きく変わるんだよな~と感動した物語です。(オイ!)

 姫宮アンシー…ウテナ「もっといろんな君を知りたい。悩みとか秘密とか…君とはそういう友達になりたいんだ…って姫宮!?」
(脱ぎ始めた)姫宮「私と『そういう友達になりたい。』そう言ったじゃない!」
ウテナ「やめてくれ!セフレの意味で『友達』って言ったんじゃないんだ!」

どうやら兄貴から受けた性的虐待の経験から「モデルとなって絵を描くこと」=「相手と肉体関係を結ぶこと」という回路が出来上がってしまったようです…ゲフッ!兄貴を殺した(というか自滅された)当時が服装からしても1990年代以降であり婚約者が死体を発見して嘆いていることからもごく最近の事故だったという事が察せられますが「何世紀ぶりかしら…私、ワクワクしている。」と言っている事から兄貴の霊と対峙している間に何百年もの時が過ぎ去ってしまったことが分かります。つまり兄貴殺しとして容疑をかけられても、とうの昔に時効です。ウテナ同様色んなしがらみから完全に解き放たれて良かったですが現在どうやって生計を立てて暮らしているのか少し気になる所です…ゲフッ!

 桐生冬芽…「昔々ある所に世界中の女の子をお姫様にする薔薇の王子様がいました…。」

いきなり全裸ですか!(どうしてこの作品の男キャラクターはこうも脱ぐのか…。)と度肝を抜かれたヒロインの相手役です。今作では下僕に過ぎないチャラ男→相手役にまで大浮上していますが実父の了承の元に義父に性奴隷として売られていたり(男なのにロン毛なのは父親に言われて義父の好みに合わせた結果だそうで…そんな髪切ってしまえ!とツッコミを入れてしまいました…ゲフッ!)命をかけて救った女の子(ウテナ)には「自分の前から無断で消えた。」と逆恨みされているし、本当は死んでいるし「哀れな役所」というコンセプトとしては、むしろ悪化してしまっているような気がしました…ゴフッ!最終的には(自分から彼女を解放する為に自分で望んだこととはいえ)恋人にさえ忘れ去られているし可哀想な男だなあ、と同情してしまったものでした…ガフッ!

 有栖川樹璃…「その子を見ていると捨てたはずの自分の嫌な部分を思い出す。」

それってもしかしなくても枝織さん(アニメ版・樹里の片想いの相手。)の事ですよね…?(アンシーを見て思い出す少女と言えば…。)樹里にとって枝織へ想いを伝えること、結ばれることは奇跡に等しい所業であり、その奇跡を望みながらも打ち消さざるを得ない自分が嫌で、解放の手段としてディオスの力を望んでいる…という所でしょうか?この話では彼女を解放してくれる役所の瑠果がいないのでまだ彼女は行き場の無い想いに苦しんでいる最中なのでしょうね。奇跡が自分の上に降りてこないのが目に見えているので自分で掴み取るしかないと考えているご様子です。(瑠果曰く、樹里を想う自分や、枝織を想う樹里の上でなくあんな女(枝織)の上にばかり奇跡が起こるなんて世の中は理不尽だよな~との事です。)個人的には「見ないのか?樹璃。」と聞かれた時(ウテナ×冬芽決闘中)にセクシーポーズ全開で無視を決め込んでいた彼女に大ウケしたものでした…ゲフッ!

 鳳暁生…「俺は…(実の妹を薬漬けにして手ごめにした挙句に責任逃れをしているという)そんな人間じゃないっ…!」

そんな人間だよ!とうちの妹が呆れと怒りを込めてツッコミを入れていました。アンシー曰く「私は汚兄様が好きだから鬼畜プレイも全然OK。」だそうですが皮肉にもそのセリフは汚兄様の罪悪感を余計に抉ってしまう結果となり、追い詰められた汚兄様は飛び降り自殺をしてしまったのでした。そんな良心の呵責があるのなら始めからヤルな!(妹も婚約者も哀れです!)という常識は彼には無かったのでしょうか?ウテナが「君が…かわいそうだ…。」とアンシーに対して滂沱と同情の涙を流しているのには我々姉妹も揃って共感したものです。この話の悲劇は全部このダメ男が原因じゃないですか(その辺は本編と同じなのね。)とツッコミを入れてしまったものでした…ゲッフン!

 余談…ちなみに唯一カタカナ名前である女主人公2人の名前はウテナ=花を守るがく、アンシー=ギリシャ語で「花開く」という意味があるそうで、瑠果+樹璃で瑠璃となるように2人揃って意味を持つ名前がこの作品では多いようです。

ファースト・ガール

2011.02.06
 アメリカでは大統領夫人の事を「ファーストレディー」と呼ぶそうです。それにあやかって将来の大統領夫人になる少女(ガール)という事でタイトルを決定した模様です。「円舞曲は白いドレスで」がワルツをきっかけに少女の運命が花開いていく話だったからという事で今度はそのダンスがタンゴとなった話ですが…タンゴというものが男が娼婦をその気にさせる為に編み出した踊り(金で話がつく女にその気もへったくれも無いと思うが…ゲフッ!)だからか話はやたら過激で怒涛(率直に言えばH)です…ゴフッ!(第1話から最後までしてるしね…。「円舞曲…」では前編が終わるまでヒロインは清らかな体だったというのに。)それでもヒロインが最後まで夫一途だった辺り「円舞曲…」よりは好感が持てたものでした。後は相手役を変更した「続編」が描かれない事を祈るばかりです…ガフッ!

 五月美雨…母「うちの娘、売ってもいいわ。あなたになら。」

「売られた」割に彼女に同情できないのは買った男が富豪のイケメンであり結婚も保障されているという恵まれた(出来過ぎた)状況のせいでしょうね。(それは「売った」のではなく「押しつけた」というのでは…?)母親が出した絶対条件は「結婚」だったそうですが、何が悲しくて貧乏人の小娘の為に金だけでなく婚約者まで捨ててやらなければならないのか意味が分からず母親の自信過剰ぶりに「…?」となったものでした。(そもそも金の為に娘の貞操を売り渡す発想もどうなのか?)美雨本人にもタンゴやセックスなど他の女には無い(主に体の)特技はあるものの、それ以外は到って「普通の少女」なのでレオンがあんなに入れ込む理由も分からず設定的にあまり共感できなかったものです。ハーレクイン・ロマンスとしては王道と言えますけどね…ゲフッ!

 レオン・ロサス…レオン「ママが悲しい顔してる!ママを悲しませないで!人でなし!」

かつて自分の父親を誘惑しかけた女(母親の親友だったくせに父親に色目を使った女)の娘にそこまで惚れられるものだろうか?と過去回想を通して美雨にさらに想いを募らせるレオンに「…?」となったものでした。(普通だったらこんな女を助ける為に娘を買う事などせず見捨てている。そして「ファースト・ガール」は開始1ページ目でお話終了。←オイ!)ちなみにトルナディアというのは作者が作ったこの世には存在しない国(スペイン語の嵐(トルナード)という言葉から取ったそうです。)なので読者の皆さんは騙されないようお願いします。現実には何のメリットも無い普通の少女に入れあげるイケメン金持ち男なんて恵まれた物件はありません。(そんな物件はあった所でアリシア(元婚約者にしてマフィアの娘のグラマー美女。)のような実力者に早々に唾を付けられてとっとと売り切れとなる事でしょう…ゲフッ!)

 フアン・オルティス…美雨「Who…When…How…did kill him?」
フアン「つ…!」

ここで有名な剃刀のCMだったら「切れてな~い。」という事になるのですが、いかんせん普通の剃刀だったのでバッチリ切れてしまいました。(おかげで誤魔化す為に髭を全部剃り落とす羽目になり貫禄ガタ落ちです。)白人と南米部族社会の村人とのハーフ(レオン曰く「トルナディアは南米の中では豊かな部類に入る。」と言っていることから一応舞台は南米…らしい。)として幼い頃から迫害されており、想い人の美雨には「I love Leon!(レオンを愛してる!)」とその場で振られた上にその後レオン以外の男(アイザック)とあっさりくっつかれた様には哀れ過ぎて泣きそうになりました。最後に実は死んでいなかったとして不自然に登場していたのが救いでしたがトルナディア人の指揮官(コマンダンテ)として事後処理に追われているらしく最後まで苦労している様に同情が尽きなかったキャラクターです…ゲフッ!

 アイザック・プリンス…アイザック「出番までまだ10分ある。」

…10分で!?と事のスピーディーさに驚愕したものでした。(おかげで彼らが体を重ねた事に美雨の独白を読むまで気づきませんでした…色々な意味で早過ぎるんですよ、あなた達!)一緒にタンゴを踊る相手には心魅かれてしまう美雨の天性の運命なのか仕事のパートナーから肉体のパートナーにまで格上げされていました…が、お互いタンゴという燃えることのできる要素があったからこそ(そして薬物中毒の彼を放っておけないという同情もあったからこそ)成立した関係であって本当の愛ではない事に遅ればせながら美雨も気づいてしまったようです。(願わくば寝る前にその事実に気づいて欲しかったものですが…。)そんな訳ですっかりその気になってしまったアイザックは捨てられて舞台は日本に移ります…ゲフッ!

 弓弦…美雨「弓弦はあたしの大切な弟だよ。」
弓弦「うん…。分かった、分かったから何度も繰り返さなくても…美雨…。」

血は繋がっていないのにいつまで経っても美雨にとっては弟でしかないという事実反復に弓弦もとうとう諦める覚悟を決めたようです。恋人になれないならせめて家族と(いう立場を利用)して側にいたい(でもできれば「男と女でずっと一緒」というのが理想。)という気持ちから「あ~あ、何で僕のパパは2年前に美雨のママと別れてしまったんだろう?」と両親の離婚を嘆いていますが男に軽い上に借金癖のあるだらしない女では普通に別れるだろうと父親の常識的判断に私はむしろ拍手を送ってしまいました。色々な意味で目を覚まして現実を見て下さい、弓弦くん。

シャイニング

2011.02.04
 スティーブン・キングの原作小説をキューブリック監督が映画化した作品…なのですが、小説では単なる「呪われたホテル」の話だったのが「家族全員が狂気の中に巻き込まれてしまう話」に改変されているし、小説では死ななかった重要人物が勝手に殺されているし「これはもう自分の小説とは別物だ。」と作者自身も語っていたという映画です。内容は確かに怖かったし、絵も美しかったのですが、エレベ-ターから流れ出る血しぶきや(正直3人分の血じゃ足りないだろうし、一体何の意味が…?)しょっちゅう登場する双子姉妹(攻撃してくるわけでないのなら登場の意味ってあったのだろうか?)など怖いんだけれど意味がよく分からない抽象的なシーンが多く、中だるみはしてないのだけれど正直「分かりやすい映画」ではなかったかな、と評価は多少下げている一本です。まあ映画史上最も派手なトイレ(何だ、あの赤いトイレは!?)を見るだけでも視聴の価値はありますけどね…。

 ダニー・トランス(ダニー・ロイド)…「トニーは僕の口の中に住んでいる子。僕を眠らせて未来を見せてくれるんだ。」

持ち前の超能力(シャイニング)で未来予知まで出来てしまう(何気にハロランより「能力」は強い。)本作品の主人公…ですが幽霊を見た末に原因不明の怪我をしたり(双子姉妹は揃って「しつけ」られたおかげか攻撃してくる事は無かったが、殺された母親の方はそうでもなかったらしい。)夢遊状態で「レッドラム」と繰り返したり(MURDER(殺人)を逆に書いたスペル。おかげで母親は飛び起きて気が狂った父親の脅威(殺人)に対処することができたが、傍から見て異常な行動をしている息子だという事実には変わりない。)「シックス・センス」顔負けの普通じゃない息子に「またうちの子の『病気』が始まった。医者に見せなければ。」と両親は揃って息子を異常だと決めてかかっており、息子の方も超能力(トニー)は指を使っての見立て遊びだといつしか誤魔化すようになった(ト二ー本人にも秘密にしとけと言われた。)ようです。シャイニングのおかげで誰よりも早く異常な事態に気づく事が出来ていた(ラストのエレベーターからの血しぶきなんてホテルに着く前に既に「視て」いた。)のに子供だから何の解決の手段も持てなかったというのは思えば切ない展開です…。それにしても237号室(おそらくは殺された母親が風呂に沈められていた部屋)が「怖い」と最初から感じていたのなら、ボールが転がって来ても、鍵が開いてても中には入るなよ!とツッコミを入れてしまったものでした…ゲフッ!

 ウェンディ・トランス(シェリー・デュバール)…ジャック「ハッキリ言っとく。君が来るたびに仕事が中断される。気が散るんだ。ここでタイプの音がしたり何かしてる気配がしたら『俺が仕事してる』んだから入ってくるな。さっさと出て行け!」

いや、少なくとも私よりは確実に美人だという事は認めるけれど…何故こんなブスがニコルソンの妻役になんて配役されたんだ!?(最初の息子とご飯を食べているシーンでは特に、髪をまとめているせいか「この姉ちゃんはどこから派遣された家政婦さんだ?」(少なくとも「妻」なんて主役クラスを張る程の顔じゃないだろ。)と誤解してしまう程に不細工に見えた。)と失礼ながら度肝を抜かれてしまった配役でした。(非常に失礼ながら「うるせえんだよ、俺にまとわりつくな、ブス!」と超訳できそうな↑のセリフに代表される旦那の気持ちも多少は理解できてしまったり…ゲフッ!)が、話が進むにつれて、夫を殴って食糧庫に閉じ込めたり、斧でドアをこじ開けられようとしたのをナイフで切りつけて反撃したり、この「妻」役は確かに「溜め息が出そうな位、美しい美女」ではなく「多少傷ついても気にならないような泥臭い女」の方が似合う(だって行動派な女だからね)と映画を観終わってから納得がいったものでした。(それでも「息子が母親似にならなくて本当に良かった。」と思ってしまった第一印象は取り消せない…ゴフッ!)夫の事は愛しつつもホテルと関係無く今よりも幼い息子に力の限り暴力を振るった「前科」からも信じきってはいなかったのでしょうね。(だったら気絶させた夫の手足はしっかり縛っておくとか、閉じ込めたドアはテープで固めて確実に出られないようにするとか、もう少し「工夫」しても良かった気がするが。)シャイニングを持っていないはずの彼女が何故、ラストでは血の海や前管理人のグリーディーを「視る」事が出来たのか(あるいはあの力は母方からの遺伝だったのか?)色々謎は残りますが取りあえず無事に息子と脱出できてホッとした次第でした。

 ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)…『仕事ばかりで遊ばない。ジャックは今に気が狂う。』

小説を書いていると思ったら、壁に向かっての一人キャッチボールに興じていたり、遊ぶ妻子をノイローゼ気味に見ていたり(書けないんなら一緒に遊んでなよ。)風呂場から出てきた裸の女となし崩しに情事に突入しようとしたり(そりゃ、何があったかは奥さんには言えないわな…ゲフッ!)完全に精神的にキテいたお父さん。(思うにアンタ、確実に小説家に向いてないから辞めた方がいいよ。)タイプライターを打っていると思ったら打ち出していたのは↑の文章×500ページですし、奥さんはアルコール依存症で息子にまで暴力を振るった「前科」持ちの危ない夫になど相談することなくサッサと母子二人で山を下りておくべきだったな(「今帰ってどうなる。俺は道路の雪かきや洗車屋でもやるか!?」と言った時点で「分かりました。実家に帰らせて貰います。アンタは勝手にここに残れば。」と書置きを残して失踪するべきでしたね…。)と判断を誤った事を実感してしまいました。最後は息子を殺そうと迷路の中を追いかけた末に2重に足跡をつけるトリックに惑わされて迷って凍死していました(あの迷路は本物で「あ~、撮影終わった。帰ろう…って、ここどこ!?出口はどっち!?」とジャックの他にも迷子になるスタッフが続出したそうです。実はこの時の季節は夏で窓の外に滑り台が出来るほど降り積もった雪も、足跡が残る程の雪も正体は全部塩で凍死や凍傷の心配は無かったそうですが、それでも山の上の場所での夜だしそれなりに寒かっただろうな…。)が「私は気が狂って妻子を殺すなんて事にはなりません。」と自信満々に言っていた人間が真っ先にダメになるとは運命なんて分からないものです。今回は奥さんと子供が無事で済んだ事に安堵しつつも微妙に思えてしまった話でした…。

 ハロラン(スキャットマン・クローザーク)…「何かあるとその跡が残るものだ。出来事によっては特別の跡が残る事もある。誰にでも見える事ではない。シャイニング(超能力)が必要だ。未来が見えるのと同様に遠い過去が見える事もある。」

主人公のダニーと同じく直接会話を交わさなくても相手の経験が理解できる「シャイニング」という超能力の持ち主であり、おかげでピンチに陥っているダニー達の境遇も「視る」ことができ、飛行機に乗った後に車を運転し雪上車を使ってまで助けに来てくれた黒人男性です。この人、原作小説では母子を助け出して逃げるヒーローだったのに、わざわざフロリダからコロラドまで着ておいて出オチに近い形であっさり殺されてしまう(そして母子は自力でピンチを脱出しなければならない羽目に。壊れていない雪上車を運んで来てくれた辺り「役には立っている」のだろうけど…。)のには「改変にも程があるだろ!俺の話はこんなじゃねえよ!」作者スティーブン・キングが怒るのも仕方ないような気はしました。また、演じたスキャットマン・クローザークは本業が役者でないだけに単純なシーンでも30回はテイクを撮るキューブリック監督(冒頭のダニーとの会話シーンでは148テイクも撮ったとか。)について行けずに「何が望みだ!」とキレたそうですし、それでなくても撮影は延びに延びてジャック・ニコルソンなどは映画二つの撮影を掛け持ちすることになったそうですし(監督本人は「やったー!本物の冬に撮れる!」と喜んでいたそうですが…。)俳優でもない彼の出番(演技)を削ったことはまあ正解だったかな(これ以上、彼に演技をさせても堪忍袋の緒がまた切れるだけだろう)と頷いてはしまったものでした。役者って本当に大変な仕事なんだなあという事を伺わせてくれるエピソードです…。

天の涯まで~ポーランド秘史~上

2011.02.03
 エカテリーナ様時代の18世紀後半のポーランドに焦点を当てた話です。パラパラ最初のページをめくってみた所、かのエカテリーナ2世とスタニスワフの姿が見えたので思わず衝動買いしてしまった話でした。(元々スタニスワフに対する好感度が高かったので。主人公達のことなんか見ていませんでした…ゲフッ!)かの「女帝エカテリーナ」に「こうしてポーランドは地上から姿を消したのである…。」と明言されていたり、この話の中でも「世界地図からの抹殺に至る国土分割とそれに続く抵抗史の第1歩を踏み出すことになる。」と書いてあったりすることから(まあ元々小学校の授業でも習いましたが)も分かるとおり、この国、ポーランドは消滅する運命にあります。…それを踏まえて読むとなかなか切ない話です。いつの時代もどこかで起きている大国に利用され蹂躙される小国の悲劇を描き切っている凄い作品だと思います。下巻がみつからないのが本当に残念です…ゴフッ!

 ユーゼフ・アントニ・ポニャトフスキ…あれ?ネット上のデータと家族構成が違う…と思って「天の涯まで」を調べてみた所、そのドラマチックすぎる幼少時のエピソードのほとんどはフィクションだということが分かりビックリしました。(弟というオリジナルキャラまで出して事実を捻じ曲げてしまっていいの!?)本当の彼は私生児などではなく、れっきとしたテレザ母さんの子供で母と同じ名前の姉が一人いる、という至って普通の家庭で育っているので騙されてはなりません。しかし、今までもオリジナルキャラを主人公として歴史上の人物と絡ませていくという漫画は数多くあった(「ベルサイユのばら」もそうだしね。)のですが逆バージョンは初めて読みました。(せっかく作ったオリジナルキャラが主人公を引き立てる脇役だなんて…ゲフッ!)そんな意味では新鮮な作品ですが、人格形成に関わる家庭環境を勝手に変えてしまっていいのかなあ…?とツッコミも忘れない私でした。おかげで巷ではユーゼフのイメージが違うという意見も出ているそうです…ゴフッ!

 スタニスワフ・アウグスト・ポニャホトスキ…「女帝エカテリーナ」では「僕は一生彼女に操を立てて独身を通してやる!」と言い、このポーランド秘史では生涯かけて愛してやまない女性の為に離宮まで建てた独身王として描かれていますが実は彼は愛人エルジュビュタ・グラボフスカと秘密結婚をしてその間に6人も子供をもうけています。お互い過去は過去としてとっくに夢から醒めていたご様子です…ゲフッ!(独身のまま死んでしまったのはユーゼフだけです。)さて、話の中では後継者として甥っ子のユーゼフが候補に挙がった…とありますがスタニスワフ本人に実子がいるというのにこれもあり得ない話です。実際後継者を世襲制にするときに自分の1族を世襲王家にしようとしたのは確かですが実現せず前国王アウグスト3世の孫に当たるフリードリヒ・アウグストが継承者に選ばれたというのが真実です。そんなわけで色々夢を壊すようですが信じてはなりません。

 タデウシ・ボナヴェントゥラ・コシチューシコ…ポーランドではユーゼフと並んで知らない人はいないくらい有名な軍事的英雄ですが同時期にナポレオンが出てきたこともあって日本ではほとんど知られていないのが現実です…ゲフッ!純粋に祖国再興の為に戦ってきた二人とはいえ、自分の属する貴族階級に固執し盲目的にナポレオンを信じすぎていたユーゼフと違い、アメリカ独立戦争に関わりフランス革命を体感し民主的思想を持っていたタデウシの方が人気はあるようです。彼らの敗北によりポーランド国家は消滅の憂き目にあい国民はユーゼフも含めてワルシャワ帝国を築いたナポレオンに期待を寄せることになるのですが、時を同じくしてフランスに亡命したタデウシはナポレオン政策には同調せずスイスに移住しそこで客死しています。そのナポレオンもその後落ちぶれることになるので盲目的なユーゼフと違ってタデウシの方はしっかり現実が見えていたんでしょうね。

 マリア・ヴァレフスカ…テオドール・ウォチエンスキの小さな妹にして後のナポレオンのポーランド妻です。没落した貧乏貴族の娘として生まれた為に借金を肩代わりしてくれたジジイ(ヴァレフスキ伯爵)の元に嫁ぐことになりましたが、その後ナポレオンにポーランド復興の期待をかけたユーゼフに貢ぎ物のように差し出されてしまうんだそうです…ゲフッ!(ユーゼフ、お前って男は…!)ネット情報によると漫画版(この話)ではさらに彼女はユーゼフに思いを寄せていたという切ない設定もあるんだそうで…なんだか悲しくなりました。女性が自由に生きられない時代というのは分かっていますが、兄貴には金持ちに差し出され、好きな人にまで利用され、あまりに弄ばれすぎな人生だなあとつくづく切ない女性です。ユーゼフが若くして戦死した部分も悲しみに花を添えているような…ゲッフン!

 エカテリーナ2世…「女帝エカテリーナ」の時と同じく冷淡で好色でエゴイスティックなロシア女帝として登場してくれます。大抵こういう前の作品のキャラクターは出てきても1ページで終わっていたり、名前だけの登場で「…それだけ!?」とツッコミを入れたくなる登場しかしてくれない(むしろ登場の意味がないような影の薄さを誇る。)ものですがこの話ではスタニスワフ叔父さんとその祖国を破滅に追いやった女帝としてちょこちょこ登場してくれ立派に重要なキャラクターとして立っているのでそれが嬉しかったです。スタニスワフ王は「彼女があの頃の理想を忘れないでくれてれば…。」と夢見ていましたが当時お二人で語り合った啓蒙思想はプガチョフの乱も通してロシア国民には決定的に合わない、いわばパンドラの箱だと蓋を閉めた後でしかも運命の夫ポチョムキンと会った後だったという最悪のタイミングで…彼の思いは届きませんでした。うん、女というのは現実的な生き物なんですよ、叔父さん。

ロマンスの王様

2011.02.02
 主要登場人物の名前(ユーゼフ)がかの「ポーランド秘史」の主人公の名前と同じだから…ただそれだけの理由で友達に貸ししてしまったBL本です。(そんな理由で買うな!貸すな!)「銀河系のどこかにある地球とよく似た惑星カオス」などなどとんでも設定はこの頃からだったんだなあ、と設定にツッコミを入れながら笑いながら読んでいました。(笑うな。)国の立場も一昔前の日本、アメリカ、中国のイメージととってもよく似てるので、面影を重ねながら読むのが楽しかったです。
 ちなみにこの本は水戸先生の初単行本にも当たるそうで後書きの「小説家というのは旧帝国大学を出てて実家は青森の資産家でモルヒネ中毒で結核で、愛人に食わせてもらっていて最後は芸者と玉川上水に身を投げちゃう人しかなれないものだと固く信じていた。」というコメントにそれって太宰治じゃないか!と「人間失格」を読んだ私にもピンと来てしまうものもあったという新鮮な思い出もあります。

 リュウ・キョウゴク…「何をヤッてもいいけどキスだけは絶対するな!」

普通、OK出す所は逆だと思うんですが…ゲフッ!死ぬほど苦しんでいる人間(ヤスヒロ)の気持ちにも、我儘を必死で押し殺していたユーゼフの本性にも下手したら一生気づくことは無かった鈍い男(バカ)とまでヤスヒロに言われ、後書きで作者さんにまで悪く言われている(目の前にリュウのような男がいたら取りあえず殴っているそうです。)犯られ損な主人公です。確かに鈍いし頭は悪いしそれで周りの登場人物を振り回している迷惑な少年であることは確かなのですが、ここまでの酷い目(特に下半身。)に合っているとさすがに同情して共感してしまいました。最後はめでたく(?)想い人と共に暮らす羽目(でも身分はお掃除おばちゃん。)になっていましたが、もう既に本性を隠そうともしないユーゼフを前にそれも結構早まってしまったのでは…とも思ってしまいました。ジパング王家の後継ぎもどうするんでしょうね…ゴフッ!オマケですがリュウとユーゼフがともに17歳だという設定に物凄くビックリしたのは私だけでしょうか…?(下手したらリュウは12歳位、ユーゼフは25歳位に見えるのは…挿絵のせいだけでもない…ですよね?)

 ユーゼフ・スミス(テオドール)…オオヤマ「お許しくださいリュウ様…。私の大学、大統領個人からかなりの研究費を頂いているんです…。」
リュウ「…はっ?」

そしてシーンは情事へと。金や権力に媚びへつらう人間の汚さが垣間見える迷シーンです…ゲフッ!
母親がジパング人(ハーフ)でジパングにはそれで親善大使として(本人の強い希望で)来日したそうです。そこでモロ好みのリュウに出会ってしまったのはお互いにとって不運だったというか、歯車が回るというのはこういうことを言うんでしょうね…。ホモ=禁忌(そしてそこまで受け入れられるほどリュウは大人ではない。)という自覚はあったらしく、十代にして趣味は盆栽というほど「世界一平和で吞気な人間」を演じ続けていたようですが、苦しい恋心(ホモごころ)にまったく気づかず思う様感情をぶつけることができるリュウに対してイラつくことも多々あったようです。(そんな甘やかしのツケが今のリュウの性格の総決算らしい。)とはいえあそこまでヤッてしまったら普通誰だって逃げようとするとは思うのですが…ゴフッ!(「お前は俺から逃げようとしてトラックに飛び込んで死のうとしたんだ…。」と、傷つく権利は無いような。逃げたくなる程の事はしたでしょう、貴方は。)余談ですが「自分は顔を整形した別人、テオドールだ。」という嘘に最後まで騙されるのはリュウだけだな(大体周りの人間すべてが彼を「ユーゼフ」として扱っている辺りで気づきそうなものだが。)とリュウのアホさ加減がよく分かったキャラでもありました…ガフッ!余談ですが九龍回廊を進む際「三〇以上も壁を壊していた」というのにどんだけバズーカ砲の弾薬を持って行ったんだとツッコミも入れてしまいました…ゲッフン!

 チョウ・ユンフェイ…ユンフェイ「愛してる、リュウ。ただ一晩私に付き合ってくれればいい。」
リュウ「つ、付き合うって何を?トランプとか?」

髪形が同じだったらユーゼフと見分けがつかない事は禁句として、「冗談」の代償としてはとんでもないシーンを見せつけられたな、と一応常識人の彼に少し同情してしまいました。(「あのシーン」に関して、男の体が「反応」するのは反射のようなもので気持ちと体が必ずしも一体化しないことがある…と好意的に解釈してよろしいでしょうか?…ゲフッ!)もちろん彼はリュウと本気で恋愛するつもりは毛頭なく、ちょっと意地悪な冗談をいっただけなのにあそこまで過剰反応するユーゼフに対して(見せつけるのはやり過ぎだと思うの。ユンフェイの言うとおり確かに独占欲強すぎというか、とんでもなく子供で大人げないというか「付き合って」いるリュウは大変だろうなぁ…。)そしてそんなのに想われてしまったリュウに対して物凄く同情しているのでしょうね。一応「いい人」なのに巻き込むなよユーゼフ!とツッコミも入れてしまいました…ゴフッ!

 ヤスヒロ・タケダ…リュウ「み、見つかった、どうしよう!?」
ヤスヒロ「お、落ち着いてっ!そうだ、こんな時は猫の鳴き真似をすれば…!」
リュウ「無茶言うな、時代劇じゃないんだからーっ!」

リュウによって運命を狂わされてしまった男パート2。リュウに付き合わされて執務室で細菌兵器の話を盗聴するはめにならなかったら彼は書記長殺人を犯しはしなかった(おかげで細菌兵器使用の話は白紙に戻ったわけですが。)と考えるといろいろ複雑です。リュウ本人は全く意識していないのにこうして周りの男達の人生が次々と狂わされている様を見ていると彼の見た目が子供な分、無邪気な分、かえって恐ろしく感じる今日この頃です…ゲフッ!(不幸の神か、リュウは…?)ともあれ死んでなくて、死刑にもならなそうで安心しました…。早く退院してリュウの側に戻ってほしいです。

大奥~女の愛憎絵巻~

2011.02.01
 作者さんはイケスミチエコ先生です。歴史上の実在人物伝が大好き(ここからロシアのエカテリーナ女帝に大ハマりしてしまいました。)なので思わず買ってしまったというミーハーな事情でした。「グリム童話」と銘打ってあるわりにグリム童話関連の話は一つもない(それどころか全部和物である。)事に気がついて思わず笑ってしまった話でもあります。そんなわけで1粒で2度美味しい歴史物を再び存分に味わっていた私でした。

 「絵島生島」…奇しくも本の表紙は大奥を見ながら涙する絵島の絵です。絵島達が人気俳優生島新五郎の芝居を見て彼を茶屋に読んで宴会を開いたのは事実ですがそのせいで大奥の門限に遅れてしまったことだけで責任を問われ死罪を申しつけられた(基本的に大奥に入った女性は自由に城外に出れないものなので時間に遅れるなど論外のようです。)のが史実だそうです。仮にも大奥年寄役(大奥の最高責任者)が皆がいるその隣の部屋で色事にうつつを抜かすなどあり得ない話なので信じてはなりません。この一件が問われて生島達役者は遠島処分を受け、絵島は本来死罪の所を月光院の嘆願により流罪となり幽閉生活を余儀なくされたものの死なずに済んだそうです。遅刻位で昔の処分は厳しいなあと感じた話でした。

 「恋文」…正確には斎の宮は小問物屋の娘ではなく、浪人・小尾十郎左衛門直易の娘でした。徳川家宣に仕えた父が雑草が茂る浜御殿を整地し見事な庭園を作り上げた事で家宣が景色や釣りを楽しむようになり、その時に雑用を受け持っていたのが娘の斎の宮でした。ある日、いつものように釣りのお付きをしていると家宣から恋文を渡され(話のように俊速で惚れて1コマもかからぬ速さでラブレターを書きあげて渡したわけではない。あらかじめちゃんと用意していたようです。)大奥に入ることになった彼女でした。が、許婚に別れを告げて寵愛を受けた斎の宮は子供を死産してしまったことで体調を崩し出産後5か月で亡くなってしまったそうです。(心中未遂ではありません。)儚い死に様にホロリとなってしまったのは私だけではないでしょうね。

 「道行」…当時の将軍徳川家慶は既に50歳を過ぎていたもののお琴(おひろ)を気に入り8年間で4人も子供を作った(50過ぎてどんだけ絶倫なんですか、家慶様!)そうですが子供は全員早死にしてしまい、その後家慶も亡くなりお琴は若くして未亡人となって桜田御用屋敷に移りました。その後話の通りに屋敷の改修工事で幸次郎と出会い、恋に落ちたお琴は亡くなった家慶(夫)の墓参りと称して逢瀬を重ねたそうです。(家慶が哀れ。)しかし世間で2人の関係が噂になってしまい公儀の場での処罰を恐れたお琴は自殺してしまったというのが真相でした。1説には妹の不始末に腹を立てた水野忠央が呼び出して手討ちにしたともあり(自分の為に妹を人身御供にした計算高い兄にこの話のような情けは無かったらしい。)若くして亡くなってしまったことだけは確かなようです。話のように幸次郎と長生きしたというのはフィクションでした…ゲフッ!

 「夏談話」…実際にあった事件…なのですが、陰にこのような陰謀はなく、いきなりいなくなった女中が数日後大捜索の果てに乗り物小屋の籠の中に全裸で血まみれの死体になって入っているのが見つかったという死因不明、犯人不明の不可解な事件で終わってしまったのだそうです。本人が殺される理由もなかったため「狸に化かされたのでは。」(もののけの仕業にでもしないと説明がつかない程、訳の分からない事件だったらしい。)とまで言われていました。全身血まみれという壮絶な変死だったため大変な騒ぎになったそうですが真相は今でも藪の中…のようです。

 「加羅先代萩」…歌舞伎の話です。舞台は足利家ということになっていますが本当は仙台藩伊達家のお家騒動がベースで当主伊達綱宗が騒動の真っ只中に銘木「加羅」で作られた下駄をはいて吉原通いをしていた(そんな時にどこで何ヤッてるんですか!)ことからこのようなタイトルがつけられたそうです…ゲフッ!大江鬼貫叔父様は当主の頼兼を失脚させた後、幼い世継ぎの鶴千代まで殺そうとした(そうすれば直系の跡取りがいないので自動的に叔父である自分の元に当主の座が巡ってくる、と。)のですが乳母の政岡が鶴千代が病気と偽って隔離をして守ったそうです。(毒まんじゅうの件も毒入りと察しながら息子の千松に食べさせ鶴千代君に警戒心を植え付けたとか。)話では息子がもがき苦しんで死んでも涙一つ見せずに見届けたとあったので影ではひっそりと泣いていたというこの解釈には救われました。無駄死ににならなくて、嘆いてくれる母もいて、良かったね、千松。

 「番町皿屋敷」…話には諸説あり、青山主善(旦那様)に言い寄られたお菊が寵愛を断ったために奥様からも旦那様からも恨まれてしまい(奥様としては何もなかったとしても面白くない話ですし、旦那様にしてみればかわいさ余って憎さ100倍ということなのでしょう。…じゃあどうすればいいんですか?)今回の皿割り事件が起きたともいわれています。話では爪を斬られただけで済んだお菊でしたが本式の話では右手の指を1本1本切り落とされ(この辺りの描き方の違いはイケスミ先生の思いやりなのでしょう。)それを嘆いて古井戸に身を投げたと言われています。話のように彼女を庇って斬られ、後まで追ってくれた殿方(吉助)もおらず(成仏なんかしてません。)救おうとしてくれたイケスミ先生の解釈が物凄く嬉しかったです。ともあれ彼女の幽霊をきっかけに使用人達は次々と辞めてしまい屋敷は閑散としてしまったそうです。
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