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96時間

2011.09.30
 原題はtaken。動詞takeの過去分詞で①捕虜などを「つかまえた」②相手を「打ち負かした」「やっつけた」③命や心を「奪われた」(転じて「他界した」という意味でも使われる。)などなど様々な意味がある(そもそもtakeは使い方によって20近くの意味がある。)のですが娘を「つかまえた」マフィアを「打ち負かし」命を「奪った」話である内容を考えると、どの意味でも納得できそうな気がして暗澹たる気持ちにもなってしまうタイトルです。日本語に訳すと「誘拐」という、そのまんまな意味であり日本版では「誘拐事件の被害者が無事でいられると考えられる猶予期間」から「96時間」に改題された様子です。

 ブライアン・ミルズ(リーアム・二ーソン)…「お前が何者なのかは知らない。何が目的かも分からない。身代金を望んでいるなら言っておくが金は無い。だが俺には特殊な能力がある。お前たちを震え上がらせる能力だ。娘を返すなら見逃してやる。だが返さないなら必ず捜し出して、そしてお前を殺す。」

何が凄いって、このお父さん、向かってくる敵だけでなく後ろを向いて逃げて行っている敵まで容赦無くバンバン撃ち殺している点です。極悪マフィアと戦い躊躇なく抹殺するその動機は間違いなく父の愛なんでしょうがちょっと…少し…割と…かなり…行き過ぎてやしませんか!?と元CIA工作員の百戦錬磨のスキル(格闘、狙撃、爆弾のスペシャリスト。引退した今もなお、その能力は全く衰えていない。)を駆使して闘う姿に呆気に取られた最強(というより最凶)の父親の姿でした。(よりにもよった男の娘を攫ってしまったおかげで組織はほぼ壊滅状態に。マフィアの皆さんは大迷惑です。)「全てを白状したんだ!信じてくれ!」「信じるよ。だが容赦はしない。」(まあ全部正直に言った所で「やったこと」には変わりは無いしな。)と全面降伏した人間すら電気椅子にかけている非情で無情な姿には不覚にもカッコイイとすら思えてしまったほどです。元妻も今更になって彼の魅力に気づいた(遅いよ!)のか2からは徐々に態度が軟化してきた(というか、あからさまに復縁を狙っている)様子です…。

 レノーア・セントジョン(ファムケ・ヤンセン)…レノーア「店で海外旅行の承諾書にサインすべきだったのよ。」
ブライアン「それなら先に相談すべきだ!」

何の相談もしなかったのも不意打ちで書類を出せば「急ぎなの!取りあえずサインして!」「あ…ああ、分かったよ。」と体良くサインしてくれるかもしれない「打算」であったろうことは窺い知れ、海外の「美術館巡り」という話もヨーロッパのライブツアーの追っかけを誤魔化す為の嘘だった(こんな理由じゃ到底サインしてくれないだろうからと騙した。)経緯にこの母子に対する嫌悪感は一気に募ったものでした。ブライアンの予告通り娘が誘拐された事を驚いていたレノーアでしたが(だから言ったでしょうが!)話によると娘が行った場所は旅行者を攫っては麻薬漬けにして売買することで既に有名だったそうで、嘆いている所悪いですが子供だけで旅行させるのにこういう情報すら調べていなかったのなら親たる資格も無いと思いますとツッコミしか入らなかったものでした。(こういう犯罪が起きているのなら載っているはずですから渡航情報くらい調べましょうよ…。)父親(危険回避のプロ)の言葉を舐めてかかるからそういう事になるんだよと悲劇的な事件(誘拐事件)の割に全然同情できなかったバカ母子でした…ゲフッ!

 アマンダ(ケイティ・キャシディ)…ピーター「タクシー高いから相乗りしようよ。」

相手がイケメンの青年だという事も有り「これは旅先での運命の出会い!?彼と寝るわ!ピーターと!」とすっかり舞い上がっているアマンダでしたが海外で親しげに声をかけてくるのは、ほとんど犯罪者だと思っておいた方が良い(実はこのパターン、危機意識の低い日本人旅行者に非常に多い被害なんだそうな。)という通例から外れず彼は人身売買組織の一員で「獲物」を狙っていただけでした。タクシーで一緒に「ホテルの前」に乗り付けただけでなく「泊まっているフロア」まで教え「女2人旅」という犯罪者にとっては格好の餌食(狙って下さいと言わんばかりの好条件。こんな事を軽々しく教えるなんてアホです、完全に。)であった為にアッサリと攫われてしまった彼女達。犯罪に巻き込まれたのは哀れですが、それまでの行動を見ればこの2人に対する同情心はきれいさっぱりなくなりました。むしろこういう世間の怖さを舐めている人達は痛い目に遭わない限り分からないんだろうなと冷めた目でしか見れなかったものです…ゲフッ!

 キム・ミルズ(マギー・グレイス)…ブライアン「いいか、お前も捕まる。よく観察しろ。携帯を置いて犯人の特徴を何でもいいから言うんだ。」
キム「ヒゲ!身長は180センチ位!左手に月と星のタトゥー!」

「ヤバイ!真面目なパパからの定期連絡だ。こんな大音響で騒いでいる事がバレたら怒られる~!」と部屋を移動した結果、アマンダと同時に攫われる事なく↑の会話ができ、犯人の情報も伝えることができた(つまり彼女が助かったのは全部が全部パパのおかげ。)事を考えると、もうちょっとこの実父を大切にしても良いような気がしますが助かったら助かったで「今日はパパと過ごす!」でもなく裕福な義父と母親と何事も無かったかのように家に帰っている(で、主人公は一人寂しくタクシーに乗って帰っている。)辺り改めて嫌気がさした娘でした。そもそも序盤で父親からのプレゼントを放ったらかして馬に乗ってご機嫌という現金ぶりからして、もう引いたものです。年頃の娘にコンポではなく子供が使うようなカラオケセットというセンスはともあれ一生懸命検討して買った物でしょうに最初から最後まで父親の気持ちを踏みにじっている娘だなとハッピーエンドに反して父親がどこまでも気の毒に思えた映画でした…。

 余談…「海外旅行に行く時には是非この映画を思い出してみて下さい。決して他人事ではないと思います。」というネット上の評価に力強く頷けてしまった、そんな話でした。韓国もレイプが多いそうですし(しかも被害者が日本人だと「愛国心からの行動だ!」と犯人が「愛国無罪」として罪にもならないそうな。どんな理屈だよ!)やっぱり旅行するなら日本国内だな!(最も日光と富士山と黒部ダムなど主要観光スポットはガラの悪い中国人観光客だらけで微妙らしいですが。)と認識を新たにしたものです…。
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96時間 リベンジ

2011.09.29
 あのバカ娘にして、このバカ母ありと納得できてしまう続編(今回、危険な外国ぶらり旅が原因でマフィアに捕まったのは母親の方)です。前作において電気椅子で殺した男は実はマフィア組織のボスの息子であり、「息子共々よくも大量に仲間を殺してくれたな!報復(リベンジ)してやる!」という訳で今作の騒動に到り、日本版のタイトルも決定したとの事でした。(原題は単純に「taken2」となっている。)相も変わらず愛する妻子(そもそも、こいつらが原因)の為に暴走している父の姿に拍手してしまった傑作です。

 ブライアン・ミルズ(リーアム・二ーソン)…「心配いらない。痛い目を見るのは奴らだ。俺は獰猛な『犬』。食らいついたら何があっても離さない。」

そこには情けとか手加減というものは微塵も無く、最終的にはマフィアの皆さんが可哀想に思えてくるほどの凄まじさで暴走してくれる凶悪親父の姿は今作でも健在でした。(「完璧な警護に感謝する。」とイスタンブールの要人が分厚い封筒(札束)を渡す訳です。)息子を殺されたマフィアの大親分・ムラドには悪いけれどもケンカする相手を間違えてしまったな(恨み昂じてなぶり殺しにしたかったのでしょうがこのパパの場合は誘拐などというヌルイ手段を取らずにサッサと撃ち殺した方が良いと思うよ。)としみじみ思ってしまったものでした。分家の誘拐組織と言ってもたった一人で組一つ潰した男相手に見張りもつけないという甘過ぎる対応に、おかげで足に密着させていた四角型携帯で娘と連絡を取り拳銃までゲットしている様には、部屋に鎖でつないで閉じ込めた事に安心してないで随時目の前で見張っていればこんな事にはならなかったのに(呑気にテレビなんか見てる場合じゃないぞ、皆!)とツッコミも入れてしまいました。頭に袋を被せて「これでアジトの場所は分からないだろう。」(だから逃げられても急襲をかけられる心配は無いよ~。)と安心しきっている中、しっかりと秒数を数えて音で場所を特定しており、返り討ちに来た恐るべきパパの姿には、この父親の執念に脱帽すべきか、組織の組員達の甘さにげんなりすべきか真剣に迷ってしまったほどです。本人いわく「この手の騒ぎにはもう、うんざりだ」(活躍している割にタダ働きだしな。)そうですが、あのバカ妻子が家族でいる限り、その手の騒ぎはまだまだ続くんだろうなあ…という予想を裏切らずに3に続いていきます…ゲフッ!

 キム・ミルズ(マギー・グレイス)…「パパ、心配してくれているのは分かる。だけど私を信用してくれないと。もう干渉しないで。」

勝手に運転レッスンの約束を破って彼氏の家にしけこんでいたのは娘の方だろうに(物語序盤から早速、約束を破って信用を裏切った奴が今何か言ったか?)GPS機能が携帯にインストールされていれば前作で誘拐された時にもサッサと発見できたでしょうに(何はともあれアンタはまず行き先を告げずに「行方をくらます」癖を改めろ。)「こんな事されたらトラウマから立ち直れない!」と心配する父親を逆に責め立てる姿には相変わらず嫌な娘だな~(そもそも彼氏とノリノリでBまでしていた辺りアンタは確実にトラウマゼロでしょう。父親の心配は学習能力ゼロの娘を見れば当然の事だと思う。)と再度、嫌悪感が募ったバカ娘でした。今作では場所特定の為だけに手榴弾を爆破(!)させたり、従業員のロッカーから服を盗んだり(「それ、貴女の服じゃないでしょう!?ロッカー荒らし!ドロボーよ!」by従業員。)タクシーに無賃乗車したり(「オイ!降りるなら料金払ってから行けよ!」by運転手。)果ては無免許でイスタンブールの雑踏を猛スピードで爆走する様は親子揃って迷惑過ぎる(だからサッサと免許取れって言ったでしょうが!←そこ?)とツッコミまみれの行動に唖然とさせて貰った彼女。父親が言うように彼の家族だけは「みんな無事」でしたがイスタンブールの皆々様は無事どころじゃない有り様だったろうなと今作でも迷惑ばかりかけている彼女(そもそもの原因も1作目でこのバカ娘が迂闊な行動のままに誘拐されたことが発端になっている。)を冷めた目でしか見られなかったものでした…。

 レノーア・セントジョン(ファムケ・ヤンセン)…レ二ー「キムの春休みに3人で中国に旅行に行こうとしたら夫は全てキャンセルしたの。酷いわ。信じられない。夫は最低の人よ。」
ブライアン「じゃあ、キムも君も一緒にイスタンブールに来ないか?3日で仕事は終わるし。」
サム「彼女は絶対に来る。」
モブA「夫婦の問題を相談するほど親しい関係とは。」
モブB「彼女まだお前に気があるぜ。」

離婚訴訟(現在別居中)で弁護士と話し合っている最中に「家族で仲良く旅行」も無いでしょうに(むしろこんな状況で勝手にそんな旅行を申し込む方が「信じられない」ですが…。)被害者顔して手の平を返している元妻の態度に引いたものでした。挙句にそんな時期に元旦那に誘われるがままにイスタンブールにまで行くってどういう神経してるんだ!?(アメリカに現・夫を置いたまま、娘連れとはいえ他の男(元旦那)と旅行するって…。要するにアンタは家族の関係に新風を吹かせることを名目に、ただ海外旅行がしたかっただけじゃないのか!?)と今作でも度肝を抜かせて貰った元妻です。(柔軟剤みたいな名前をしながら全然柔らかくない身勝手な性格は今作でも健在です…ゲフッ!)おかげで攫われてケガをして動けない「お姫様」状態の中年女性(同じバカ女でもまだ十代後半のピチピチとした若さだけはある娘の方ならまだ絵図的に美しいのにな…。)の為に、人質という重荷を抱えて今作でもえらい苦労をしょいこんでいる主人公、当の中年姫様の為に組織とそのボスを滅ぼされたマフィア、どちらも酷い目に遭ってしまったな(今作において娘の方は父親に銃を届けたりまだ役立ってはいたのにね。最もそもそもの原因を作ったのはそのバカ娘ではあるけれど…ゴフッ!)と彼女ではなく周りの男達にだけ同情したものです。最後の家族団らんのシーンにおいても死ぬほど怖い思いをした割には立ち直るの早過ぎだろ!と前作同様のツッコミしか入らなかったり…ガフッ!

 ムラド(ラデ・シェルベッジア)…ムラド「この写真の男達を貴様は誰一人覚えていない。だが我々にとっては誰かの息子であり孫だった。父であり夫だった。皆お前が殺したんだ!」
ブライアン「お前の息子が誘拐して売り払った女達の存在を貴様は話題にもあげていない。だが我々にとっては誰かの娘であり孫だった。母であり妻だった。皆、原因作ったのお前らだろ!」
ムラド「……。」

まあアッサリ誘拐組織に攫われる事態を招いたバカ娘ズの行動はともあれ「誘拐する犯罪者」が始めからいなかったらこんな事にもならなかった訳で…。「息子を殺された復讐」という一見真っ当そうな理由を振りかざしている割には当の息子が誘拐した女を薬漬けにして人身売買するという吐き気を催す程の所業に手を染めていたクズだという事実の前に全然同情できなかったモンスターペアレント並のバカ親父でした。(被害者面して嘆いている所、申し訳ないが被害に遭った娘さん達とその家族は「誰だか知らないけれど殺してくれた人間に私達はお礼を言いたいですよ。」と人知れずブライアンに感謝している事だろう。)最後も最後で「耐えて生きろ。誘拐された娘達の親のように。」(あんなダメ息子は100回位死んで当然だが、同じ親バカとして「どんなにバカで可愛げのない子供でも我が子は可愛い」その気持ちだけは分かる。)と生き延びるチャンスを貰ったのにブライアンが背を向けたとたん行動を試されているとも知らずに薬莢が空の銃を撃った(「弾が入っていない銃の重さを忘れたか?」by一作目)自分に罰を与える人間がいないと思えばまんまと本性を晒す卑劣ぶりに、やっぱり親子だな(むしろこの親にしてあの息子あり、という所か。)とヤレヤレ顔でタオル掛けに頭を串刺しにしたブライアンの行動に拍手してしまいました。(こういう人間は自分が痛い目に遭わない限り後悔すらしないし死んでも改まりはしない。)息子を恨み昂じて殺されたくなければまずは真っ当な人間に育てろよと人間として当たり前のツッコミを入れてしまったダメ父です…ゲフッ!

96時間 レクイエム

2011.09.28
 「ついに父の暴走が終わりを遂げる」と映画ポスターのあおり文句にまで書かれていた(映画関係者まで「暴走」だと認めてるんですか!)シリーズ最終作です。相も変わらずマフィアの皆さんが殺されまくっており、しかも黒幕は別の人でしたというオチにはレクイエム(鎮魂歌)で成仏してくれるのか思わず不安にもなってしまうタイトル(原題は相変わらずの「taken3」)ですが、主人公ブライアンの捨て犬のような眼差し、可哀想な表情を見ていると、どんなにやんちゃ(という言葉で済むかどうかが微妙な内容だが)しても許せる気になってくるから不思議です。おそらくは主人公を好きか嫌いかで大きく評価が別れるであろう作品です。(私は大好きですが。)

 ブライアン・ミルズ(リーアム・二ーソン)…刑事「私の『仕事』は君を捕まえて法廷に出させることだ。」
ミルズ「俺の『目的』は娘を救い出す事だ。グッドラック(幸運を祈る)。」

もう還暦を迎えているはずなのに、その勢いは誰にも止められない相変わらずの暴走親父です。誰よりも娘を愛しており娘さえ守れればマフィアの組員を何人殺そうが、警察と対立しようが、義父と対決しようが、どうなったってかまわない(いや、ちょっと待て、オイ!)という暴走ぶりは今作でも健在で今回もまたマフィアの皆さんは大迷惑を被っておりました。(しかも1作目2作目は(よりにもよって)このパパの家族をうっかり誘拐しちゃったからという原因がマフィア側にも一応あるから話はまだ分かる。けれど今作に到っては完全なる人違いである辺りが…被害の大きさを考えても悲しい。)もはやターミネーターばりの無敵さを誇るお父様なので乗っている車が崖から突き落とされようが、部屋を爆破されようがどんなに緊迫したアクションシーンを繰り広げてもオチでピンピンしているパパが想像できる辺りが難点と言えば難点でしょうか?元妻の旦那の現素行を把握していなかった(まあCIA工作員自体はとっくの昔に引退してるし仕方ないか。)とか、携帯を勝手にいじられてないで気づけよ、などなど平和ボケした結果のうっかりは目立ちましたが(最も平和ボケしてても、これだけの暴走行為が出来るこの父親は凄いが。)そこもまた良しという事で…。

 レノーア・セントジョン(ファムケ・ヤンセン)…「もう気持ちは冷めてるの。夢見るのは貴方の事ばかり。」

職業不詳の元夫より成功してる実業家(現・旦那)の方が良いと再婚したくせに、今更になって(離婚もしていないまま)何なんだ、お前は!?と今になって媚を売ってきた、この元妻の態度には始めから嫌悪感を感じたものです。なので、早々に殺されてしまった展開には「やってしまった。家族を誘拐しただけで組織は壊滅したのに殺してしまうとは…どこの組織かは知らないが、きっと地上から存在を抹殺させられるに違いない。どうして学ばないんだ!?」(むしろマフィアの皆さんは「決して手を出してはいけない男」としてこのパパをブラックリストに載せておいた方が良いよ!)と犯人の方が心配になってしまった程でした。まあ結果として主人公はこんな尻の軽い女と再婚せずに済んだし(現夫を裏切って元夫に色目を使っていた経緯を考えると殺されるほど憎まれるのも納得ですし)結果オーライとは言えます…かね?

 スチュアート・セントジョン(ダグレイ・スコット)…「答えが出るまで妻とは会わないでほしい。」

思えば始めから怪し過ぎる男ではあった(気づけや、ブライアンも、キムも。)と本当はこの男が黒幕でしたというオチには素直に納得できると共によりにもよって主人公の愛娘のキム(またお前か!)を人質に取った時点で彼の命運は尽きたとラストに頷いてしまったものです。(主人公の妻子を誘拐した人間は必ず非業の死を遂げている。というか主人公に容赦なく殺されている。)警察が来ればもう安心、サツの前で人殺しをしたりはしないだろうと油断したのが運の尽き(あの~、主人公が1作目2作目とあれだけの大量殺人を行いながら隠蔽してきた(何故か捕まっていない)男だという事実を忘れてません?)たとえ殺されても娘を守る為の正当防衛で済んでしまうだろうと状況が全然見えていない彼にツッコミを入れてしまったものでした…。(まあ、結果論としては死なずに済んで良かったけどね…。)

 キム・ミルズ(マギー・グレイス)…「女の子なら母の名前をつけるつもりなの。」

金に釣られて実業家に乗り換えた後、元夫のワイルドさに気づいて媚を売る尻の軽い女の名前なんて辞めとけや!子育てにしたって確実に「手伝い」という名目で実父に押し付けるつもりだろ、お前…と「感動的なお約束ラスト」に反してこれからも父が背負うであろう重荷(バカ娘の事後処理)に思わず溜め息が出てしまったものでした。1作目で処女だったのは単純に「相手がいなかったというだけ」で身持ちが固い訳でもなかったんだなあ(そもそも、まだ学生のくせに無計画にセックスをして妊娠しちゃいました、という経緯からして…。)と妊娠中の不安にも全然共感できなかった女性です。個人的には卒業前の娘を孕ませた彼氏を、娘の父親が怒らない(妊娠=娘の尻の軽さも要因にはある。が、1人では子供は作れない。)という展開が意外に思えたラストでした…ゲフッ!

 余談…もう大学生にもなる娘にあげるプレゼントが大きなパンダのぬいぐるみですか…(それ、①趣味やサイズの合わない服やアクセサリー、②相手好みの(自分好みではない)フィギュアやぬいぐるみ、③自作の詩や曲、と大人が貰って困るプレゼントベスト3に入ってしまっているものなんですけど…。)と相も変わらず年頃の女性に対する贈り物のセンスゼロというパパの姿(きっと彼の目には5歳位の可愛かった彼女の姿だけが焼き付いているのだろう。)に思わず苦笑してしまったものでした…。

ワールド・ウォーZ

2011.09.27
 タイトル通り「最後(Z)の世界大戦」という意味ですが国家間の戦争ではなく戦う相手はゾンビだという映画「28日後…」(陸上選手まで走っている疾走ゾンビが売りの映画。)をも彷彿させてくれる健康アクション映画です。どのくらい健康かというとゾンビのくせに全力疾走したり組体操してしまったり非常にアクティブな様子で(こっちが走れば逃げ切れそうなバイオハザード並のゆったり感など皆無である。)もしも自分がこの渦中にいたら早々に捕まってたな、と嫌な実感もしてしまった映画でした…。

 ウイルスZ…感染してわずか12秒で発症する驚異のゾンビウイルス。(おかげで判別は非常に早く出来る点だけが救いと言えましょうか?)普通の感染症が潜伏期間を含めて1週間くらいしないと症状が出ない(で、潜伏期間中にウイルスをばら撒いてしまうというのが最も多い事故。狂犬病だって噛まれたその日に発病はしない。)事実からもこのウイルスの異常性が伺えます。発症してからは目や耳も生前以上に効き窓ガラスをぶち破る膂力や即興人間組体操で高い壁まで登っちゃうほどの物凄い身体能力の向上が見られますが、反面頭は悪くなるようでボタン一つ押して自動ドアを開けるなどの基本的な事さえできなくなるというお粗末な症例も見られます。基本的な感染は飛沫感染らしく空気感染はしないようなので射撃・ミサイル・火炎放射などの遠くからの攻撃が有効とされました。(結局感染した後の人に対する特効薬って無いのね、このウイルス…。)最後には致死性の別のウイルスにわざと感染すれば「透明な存在」(無敵状態)になって攻撃を避けられるという不平等なラストで終わっています。それで良いのかと思わずツッコミも入れてしまったものでした…ゲフッ!

 ハンフリーズ米軍基地…韓国にある米軍基地です。映画を見れば分かるとおり撮影ができるほど広く使いやすい基地なのですが、陸続きのせいで中国がその気になったらミサイルは届いてしまうわ、人海戦術を使われたらアッという間に占領されてしまうわで基地としては弱い、そんな場所です。(フィリピンがそこも見越して「これから俺達の土地に建てた米軍基地を使いたかったら今までの十倍の使用料を払うんだな!」と高圧的な態度に出て「別にイイっすよ。『中国と海を挟んだ場所』なら沖縄にも基地があるし。おい皆、撤退だ!」「…え?ちょ、ちょっと…?」とアメリカの後ろ盾を失くした経緯は有名。)なのでこの基地はゾンビにも弱かったのか…と地的条件も合わせて納得してしまったものでした。映画上でも真っ先に占領されてしまったようで「ゾンビ」と記されたダイイングメッセージ(違うから)が1番最初に送信された場所(世界で1番最初に落とされた場所かい!)として取り扱われています…ゲフッ!

 ジェリー・レイン(ブラッド・ピッド)…「事態を打破する為には行動するしかないんだ。」

その事態とは、国連事務次長のティエリーから「皆、自分の使命を果たしている。(訳・ウイルス収束という仕事をせず無駄飯食らいになる気なら家族共々出てってくれ。)」という単身赴任命令が下されたことで打破して家族の元に帰る為には働く(行動する)しかないという非常に一般的な内容でした…ゲフッ!(世界規模のアクション仕事とスケールだけは大きいんだけどね…。)仕事の為にフィラデルフィア(アメリカ・ペンシルヴェニア州)→ニューアーク(アメリカ・ニュージャージー州)→大西洋(船上)→ハンフリーズ米軍基地(韓国)→エルサレム(イスラエル)→カーディフ(イギリス・ウェールズ)→ノバスコシア(カナダ)と映画「沈まぬ太陽」並に世界を股にかけてたらい回しにされている様(イジメだろ、この人事)にはちょっと同情もしてしまったものでした。「憂鬱でなければ仕事じゃない」という言葉通りに「仕事って大変なんだ」という理不尽や不条理をまざまざと感じさせてくれる内状です…ゲフッ!

 カリン・レイン(ミレイユ・イーノス)…カリン「何度も電話したんだけど…。」
ジェリー「最悪なタイミングで電話してくるんじゃねえよ!」

マナーモードにしてないジェリーが悪かったとはいえ着信音のおかげで殉職した兵士達の事を思うと怒鳴りつけたくなってしまう奥さんでした…ゲフッ!一応、主人公の相手役であり彼を仕事に駆り立てる重要な人質…ではなく重要人物であり、船の上で安穏と暮らしながらも夫がヘマをすれば子供共々これから先は闇の中という非常に不安定な立場にいる女性です。(参勤交代の時にしか会えない江戸に住む正妻と嫡男達のようだ…。)しかし戦闘要員としても頭脳プレイヤーとしても役立たずであるが故に、この映画では目立った活躍もしない足手纏いになっています…ゴフッ!(愛は実用的能力を基準に選ぶ物ではないという事は分かっているのですが…。)能力が無いのは仕方ないから良いのだけれど仕事の邪魔をするのだけは辞めてくれ(電話じゃなくて文通して下さい)と切に思ってしまった、そんな奥様でした…。

 セガン(ダニエラ・ケルテス)…「切断すれば感染しないってどうして分かったの?」

12秒発症(つまり12秒後には全身にくまなく行き渡っている)で良く間に合ったな(普通は切断してもスピードが速すぎてアウトだろう…ゲフッ!)と胸をなでおろすと同時に、出来る事ならもっと早くにその事実に気づいてくれれば「畜生、俺もゾンビか。」と人生諦めたスピークさんが自殺する事も無かったのですが…犬の警告を無視して扉を開けてしまったスチュワーデスのせいでえらい苦労をして目的地に到着することになってしまった主人公達に思わず合掌してしまったものです。(死んでないから。)前回は奥さんに携帯電話を鳴らされて危機的状況に落ちいるし、今回はスッチーのウッカリな行動が原因だし主人公達御一行は女難の相でも出てるのかと危ぶみもしてしまった1譚でした…ゴフッ!

タイタニック

2011.09.26
 海運史上最大の犠牲者を出したと呼ばれる豪華客船タイタニック号の沈没…を映画化するのなら、普通はかの「ポセイドン・アドベンチャー」のように「アクション映画」にする所ですが、この映画では↑の事故を「背景」扱いに上流貴族の娘(ヒロイン)と貧乏画家との「ラブストーリー」にしてしまったという素晴らしい新解釈で話が進んでいきます。上映時間は3時間を超す大作(当然「一日当たりの上映回数」は少なくなり興行的には極めて不利。)なのですが、にも関わらずアバターに抜かれるまで映画史上最高の興行収入記録を樹立したのはまさしく快挙と言えるでしょうね。私も公開当時、思わず2連続で見てしまった記憶があります…。(当時はまだ完全入れ替え制ではなかったので。)

 ローズ・ブケイター(ケイト・ウィンスレット)…ローズ「婚約者を愛しているのか、なんて随分ぶしつけな事を聞くのね。あなたは無礼で野蛮で品の無い方です。助けてくれたお礼は言いましたから…って、待って!ここは一等客の場所よ!あなたが消えて!」
ジャック「HAHA!そこまで言うかな。どっちが無礼なんだ?」

当時、無名だったピカソやモネの才能を見抜く慧眼の持ち主(それは別に良い。だが「無名なおかげで安い」とはいえ、その絵の数々を婚約者に買わせて貢がせているのはいかがなものかと思う。)でありフロイトの研究を知っているなど博学な女性(それが昂じてタイタニック号の大きさを誇るイスメイ氏に「フロイトが何故、男性が『サイズの大きさ』にこだわるのか面白い分析をしています。」と痛烈な(下品な)嫌味を言っている。フロイトの名も知らないイスメイ氏の知性の無さよりも食卓の話題でそんな話を口にする彼女の高飛車な態度が鼻につきました。)ですが物の価値を見抜く目や頭の良さとは別に、「嫌な性格」の女だな~(なまじ頭が良い為に、同じ話題を繰り返す周りの堕落した貴族の皆さんが「バカに見える」のは分かるけどさ…。)と改めて見るとあんまり好感は持てなかった女性でした。ラストシーンも板の上で呑気に歌ってないで彼氏が凍死する前に代わってやれよとツッコミを入れざるを得ず、トレジャーハンターの皆さんが血眼になって探し求めていた「碧洋のハート」も実は自分が持っていた(「重くて嫌なネックレス」と気に入らなかったのは分かるけれど、捨てる位なら彼らにあげれば良いのに。絵的には綺麗だったけれど何で今更になって海に捨てるのか意味分からないから!←101歳だから認知症か?)というオチには「…。」と思えてしまったものでした。ちなみに最後のジャックとの恋をみんなに祝福(拍手)されているシーンは彼女が亡くなってジャック達がいる天国に行ったのか(何せ101歳だから不思議は無いな。)単なる夢なのかは観た人それぞれの解釈にゆだねられているそうです…。

 ジャック・ドーソン(レオナルド・ディカプリオ)…「人生は贈り物。無駄にはしたくない。どんなカードが配られても、それもまた人生。今を大切に。」

当のカード(ポーカーでのイカサマ)でタイタニックの切符を手にし、おかげでヒロインと出会ってデキ上がるも沈没事故で死ぬ羽目になった彼の人生を考えるとなかなか象徴的なセリフです。彼が遺した映画冒頭にも登場するヒロインの裸婦画(実は描いたのはジェームズ・キャメロン監督)は確かに「上手い」もののピカソやモネのように後世に残るほどの才能がある絵かと言われると微妙な所(多分、無理。)で、芸術の都パリ(「パリの女の子はすぐに服を脱いでくれるから助かる。でも品評会ではけなされた。」byジャック)からアメリカの故郷に帰る為にタイタニック号に乗り込んだ辺りからも絵描きとして身を立てる事に関しては才能の限界を感じたんだろうなあという彼の割り切りを感じました。人懐っこく世渡り上手な性格からどこへ行ってもその日暮らしなりに何とかやっていける(ポーカーの勝負で船の切符をせしめたり小銭はいくらでも稼げる男だが、逆に言えば安定した収入の無い「小銭以上の物は稼げない男」でもある。)でしょうが、お嬢様育ちのローズがそんな生活で何年持つのかは未知数(没落しかけてるとはいえ今もなおメイドに世話をして貰っている上流階級のお嬢様が何もかも捨てて平民並の生活で暮らしていくなんて果たしてできるのか?)で、もしもタイタニック号が沈まずに無事に彼とアメリカに到着したとしても「別れ」ずに済んだかどうかは難しい所ではないだろうか(何もかも捨てての駆け落ちなんて楽しいのは最初の1年位で、後は生活費の配分とかで毎日喧嘩になるのが関の山だと思うぞ…。)と美しい悲恋で終わっている所、悪いけれど死別で終わったから美しい思い出になった部分もあるように感じた私でした。ちなみに彼はもちろんヒロイン同様に「架空の人物」なのですが、タイタニック号の犠牲者の中に「ジョセフ・ドーソン」という同じ苗字の男(客室係の一人)がいた為に映画のヒット後「J・ドーソン」と刻まれた彼の墓に訪れるファンが多かった…そうです。

 キャルドン・ホックリー(ビリー・ゼイン)…「君の望む物は何でも与えよう。僕を受け入れてくれ。ハートを開いてくれ。」

怒るとテーブルを引き倒してまでヒステリーを起こす彼ですが(「君は僕の婚約者だ!法律上にはまだだが実質上は妻だ!」と脅しつけていたが、色々貢がせた挙句に「浮気」をされたらキレるのは当然な気がする。むしろここでテーブルに八つ当たりはしても彼女本人には平手打ち一発さえ喰らわせなかった彼の優しさに拍手を送りたい。)碧洋のハートという高価なネックレスを贈ったり「物や金で人を釣ろうとする」部分はあるものの(私的には心の中では見下しながらも当の「物」はしっかりちゃっかり受け取って最後まで返さなかった彼女のしたたかさにこそツッコミを入れたい。)彼は彼なりに心からローズを愛していたのではないかと思えて、巨額な資産を持つ自分にベタ惚れの理想的な婚約者なんて「優良債権」(「頼み方」さえ間違えなければ操縦しやすい夫になった事だろう。)を、婚約までしておきながら出会って2日の貧乏画家の為に袖にしたローズが改めて苦手に思えてしまったものでした。(大体、ジャックに描かせた自分の裸婦画を金庫に入れて、自分の素肌をジャックには晒した「証拠」をわざわざ置いてくるなんて性格悪いだろ。)ちなみに実際のタイタニック号では信仰と博愛精神の元に残れば死ぬと分かっていながらも女子供に船を譲った男達が多かった(演奏隊の皆さんなんて、こんな状況下で最後まで楽器を弾いている。)中で「頼む、この子には私しかいないんだ!」と女子供を利用して生き残った彼といい、「船に乗せろ!」と怒号を浴びせる男達といい、いくらなんでも臆病者の男ばかりを描き過ぎだろ、と非難も浴びたそうです。最もこの状況下では利用してでも生き延びたいと思うのは仕方ないと思いますが…。

 E・J・スミス艦長(バーナード・ヒル)…ボーディン「信じられん。他船から氷山の警告を受けていて、なのにスピードを上げるなんて!」
ロベット「船を沈めるほど大きな障害物なら遠くからでも見えるし、充分よける時間があると思ったんだろう。だけど巨体の割に舵は小さく小回りは効かない。…艦長の26年の経験が却って災いした。」

実際には姉妹船のオリンピック号で衝突事故を起こしていた「前科」も身に染みてか、そこまで気違いじみた判断はしておらず、むしろ氷山の多い海域を避けて進路を南寄りに変更しているのですが氷山群は彼の予想以上に南下していた為に最悪の事故が起きてしまっていました。(そして↑の警告を「うるせえな!よくあることだろ、バカヤロー!」と態度悪く返してしまった為に「ああ?人がせっかく教えてあげているのに何だよその態度!お前らなんかもう知らねえよ!」と無線を切られてしまった為に「最も近くの船」へ送った救援信号が受信されず、後からやってきたカルパチア号に乗せて貰えるまで救助が遅れる羽目になった。)沈没するその時には(サッサとちゃっかり救命ボートに乗り込んだイスメイ氏と違って)乗客全員を放ってパンツ一丁で逃げだした某国セウォル号の船長と違って、船と運命を共にした漢らしい最後を見せた艦長でしたが
①そもそも何で姉妹船で衝突事故を起こした男を艦長にしたんだよ?
②氷山を見つける為の双眼鏡が出航後に(事故を起こして下さいと言わんばかりに)消えている。
③事故が起こったら困るはずなのに氷山域に入る時になってスピードを上げるように示唆しているイスメイ氏(そして「事故」後はまるで全てを予測していたかのように速やかに避難し、男の身であるにも関わらず助かっている。)
…という疑問から、この事件は衝突事故を起こしたオリンピック号とタイタニック号をすり替えて
オリンピック号(本当はタイタニック号)→「新品」になって普通に稼働
タイタニック号(本当はオリンピック号)→証拠(船)ごと海に沈めて保険金をゲット

する為の偽装工作に使われた「計画的な事故」だったのではないかという見方もあるそうです。何にせよ、可哀想なのは全く関係無いのに死ぬ羽目になった(運命を狂わされた)乗客の皆さんですよね…。船の上から落ちた人(その衝撃は25階のビルからダイブするのに等しく、下が水面であってもまず死ぬ。)海の上で凍死した人(氷山が浮いている海=水の温度は氷点下であり、そんな水に浸かっていたら数分で心臓麻痺を起こす。)と、船上に出ながらも無残に死んでいった人達にひたすら手を合わせた海運史上最大の水難事故の様でした…。

グレース オブ モナコ~公妃の切り札~

2011.09.25
 無税の国モナコ(だってギャンブルに来てくれる人達が落としてくれる金で充分国が賄えるんだもん。)という点に着目し「じゃあ場所だけモナコに移転すれば税金納めなくて済むじゃん!」と移転したフランス企業に「てめえらアルジェリアの独立戦争で金が必要なこの時期にセコイことせずに税金納めやがれ!モナコも共謀するんならフランス領として侵略しても良いんだぞ!」とフランス政府が怒って圧力をかけてきたという至極真っ当な話(苦労しているのは分かるけれども実際の被害者はモナコ側でなく本来取れるはずの税収をちょろまかされているフランス政府側だろう。「ついでにモナコも課税して、その分をフランスに納めろ!」というのはさすがに行き過ぎた脅迫だが。)がこの話のメインストーリーです。狭くて飛行場を持たないモナコ(移動は自動車で充分)の為に道路(国境)を封鎖する兵糧攻めに出たエピソード(モナコは食料も水も電気もフランス経由なので禁輸措置を取られたらひとたまりも無い。オマケに国連にも加盟していないせいで訴える場が無く誰も助けてくれない。いわば「北朝鮮」状態に落ち込んだ。)なども描かれていて、なるほどねと色々頷けたものでした。

 グレース・ケリー(ニコール・キッドマン)…「私がオスカーを獲った時、父は記者に言ったわ。『大物になるのは姉のペギーだと思っていた。グレースより優秀なのに。』父は内心、怒っていたのよ。私が反対を押し切って親孝行より女優の夢を選んだ事を。どんなに成功しても私は虚しかった。レーニエと結婚しても結局、同じよ。」

普通だったらオスカー賞を受賞したハリウッドスターという華々しいキャリアの全てを捨てて王子様の花嫁になった「甘いシンデレラストーリー」(王子様と結婚したが最後、仕事を辞めて後は呑気にボランティアでもしながら悠々自適に暮らしていますみたいな専業主婦希望の女性垂涎のおとぎ話)が描かれそうですが、本作は全く逆で彼女の「結婚後の苦労」が全面に描かれている辺り新しいと感じた作品でした。(現実の結婚だって色々大変なのに公務ある王族として暮らしていくのに苦労が無いはずが無い…ですよね。)実際、父親が初めてグレースを「認めた」のは彼女が小国モナコに嫁ぎフィラデルフィアのソサイエティに入る野望を果たせたその時(金は有ったが所詮は「アイルランド人の移民」に過ぎない成金という事で今までは受け付けて貰えなかった。)であり、それにしたって「グレースが役に立つ娘だ」という事を認めたに過ぎない(「手紙届いた?ていうか返事はくれないの?」「大公妃殿下に書く事なんて無いわよ。それよりまさかアメリカに戻らないでしょうね。お父様が生きていたしたらお前はもう『女優』じゃないんだってきっと言うわ。」「…普通の会話がしたかったわ。」と大公妃の娘の立場を喜んでいるだけでグレース自身を受け入れた訳ではない。)結果に、結婚に「成功」してもモナコとアメリカの文化の違いに、共通の趣味も無い夫とのすれ違いの生活に、彼女は孤独な日々が続いていたそうです。映画でも語られていましたが「王族との結婚を夢見る者の大半は、その意味を分かっていない」のでしょうね。

 国境封鎖…グレース「差し入れです。」
レポーター「公妃が立場を捨ててこのような緊張感漂う場所に足を踏み入れるとは前代未聞です。アメリカ流外交演出か、はたまた映画の為のドレス・リハーサルか、謎の行動です!」

意味不明の行動であっても「話題の女性」となれば世間の注目は自然と集まる(むしろ意味不明だからこそ「どういう意図があるんだ!?」と話題は広がる。)→「モナコ公妃」の顔が売れ、必然的に世間の人々になじまれて好感度アップ→「なじみのある(人がいる)国モナコ」に世論が動く→モナコ派=反フランスの機運が高まる、という彼女の策に「なるほど!」と舌を巻いたものでした。その辺はオスカー賞まで獲った元女優。どうすれば人々の目が自分に向くか、「彼女は自分を、そして演技を分かっている」(byヒッチコック監督)のでしょうね。

 レーニエ3世(ティム・ロス)…「まさか、こんな目に遭わせることになるとは…グレース、君を不幸にする気は無かった。君に苦労をかけるなんて…。」

映画だけ見ていると真面目すぎて不器用な(愛情表現は下手だけれど誠実な)男というように見えますが、この男は実は動物並に節操が無くグレース・ケリーは結婚以来、夫の浮気に悩まされ続け、その血が発現したのか子供達も揃って尻軽でご乱交に走りまくり、彼女の「苦労」は実に20年の長きに渡って続いたそうです…ゲフッ!元々、彼がグレースと結婚したのも有名なオスカー女優のあの人が王家の妻に!(って、どこの国?観光しに行かなきゃ!)という流れを促す「20世紀最大のおとぎ話」を作る為のいわば公務の一つでもあり本当のおとぎ話のように愛情だけで結婚に突っ走った訳でもなかった(「彼は私の幻想(キャリア)を愛しているのよ。」byグレース)事から結婚後はすれ違いも多々有った様子です。しかし国の為に最善を尽くしてくれた彼女の努力は本物で、そこに感服してか自動車事故でグレースが亡くなった後、彼は(あのワンちゃん王が!)生涯新しい王妃を迎えようとはせずモナコ中の家や店がグレースの写真を飾り王妃の死を深く悲しんだ(結局、国王以下モナコ中の人達から彼女こそモナコ公妃だと認められていた)そうです…。映画中の「グレース、ハリウッド復帰騒動」の時も「国家の危機に国を離れるなんて、所詮は外国人ね。モナコ人になれないのよ。」とテレビコメントで中傷する人がいた他に「行かないで、私達の王妃!」「グレースはモナコの王妃!」「ハリウッド反対!」と書いた垂れ幕を持って宮殿の周りに詰めかける人が殺到したそうで本当に国民に愛されていた様子です。(どうやらテレビでの中傷コメントは「アンチがいるのは人気の証拠」という事だったらしい。)

 ジャン・シャルル(ニコラス・ファレル)…シャルル・ド・ゴール(フランス大統領)「レーニエはどこまで追いつめた?」
ジャン「もう、どんな条件も飲む所まで。おそらくモナコの主権もフランスに明け渡すでしょう。」
ド・ゴール大統領「よくやった。礼ははずむぞ。よし、安心だから舞踏会にも出席するか!」

実は電話してるジャン(レーニエ大公の姉アントワネットの夫。モナコをフランスに売り渡そうとした内通者。)の周りではレーニエ以下、閣僚の皆さんが怖い顔をして睨みを効かせており、それが国外追放が決まった裏切り者の最後の「公務」だった(スパイ(味方)の立場を利用してド・ゴール大統領を各国の重役が出席する舞踏会の「現場」に来させるための罠だった。)というのは何とも小気味良い展開でした。おかげで列席者の皆さんと一緒にグレースの見事なスピーチ「気に入らないからという理由で破壊する人々がいます。それが当然の権利だと言う人もいるでしょう。でも幸せや美しさを破壊する権利は誰にもありません。」(訳・こんな小国を、まさかイジメたりしませんよね?それもこんな世界中の目がある前で。)を聞く羽目になってしまい、アメリカ代表からも「まさか大公妃の上に爆弾を落としたりしないでしょうな?」とチクリと釘を刺されたド・ゴール大統領。おかげで1963年5月、フランスは国境の封鎖を解除し、徴税の要求も取り下げた結局、何もかも「元通り」にせざるを得なくなった。)この結末は、まさしくグレースの尽力あってこその結果だと頷けたものでした。

 マリア・カラス(パス・ベガ)…「苦悩に満ちた、この愛。ああ、死んでしまいたい。お父様、どうかお願い、私の願いを聞いて♪」

歌詞の内容は「私と彼の仲を認めてくれなのなら細工造りで有名な●●通りに行くわ。でもそれは指輪を買う為じゃない。運河に身投げする為よ。それが嫌ならお父様、私の願いを聞くのよ!」という脅迫に近い(むしろ脅迫そのものである)あんまりな内容ですがメロディと歌唱力は素晴らしい(メロディと歌唱力は…な!)といつもウットリ聞いてしまう名曲です。(映画「終の信託」でも使われている。)歌うのはもちろん20世紀最大の歌姫にして海運王オナシスの愛人マリア・カラスであり映画中では孤独なグレース・ケリーの数少ない友人(映画では一緒に乗馬までしている。)という立ち位置にいるのですが、オナシス(カジノの利権を手中にし本来モナコに落っこちてくるはずの金をその手にした男)の愛人=男か女友達(自分)かという選択に迫られたら、この人はきっと迷うことなく男を取るだろうという事で決定的には信じきれない相手でもあった様子です。ちなみに今回の会議の場で「有名な世界的ソプラノ歌手が歌う」という見せ場を作ったように、グレース・ケリーはハリウッド時代の人脈も生かしてチャリティイベントにフランク・シナトラ以下かつての共演者達(世界的なスター)を招き、モナコの繁栄に一役も二役も買っていたそうです。

 余談…31歳のグレース・ケリーを演じる主演女優ニコール・キッドマンは現在47歳。(1967年生まれ。)なのに何で30代前半のような豊満なバスト(体型)を維持してるの!?(女30を過ぎれば無い乳だって垂れてくるのに!)と思ったらあのバストは詰め物(シリコン)を入れた整形手術の結果だというオチがありました。普通の女性は手術をした事を(どんなにバレバレでも)隠す所を彼女は手術後に堂々とヌード写真集まで出したそうで胆力がある理由も分かるトリビアでした…。

グレース・ケリー~愛されたくて~

2011.09.24
 欧州列強が勢力争いをしていた戦争の歴史の中でしたたかに生き残りフランスの属国のような形で王室を存続させている世界で2番目に小さな国・モナコ。そこの王妃グレース・ケリーと言えば映画「公妃の切り札」も相なって知らない人がいない位の有名人ですが、この本では映画の前(モナコ公妃となる前)彼女が一体どんな半生を生きてきたのか、女優時代・幼少時代を中心とした内容となっています。読んでみて初めて知って、そして前半生が映画化されなかった理由が分かった(年齢差に不倫に18禁過ぎ。)話でしたが、それを差し引いても充分に面白い。恵まれない環境から浮かび上がってきた俳優が多い中で、珍しく恵まれた家庭出身のスター女優でしたが、その中でも悩みや苦難は有った(「私の人生はおとぎ話のようだとよく言われるけれど、それ自体が『おとぎ話』だわ。」byグレース・ケリー)という現実も読み取れて堪能できた一冊でした。

 次女グレース・パトリシア・ケリー…父ジョン「あのバカ娘は!ハリウッドと言えば『金』『スキャンダル』だ。不倫に多情に快楽主義、コネと色と反社会!厳格な『舞台』の世界に進む才能も無いのに女優など目指すから、またゴシップ記事だ!」
三女リザンヌ「本当かどうかは別として、イラン国王にゲイリー・クーパーにクラーク・ゲーブルに既婚者のレイ・ミランド。…これで何人目のゴシップかしら?」
長女ペギー「全くグレースったら自分がこのケリー家の娘だという自覚は無いのかしら?」

彼女は美しく健康的な気品があり、それでいて官能的だった(「哀れオードリー・ヘップバーンなど顔じゅうにセックスが張り付いた下品さがにじみ出ている。派手で見え透いた色気を振り撒く安い女優などうんざりだ!清楚な淑女からにじみ出る官能性こそ刺激的なのだ。私は全ての作品をグレースで撮りたい。」byヒッチコック監督)美しく冷静で優雅なグレースをハリウッドにて「クール・ビューティー」と称した(モナコ公妃になる前から超有名で成功していた。)ほど社会的成功を収めた女優であった…のですが「自慢の娘として手放しで喜ばれる存在」となるには、ちょっとお盛んに遊び過ぎてしまったかな…(そして最悪な事にケリー家の面々は敬虔なカソリック教徒(キリスト教の中でも最も戒律が厳しい宗派)だった。もちろん「結婚するまで処女当然」で、ましてや不倫をする娘など論外である。)と親の気持ちも多少は分かってしまった私でした。最もマトモに愛情を注いでくることもせずに、今もなお冷淡に接しているのに、異性との交際に関しては異常なほどうるさく言ってくる父親というのはどうなのか、というツッコミは入ってしまいますが…。(とはいえグレースの方もその内容が「怒り」であっても「今の父親の関心は自分1人だけに向けられている」という状況にハマって家庭崩壊ロマンスに突き進んだ側面は有った様子ですが。←ダメじゃん!)そんな訳で女優としてどんなに成功してもそれが家族に認められる事は無かったというのが彼女の悲劇でした…。

 長男ジョン・ブレンダン・ケリー・Jr…父ジョン「私はオリンピックで金メダルを取った。しかしボート競技において最も歴史のあるヘンリーレガッタ大会の優勝トロフィーは取れなかった。『移民のレンガ職人』だった私の出場を協会側が認めなかったからだ。その点、お前は幸運だ。『アメリカの学生』でケリー煉瓦会社の社長の息子なのだから。お前はその幸運に努力を加え、あの名誉あるトロフィーを奪うのだ!この父の分まで!」
グレース「お兄様、アメフトのクラブを辞めたんですって?」
長男ジョン「ああ。お父様にそろそろボート競技に絞った方が良いと言われたんでね。長男だし、お父様の期待に応えたいからね。」

つまり↑の賞はオリンピックを総舐めにした父親の「唯一の心残り」であり、息子が見事に「敵を取ってくれた」という事だったのでしょうね。(実際、息子の方もメルボルンオリンピックのボート競技に出場しメダルを奪ったが、それは銅メダルであり、父親ほどの活躍は出来なかった。最も血(才能)を濃く受け継いだとはいえ所詮オリジナルの2分の一以下である次世代では親以上の無茶を期待する方が厳しいとは思うが。)それは「優秀な経歴を持つ息子」という条件付きの愛ではあった、可愛い長女のペギー(運動神経は「人並み以上」に良かったが父や兄のようなオリンピックレベルとまではいかなかった。)に注いだような無条件の愛ではなかったものの、見事に優勝した息子は少なくとも「父親に褒めて貰いたい」という努力は認められた(「我々もアメリカ国民として鼻が高い。君の息子はアメリカの誇りだ!」「ああ、そうだとも!ジョン!さすが私の息子だ!」by得意満面の父ジョン)という事ではあったのでしょうね。「父に愛された長女」「父に認められた長男」「父なんか気にせず我を通せる三女」と違って、父親を見限る事も期待する事も決定的には出来なかった次女・グレースは「自分に出来ること(女優業)で父親に認めて貰いたい!」という強い気持ちもあって女優として大成していった様子です…。(ユダヤ人=ユダヤ教(異教徒)の男と反対を押し切って結婚した三女を見習って、親の名誉の為ではなく自分の為の幸せを求めても良かったと思いますが…。)

 父ジョン・ブレンダン・ケリー…父ジョン「私にはグレースのオスカー受賞が信じられない。4人の子の中で、よりによってあの子が私の老後を慰めてくれるとは思ってなかった。」
ビル・ホールデン「彼は他にも『女優をやるならペギーの方がもっと立派に成功しただろう。』なんて言ったらしい。全く何も分かっちゃいない。彼は人を見る目が無かった自分自身を認めたくないのさ。」
グレース「まだ…認めては貰えないのね。」

「あの子はうちの娘じゃない。」それが一貫した家族の結論であり、特に父親は自分の運動面での才能を受け継がなかったこの次女に全く関心を持たなかった、母親の方も信仰や社交場での礼儀作法を教え込みはしても充分に愛情を注ごうとはしなかった為にグレースは幼い頃から「誰も自分を認めてくれない」という満たされない思いを抱えてきた様子です。(それが転じてファーザーコンプレックスになり「甘えられる父親」像を彷彿させる「熟年の包容力のある男性」(既婚者多数)とばかり付き合う共演者キラーとなった訳か…。)最も弟からは「オスカー受賞さえスルーされたら、普通はそんな親を見限るだろ!?」どんだけ乳離れ出来てないんだよ、グレース!)という忌憚ない意見を頂いてはしまいましたが…。ともあれ、外国では「下手なテレビドラマの主役を張るよりもブロードウェイやウエストサイドの舞台で活躍する事の方がよほど名誉だと評される」という画一的な考え方のままに、映画の仕事を全く評価しなかった父親、演技力も気品もカリスマ性もあったのに声が細い(要するに舞台では後ろの席まで声が届かず何言ってるか分からない)為に舞台では活躍できなかったグレース、というニアミスも重なって映画女優として成功はしても実力が認められる事はなく、オスカー受賞も「へー、意外。」で流されてしまった彼女。(「オスカーを受賞した日、それは私の人生の中で一番寂しい時間でした。」byグレース)もしかしたら彼女は、それも昂じてモナコ国王との結婚に突き進む事になったのかもしれません…。(「私は女優に挑戦したように結婚にも挑戦したのです。」byグレース←いや、だから、そろそろこんな親を卒業しようよ…。)

 モナコ国王・レーニエ大公…母マーガレット「グレース、お前の人生にあれ以上の男性は現れないわよ。」
父ジョン「イスラム教(異教徒)のイランと違ってモナコはカソリックの国だしな。」

鉱山などの資源も無い国土1500キロほどの小国モナコは当時ギリシャ海運王のオナシス(ジャクリーン・ケネディの2番目の夫)にカジノの利権を握られた事もあり倒産寸前の状態にまで追い込まれ、それでなくても後継者がいなければモナコはフランスに返還しなければいけない(1918年モナコーフランス協定より。)という危機的状況の中、国が取った政策は「国を中流階級向けの観光地に再開発する」という方針であり「お前、PR(話題性)の為(だけ)にマリリン・モンローと結婚しろ!」というアドバイスまで受けていたレーニエ大公、裕福な家庭とはいえ所詮は「成金」に過ぎない自分の父親は「歴史ある上流階級の身分」(欧州の王妃)を喜んでくれるかもしれないとひらめいたグレース(幸運な事にモナコのグリマルディ王家は12世紀イタリアの聖職者にまで遡る由緒あるカソリックの家系で宗教上の問題は無かった。)、2人は「結婚」をしたかったという共通の目的の元、出会った3日後にはプロポーズされ4ヶ月後には挙式という恐るべきスピード(普通は式場の予約をしても実際に式を挙げるまで1年近く待たされるのだが…。)で結婚を果たしたのでした。おかげで「庶民の娘」が王家の妻になったというシンデレラストーリーには世界中が注目し倒産の危機に瀕していたモナコはアメリカ人観光客が押し寄せて実に見事な復興を果たしたのでした。(レーニエ大公自身はマスコミ嫌いだったが「マスコミが注目する世界的な女優」だからこそモナコ再興は成り立った。)本人達の打算の程はともかく国としては間違っていなかった結婚だったのでしょうね。

もののけ姫

2011.09.21
 既に鉄砲が伝来している(1543年。以後予算増える鉄砲伝来。)事から分かる通り、時代は戦国時代、そしてこの頃にザビエルが来日してキリスト教が広まった(1549年。以後よく広まるキリスト教。)事を考えると話のように神道に準じた古き良き神々がますます肩身が狭くなっていったのにも時代背景的に納得ができる内容です。(まあ、そのずっと前の聖徳太子の時代から大分、仏教に幅をきかせられていた感はあるのですが…。)しかし、矢で千切れ飛ぶ人の腕や首(byアシタカ)、血まみれで蠢くイノシシ(タタリ神)、生首のまま動いて人に襲いかかる山犬(犬神モロ)…と、そのドロドログチャグチャ具合はかの「火垂るの墓」をはるかに凌駕しており(当の「火垂るの墓」でさえ劇場で滂沱して動けなくなった観客が続出したというのに!)厳しい時代の中での生と死を描いた素晴らしい内容に反して、「子供向け」というアニメお約束の暗黙の了解事は見事にぶっちぎってしまった(あんなものを年端もいかない、いたいけな子供が見たら確実に引くというか、泣くだろう。)にも関わらず、日本映画の興行成績を塗り変えるほど大ヒットしたという傑作です。(でも、ある程度、年齢が行ってからでないと見れないな、この話…。)

 アシタカヒコ…ひい様「その呪いのアザは、やがて骨にまで届き、そなたを殺すだろう。誰にも運命は変えられない。だが、ただ待つか、自らおもむくかは決められる。」
長老「大和との戦に敗れ、この地に身を潜めてから500余年。今や大和の王の力は無い。将軍どもの牙も折れたと聞く。だが我が一族の血もまた衰えた。この時に一族の長となるべき若者が西へ旅立つのは運命かもしれぬ。」

本当だったらこの人は田舎暮らしとはいえ一族の長として平穏無事な日々を過ごし、一生安泰のはずだったのに、エボシ様が原因を作った要らない祟りのせいで村を追放されるような形で旅立つ羽目になった、思えば哀れな主人公です。(切った髪は間違いなく「遺髪」の意味合いだろうし、ラストで痣が無くなったのに故郷には戻らずに「タタラ場で暮らす」と言っている事から考えても呪いが無くなろうが無くなるまいが、「妹」とも生き別れて「2度と村に戻れない立場」になってしまった事は間違いないのだろう。)ちなみに彼に玉の小刀を渡した娘・カヤは実は妹ではなく、周りが勝手に決めたアシタカの許婚だった(「兄様」と呼んでいるのは年上の男は皆そう呼ぶ風習から来る物で守り刀を男に渡すのは女からの「求婚の証」だったんだとか。)そうで、当の「愛の告白」に対して「私もいつもカヤを思おう。」とホイホイと応えてしまったり、貰った守り刀を他の女(サン)へのプレゼントに利用してしまっている(あるいは、これは同じように蝦夷の風習に習っての、アシタカからサンへの「婚約指輪」のつもりだったのかもしれない、が…。)辺り、アシタカは何気に女泣かせだなと実感もしてしまったオープニングでした…。

 もののけ姫・サン…犬神モロ「森を犯した人間が我が牙を逃れる為に投げてよこした赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い可愛い我が娘だ。お前にあの娘の不幸が癒せるのか!?」

つまり彼女は犬神達の怒りを鎮める為に捧げられた生贄であったのに、当の犬神がエボシ御前によって滅ぼされようとしている今、サンは人間(生贄)としての存在価値すら否定される事になってしまい、宙ぶらりんの状態になってしまった彼女は「もののけ」という人でも獣でもない存在として生きる道しか残されていなかったそうです。もちろんエボシ御前がサン達が住む森を犠牲にする…ではなく、食い物にしてしゃぶりつくす事で…いやいや、「糧とする」事で大勢の人達を救ったのは事実ですが何もしていないのに住み家を奪われ、仲間を殺され、「被害者」はどちらなのかと言えば確実にサン達の方である事は伺え、周りに味方となるべき人間がいない(文化的恩恵から皆エボシ様の方についてしまっている。)点と合わせて同情もしてしまったヒロインでした。(それもあってアシタカは一目惚れした事実だけでなく彼女を見捨てられなかったんだろうな。)ラストではアシタカに日本人の伝統的なプロポーズの言葉である「一緒に暮らそう」(という意味にしか取れない「共に生きよう」発言。類語として「毎日、俺の味噌汁を作ってくれ。」「給料の3か月分(をつぎ込んだ婚約指輪)です。」などもある。)という言葉を受けて頷いていますが、それでも森と共に生きる暮らしは変えられない(そして自分達をこんな目に遭わせた人間を許す事も出来ない)そうですし、思えば不遇な子だなと思ってしまったものでした…。

 エボシ御前…モブA「エボシ様と来たら売られた娘を見ると皆、引き取っちまうんだ。そのくせ掟も祟りもへっちゃらでタタラ場で働かせてる。普通は女は鉄を汚すって嫌がるものなのによ。」
モブB「この人は儂らを人として扱って下さった、たった一人の人だ。儂らの病を恐れず、儂の腐った肉を洗い、布を撒いてくれた。生きることは実に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい。どうかこの愚かな儂に免じてその人を殺さないでおくれ。」

ハンセン病で苦しむ人達はともかく、実は女達の境遇はエボシ御前が作らせた「鉄」の武器で起こった戦争による「奴隷狩り」(人身売買)によって起こった事態であり、サンやアシタカと同様、彼女達の運命を狂わせるきっかけを作ってしまったのは他ならぬエボシ御前だったりするのですが、その責任を取る意味も込めて彼女達やアシタカを村に誘ったのでしょうね。(そんな事をしても彼らが失ったものは返す事が出来ない、とはいえ…。)目的の為ならばタタラ場の人達でさえ駒として使う冷酷さ(タタラ場の男兵士を囮に彼らごとイノシシを爆破する作戦にGOサインを出したのは彼女。タタラ場が侍に襲撃されている事実を知っても助けに戻るどころか無視してシシ神殺しに邁進していた。)から欲張り過ぎた為に今までに築き上げたタタラ工場まで失くしてしまった(アシタカの報せを受けてシシ神殺しを中止してタタラ場に戻っていれば、デイダラボッチが暴走する事も、それでタタラ場が壊滅する事も無かった。)最後はまた最初からやり直して今度こそ良い村を作ろうとしていますが、やり直しても方向性(鉄を作るタタラ場を稼業として村を維持する。)は同じ事でしょうし、あの時に神殺しを諦めていれば「やり直す手間」さえ無かった事を考えても「人間、分をわきまえる事が大切」だよな(ダーティハリー風に。)と改めて実感したものでした。

 鎮西の乙国主…「儂の一族を見ろ。皆、小さくバカになりつつある。このままでは儂らはただの『肉』として人間達に飼われるようになるだろう。」

そして21世紀の現在その予言通りに彼らの子孫はブタという食用専門の家畜(肉)として飼われている様を見ると、当たっているだけに切ない未来予想図でした。(いや、一応、映画より小さいサイズとはいえ昔のままのイノシシもちゃんと存在してるんですけどね…動物園とかに。)鎮西(九州)からわざわざ海を渡ってまで援軍として駆けつけたのに、相手が罠を仕掛けている事も、わざと陽動作戦を行っている事も全部分かっていて「それでも正面から攻撃したい」からドツボにハマり込む形で足を踏み出している様(「最後の一頭になっても『突進』して踏み破る。それがイノシシの誇りだからね。」by犬神モロ)にはそんなだからアンタ達は戦争に負けたんだ!(「分かった上でやっている」のなら尚の事バカここに極まれり。ロクな食料も持たずにガダルカナルで飢え死にした日本兵と同じく精神論や妙なプライドだけで行動するから「失敗」という分かりきった結末を迎える羽目になったんだよ!)とツッコミしか入りませんでした。バカでは無い(状況を理解できる頭は持っている。)のなら、だからこそもう少し「考えて行動」してほしかったのですけど…ね。

ペインレス

2011.09.20
 タイトルの意味はそのまんま「無痛治療」。スペイン内戦で荒れる時代を舞台にした史実+フィクションの歴史物であり(さすがに主人公の父親のように大人をぶち殺して生き抜いた猛者な子供はいなかったらしい。)第2次世界大戦の最中、ではなく大戦後に行われた苛烈なアカ狩り(共産主義者狩り)をメインに持ってきた作品です。最後はちょっとファンタジーが入った結末でしたが取りあえず「スペイン内戦の傷跡は今の今になっても残っているのですよ。」という強烈なメッセージは受け取れた、そんな印象深い映画でした…。

 ダビット・マルテル(アレックス・ブランデミュール)…ジュディス「ダビット、これを見て。」
ダビット「リンパ節の癌だね。君のこの患者は余命数か月だな。癌の専門医に見せた方が良い。」
ジュディス「私の患者ではないの。あの事故が無ければ気づかなかった。でも、まだ貴方の命を救えるわ。」

という訳で「実験段階の新しい治療法」を試す為に実の親の骨髄液を求めて奔走する事になる主人公ですが、ここでポイントなのは彼の病気は骨髄移植で治る白血病ではなく、未だ治療法の無い癌であり、骨髄液を入手すれば「人体実験ができる条件」が整うだけで別に命が助かる保証がある訳でも何でもない(ハンセン病の患者がセファランチンという新しい治療法(新薬)を試した為にバタバタ死んで「これじゃセファランチンというより『世話いらん死ん』の間違いだろ!」という事態になったように、無茶な治療法のおかげで逆に死期が早まる場合だってある。)という点です。とはいえ「溺れる者は藁をも掴む」気持ちで調べていった所、実は自分は養子で育ての親はゲス野郎で、実の父親は拷問モンスター、恋人は死んで残されたのは超未熟児のチューブにつながれた子供だけというどこまでも後味の悪いエンディングを迎えてしまい、実父に比べれば平凡な人生を送ってきた男だけれど、この人もこの人で割と散々な目に遭っているよな、と思わず同情してしまった息子でした…。

 ベ二グノ(トーマス・レマルキス)…「僕はお前の名前さえ知らずに終わる事になる。でも僕はお前の目を覗きこんだ。僕の父が僕の目を覗きこんだように。お前のストーリーは、もうお前のものだ。だからこそ、お前は自由になる。だからこそ、お前は立派な男になる…我が息子よ。」

待って、燃えて終わる前に骨髄液を…!(当の息子のストーリーがもう終わりかかっている今、こんな尻切れトンボで終わらないで!)と、炎のおかげで自分と同じ瞳の色を持つ息子に気づき、そして炎のおかげで貴重な骨髄液がパーになった終わり方にツッコミを入れつつ泣いたものでした。(ダビット、いざとなればライターがあるから大丈夫、ではなく懐中電灯は新しい物を持って行こう。)それにしても、今まで人を人とも思わず「解体」していたのに、何故あの鼻歌を歌っていた女囚人だけが特別たりえたのか、ずっと不思議だったのですが、見返してみると幼馴染のイネスが同じ鼻歌を口ずさんでおり(爪をはがし合ったり、一般的感覚から見ると明らかに異常なドン引きコミニケーションを取っていたが「一番仲の良かった女の子」であり、子供だから友達止まりで終わったものの、思えばあれが彼の初恋だったのだろう。)彼女を通して子供の頃の思い出を見出したからこそ、彼女だけは人間として愛したのか、と合点がいきました。と同時に結局また大切な女性を失い、墓守のように生きているベ二グノに涙が出たものでした。息子も余命いくばくも無い体ですし、既に命(孫)が繋がれているのが救いと言えば救いですが、微妙に思えた終わり方でした…。

 ウーベルト・ホルツマン教授(デレク・デ・リント)…看護婦「他の手があるはずです。」
ホルツマン「どんな?君も聞いただろう。薬も食料もアカの連中が独占する。我々を見殺しにする気だ。」
看護婦「家族に返してあげられませんか?」
ホルツマン「外では戦争をしてるんだよ、マグダレーナ。この子の家族は既に死んでいるだろう。」

だからって、毒物を注射して今すぐ永眠させる事は無かったのでは…?と散々「実験材料」として使いながら、彼らのおかげで2度も命を救われながら(ユダヤ人である彼は荷物も無く夜逃げするような形で「研究の為だから!」と特殊な子供達の病気を理由にこの施設を住居にする事が出来た。アカの連中が来た時も子供達を伝染病に仕立て上げた事で部屋を確保し、「許してくれ」と言いながら実は結構、子供達を利用している。)「都合が悪くて面倒な存在になったから」手にかける考え方に「…。」と思ってしまった行動でした。おかげでベ二グノには抱きつき→後ろ手の首骨折りというコンボ技で逆に殺されてしまいましたが(これは私も絶対に騙されると思った「高等技術」でした。)でも彼がベ二グノにしようとした事、及び彼の友達(イネス)にした事はそういう事だよな(滅多刺しにしたベ二グノの行動も凄かったが、彼は「やり返しただけ」で運命を弄ばれた被害者でもある。)と納得もしてしまった最後でした…。

 アダン・マルテル聴罪神父(フェリックス・ゴメス)…「恐怖とは何か知っているか?お前の目だ。私の目とも妻の目とも違う、その恐ろしい緑色の目だ。お前が幼い頃、その見開いた目が私をじっと見つめていた。全て知っていると言うように。世界で最愛の者があの目をしている。それでも私はお前を愛していた、実の我が子のように。…真実を知りたかったんだろ?これが真実さ!」

要約すると「お前の目がベルカノにそっくりで、彼らから体よく赤ん坊を取り上げた挙句に牢屋に閉じ込めて見殺しにした儂としては、もう辛くて辛くて…生きててすみません!」と拳銃自殺してしまった義父です。過去を話す事自体が苦痛でグズグズしていましたが、自分の口から話すのなら都合の悪い事は全部伏せて今まで通り親子をやれるかもと一瞬期待を持った所、息子は既に生存者と会う約束を取ってしまっていた後で(拷問の結果を見られたら、いくら長年育ててきた息子でも自分を軽蔑と嫌悪の目でしか見ないだろう。)真実の全てを知った妻も内容のあまりの凄惨さに「アンタとはもうやってられんわ!」と言わんばかりに風呂場で自殺してしまったし予測していた当然の結末(だから話したくなかったんだろうな。)とはいえ、耐えられなかったんでしょうね。どんな悪事もいずれはバレる時が来る。ベ二グノを拷問係として「再生」(ベルカノ)させたのも、共産主義者を嬲り殺しにさせたのも、全部、自分で自業自得が招いた結果である為にちょっと同情はし辛かった義理の父親でした…。

 余談…ちなみに、この無痛症の子供達は自傷行為を繰り返す事が原因で思春期頃には廃人になっているそうです。「痛み」を感じなくても骨が折れれば動かせない訳で、骨折→硬縮を繰り返し、最後には骨折が治っても固まって動かせないミイラのような体になるんだそうです。(痛みを感じる人間だって疲労骨折や肉離れを起こす事があるのに、感じない人間は尚更だろう、という話です。)それを考えてもベ二グノのようにお爺ちゃんになっても役者のように柔らかい筋肉質の体を維持している、というのはまず有り得ない話で、その辺からもフィクションの度合いを感じたものでした…。

ブレイブ・ハート

2011.09.19
 時代は13世紀末、イングランド国王エドワード1世がスコットランドの王座も兼任したのを良い事に「スコットランドも完全にイングランドの物にしてやる!」と半侵略化→「『2つの国を治める』のと『玉座に居るのを良い事に片方を潰す』のとは違うっての!」とスコットランドの皆さんが抵抗運動を起こし、中でもスコットランド独立の為に戦った実在人物ウィリアム・ウォレスを主人公に「話を作った」ちょっと史実作品(歴史に忠実)とは言い難い歴史映画です。「ブレイブ・ハート」と呼ばれた(「勇者の心臓よりも前に進め!」と御本人の心臓の入った箱を投げて軍を鼓舞するのに使われた。)のも実際にはウォレスではなく次期スコットランド王のロバート・ブルース伯の方ですし、結構デタラメ一杯なのですが、おかげで「物語」としてはとても面白く仕上がっており、アカデミー賞を総舐めにしたのも頷ける大作でした。(「史実に忠実に作る」事にこだわるのならドキュメンタリー映画でも作れば良い話であって「ドラマ」を作る以上は話の盛り上がりが必要という訳で…。)

 ウィリアム・ウォレス(メル・ギブソン)…モブ「ウォレスは大男のはずだぞ。」
ウォレス「そうらしいな。何百という敵を打ち殺した男、目から火の玉、尻から稲妻、敵を焼き殺すと、俺がそのウォレスだ。」

実在人物とはいえ農民出身の彼は、お貴族様のように肖像画も残っておらず、映画のヒット後に立てられた銅像も「ウォレスの装束を着たメル・ギブソン」状態になってしまっているという半ば伝説と化している人物です。もちろん実際の戦の記録からも「スコットランド独立抵抗運動のカリスマ的人物ウィリアム・ウォレス」が存在したことは確かなのですが、↑のセリフからも分かる通り評判が噂を呼び、噂がいつの間にか伝言ゲームと化し、伝言ゲームのお約束として話が破綻した結果彼の「人物像」のどこまでが本当で、どこからが誇張なのかはハッキリしない部分(↑の話だって明らかに人間技を超えている箇所が多々ある。)があり、そこにメル・ギブソンなりの解釈を加えて完成したのが、この映画です。という訳でこの映画には、まだ民族衣装となっていないはずのキルトが出てきたり(「大群でのお尻ペンペン」という演出の為にキルト(という名のスカート)は非常に効果的ではあったのだろうが…。)顔を青く塗ったり(それはスコットランド人でなく古代ケルト人の風習である。)映画として映えるからという理由だけで史実上、絶対にあり得ないオリジナル展開が多々混じっていますが、そこはご愛嬌という事で…。(始めからオリジナル解釈(ぶっとんだ脚色)にゴーサインを出して作った話ですからね…。)

 恋人ミューロン(キャサリン・マコーマック)…ミューロン「ローマにも行ってたの?どんな所?」
ウォレス「君の方がずっと美しい。(フランス語)」
ミューロン「何て言ったの?」
ウォレス「『美しい』と。言葉が分からないなら勉強しなきゃな。」

祖国スコットランドがイングランドに侵略されかかっているこの時に、恋人とイチャイチャパラダイスしている場合か!(映画では「戦わずに平和に暮らしていきたい。」と言っていたが、この非常時にそんな余裕は有るのか?)という時代の流れ、またウォレス自身、教会で結婚の誓いを立てた記録は残っていない事から「初夜権を恐れての秘密結婚」(だから公式記録にありません。)という形で強引に登場している「彼の妻」ですが、史実上の彼は父と兄を殺された恨みだけで充分にお腹いっぱいであり、長年、故郷を離れていた(というより「反逆者の息子」として叔父共々逃げていたのだろう。)のを帰ってきたのも、のほほんと田舎で平和に暮らす為でなく始めから復讐の為に舞い戻って来たというのが正解らしいです。しかしラブロマンスを入れなければ、ただのスコットランド版「ランボー」で終わってしまうだろうと、ここに「妻まで殺される」という新たな悲劇まで背負わされ、勇者は復讐に邁進していくのでした…。

 イザベラ皇太子妃(ソフィー・マルソー)…侍女「領主は彼をおびき出す為に、彼の父兄の墓を汚して恋人の死体の前で彼を待ち伏せた。でも彼は兵を打ち破って恋人の亡骸を秘密の場所に埋めたんです。素敵な恋ですわ。」
イザベラ「恋なんて…私は無縁。」

政略の為にゲイ(エドワード2世)の元に嫁がされ、結婚してるのに愛(性生活)の無い日々を過ごしていた皇太子妃はいつしか愛の為に戦っているウォレスに興味を持ち始めた…と始まる恋の序章ですがウォレス活躍当時、イザベラ王女はまだ9歳です。(妊娠どころか初潮が来てるかどうかも怪しい年齢である。)映画中では夫の方も「触るな!」(俺の愛の生活に女は要らん!)と女であるだけで嫌われている様子の彼女でしたが、史実上のエドワード2世の方は本命は男(ゲイ)であっても女(性別不問の浮気)は有りという所謂「両刀使い」の御方だったご様子で、即位後にフランス王女の彼女と結婚しウォレスの死後「7年後」にエドワード3世誕生…どう計算してもウォレスの息子ではありえないのに「ドラマになるから」という理由だけで、とんでもないフィクションが描かれてしまいました。という訳で信じてはならない話です。

 エドワード1世(パトリック・マクグーハン)…側近「イングランドの領主にスコットランドの領地に移れと言えば、税の高さと合わせて貴族から不満が出ましょう。」
エドワード1世「では古き良き風習を復活させようではないか。『スコットランドの領主』は領民が結婚する時、花嫁と床を共にする『初夜権』を持つ。貴族達は税に構わずこぞってスコットランドに行き、スコットランド人の血はいずれ絶えるだろう。」

オペラ「フィガロの結婚」でも有名な「初夜権」(「領主様はなんて優しいんだろうね、スザンヌ。結婚する僕達にこんな部屋をプレゼントしてくれるなんて!」「バカね、フィガロ!領主様が何の為にこんな呼びつけやすい、忍びやすい、使い勝手の良い部屋を与えたと思ってるの!?」「初夜だけじゃなく定期的に愛人として使うつもりかよ、あのエロオヤジ!」)ですが、そんなの、わざわざ外国に行かなくても自国で妾でも囲えば事が足りる話であって外国の「田舎娘」の為に代々続いた自国の領地を捨ててまで来るバカ男がいるか!(いや、いるかもしれないけど少数派だろう…。)という「常識」から考えても分かる通り、これも映画ならではのフィクションです。息子が女相手には「役立たず」だからイザベラ妃に子種を授けるのは父王の方だろうと囁かれた噂(史実上では彼女が嫁いできたのは息子が戴冠した後であり、父王は既に死んでいる。どうやっても彼から子種を貰うのは無理。)といい、この映画ではエドワード1世が無駄にセクハラ好色エロジジイ化しているなとも感じたものでした…。

パーフェクトストーム

2011.09.18
 パーフェクトストームとは「複数の厄災が同時に起こって破滅的な事態に至ること。」(リーマンショックなど比喩的にも使われている。)であり、ノーイースターと呼ばれる嵐にハリケーンがぶつかった(「巨大で、さらに成長を続けているハリケーン・グレイスがセーブル島の南にある嵐の芽にぶつかると、エネルギーを得た嵐の芽が目を覚ます。しかもそこにカナダ付近にある強い寒冷前線が上空を流れるジェット気流に乗って大西洋にまっしぐらだ。」by気象予報士)為に、その名の通りの「完璧な嵐」が完成し、そこに突っ込んでいった漁船が沈没した(何故「破滅的な事態」に自ら足を踏み入れるんだ、お前ら!?)という単純明快な実話(1991年9月に起こったマサチューセッツ州メカジキ漁船の事故。)を、悲惨海洋映画を撮らせたら多分右に出る者はいない「Uボート」のウォルフガング・ペーターゼン監督が映画化した作品です。だから1人位は助かるという状況的に有り得ない奇跡も起きないし、悲惨(全滅)に終わるのか、と納得した映画でした。

 ボビー・シャットフォード(マーク・ウォールバーグ)…恋人クリス「ボビー!お帰りなさい!会いたかった!」
母親「無事で良かった…!」

絶対この人達は「日帰り漁」じゃないな(1日で帰ってきたのだとしたら、母親も恋人もどんだけ心配症なんだ?)と確信を持ったオープニングでした。餌(罠)代、給油代諸々の経費を削られても(そうだよね。魚高ゼロでも「出航する」だけで金は取られるよね…。)船のオーナーに上前の2分の1を天引きされても(考えてみれば当たり前だが船長(魚を獲る人)とオーナー(船の持ち主)は別である。)「不漁」でも3千ドルは行く計算だった(1ドル100円換算として30万。成績悪くてもそれだけ貰えるはずだった。)のなら確かに漁師は儲かる職業なのだろうと認識を新たにしたものでした。しかし作中で描かれている通り、引き上げてみたらメカジキじゃなくてサメで食われかかったり、海に落水して死にかかったり、危険と隣り合わせの職業でもあり、恋人の言う通りにサッサと安全でコツコツ稼げる元の職に戻るべきだったな(いくら借金もあって稼ぐ必要があるとはいえ…。)と遅過ぎた転職の決意には溜息ばかり出てしまった、そんな男でした…。

 マイケル・「バグジー」・モラン(ジョン・ホークス)…バグジー「おいアルフレッド、また女を2階にお持ち帰りかよ!」
クリス「こないだなんか彼女の妹も一緒に凄かったのよ。」
バグジー「何であいつはモテルんだ?」
ビリー「デカイ竿を持ってるからだろ?」

ヤダヤダ、船乗りは下品で…と思った所でネットに「自分は日本海側の漁師の町出身者ですが「あまりにも漁師達を綺麗に描き過ぎている」(アレで!?)点に違和感を感じました。昨中『やや、それっぽいシーン』は有りましたが「一般受けするように作られている」(コレで!?)のは仕方ない事なんでしょうね。」みたいな意見が見られて度肝を抜かれたものでした。(まずい、私は絶対に漁師とは付き合えないわ…。)結局、アイリーンと知り合いになるも下心見え見え(「俺にも感情はある。」「どこに?パンツの中?」byアイリーン。)のせいで送り狼になる事も出来ずに不発に終わったバグジー(「イカレた奴」という愛称。)でしたが、見送りには来てもらえたり、あながち振られてもいなかった様子です。生きていたらきっとイイ感じになれただろう事を思うと沈没して終わった最後には涙しか出ませんでした…。

 ビリー・タイン船長(ジョージ・クルーニー)…ビリー船長「凄い嵐が俺達を待ち受けている。数日ここで過ごして魚を腐らせるか、嵐がどうしたと突っ切るかだ。」
マーブ「俺達はグロースターの男だろ?手ブラじゃ帰れねえよな。」
サリー「必ずやれる!ガッポリ儲けようぜ!」
ビリー船長「よし!嵐に備えろ!」

そんな風に一攫千金に目がくらんだ漁師達の中には「いくら生活の為とはいえ死んだら元も子も無いだろ!?」とツッコミを入れる人間は誰一人いなかったらしく、大嵐の存在を事前に察知していながら、危険性も充分に承知していながら、別の漁船からも警告を受けていながら件の行動に出た(「ビリー!爆弾に突っ込むつもりなの!?お願いだから引き返して!もう、全く何考えてるのよ!?」by女船長リンダ)のだから、実の所、同情の余地すら全く無い連中だったりします。(死んだ人間を悪く言いたくはないが人はそれを自業自得としか呼ばない。)不可抗力で嵐に巻き込まれたのなら、勇敢に自然に立ち向かったけれど自然の脅威に敗れ去ったという「敗者の美学」もあるけれど、バカなだけ(本来、避けられた災難に自ら足を突っ込んで全滅した。)だから海難事故の悲惨さとは別に人間的には同情も共感もできない彼ら。欲をかくから自滅する羽目になるんだよ、と知らず語りかけてしまったものでした。

 女船長リンダ・グリーンロウ(メアリー・エリザベス・マラントニオ)…「海は彼らの墓です。けれど広い海は残された者に何の癒しも与えません。お参りもできず、花を手向ける墓石もありません。唯一、彼らと会えるのは心の中と夢の中だけです。」

だから漁師は夢も希望も無い職業だが、だからこそ海に挑んだ彼らは勇敢なのだ…という「美談」にまとめられてはいましたが、勇敢(危険を顧みずに行動する事)と無謀(頭悪くて、ついやってしまった。)って別ですし、嵐に突っ込んでいったその勇気(バカさ加減)も「獲った魚を腐らせる前に売って儲ける」という虚栄心の為に発揮したものですし別に褒められた話じゃないよな、と改めて思ってしまったものでした。可哀想なのは死んだ本人達よりも、欲にかられたバカな家族(恋人)を持った為に悲しむ羽目になった遺族の皆さん(出航を決めたのはビリー船長だが、「俺達はグロースターの男だから嵐だってへっちゃらさ!」と無茶な帰路に同意したのは乗組員全員である。)であり、冒頭で死んだ乗組員と同じくおそらくはまた葬式の費用を出してくれたであろう彼女(壇上で挨拶している、という事は…。)の出来た人間ぶりと合わせて涙した終わり方でした…。

プライドと偏見

2011.09.17
 「愛してる」と認めるには男のプライドが高過ぎた、「愛してる」と応えるには女の偏見が邪魔をする…プライドと偏見、その厚い壁の前には男も女も簡単には人を愛せない(だから小説版も上下巻の長編という長~い年月がかかりました。)という内容の18世紀後半(フランスはナポレオン時代)のイギリスを舞台にした恋愛映画です。が、それよりも何よりも雄大な自然(国土の9割が山という日本とは違うわ。)と、若かりし日の一番美しい年齢のキーラ・ナイトレイ(もちろん今でも充分に若いけれども。)の美貌が相まって、1シーン1シーンがフェルメールの絵のような美しさを放っているのが特筆に値する所でしょうね。画だけでも見て損は無い映画です。

 エリザベス・ベネット(キーラ・ナイトレイ)…ビングリー「ダーシーも踊れよ。後ろに僕がさっきまで踊っていたジェインの妹がいるぜ。」
ダーシー「まあまあだけど、敢えて踊りたいほどの美人じゃないね。それに僕は今『他の男から相手にされないお嬢様』のお相手をする気分じゃないんだ。」
エリザベス(何ですって…!?)

第一印象は後々まで尾を引いてしまう物…(そして足を踏んだ側はすぐに忘れ去っても、踏まれた側は一生覚えているというのがイジメの永遠の真理である。)という訳で、その後「エリザベスって、よく見ると結構…。」と思いを募らせていったダーシーさんとは正反対にエリザベスの方ではすっかり「自分をブス扱いした嫌な男」という図式が出来上がってしまい、年収一万ポンド(現代の約一億円)のハンサムマンという超優良債権という条件にも関わらず嫌悪感を募らせていったという悲劇が発生したのでした。おまけに折り悪く当時ちょっと良いなと思っていたウィッカム氏から彼によって有望な就職先をフイにされた(正しくはダーシー氏の妹をたらしこんで、いくばくかの財産をちょろまかそうとした所、駆け落ち寸前に妹自身が兄に告白した為におじゃんになったという迷惑な話で、ダーシー氏達こそが被害者。)という話を聞かされて「ダーシー氏=極悪人」という偏見がすっかり出来上がってしまい、彼女達のラブストーリーがメインの話である癖に話はこじれにこじれていくのでした…。

 フィッツウィリアム・ダーシー(マシュー・マクファーディン)…ダーシー「あなたを愛しています。結婚して下さい。」
エリザベス「あなたは私が絶対に結婚したくない男です!」

「高慢(プライド)=自尊心が強すぎるという事だけど、それと虚栄心(他人から偉いと思われたい)とは全く別よ。」と主人公の妹メアリーが語っている通りプライドは高いものの、周りからの評価は気にしていない(媚は売らないタイプの人間)であるが故に、言い訳をしない結果根も葉も無い中傷をそのままにする「誤解」されやすい男が出来上がってしまった、それがダーシーさんです。おかげで愛の告白をしても「ハァ!?アンタ、私の姉とビングリーさんの仲を引き裂いた張本人の癖に何言ってんの!?」「当たり前です。友人が社会的地位の低い、態度も卑しい一家の親戚となるのを僕が喜ぶと思いますか?」「…何ですって?」と雰囲気は悪くなるばかりで(「いや、娘と結婚する=あの自称繊細なバカ母を身内にするのは友達として普通に「早まるな!」と止める所だと思うけれど。」byうちの弟。)本題に関しても「僕がもっと狡くて、貴女の身分が低すぎる事で結婚を悩んだことなど隠して『純粋に貴女を好きになって、どうしても貴女と結婚したいのだ』と言っていれば、ここまで非難されずに済んだかもしれない。でも僕は嘘が嫌いです。」「アンタ、私の身分が低いからって舐めてるの!?」と逆鱗に触れるばかりで甘いムードとは正反対の方向に行ってしまった、最初のプロポーズ。(相手が自分より格下過ぎて悩んだなんて話を言わないのは「嘘をつく」のではなく「思いやり」って言うんだよ…。)見事に振られたにも関わらず影ながら彼女一家を援助し、持てる力(金)の限り支えた辺りは大したものですが(振られた=見込みが無いという時点で180度手の平を返す人間は男女問わず多い。)思えば不器用過ぎる人だったんだなあ~と感じた人物でした。

 キャロライン・ピングリー(ケリー・ライリー)…「エリザベスさん、私と一緒に部屋の中を歩きませんか?淑女の一番美しい姿は歩く姿だと言われていますのよ。」

つまり彼女はエリザベスを「引き立て役」に容姿端麗で歩き方も上品な自分の姿をアピールしてダーシーさんを魅惑の虜にするつもりだったのですが、肝心のダーシーさんは見向きもせず、小説版に到っては自分がいかにエリザベスの美しい瞳に魅せられているかを影で彼女に語っている始末(男が自分に他の女の話をする=それは自分を「女」として見ておらず気の無い証拠である。気になる女性だったら他の女の話なんか口から出てこなくなるのが普通でぬけぬけと「他の女の話」をしている時点でその恋はもう終わっている。)ですし、まるで相手にされていない様には思わず失笑してしまったものでした。それでも「自分より身分の高いミス・ド・バーグ」だったらまだ「負け」を感じて納得できた(「金と身分差に負けた」のであって女としては傷つかずに済んだ。)でしょうに、当初の危惧通り彼はエリザベスと婚約してしまった辺りは物語終了後、彼女の憤懣はいかばかりかと思わず心配になったものです。という訳で親友の妹(キャロライン)に従姉妹(ミス・ド・バーグ)にと何気にモテモテなダーシーさんの様が伺える登場人物です。

 コリンズ氏(トム・ホランダー)…ベネット夫人「長女のジェーンは実はある方と婚約寸前なんですの。次女のエリザベスなら良いと思うのですが…。」
コリンズ氏「それは良いお考えですね。」

いやいや、勧める娘を間違えてるだろ、お母さん。あの勝気な次女が打算120%で結婚するようなタマか!と危惧した通りに案の定エリザベスは彼からのプロポーズをその辺の娘のように「状況に流されて断りきれずに受けてしまう」ような展開にはならずに、アッサリお断りしていました。しかしこの有り様に、くじけるどころか3日と日を開けずに他の女性にプロポーズした彼の情熱と独立心(ではなく厚顔無恥)には更に度肝を抜かれたものです。要するに彼は形式尊重主義から長女ジェーン→次女エリザベスと選んだだけで、ぶっちゃけ自分より身分の低い娘に博愛精神から手を差し伸べるという「無欲で寛大な申し出」が出来れば相手は誰だって良かった(何と言うか、善人ぶりながら一番「身分差別的に相手を卑下してる」のは、この男のような気がする。)のですが、それでもこの上自分に恥をかかせた娘一家を救ってやろうという気にはなれなかった(順番で行けば三女のメアリーに進みそうだが、さすがにそこまでお人好しでもなかった。)らしく隣家のシャーロットに求婚という事になったのでした。シャーロットの方も安定収入のある牧師という彼の立場に魅力を感じて受け入れていますし、ここに夫婦共に打算的な価値観で相手を選んだカップルが誕生したのでした…。

 シャーロット・ルーカス(クローディ・ブレイクリー)…シャーロット「私、コリンズさんと結婚するの。」
エリザベス「バカな!まさか、冗談でしょ!?」
シャーロット「そ、そこまで露骨にドン引きして非難しなくても…。」

生活の為には愛が成就していない場合でも結婚は有り得る。ましてや自分は不細工だし、もう嫁き遅れて籐の立った27歳だし、文句を言える立場でもない(「私はロマンチックな結婚を考えるような女じゃない。ロマンスなんて一度も考えた事は無いわ。私はただ『居心地の良い家庭』が欲しいだけなの。コリンズさんの縁故関係や牧師という地位を考えたら、私はこの結婚できっと幸せになれると思う。」byシャーロット。つまり彼は顔も頭も悪いし、一緒にいても退屈だし、3日前に他の女にプロポーズしたその舌の根も乾かぬうちに自分に求婚したその愛情も間違いなく口先だけの物だろうけれど「妥協」するには充分な優良債権だと、そう言っている訳だな。←これはある意味、男も哀れ。)と考えた結果、彼女は映画「ライアンの娘」のヒロインのように彼に接近し見事に「妻の座」を射止めたのでした。おかげで「前の女」であるエリザベス自身は驚くばかりで全くもったいないとは思いはしなかったものの、彼を娘婿に家と土地はそのまま継続して受け継ぐつもりだったベネット夫人(母親)の方は「よその家の娘」に有望な花婿候補をかっさらわれた事で荒れに荒れたそうです…。

 リディア・ベネット(ジェナ・マローン)…父親「お前の話を聞いていると、お前はこの辺で一番のバカ娘だとしか言いようが無いな。前々からそう感じていたが今ハッキリそう確信したよ。」

姉のエリザベスにも「若くてちょっと顔が良いという他には何の取り柄も無い一番低級な浮気娘です!」と言われており、それでも「一文無しの娘」と本気で結婚を考える男はいないだろうとブライトン行きに送り出された次第でしたが肉体だけの関係ならバカ娘でも充分に魅力があるとウィッカムの餌食になった(むしろ「結婚騒動」だったらまだ良かったのだがダーシーさんが尻拭いをしてくれなかったら、この馬鹿妹はそのまま「放蕩男の愛人」になる所だった。)様にはおかげで寝込んだ母親の姿(母親も母親でバカだが「娘が男と家出した」という状況には親として普通に心配する所である。)と合わせて「馬鹿妹を持ったご一家」の方に同情したものでした。最初から嫌な予感は有ったのだし、エリザベスの忠告通りにこんな娘をブライトン(国民軍の連隊がどっさりいる男の園)に行かせるべきではなかったなと溜息ばかりが出た末妹です…。

 キャサリン・ド・バーグ夫人(ジュディ・デンチ)…キャサリン夫人「ダーシー氏とは婚約しないと約束しなさい!」
エリザベス「そんな約束はできません!もし彼が本当に私を愛しているとしたら、私がお断りした所で彼が貴女のお嬢様と結婚するとお思いですか?奥様の申し出は間違っていると同時に馬鹿げています!」

反対されたら却って恋心は煽られる、ましてやそれがエリザベスのように2度もプロポーズを断れるような「自分の意見をハッキリ言える情熱的な娘」なら尚更の話である…と言う訳で牽制に来たはずが皮肉にも2人を結びつける結果を招いてしまった様「その話を聞いて僕は初めて希望を持ちました。僕は貴女の性格をよく知っています。貴女は僕と結婚する気が無いなら夫人にアッサリ・ハッキリそう約束するはずだと僕は思ったんです。」byダーシー。キャサリン夫人としては「強性で無分別な娘」(エリザベス)の様を伝えることでダーシー氏の幻滅を招こうとしたが、夫人の目論見は完全に裏目に出てしまった。)には子供の頃からの(家が決めた)婚約者でありながら振られる羽目になったお嬢様と合わせて同情もしてしまったものです。物を頼むなら脅迫の形でなく哀願+土下座のセットで行うべき事を高慢な態度に出てしまったが為に余計に事態を悪化させてしまった夫人。結局、夫人の「プライド」の高さと、身分の低い娘なら自分の言う事は何でも聞くだろうという「偏見」が悪い結果を招いたというオチで話は終わるのでした…。(最も身分立場的な物を考えれば、変な話、お貴族様である彼らはその生まれと責任の元に「高慢」になる権利が有り、言っている事は「偏見」だけでも無かったりするのですが…。)

 余談…この映画に出てくる、「天使」がそのまま降臨したかのような姉ジェーンを演じたのが、後に「ゴーン・ガール」で「完璧な」性悪女ヒロインを演じるロザムンド・パイクだと気づいて「演技って凄いんだなあ。」(180度、人柄が違うじゃないか!)と度肝を抜かれたキャストでした…。

風と共に去りぬ

2011.09.16
 「この話に勝るものは聖書だけだ。」とまで謳われ、「2度と制作する事が出来ない豪華さ」というあおり文句と共に堂々と公開された映画史屈指の名作です。実際2007年のアメリカ映画ベスト100でも6位という高順位だったそうで公開されたのが1939年という事を考えるとまさしく伝説と言えるでしょうね。タイトルは「かつて在りし騎士道と綿畑の地。人はその地を古き良き南部と呼んだ。その麗しい世界で最後に華を咲かせた勇気ある騎士達と艶やかな淑女達。奴隷を従えた主人達。…今は歴史に記されるだけの儚い思い出となった。大いなる文化は風と共に去ったのである。」というアーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラ」から始まるように当時絶頂にあった南部白人達の貴族文化が南北戦争という「風」により消え「去った」事を意味しており、時代背景も知ると2度楽しめる映画でもあります。(しかし名作である事に違いは無いのですが「長い映画」なのでリメイクはされないだろうな…残念ながら。)

 南北戦争(1861~1865年)…レット「能書きだけでは戦争には勝てない。兵器工場、造船所、港を封鎖できる艦隊…北部は装備に置いて我々よりはるかに勝っている。南部にあるのは綿と奴隷と自惚れだけ。大砲工場一つ無い。」
南部青年A「勇気が有れば大砲など必要ない!」
南部青年B「北部のまわし者め!裏切り者のたわ言など聞きたくない!」
南部青年C「貴様、士官学校を退学処分になったんだってな!故郷の家族にも見放されたならず者だろ!」
レット「どうやら私は皆さんの勝利の夢物語をブチ壊したようだ。失礼して庭園でも拝見しよう。」

都合の悪い現実は見て見ぬフリをし、反対意見を言われようものなら人格攻撃に出て全否定(あの、既に戦争の話じゃなくなってるんですけど…。)、実際に戦うまでもなく結末は見えていたのに「やってみれば勇気の力(精神論)で奇跡が起こって何とかなるかもしれない!」と、まるで第2次世界大戦中の日本のように突っ走って戦争に突入してした南部の皆さん。(そんなだから、あなた達は戦争に負けたんだ!と思わずツッコミを入れてしまいました。我が国、日本もこの「過去の事例」に学習してくれていたら良かったのにね…。実際、この映画が諸外国で公開された1939年に「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない。」と感じた日本人は何人もいたそうなのに。)実際問題、北部の大統領リンカーンの目的は「南北アメリカの統一」であり最初の頃は奴隷制の存続をも認めていた(つまり黒人奴隷の解放は「戦争を始める為の建て前」に過ぎず本来の目的ではなかった。)のだから、早いうちに白旗を振って頭を下げていればここまで酷い条件に落ち込む事も無かったのに(日本だってサッサと降伏していれば北方領土と南西諸島の数々がその手に残っていたのに…。)と下手なプライドと虚栄心の為に無駄な犠牲を払った戦争の様には私も溜め息が出てしまったものです。レットやアシュレのようにこの戦争が無謀な戦いだと分かっていた人間はきっといたのに、歯止めを利かせる事は出来なかった。それがこの戦の背景だったのでしょうね…。

 スカーレット・オハラ(ビビアン・リー)…「神様、あたしはこの大いなる試練に決して負けません。家族に2度とひもじい思いをさせません。その為なら盗み、騙し、人をも殺すでしょう。でも神様、あたしはあなたに誓います。二度と飢えに泣きません。」

戦争で友人達を失い、家を追われ、母親の胸で泣く為に帰って来たら、当の母親は病気で一足違いに亡くなっており、残された父親は「妻の死」に正気を失っていた…(甘える為に帰ってきたはずが長女として家と家族を守る辛い立場に立たされてしまった。)全ては戦争が招いた悲劇とはいえ、ここから彼女は誰に何を言われようと、どんな手段を使っても金を得ようと女だてらに(夫の金を元手に)商売まで始めます。が…結果として↑の誓いの通りに「2度と飢えに泣かないほどの金を手に入れた」にも関わらず家族の全てを失い、幸せになる事は出来なかったというのは何とも皮肉な展開でした。(金を手に入れたその時になって出た答えが「人間、金だけでは幸せになれない」だったなんて…。)ちなみにこの役、映画化の際1400人もの女優を面接したもののイメージに合った女優が見つからず、主演女優未定のままアトランタ炎上のシーンを撮っていた時、「見学」に来ていたイギリス舞台女優ビビアン・リーが炎上する町を見ている姿に「スカーレット・オハラがそこにいる!」とその場でカメラテスト→即主演決定…の流れがあったのですが、脚本を読んだビビアン・リーは「こんなメス犬のような役は自分にはできない。」と主役降板→監督達の入念な説得によって再度受諾したという逸話があるように女子供には真っ先に嫌悪感を持たれる役でもあり、なるほど映画中でも淑女の皆さんにつまはじきにされる訳だ(好意を持つのはバカな男にだけ。ほとんどの女性は彼女の信念や意志の強さの前に、金の為に男を食い物にする姿勢や、虚栄心の為に他人の恋人まで奪う生き様に眉をひそめて遠ざかる。)と納得がいったものでした…。

 レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)…スカーレット「行かないで、レット!私が愛してるのは貴方よ。自分で気づいてなかったの。信じて!あなたも私を愛しているでしょ。私が悪かったわ。謝るわ。」
レット「まるで子供だな。謝ればそれで済むとでも思っているのか?俺はこことの暮らしとは縁を切る。ボニーがいたらやり直せたかもしれんが…もう手遅れだ。」

今でもまだスカーレットとアシュレが抱き合う姿を見て嫉妬を感じるほどには愛している、スカーレットの方もアシュレへの気持ちが冷めて真実レットを愛している事に気がついた…けれど、その上でレットの出した結論は「まだ愛してはいるけれど、この人とはもうやっていけない」(今更もう人間として信じる気にはなれない。)という男として限界の気持ちでした…。(何をされても、いつまでもおめでたく信じ上げて騙されてあげるのが「愛」だとしたら「俺の愛はもう冷めてしまった」という事なのでしょうね。)今まで何とかやってこれたのもメラニーの存在(いくら「夫の不倫」を頭から信じなかった彼女でも、スカーレット達の別居を痴話喧嘩位にしか解釈していなくても、その噂の為に離婚までしたら、さすがに「疑い」を差し挟むだろう。)とボニーの存在(「俺はあの子を戦争や貧乏で損なわれない以前の少女に返った君と考えたかったのだ。君が受けようとしなかった愛をあの子に与えられたのは幸せだったと思う。しかし全ては終わった。あの子が死ぬのと一緒に俺は何もかも失った…。」byレット)があってこそだった(つまり「夫婦」としての2人はとっくに終わっていたのでは…?)事を考えると、彼女達が天に召されてしまった事で、もうスカーレットと一緒にいることを「我慢」する理由自体が無くなってしまったのでしょうね。「今」のスカーレットの言葉が真実かどうかはもう関係ない。「今までの行動」を通してこの女を信用することができない、それが彼の答えであり終わりであった…そう思えたラストでした。

 アシュレ・ウィルクス(レスりー・ハワード)…スカーレット「私、あなたを愛してるの。」
アシュレ「僕も愛してる。しかし愛だけで結婚は出来ない。僕達はお互い、あまりにも違い過ぎるんだ。」

物事を見通して考える事が出来るアシュレ(周り中が勝利の妄想に盛り上がっている中、唯一、現実が見えていて南北戦争に難色を示したのはアシュレとレットの2人だけだった。)は情熱的な美人のスカーレットに魅力を感じつつも自分では彼女について行けない事も見越せており、彼女にモロに誘惑されてもそれを突っぱねて「1線は越えない」だけの理性を持ち合わせていたのですが、お断りの返事が遠回し過ぎた為に「愛している」のに何でやねん!(キスまでしておいて、それは無いだろ!)とスカーレットの方は逆に思いを募らせて行ったという長~い悲劇が発生してしまったのでした。(いっそ「悪いけど、お前の事は趣味じゃないんだわ。」「家に帰ってクソして寝ろ。」と直に言ってあげた方が親切だったと思うぞ…スカーレットのような「情熱的」なタイプには。)おかげで本妻のメラニーが死ぬ時になって初めて「彼の言う愛とは『私の肉体だけを愛している』という意味だったんだ。」(本命はどこまでもメラニーで私には性欲を感じていただけだったんだ。こんな、しょうもない男だったんだ。)と気づいたスカーレットでしたが、惜しむらくは気づいたその時には全てが遅過ぎたという点でしょうね…。スカーレットの方は「もっと早くハッキリとそう言ってくれていれば、私もサッサと諦めてこんな事にはならなかったのに!」とアシュレを責めていましたが「他の女と結婚」したり「目の前でラブシーン」を繰り広げたり散々「常識的なサイン」を出していたのを目の当たりにしながら勘違いを募らせて行った彼女の方にも問題はある(普通、何も言われなくてもこの時点で見限るだろう。)と思える私としては、それこそ「卵が先か、鶏が先か」の話に過ぎないように感じたものでした…。

 メラニー・ハミルトン(オリビア・デ・ハビランド)…スカーレット「北軍が攻めてくるこの時に私が逃げられないのはメラニーのせいだわ。憎いわ、メラニーも赤ん坊も!アシュレとの約束さえ無ければ…!」
メラニー「可哀想な人。私さえいなかったら、とっくにタラに帰れたでしょうに。こんなに尽くして下さって優しい方ね。本当の姉妹でも、こうはしてくださらないわ。」

元々「自分と真逆のタイプ」であるスカーレットに憧れを抱いていたのが、アトランタが陥落したこの日、血を分けた親類(ピティ叔母)でさえ自分を見捨てて逃げたのに、バトラー船長(唯一の男手)も軍に入る為に自分達を途中で放り出したのに、彼女だけは最後まで自分を見捨てずに側にいた(口でどんな罵詈雑言を言おうが、心中何を思っていようが最後までメラニーを守ってくれたのは結局スカーレットだけだった。)事でその気持ちは深い愛情に変わったのでしょうね。(普通だったら最愛の人との誓いの約束であっても「その約束を『守るという約束』はしていない。」と砲弾が降り注ぐ中で恋敵の女なんか見殺しにして逃げている場面でしょうし、徳義の為だけ(本意ではない)とはいえ、それを貫き通したスカーレットは確かに立派だったと思う。)だからこそアトランタが復興した後、製材所の女社長として成功した(その為に妹の婚約者を奪い、夫を死なせて1年も経たないうちにならず者のレットと再婚した)スカーレット(命の恩人)に周り中が冷たい目を向けても彼女だけは手の平を返さなかった(普通は10年来の親友でも何も言わずに他人のフリを続けて遠ざかっていく所だろう。人間という物は都合の悪くなった相手に対しては驚くほど冷たい生き物なのだ。)…そんな気がしました。おかげでスカーレットも彼女に対してはアシュレへの恋心を打ち明けられないほどの友情を認めていた(さすがに「自分に正直」と「開き直れば何でも許される」を混同しない程度には人の情が有ったらしい。)辺り、心中複雑な物が有ったとはいえ2人の絆は本物だったのでしょうね。最後まで「何も知らなかった」(2人の噂を頭から信じなかった)のは、まさしく神様のお計らいだったのだろうと死に様には思わず涙してしまった偉大な淑女でした…。

 チャールズ・ハミルトン(ランド・ブルックス)…スカーレット「まあ、チャールズ!今日は一段と素敵ね。メラニーも罪な方ね。ハンサムなお兄様を連れて来て娘(私)の心を乱すとは。」
チャールズ「スカーレット、愛しています!あなたは世界一美しくて綺麗で可愛い女性です。そりゃ僕はマヌケでヤボで気が利かない。でも貴女の為なら何でもします!結婚して下さい!」
スカーレット「…他に婚約者がいるくせに、今、何て言ったの?」

誰彼かまわず色目を使うスカーレットにも問題が有れば、その一言でのぼせ上がって(家が勝手に決めた相手とはいえ)婚約者を捨ててまで付き合ってもいない相手にプロポーズをするチャールズにも大いに問題が有ったな、と双方にツッコミが入ってしまった最初の結婚でした。スカーレットの方は目の前でキスシーンを繰り広げるアシュレ(外人さんは野外で堂々としたもんだ…。)と自分の悪口を言ったインディア(アシュレの妹。映画版のチャールズの婚約者はこの女。)に対する腹いせだけで決めた結婚ではあったのですが、まるで愛の無かった結婚とはいえ騙した男にトドメは刺さない(死ぬまで「騙し」おおせてくれた)点だけは評価に値するか(電子ちゃんの作者なんてマスコミの前で堂々と腹の子供が不倫相手の子供だとカミングアウトして「夫みたいなつまらない男の子供なんて産みたくも無いから!」と夫の前で放言していた。横でニコニコ笑っていたとはいえ、夫は傷ついたと思うぞ。)と「現実例」と比較して、少なくとも彼が死ぬまでは表面上の外面だけはつき通してくれていた点に一点上げたものです。一週間足らずの結婚生活だった(軍に入ったは良いものの麻疹+肺炎のWパンチで任地に到着する前にもう死んだ。)とはいえ小説版では立派に子供を残していますし、もしかしたらスカーレットの3人の夫の中で「一番幸せな結婚生活」を過ごしていたのは彼だったのかもしれません…。(頭がおめでたいというのは、ある意味では幸せな事だ…。)

 フランク・ケネディ(キャロル・ナイ)…フランク「百万長者とまではいきませんが千ドルほど稼ぎました。すぐにも結婚できそうです。婚約者のスエレンはどうしていますか?」
スカーレット「彼女から聞いていない?…最も本人の口からはね。スエレンはもうすぐ近所の人と結婚するの。きっと貴方を待ちくたびれたのね。何て薄情な妹でしょう。私も辛いわ。」
スエレン「こんな酷いお姉さまって無いわ!私のフランクと結婚するなんて!」

素直にスエレンとフランクに土下座して金を貸して貰えば良かった話でしょうに(そりゃ「アトランタに新居を建てて住むのに、年に300ドルも税金を払わなければいけないタラを手離さない意味って何?」と正妻の座についたスエレン自身が相手にしない可能性はあるが。)おかげで高利貸しのような借金の催促をして製材所を始めた妻を持ち、黒人に乱暴されかけた彼女の事件をきっかけにクラン団の一員としてスラム街に急襲→頭を撃ち抜かれて死亡した様には、本当に不幸な結婚をしてしまったなと感じ入った結末でした。フランクが何故、着飾る事しか頭に無いバカ女のスエレンを選んでいたのかというと「自分に興味というか関心を持ってくれた女は彼女だけだったから。」(もちろんスカーレットの媚態にも魅力を感じていたが彼女が「高嶺の花」である点(「競争」に打ち勝って自分が彼女をゲットできるとは到底思えない。)を考えると多少姉より落ちるとはいえ「スエレンが本命かな」という気持ちだった。)であり、ある程度の好意を持ってくれていたら誰でも良かった(だから姉に乗り換えられた)…とはいえスエレンの方だったら夫の仕事に口出ししたり、ましてや自分で商売をしようとしたりしないでしょうし(何故ならば綺麗に着飾らせておけばそれで満足するアホ女だから。)それこそがスカーレットの策略だったとはいえ明らかに妻にする女を選び間違えてしまったなと同情してしまったものでした。生涯「俺はミソサザイで充分用が足りたのに、どういう訳だか極楽鳥を手に入れられたんだから。」(あんな見目麗しい美女が妻になってくれただけでも有り難いと思うべきだ。)とスカーレットの奔放さに我慢しており「頭悪くて良い女(スエレン)って最高だったじゃん!」という心の奥底にあった本音に気づかないまま死んだのは、ある意味では幸せだったのかもしれません。彼の死後1年も経たずしてスカーレットはサッサと再婚した(早いよ!)後日談と合わせて同情してしまった男でした…。

若草物語

2011.09.15
 作者ルイーザ・メイ・オルコット→主人公ジョーとした自伝的小説が原作の、かの「風と共に去りぬ」と同じく南北戦争を背景とした名作映画です。(こちらは勝者側の北部の皆さんの話だが、父親は戦争のせいでクリスマスにも帰って来れなかったり、汽車の切符代も買えなくて女の命である髪の毛を売ったり、決して余裕があるわけではなかった様が見て取れる。)「貧乏でも愛がある家庭の美しさ」(最も「豊かな時代」に比して「慎ましい」のであって実際は中流家庭並みの水準は保っているのだが。)を描いており、「続・若草物語」(2作目)までの内容を詰め込んで映画化した作品です。(シリーズ自体は4作目まで続いているが3作目からは学校に入った障害児の話中心になったり「ジョー自身の話」からは多少ずれたのでカットされたのだろう。)

 ジョゼフィン・マーチ(ウィノナ・ライダー)…「あの冬は私達の少女時代で一番寒かった。南北戦争の為に燃料の灯油が欠乏し我が家も貧しい暮らしを強いられていた。しかし必要は発明の母。世の中は暗かったが我がマーチ家は困難な時代を生き抜く為に明るさを失わなかった。」

「若草物語ってレズっぽい話だと思ってたんだよね。ジョーって絶対、下級生の女の子を食ってるでしょ。」「食ってねえよ!そんないかがわしい目で読んでるのはお前だけだ!」(by水戸泉「恋のからさわぎ」)…と、ロクでも無い本を読んでしまったせいで名作が台無しになってしまっている「個人的なイメージ」はあるものの、勝ち気でお転婆という主役らしい行動的な女性です。ですが気が強過ぎる為に相手に合わせることができず、結果として理想的な夫(物件的には。)になりえたであろう男友達を振ってしまったり(何故あんなイイ男を捨てるのか昔は理解できなかったが、確かに彼女のようなタイプは「同世代」や「年下」と上手くやっていく事は難しいだろうと「熟年の包容力(だけ)はある男性」を選んだ結末に今なら頷けた。)作家業が思うようにいかず人気取り主義に走って作品を書いたり、1人で頑張ろうとしてるけれど上手くいかないジレンマが伝わってきて、そこは共感できたものでした。ちなみに父親の借金を返し、姉が未亡人になれば家を買ってやり、妹がヨーロッパ旅行を望めば叶えてやった作者本人の方は「仕事と結婚の両立は無理!」と生涯独身を通しており、この話は作者ルイーザが家族の為に捨てなければならなかった人生(結婚)も描かれた作品だったんだなあ(現実には「大金持ちの幼馴染」も、都合良く売れ残っている「包容力のある年配の男」もいやしない。)と時代の厳しさも感じたものでした…。

 セオドア・ローレンス(クリスチャン・べイル)…「羨ましいんだ、ジョーと彼との幸せが。メグと結婚したジョンも憎い。べスに恋人がいたら、そいつも大嫌いだ。エイミー、君が決して貧乏人を選ばず金持ちと結婚する運命にあるように、僕はマーチ家の一員になるという運命にあるんだ。その確信がある。」

そこまでしてジョーと関係したいか、ローリー…。(いや、ジョーへの熱愛だけでなく、親を亡くして偏屈な祖父に引き取られた彼は家庭的愛情が欠落しており「貧しくとも愛に溢れたマーチ家」にのめり込んだ側面もあるんだろうけれど。)と思わず涙ぐましく思ってしまうと同時に、長女のメグは売却後、次女(本命)のジョーには完膚なきまでに振られ、三女のべスは病気で先行きが短い事を考えると、彼が目論見通りに「マーチ家の一員」となるには四女のエイミーを口説き落とす以外に手立てが無く、いきなり彼女に触手を伸ばし始めた展開(姉妹にしては2人は似ていないが、少なくとも「他人」に比べれば、まだジョーの面影を残しているだろう。それが単純に彼の「好みの顔」だとは思いたいが…。)に微妙に思いながらも頷いてしまったものでした。(最も「他の女」と結婚したことでジョーへの気持ちはある程度吹っ切れた様子なのが救いだが。)それが「現実」という物だとは分かっているけれど、最初から登場した恋人が長年の想いが報われずに袖にされるって「物語」としてはダメだろう(今までの主人公とのいい雰囲気は何だったんだ?)という事で、舞台化もよくされる「若草物語」ですが大抵べスが猩紅熱から回復した辺りで話を終える(「そうして誰も死ぬ事は無く、ジョー達も仲の良いまま末長く幸せに暮らしましたとさ。」という雰囲気で終了される。)理由にも納得がいく後半部分でした…。

 エリザベス・マーチ(クレア・デインズ)…「私はあなた達と違って将来に夢を抱かなかった。満足な事は何一つできず…作家の貴女とは違う。私は家が大好き。なのに皆、家を出て去って行ってしまう。でも取り残されるのは嫌。だから一足先に逝くの。」

「病気のべスの為に皆でお薬を買ったの。これを飲んで早く『元気』になってね。」とジョーの手によって媚薬を飲まされ、とんでもない展開を迎えたもう一つの若草物語(by水戸泉「恋のからさわぎ」)は頭にチラつくものの、一度は回復したのにその甲斐なく死んでしまう彼女の姿にはいつも無常を感じて涙してしまう三女です。この妹は「作者が最も愛した妹」と伝えられており、四姉妹中で唯一名前を仮名に変えずにそのまま「エリザベス」と名付けられた(実際の妹の方は「べス」でなく「リジー」という愛称であり執筆当時、既にお亡くなりになっていたからこそ、仮名にする必要が無かったのかもしれないが。)事からも別格の扱いを感じるのですが、モデル通りに死んでしまう運命は変えられずに終わる様には、主人公×ローリーの破局と合わせて「続編を読むんじゃなかった。」と子供の頃、思わず後悔したものでした。ある意味で「現実を描き切った作品」とは言えるんですけどね…。(「子供向けの夢」は入ってなかったかな…。)

 エイミー・マーチ(キルスティン・ダンスト)…エイミー「私は絶対に大金持ちと結婚するの!」
ジョー「私はお金とは結婚しないわ。お金につられた結婚なんて破産したらそれきりよ。」

顔の見えない小説版では「生まれつきの団子鼻」(要するにブス)という設定であり、↑のような「気品に欠ける」発言をするワガママ女(つまり顔だけでなく性格も悪い。大人になるにつれてそういう幼さはなりを潜め、ローリーに提言するまでになったが第一印象って後々まで残っちゃう物で…。)でありよりにもよって四姉妹中で「最低の女」がローリーと結ばれた展開が嘆かわしく、またジョーが若くてお金持ちのローリー(超優良債権)を蹴ってまで結婚した相手がアラフォーの貧乏なオッサンだった(フレデリック・ベア教授。無骨で野暮なローリーを捨てて「都会の男」を選択するのは百歩譲って分かるとしても、その後こんなオヤジと結婚するなら、捨てられたローリーがあまりにも可哀想に思えた。)事から、少女の頃の私は「若草物語、大キライ!」という頭があったので、おしゃまで可愛い「美女」(少なくとも私の頭の中の図よりは。)が彼の妻となった事は秘かに嬉しかったと同時にエイミーを多少、見直したものでした。やっぱりビジュアルって大事だよな(そこ?)と改めて思ってしまった映画版です…。

シカゴ

2011.09.14
 恐るべきはこの映画が「実際にクック郡裁判所が扱った事件」について描かれた戯曲であり、ノンフィクション映画(実話映画)である、という点でしょうね。時代は1920年代のアメリカ、禁酒法ゆえに酒を密売するマフィア(代表アル・カポネ)が暗躍し、女達は酒や煙草を好み積極的に色んな男と寝ていた、ある意味で現代よりも退廃的で腐敗していたこの時代。唯一の善人である主人公の夫が報われる事は無く、詭弁家(ソフィスト)の弁護士ビリーが名士になり、厚化粧して人工素材で装ったアバズレ女(フラッパー)のヴィルマがセクシーなスターとなり、性悪でインチキなセレブリティ女のロキシーが新聞の一面を飾る時代背景に、まさしく世も末だな、と感じた話でした…。

 ロキシー・ハート(レ二ー・ゼルヴィガー)…「絞首刑になったら誰のせいか忘れないから!」

人1人殺した罪で絞首刑になったとしても、それはどう考えても夫がいながら愛人とお楽しみになっていた自分がまいた種で、痴話喧嘩の勢いで思わず射殺した自業自得で誰のせいも何も、全ては自分のせいと違うのか?(ましてや濡れ衣を被ってくれなかった夫を逆恨みするのは、とんでもない勘違い思考である。)と思ってしまった本作品のヒロインにして実在人物です。最も逆境に立たされた(牢獄に入れられた)事により「他人(夫)頼みの現実逃避型バカ女」から、したたかに「自力で名声を勝ち取る戦う女」に成長した(最もセレブになりたい病はそのまんまだが。)辺りは見所がある(悪い方向で。)と認める部分は大きかった女性でした。ラストでは一緒に歌っていた歌手・ヴィルマへの嫉妬も憎しみも有名になる為なら知ったこっちゃないわ!という全てを受け入れてのコンビ誕生(「華麗なる殺人歴を持つ2人」)に「…。」と思ってしまった彼女。女というのはこのようにしたたかな生き物なんだなあという現実をまざまざと感じた終わり方でした…。

 ヴィルマ・ケリー(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)…「自業自得!自分でまいた種!もしも貴女が私の立場だったら、きっと同じ事をしたはず!」

ちょっと買い物に出て帰って来たら夫と妹が「大股開き」で不倫していた…それは確かに(「その場」で行動に移すかどうかは別としても)殺意を抱く場面には違いないと登場を待たずして撃ち殺されてしまった夫と妹に思わず頷いてしまいました。大体、不倫するにしても、それはホテルの一室で示し合わせてこっそりとするべき物で、何故、妻がいつ帰ってくるとも知れない「自宅」でヤるんだよ!いくら「女の買い物」が数時間単位で時間が掛かるもの(「女の子の買い物」に付き合う時は本当に気を長く持った方が良い。)という通説があるにしても迂闊過ぎるだろ!(通説は通説。いつだって「例外」はある。)とどこまでも節操の無いお2人にツッコミを入れてしまったものでした。最もヴィルマ姉さんの方はそんな事をしても敏腕弁護士ビリーを雇うだけの金(5千ドル)は有ったおかげで「夫と妹に裏切られた被害者」(実際は当の2人を射殺した「ただの不倫」よりも罪の重い殺人犯。)になり変わり、牢の中でもしゃれたローブに身を包み煙草をくゆらせながら悠々自適に過ごしていた彼女。(あの、囚人服は…?)金の力って本当に凄いんだなと改めて感じた一瞬でした…。

 ビリー・フリン(リチャード・ギア)…「カシミアのコートも、ダイヤの指輪も、絹のネクタイも、ルビーの留めピンも、高級葉巻も何もいらない。僕が欲しいのは愛だけ。」

そう高らかに歌い上げた次のシーンではいらないと言ったはずのそれらをごっそり身にまとって登場しており、言っていること(綺麗事)とやっている事(搾取)の矛盾には、もう笑いしか出ませんでした…。とはいえ彼の実力だけは本物で裁判とは陪審員という名の聴衆がどれだけ「共感できる臨場感のある物語」を語れるかに掛かっている事を理解しているビリーは、不倫の果ての痴話喧嘩(逆ギレ)で愛人を銃殺したロクでもない妻(オマケに自分の罪を夫になすりつけようとさえした。)ですら、「昔の恋人」であった(訳が無い)愛人に殺されかけたのを「正当防衛」という勢いで殺してしまい、身重の体で夫にも捨てられかけている「被害者」に早変わりさせていました。(さすが「イエス・キリストがシカゴに住んでいて私に5千ドル払っていたら死刑にはならなかっただろう。」と放言する男である。)ただ問題は「もっと大きい金の話が出てくると現在手掛けている事例は後回しにされてしまう」事で最後まで彼を利用する為にロキシーも偽装妊娠(医者のたらしこみ)その他色々彼女らしい方法で頑張っていました。最もロキシーとしては裁判が終わってしまったが最後無罪を勝ち取った反面「終わった話」に誰も彼女に注目しなくなった点は想定外だった様子ですが…。

 ママ・モートン(クイーン・ラティファ)…「アンタがママに良くしてくれたら、ママもアンタに良くしてあげる。」

恩を施せば返ってくる(持ちつ持たれつ。賄賂を寄こせば便宜を図る。)…という素敵な信条の割には、その金利はあまりにも割高(「金さえ積めばどんな犯罪者も無罪放免にする敏腕弁護士?いくら出せば繋いでくれるの?」「アンタとあたしの仲じゃない。50ドルよ。」「50ドル!国際電話経由なの?」byヴィルマ)で、仕事は失ってもそれまでに貯めたお金はあるヴィルマ(しかし「金がある」だけでは無罪は勝ち取れない。)と違って、底辺で暮らしている貧乏主婦のロキシーは夫に直接交渉を頼む事にしていました。(金はあっても、何度でも騙されて動いてくれるバカな夫はいなかった。それこそがロキシーとヴィルマの違いだったのかもしれない。)という訳で誰が有罪になろうが無罪になろうが囚人から賄賂を貰って便宜を図っているだけの彼女(贈賄罪という犯罪ではあるが殺人犯である囚人の皆さんに比べればその罪は軽く、どう転んでも死刑にはならない。)は、そのセコさと合わせて堕落しきりながらもしたたかに生きています。貫禄のある体型と合わせて印象的なキャラクターだったなあ(しかし本当にこの映画には「善人」がいないな…。)と改めて思ってしまった、そんな人物でした…。

ゴーン・ガール

2011.09.13
 「ゴーン・ガール」(行ってしまった彼女)というよりは「コール・ガール」(娼婦)と言った方がピンとくるヒロインですがそれだと色々バレバレに過ぎるということかタイトルは原作そのままカタカナ化で済まされました。原作小説は2002年の「レイシー・ピーターソン失踪事件」(クリスマスイブの早朝、夜釣りから帰ったら妊娠8か月の妻が失踪していた。当初は元チアリーダーの美人妻を失った夫として全米から同情を集めたスコット・ピーターソンだったが警察に愛人がいたことを突き止められると世論は一気に逆転し、当の夜釣りをしていたリッチモンドの海岸から彼女と赤ん坊のバラバラ死体が発見された事から妻殺しとして死刑判決を受けた。)を基にした小説として話題を呼んでいましたがモデルとなった実録事件よりもさらにスリリングな大逆転劇には、ただ、ただ度肝を抜かれるばかりの映画でした…。

 ニック・ダン(ベン・アフレック)…「妻を裏切ってしまった事を心から恥じています。愛している、エイミー。生きて戻って来てくれ。」

世間に好かれる為に行った演技により視聴者の心象だけでなく妻の心象まで良くしてしまったのが彼の失敗でした…ゲフッ!元々教え子と不倫したり(「二人とも無職で生活の不安に一瞬心が揺らぎ…。」「一瞬?一瞬が1年以上続くのか?」)テレビでヘラヘラと愛想を振りまいたり(「妻が失踪したというのにこの態度…話によると彼は教え子に手とり足とり性教育を行ったそうです。」)迂闊な部分ありまくりの彼(雑誌のライターだったはずなのにマスコミ対応は最悪。そりゃクビになる訳だと別の方向で納得はしましたが。)は切れ者の妻に勝てるはずが無く、彼女に負けて全面降伏して生きていく展開は思えば始めから決まっていたのかもしれません。とはいえレイプ容疑で一生を台無しにされた過去の彼氏(「疎遠にしてきた彼女に「久しぶりだから」と求められるままにSMプレイをしたら翌朝警察が来た。強姦罪として実刑を喰らい出所後もネットで検索すれば名前が出てくる現状に今でもマトモに職に就けない有り様だ。」)や命まで奪われた金ヅル男(合意の上で行為をしている最中に頸動脈をかっ切られ「レイプ中の正当防衛」として受理された。縛られていたはずなのにどうやって剃刀を手にできたのかという真っ当なツッコミはドラマの中には届かない。)に比べれば理想的な夫という「役割」をきちんと演じきってくれるのならそれが本心でなかろうと不満は無い普通の社会生活を送れる立場(刑務所の外という場所)だけは許された彼はまだ勝ち組と言える…かな…ゴフッ!事件のおかげで経済的不安だけは消え去った(「絵本はベストセラーに、バーはフランチャイズ化、彼女を怒らせないことだ。」「毎日危険だよ!」)訳ですし愛人も去って行った事ですし本心からの愛情に溢れた生活なんて甘やかな夢は諦めて現実を受け入れて生きていきなさいとしか語れませんでした…ガフッ!

 エイミー・ダン(ロザムンド・パイク)…ニック「僕は君を愛していた。でも今はお互いに憤り、お互いを支配しようとし、お互いを傷つけ合うだけじゃないか。」
エイミー「それが結婚というものよ。私はひるまない。くそ女だから。」

別れの理由を並べ立てても「そんなの平気。」と言われてしまえば全ては意味のない言葉になってしまうのでした…。当初は「勝ち逃げはさせない」(自分と離婚してしゃあしゃあと愛人と幸せになんかさせない)と夫の人生を破滅させる為に湖に沈む予定だったのですが「…(夫を使った詐欺で)まとまった金もあるし自分一人でも生きていけなくないか?」と死ぬのが惜しくなった(夫を窮地に陥れるのには完璧に成功した事で根拠の無い自信を持ってしまった)のが運の尽き、その後アメリカは女1人で正体を隠して生きていけるほど安全な社会ではないという現実にぶち当たり(「強盗として警察を呼ぶわ!」「髪は染めてる。殴られた怪我もウソ、ナンシーって呼んでも返事をしない。何か隠しているアンタに警察に通報できるはずがないわ。」と全財産を奪われた。が、ただの強盗で済んで強盗殺人の憂き目に遭わなかった分まだ運が良かったとは言える。)自分一途な男との籠の鳥生活にも一日で苦痛を感じアメイジング・エイミー(素晴らしいエイミー)もさすがに「妥協する事」を考えたようです…ゲフッ!今の彼(ニック)はどうしようもない男だけれど、付き合い始めた頃の割れた顎を隠した彼には確かに好意を感じていた。(「あの頃の彼」には自分は確かに恋をしていた)だから演技であっても「理想的な彼」を自分に見せてくれるのならそれだけでいいじゃないかと折り合いをつけたエイミーさん。(ニックの意見は違いそうだが…ゴフッ!)これは「理想的な人間を演じる」(相手が求める人間のフリをする)立場が妻から夫に逆転するという皮肉を利かせた物語だったのだと最後まで見て納得しました…ゲッフン!

 デジー・コリンズ(ニック・パトリック・ハリス)…「もう君を逃がさないよ。」

高校時代から社会人になった今に至るまで当の御本人が結婚した後も他の誰にも目もくれず一途に彼女だけを思い続けたのは凄い(女を見る目の無さは別として←禁句。)けれど、いくらお金があっても、豪邸があっても、自分一途に愛を注いでくれていてもやっぱり気持ち悪いわ、こいつと彼女からの愛情が芽生えることが無かったというのが…彼の痛い所です。邪悪さをひた隠しにしたヒロインのお誘いに「俺もモテるじゃないか。」とあっさりと騙されてヤッている最中に殺されてしまった彼。ベッドへのお誘いの前には縛ってもいないのに昨日は無かった手首の痣は何のつもりだなどの基本的ツッコミは消し飛んでしまう様子です…ゲフッ!愛想の良い女との上手い話なんて現実にはあり得ないという教訓例でした…ゴフッ!

 マーゴット・ダン(キャリー・クーン)…ニック「妹のお前は(金じゃなくて)俺の味方だよな?」
マーゴ「当たり前じゃない!生まれる前から一緒なのよ!」

一年以上の長きに渡って不倫をし続けた兄や、偽装妊娠とご近所付き合いまで利用して夫を陥れる兄嫁と違い、何も悪いことはしていないのに同居している双子の妹というだけで一緒くたに言われなきバッシングを浴びている思えば可哀想な女性(「テレビで近親相姦関係だとまで言ってたよな。」「言ってないわ。とても近い関係だと言っただけ。」)です。それなのに、そんなしょうもない兄を救う為に雇用契約だけで10万ドルもする弁護士を退職金と家を抵当に入れた全財産を差し出してまで雇う辺り本当に良い妹さんです…ゲフッ!(私だったら妻殺し+死体遺棄の容疑者的には真っ黒な挙句に、こんな事態になっても家で不倫を続ける女の敵の兄貴なんか見捨てて家出する事を真剣に考えてしまいますが…ゴフッ!)そこまでしたのに兄は救えなかった(兄嫁エイミーの操り人形となって生きていくことが決まってしまった)という現実が痛すぎて…泣きそうでした。最初から最後まで兄貴夫婦に振り回されて救いも無かった妹さんにただただ同情したものです…ガフッ!

 余談…映画(字幕)では「完璧な」エイミーと訳されていますが「アメイジング」とは①驚くほどの②呆れるばかりの③目覚ましい④素晴らしいという意味であって上記は意訳です。最もビッチ五輪があったら金メダルが取れそうなほどに「驚くほど」完璧な性悪女ではありましたが…ゲフッ!

ブーリン家の姉妹

2011.09.12
 巷では「きちんと史実通りに描いていない!」と非難もあるそうですが、「妹・メアリーが飽きられて後に姉・アンが愛されて王妃になった」(実際はアンとの結婚騒動とメアリーの出産時期が重なり「今まさに結婚しようとしている最中に他の女が子供産んでますってマズイだろ!」と出産は極秘裏になされた。)事や「姉・アンの縁談が破談になった」(実際に破談にさせたのはメアリーの告げ口でなく「アンは俺の愛人になる予定なのに、他の男と結婚って何だよ!」と他の女との結婚を命じた王自身。)事や「弟ジョージとの姦通の罪に問われて処刑された」(実際にはアンを有罪にする為のでっち上げであり、弟の嫁が「あの姉弟はちょっと仲が良過ぎると思うんですよね~。」と有利に働く証言をしたのは本当だが、アンが弟に迫る様を超都合良く見てしまった目撃者という訳ではない。)などなど史実を踏襲した上で話を膨らませており、「サウンドオブミュージック」や「ブレイブハート」程ぶっ飛んだ史実無視をしていない(むしろ結構、史実通り)という点でネットの評価に反して私的に評価は上げた作品です。という訳で時代は16世紀のイギリス、かのエリザベス女王の両親ってどんな人達だったの?という映画です。

 母親エリザベス・ブーリン(クリスティン・スコット・トーマス)…母「いつから人々は野心を罪と思わず美徳と履き違えてるの?」
父「お前には言われたかない。裕福なハワード家出身で、かつて自身もヘンリー8世の愛人だったお前にだけは。」

そう、実は姉妹ドンブリだけでなく母子ドンブリも果たしていたという、恐るべき裏事情(史実)の前には彼女がどんなに立派な母親面して綺麗事をほざこうが、その全てが当たっていようが、全然心に響かなかったものでした。(いや、あるいは同じ「ヘンリー8世に飽きられて捨てられた女」としての心からの忠告だったのかもしれないけれど。)映画中では子供達の破滅を案じて夫をなじる「家族愛に生きている母親」然としてますが、その割に事の発端であるメアリーの「入内」(王妃付きの侍女という名目で愛人として王の側に侍る…事は宮廷に上がる前から世間知らずで田舎者の妹メアリーでさえ察しがついていた。かつて宮中で愛人までやっていた母親が分かっていなかったはずは無い。)に関しては何も言わないどころか「これは要請ではなく命令なのよ!」と逆に妹娘をやりこめているしアンタは本当は何もかも分かった上で後押ししていただけじゃないのか?(「彼女達はあの家族が作り上げた『製品』なのよ。権力や富、名声を得る為には何をしてもいいという不純極まりない価値観を幼い頃から植えつけられてきたんだわ。」byナタリー・ポートマン)と被害者顔をしながらも、口先で文句を言うだけで事態を止めはしなかった母親の姿にツッコミを入れてしまったものでした。キリスト教に生き、本当に娘を愛している母親なら、娘に娼婦まがい(ではなく娼婦そのもの)の真似なんてさせる前にいっそ娘を殺しただろう事を思うと、この人も立派に見て見ぬふりをした間接的加害者の一人なのではないかな、と思えて、夫をビンタしてる割にあんまり共感は出来なかった、そんなお母様でした…。(「何もかもあなたのせいよ!」となじる(責任の全てを押し付ける)前に、そんな夫を止めなかった貴女にも母親として責任の一端はあったのではないですか…?)

 メアリー・ブーリン(スカーレット・ヨハンソン)…「聖別された偉大な王妃になるより彼との生活の方が欲しい。(2番目の)夫は私を見捨てたりしません。」

実際には先に縁談が決まった事といい、一説では彼女の方が「姉」なのではないかとも言われていますが、ともあれ色黒で小柄でやせ型の魅力に欠ける姉・アンより金髪碧眼で豊満な体を持つ当時の典型的な美女の条件を満たしていたメアリー(テューダー王朝前半を代表する美女とまで言われている。)の方が先に王の目に止まったのは当然の結果とは言えるでしょうね。夫がいるにも関わらず…ではなく夫の出世の為に敢えて身を任せていた彼女は、早々に飽きられて王様に捨てられてもW不倫の安心感(お互いの配偶者と別れる気はさらさら無く、一時的な情事を楽しんでいる。)からか、さほどは傷つかず、夫が病死したら王一途になるどころか早々に新しい男(王付きの兵士ハンフリー・スタフォード)と再婚している様には…映画中でヘンリー8世が「多分、君は今でも私を好きでいてくれるから、一族の野心とは別に本音で答えてくれるだろう。」と期待している所悪いけれど、2人の間に有ったのは打算と快楽だけで、国王への「愛」は最初から最後まで無かったのではないかな~と、やや白い目で見てしまったものでした。ちなみにこの2度目の恋愛結婚において、彼女の美貌を利用して新たな手駒(夫)を作ろうと考えていたブーリン家一同は勝手に「平民の夫」を作ったメアリーに激怒して宮廷を追放しており、映画後半では情緒不安定な姉を支えて助命を嘆願していた彼女の姿が見られましたが、実際には互いに絶縁しきっていて姉の破滅などどこ吹く風で田舎暮らしを満喫していた(そしておかげで姉と共にブーリン家一族が根こそぎ没落した「不幸」からも逃れた。)そうです。彼女が後の女王エリザベスを育てたという訳でもありませんし、後半すっかり女神化していますが実際は歴史の表からも裏からもサッサと消えている女性です…。

 アン・ブーリン(ナタリー・ポートマン)…「陛下、私は王妃になるには身分が低過ぎますが、慰み者になるにはプライドが高過ぎるのです。」

「私を王妃にするか、一切をご破算にするか。」(Queen or nothing!)それが彼女の「条件」であり、「死が二人を別つまで」離婚は出来ないカトリック教会の元ではアンと結婚(セックス)出来ない事情から、ローマ教皇から破門されてまでイギリス国教教会(プロテスタント)を作って離婚→再婚を果たした…とは、何ともみっともない新興宗教誕生の様です。(おかげでこれが後のイギリス宗教改革にもつながっていく。)王族でもない「成り上がり貴族」に過ぎない彼女は、本来なら愛人で終わる所が、肉体を盾にしたごり押しを通して念願の王妃になった訳ですが、惜しむらくは↑の言葉を彼女自身、実感しておらず正妻キャサリン オブ アラゴンを蹴落としてまで彼女が王妃になる事など誰も望んではいなかった(権力を欲していたブーリン家一同と、彼女とのセックスを熱望していたヘンリー8世以外には。)という現実が見えていなかった点、ですかね…。表向きは「後継ぎの男の子を作る為」という体裁を整えていますが、そんなのキャサリン王妃との間にいるメアリー王女に婿を取らせれば済む話であって「詭弁」であるのは明らかです。(大体メアリー・ブーリンその他の愛人が既に男の子を産んでいる事を考えると、これから男を産むかどうかも分からないアンとの再婚より、今までの愛人を格上げした方がはるかに現実的である。)最も彼女が一度でも「正妻」の座に着いたおかげで娘のエリザベスは「王女」として王位継承者の数に入り、後にスペインの無敵艦隊を打ち破る栄光ある女王(グロリアーナ)として歴史に名を残す事になるのですが…。(メアリー・ブーリンも男子を産んでいたが「愛人が産んだ私生児」では他に男の子がいなくても物の数には入らない。それを考えると結果として意味は残った結婚でしたが…。)

 ヘンリー8世(エリック・バナ)…「アン、お前の為に浮気され離婚されたキャサリンも同じ苦しみを味わったはずなのに一言も責めようとしなかった。お前も言葉には気をつけろ。」

立場よりも色欲を選んで6回も結婚し、果ては梅毒で死んだワンちゃん王です。(それを考えると不倫とはいえレスター伯「1人」で済んでいた娘の独身女王エリザベスは、まだマシとは言えるかな…。)アンとの結婚に反対した重鎮トマス・モアを処刑してまで、ローマ法王に破門されてまで成した結婚でしたが、手に入れてしまったが最後、早々に飽きてしまうヘンリー8世「ここまでして手に入れたけれど、実際そう大した女でも無いじゃん。」と気持ちが冷めるのも早かったと同時に、冷めた目で見ると結婚(セックス)前は魅力に思えた彼女の「意志の強さ」も単なるヒス女のワガママに見えてきたり、こんな女の為に失ってしまった物の大きさが惜しくなってきたり、「男子誕生の為」と体裁を整えたのにそれすら果たせない面目丸潰れの状況に怒りを感じたり…で、気持ちは「冷え切った夫婦関係」で留まってくれず、ついには殺意にまで発展してしまい「アン、うざい!彼女に頻繁に会える弟(男)を姦通罪の容疑者にでっち上げれば近親相姦とWパンチで処刑確実だろ!」とわずか1000日でアン及びブーリン一族の天下は終わったのでした。その後3番目の王妃となった女性がアンの侍女ジェーン・シーモア(「前回」と同じく、王妃(自分)の侍女に取って代わられた。)という事を考えると、まさしく因果応報と言えるのかもしれません…。(最も一番の問題は結婚してようが手当たり次第に女に手を出すこの男の節操の無さに有りますが。結局の所女をそんな風に扱えるクズ男が相手ではたとえ「結婚」した所で幸せにはなれないという歴史的な事例ですね…。)

ワルキューレ

2011.09.11
 「7月20日事件」としても有名な、ヒトラー暗殺計画としては最大の規模にして、最後の作戦にもなった、1944年の暗殺未遂事件の映画化作品です。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を聞いてインスピレーションが働き、ワルキューレ作戦(国内で反乱が起こった際に予備軍を動かして鎮圧する。)を「利用」して、ヒトラー暗殺後、ナチス政権および国内を掌握しよう…という反逆計画を企てたのですが、政治家(ダメ上司)の優柔不断さが計画をどんどん狂わせていき、計画自体は悪くなかったのに半自滅の形で本懐を遂げられなかった様には非常に残念に感じてしまった実話事件でした…。

 ヘニング・フォン・トレスコウ少将(ケネス・ブラナー)…ブラント大佐「私に運ばせたリキュール、ここで開けられてはどうです?わざわざ取りに来られた。長旅でさぞ喉がお渇きでしょう?」
トレスコウ「総統は酒を嗜まれない。なのに勤務中の部下が飲むのかね?」

信管の不具合か、高度か、温度か…とにかく酒に見せかけた爆弾は爆発しなかった。(回収できたのが幸いだったが、本当だったら運ぶのを頼まれたブラント大佐共々ヒトラーは飛行機の中で爆死する予定だった。)おかげで次なるワルキューレ作戦に移る訳ですが、そんな時に前線に呼び戻される羽目になりその場で関わる事こそ出来なかったもののレジスタンス組織の中心人物だった人間です。しかし計画がまた失敗した以上、「反逆者として逮捕される」(家族まで同罪として罪に問われる。)より「前線で敵に殺された」(逮捕、起訴前に被疑者死亡という事態になってしまえば自白を得る事も出来ず、もちろん「死人」に罰を与える事も出来ない。)ことにしようと爆薬を首に宛て「自殺」し、映画中には場所の関係上あまり登場しませんが実は重要な人物です。ちなみに妻に宛てた最後の手紙では「世間は我々を攻撃し、罵るだろう。しかし我々がやった事は正しかったのだと私は今も確信している。ヒトラーはドイツだけでなく全世界の敵だ。私は神の御前でも自分の行いを正当化できると信じている。」と残しており、死んでも信念は揺らがなかった様子です…。

 クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)…「自分は祖国に身を捧げた軍人です。しかし、これが祖国?戦場で血にまみれて死にかけながら私は考えました。『このまま死ねば子供達に恥を残すだけだ』と。今、祖国に尽くす道は一つ、それを行えば私は反逆者となりますが、私はそれを受け入れます。知りたいのは確実にやれるかどうかです。」

「確実に殺れる事」を求めるのなら爆弾置いてさっさとトンズラするのではなく(おかげでその後、鞄の位置をずらされた事で計画は失敗した。)爆弾抱えて御本人に抱きつく(単身自爆テロ)位すれば良かったのに、下手に生き残ることを考えて行動してしまった(出世より己の信念に重きを置いてはいたが、その為に即座に命を捨てるだけの覚悟は無かった。)が為に結局ヒトラーも殺せず無駄死にで終わってしまった経緯には「…。」と思えてしまった主人公でした。計画が上手くいかなくて、ちょこちょこ奥さんに電話している(通じなかったけれど。)のも父には「軟弱過ぎ!奥さんの声が聞きたいなんて甘ちゃんではダメでしょう。」と酷評されており、頑張ってはいたけれど所詮は温室育ちのお坊ちゃんだったんだなあ~というのが私と父の見解です…。同じ行動を起こすのなら日本の特攻隊の方が怖かったな(終戦間近になると、もうエンジンを作るだけの金物も無くなり「いや~、エンジンの調子が悪くて~。」と戻ってこれた初期部隊と違って始めから爆弾と共に散る事が義務付けられた。恐ろしいのは、それで戦争に勝てるはずもないのに乗る兵士がいたという話である。←そのバカさ加減はともかく躊躇無く命を捨てたその潔さは評価している。)と軍人の割に潔くは散れなかった(精神は普通の人間だった。)彼にマイナス1点を与えてしまったものでした…。ちなみに処刑後ヒトラーは墓を掘り起こさせ、軍人として埋葬された彼らの死体から勲章を剥ぎ取って焼却させたそうです。(大人気ないなあ…。)

 フリードリヒ・オルブリヒト大将(ビル・ナイ)…クヴィルンハイム大佐「どうすべきかお分かりのはず。ワルキューレを発動して下さい!今、動かないと全てが水の泡です。」
オルブリヒト将軍「リスクが大き過ぎる。まずフェルギーベルにヒトラー総統は本当に死んだのか確認を取るのが先だ。」
クヴィルンハイム「爆破の次のステップは全回線の遮断です。通じませんよ!…って、どこに行くんですか!?」
オルブリヒト将軍「昼飯だ。君も行け。」
クヴィルンハイム「一分一秒を争う時に!?」

爆破しちゃった時点でもう後戻りはできない。(ヒトラーが死んでなかろうが総統暗殺未遂という反逆罪で死刑確定である。)そして「ヒトラーが爆殺された!」→「SSの過激派が国家転覆を目論んで反乱を起こした!」という大嘘(ヒトラーの判子の入った公文書付き)の元に予備軍を騙して動かしてベルリンを制圧→自分達の新体制樹立、という「予備軍が騙されてくれている間だけ有効」という非常に時間制限が厳しい作戦であるのに(だからこそ爆破後、狼の巣(ヒトラー側)からの通信回線を絶ち、ワルキューレ作戦自体も6時間→3時間に短縮するという時間を稼げる形を取ったのに!)むしろヒトラーが死んでいない場合を考えると、もっと慌てるべき場面なのに、祖国よりも保身大事にグズグズしていた優柔不断な上司達のせいで作戦は遅れに遅れ(「今、予備軍が動いた!?3時間も何やってたんですか!?」byシュタウフェンベルク)ウダウダしているうちにヒトラー自身の肉声ラジオ放送で嘘はバレ、ベルリン制圧前に作戦は崩壊→全員逮捕となった(何分、公文書偽造という大っぴらな証拠が残る作戦でもあった為に言い逃れようもなかった。)経緯には微妙にしか思えなかった顛末でした…。(何と言うか口先だけで妥協する政治家は大成しないという見事な見本になってしまっているような…。)決断力の無い人間に何かを成し遂げることは出来ない、理念は立派だったけれど日和見に走り過ぎてしまったが為に失敗してしまったな(サッサと行動していればベルリン制圧→生きていてもヒトラーに「帰る場所」など無くなっていたのに。)と思えた最後の暗殺計画でした…。

 フリードリヒ・フロム予備軍司令官(トム・ウィルキンソン)…部下「総統は首謀者を生け捕りにしろと。」
フロム「承知の上だ。敢えて殺すのだ。(暗殺計画を黙認しちゃったし、口封じしとかないと。)」
シュタウフェンベルク「殺した所で関与はバレる。あなたは知っていて止めなかった。あなたも同罪です。」

最初にヒトラーへの忠誠の誓いの元にサッサと密告しておけばここまでの事態にならなかった(暗殺未遂事件自体、起こらなかった。)のに知っていながら見て見ぬ振りをして、ヒトラーが下手をしたら殺されていたであろう計画を遂行させた→ヒトラーが生きている事が分かったから味方に後足で砂をかける形で反逆者を処刑しヒトラー政権の方に媚を売り始めた…だけで、こいつは出世欲の為にあっちへこっちへフラフラしているだけの、ただのコウモリ野郎じゃないか!(自分こそ味方の顔をしようとしているがアンタが損得計算だけで動いている裏切り者だってとうの昔にバレてるわ!)と管理監督責任の元に言い逃れは出来ず(むしろ、こういう奴こそ、いつまた裏切りに走るか分かったものではなく、まるで信用できない。)エンディングにある通りに1945年3月12日には他ならぬヒトラー政権の元に処刑となったのだから皮肉なものです。どうせ死刑になるのなら、シュタウフェンベルク大佐達のように「祖国を救おうとした英雄」として死んだ方がまだカッコ良かったんですけど…ね。(それじゃ映画の主役にもなれやしないよ…。)

 アドルフ・ヒトラー総統(デヴィット・バンパー)…「神に使命を与えられた私には悪い事は何も起こらない。この一件がそれを証明した。」

冒頭で描かれたリキュール爆弾不発事件(組織的な物)から、家具職人エルザーによる1年かけた爆弾埋め込み事件(一般人の単独計画)まで、実に42回も暗殺計画が持ち上がっていながら、その全てが失敗に終わった(これぞまさしく神の御業…ではなく一体どんな悪魔と契約したのだろうか?)のですから恐るべき強運の持ち主とは言えるでしょうね。(結局、死んだのも戦況が思わしくなく地下室にひきこもった末の自殺であり、誰も彼を「暗殺」する事は出来なかった。)映画中では興奮して机をぶっ叩いたのが原因で鞄が振動で机の下に倒れた(史実ではかのリキュール爆弾を運んだブラント大佐が「何だこの鞄、邪魔だな。」と何気なく机の外側の足に立てかけた事が原因。)+頑丈なオーク材でできた机に守られた+部屋が密室でなかった為に威力半減+2発目の爆弾はセットならず…という様々な要因が重なって紙一重の所で命を拾ったヒトラー総統。その後速やかにラジオ放送を行って自分の無事を知らせたりプロパガンダ(宣伝)政略に長けた彼には、さほどの支障を与えなかった暗殺計画でした。後9カ月待てば戦争もヒトラーの支配も終わっていたのに(その時にはヒトラーがまだ生きているにも関わらず、取り巻きの筆頭であるヒムラーが裏切って勝手に和平を結んでいる。人間って…。)事を急ぎ過ぎてしまったな、と思わず主人公以下レジスタンス(抵抗運動組織)の皆に涙してしまった実話でした…。

サウンド オブ ミュージック

2011.09.10
 舞台はオーストリア(かのフランス王妃マリー・アントワネットの生国であり、独裁者アドルフ・ヒトラーも生まれ育ちはこの国であり…という事もあって、個人的にあんまり良いイメージは無い。)のザルツブルク、1938年に出国しアメリカで活躍したトラップ一家の亡命に到るまで話を映画化したものであり、原作小説「菩提樹」もヒロインであるマリア・フォン・トラップが描いた実話…なのですが映画化に当たってドラマチックに脚色し(過ぎ)た部分も多々あり「日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきた名作」とも言われている傑作です。最も「クレオパトラ」の大コケで一時、倒産まで囁かれていた20世紀フォックス社はこの映画の空前の大ヒットのおかげで経営を立て直せたそうなので、あんまり強くは言えないようですが…。

 マリア・フォン・トラップ(ジュリー・アンドリュース)…
修道女A「木登りで傷は作る、服は破く。」
修道女B「ワルツは踊る、口笛は吹く。髪をカールさせる。」
修道女C「何の時も遅刻です。食事以外は。」
全員「言いにくいのですが明らかです。マリアは修道女に向きません!」

映画中ですら「彼女を庇いきれないシスター」が絶対多数であり、本人も清廉な修道女のイメージだけに憧れて「自分の適性」は見極めていなかった様子で、挙句に修道院を抜け出しては遅刻の常習犯では(しかも言い訳が「高原が私を呼んでいたのです。」by映画)当然の展開として規律正しい修道院で上手くやっていけるはずもなく、実際には修道院から派遣された家庭教師という名のシスターではなくシスターを辞めて家庭教師として「転職」した後の赴任先がトラップ家でした。(大体シスターの仕事に修道院の外の「男のいる家」に居候をしながら家庭教師をするなんて任務は無い。)そして合唱団として名声を得てきた頃、夫のトラップ少佐にはドイツ海軍潜水艦艦長としての召集令状が届き(第一次大戦時の彼の戦歴と名声を政治的宣伝に利用しようという意図もあったらしい。)長男ルーベルトには強制収容所送りにされたユダヤ人医師の後釜として病院勤務を要請され、更にヒトラーの誕生日にはミュンヘンラジオ局で歌え(祝え!)と要求されて、それを全部断った為に「俺達って、立場ヤバくない?」と慌てて逃げ出した(別にヒトラーに対する「抵抗」の意味で国を去った訳ではない。)のが真相で、映画ほどカッコイイ話でも無かった…そうです。

 ゲオルク・フォン・トラップ大佐(クリストファー・プラマー)…トラップ大佐「邸内は広い。騒々しい呼び声は迷惑だ。」
マリア「あなたを呼ぶ笛の合図は?」

実際は家が広過ぎて声が届かない為に笛を使用していた(声だと響かない上にすぐ枯れてしまうが、笛なら風にも乗りやすいし息の続く限り音が出るので便利。)そうで、笛の合図で子供達を呼んでいたのは本当なものの、別に虐待ではなかったそうです。(「だって、いちいち部屋に行くのも家が広過ぎて大変なんだもん。」byトラップ少佐)ちなみにこのトラップ男爵は第一次世界大戦中にオーストリア海軍潜水艦隊司令官として多数の戦果を上げ、皇帝からいくつもの勲章と准男爵の爵位まで貰った英雄(今でも制服がオーストリアの軍事博物館に展示されている。映画では大佐に格上げされているが実際は少佐。)なのですが敵国イタリアにしてみれば商船まで攻撃した極悪人であり、それが何で「ドイツ(ヒトラー)に抵抗する格好良いヒーロー」として描かれているんだよ!と舞台(地元)であるドイツ語圏では全然ヒットしなかった(それどころか上映を禁止した町まである。)そうで、人間の解釈って色々だよな~と感じる裏事情です。

 長女リーズル(シャーミアン・カー)…マリア「おとぎ話に縁は無い、そう思うかしら?あなたは16、もうすぐ17。待ってみて、1年か2年。」

「映画中」では超スピーディーに婚約者を蹴落としてトラップ大佐と結婚した、1日も待てなかったマリアが「恋は時期を待て。」と言いますか?(ちなみに史実では1938年当時、2人が再婚してからゆうに11年が経っており7人の連れ子は全員成人している。映画では様々な年齢の子供達がパート別に歌い上げていたが、実際には「子供」は後妻マリアが産んだ2人しかいないという状況で、設定からして大嘘なのだが。)とツッコミを入れようとした所で16や17の小娘が恋だの結婚だの騒ぐな!という一般的大多数の大人の女の意見に気がついて心から頷いてしまいました。(オイ!)ちなみに彼女の恋人である郵便屋のロルフも映画中だけのオリジナルキャラクターであり、この「小さな恋のメロディ」自体が(話を盛り上げる為だけに)捏造されたエピソードなので、早々に引きさがってくれたトラップ少佐の元婚約者(自分にベタ惚れの富豪の未亡人なんて、どこを探してもいやしない。)同様、信じてはいけない話です。

 ラストシーン…トラップ大佐「国境がダメなら途中で車を捨てて徒歩で山越えを。」
修道院長「子供がいるのに。」
トラップ大佐「大人が手を貸す。」

いやいや、いくら「全ての山を登れ」と歌い上げられていたからって大の大人でさえ遭難する東アルプス山脈を登山装備もナシに長袖のこの季節に子供を抱えて山越えって無茶にも程があるだろう…と中立国スイスに向かって国を超えていくトラップ一家に、知らず、語りかけてしまいました。ついでに言えば現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツである。(バイエルン州のベルヒテスガーデン。近辺にはヒトラーの別荘すら存在する。)一体どこに向かって進んでいるつもりなんだ、父ちゃん!と思わずツッコミを入れてしまったラストシーンでした…ゲフッ!ちなみに史実ではトラップ一家はスイスにも行っておらず、最初に逃げた先もイタリアです。(トラップ少佐は、戦前はオーストリア領、戦後はイタリア領だったトリエステの町でイタリアの市民権を持っていた。当時はまだ独伊同盟が締結される前年でナチスといえども「イタリア市民」を勝手に逮捕できない事から、そのまま悠々と列車で国境を超えてフランス→イギリス→船でアメリカへ亡命した。)そんな訳で地元住民の視点に置いても非常に不自然な終わり方で幕を閉じた映画でした…。

戦火の馬

2011.09.09
 第一次世界大戦を背景とした「名犬ラッシー」の馬バージョンのようなお話です。なので話の筋よりも何よりも、馬を使って生計を立てている当時のイギリス人の生活様式や、騎兵隊で機関銃にボロ負けした事(そしてその後は銃弾を避けての塹壕戦が中心になった。)、現場が水はけの悪いぬかるみだらけの土地だった事(おかげで馬は色々な破片を踏みつけ、よく怪我をしました。)、毒ガスや戦車など近代兵器の登場(映画にもしっかり出てきます。)、などなど「背景」がよく調べられている事に感心させられた映画でした。という訳で第一次世界大戦(の西部戦線)を知るとより深く楽しめる作品です。

 アルバート・ナラコット…アルビー「ジョーイ、これが最後じゃないよ。約束する。いつか、また会おう。必ずお前を見つけ出して連れて帰る。」
兵士「大げさだな。犬(ラッシー)じゃなくて馬だぞ。」

映画でも主人公アルバートが愛馬ジョーイを使って畑を耕すシーンがありますが(サラブレッドで無茶するな、主人公!)この時代のイギリスでは畑を耕したり、物資を輸送したり、労働力の多くを馬に依存していた状態で、馬が「騎兵隊」として使えない状態(機関銃装備の敵の中に馬で突っ込むって無茶にも程がある。)になっても1,5トンの荷物を積んで道なき道を行ける軍馬は多いに使い道があったそうです。(馬車が通るルートを予測されて砲撃を受けたりもしたけど。←ダメじゃん!)という訳で当初は半年位で終わるだろうと安易に捉えられていた(現実からして見えていなかった)皆の予測に反して勃発(1914年)から終結まで足掛け5年もかかってしまった第一次世界大戦。(主人公も19歳以上の入隊できる年齢になっちゃいました。)主人公は嫌がっていましたが毎年警察が馬の頭数を調べていたこの頃、父親の農業が失敗しなくてもジョーイが軍に徴発される事(どこにどんな馬が何頭いるかはしっかり把握されており、わずか2週間で14万頭もの馬が集められた。)は最初から決まっており、親の勝手(経済的な事情)で売られて主人公と別れ別れ→運命的な再会という名犬ラッシーさながらの物語はこうして始まって行くのでした…。

 ドイツ軍への襲撃…「我々が守備も考えず野原で野営すると思ったか!いいザマだ!我々を見くびるな!」

剣をまっすぐに構え体重500キロの馬に跨り時速50キロで走りながら突進すればいかなる敵をも「突き刺す」ことができる…それが騎兵隊の威力であり魅力ですがそれは敵の所まで辿り着ければ、の話です。元々静かな田舎で暮らしていた繊細な馬達は銃弾が飛び交う中すくんで動けなくなり(絵画では騎兵隊の兵士達がドイツ兵を攻撃する勇ましい絵が描かれているものの)実際にドイツ軍砲撃の500m以内に近づけた騎兵は一人もいなかったのでした…ゲフッ!こうしてわずか10分で250人の死傷者と捕虜を出したこのオープニング。(ていうかこの4年前に日本が日清・日露戦争で全く同じ機関銃VS肉体突撃戦を繰り広げて大量の死者を出しているんだから、見て学んで学習しようよ…。)塹壕戦に突入した後は史上初の化学兵器「毒ガス」に苦しめられたりもしたものの最終的には千頭以上の騎兵を持ってしての奇襲で押し勝ち(森を舞台にした人海戦術で押し切った。この時に先陣を切ったジャック・シーリアー将軍(早駆けジャック)の愛馬ウォーリアーの種類がサラブレッドであり、おそらくは奇跡の馬ジョーイのモデルだろうと思われる。)勝利をおさめた西部戦線。機動力や即応力に優れた騎兵ならではの勝利でしたが、銃火器や戦車が出てきたこの時代、もう馬は時代遅れだろうとこの後、戦争において馬が主力となることは無くなったのでした…。

 馬の殺処分…コリン「生きているのが奇跡です。中間地帯で生き残ったんですから。だからどうしても助けてやりたいんです。」
軍医「私は兵士達の手当てで手一杯だ。見れば分かるだろ。撃ち殺すんだな。それが情けだ。この足(破傷風)は治らん。」

抗生物質が発見される20年以上前(世界初の抗生物質ストレプトマイシンが発見されるのは1944年)のこの時「破傷風にかかった」となれば即ち「不治の病にかかった」のと同じ意味を持っていたのですが、何故か自然治癒で治っている奇跡の馬ジョーイでした…ゲフッ!(な…何故!?)この戦争ではぬかるみの中まきびしを撒かれたり(蹄の奥まで泥(雑菌)を貫通させ感染症を引き起こす。蹄がダメになれば、もうその馬は使い物にならない。)ダニによる感染症が蔓延したり(人間の間でもシラミやチフスや肺結核などの感染症が大流行した。ドイツではついでに梅毒(性病)も蔓延しコンドームが普及したのはこの時からなんだとか…ゴフッ!)疲労や飢え、寒さなど過労による衰弱で、敵の攻撃により戦死しなくても「使えなくなった」が為に殺された馬は後を絶たなかったそうです。(「前髪をかき上げて生え際の部分(馬の死角)に一発ぶちこめば怖がらせることも無く楽にさせてやれる。」とやり方まで指導された。)戦争で勝利しても戦いで疲れた元気の無い馬8万5千頭がそこで殺処分→食肉とされた(戦争が終わったとたんに用済みとばかりに殺された。)そうで「致命傷」を負っていたにも関わらず殺されずに済んだジョーイは本当に幸運な馬だなと実感したおとぎ話的展開でした…。

 馬の競売…少佐「将軍の馬以外は全て競売にかけられる事に決まった。これは私からでなく上からの命令だ。」

実際には映画のように100ポンドもの高値はつかなかったでしょうが(「皆が欲しいのは農耕馬だ。サラブレッドは15ポンド以上の値はつかん。」by将校)戦争終結後「こんなに大量の馬を(海に怯えて船に乗せるのも一苦労なのに、胴体にベルトを巻いてウィンチで吊り上げても嫌がって落っこちたりするのに)どうやってイギリスまで『連れ帰る』んだよ!」(予算だってもう無いよ!)という事情で、モデルとなったシーリアー将軍&愛馬ウォーリアーは何事も無く凱旋帰国を果たしたものの、実に50万頭もの馬が母国イギリスへの凱旋叶わずその場でフランスやベルギーの農家に売られたそうです。なので(競売にかける目的はそもそも「小金を稼ぐ」為でなく「そこに馬を置いて行く」為ですし)映画内のように手に入れた所で「少佐!ご命令通りに『競売にかけた』けれど僕が競り落としたのでイギリスまで連れ帰ります!」「バカ野郎!その分の旅費なんて誰が出すんだよ!」という展開にしかならないでしょうね…。フランス農場主のお爺ちゃんも100ポンド(相場の10倍近い金額)を出してまで買ったのに、育てた相手だからってタダであげる(100ポンド丸損…。)なんて人が良過ぎやしないかとツッコミを入れてしまったものでした。

パール・ハーバー

2011.09.08
 「これはマイケル・ベイ監督の頭の中だけの真珠湾を描いた作品である。」「アメリカから見た映画です。気になさらないで下さい。」「軍事マニアは見ない方が良いですよ。」「内容は悪いですが金返せなんて言わないで頂戴。」などなど現在でもアンチスレが数多く立っている戦争映画です。タイタニック(歴史的悲劇の中の恋愛映画)が大ヒットした影響もあってか興行的にはヒットした(前半はとろける甘さのメロドラマ、中盤は日本の史実を無視した奇襲攻撃、ラストは仕返しする形で空爆攻撃というアメリカ人だけが喜ぶような内容だがあの奇襲がいかにアメリカ人を怒らせたかは分かる内容ではある。)のですが、同時に受賞こそ免れたものの、かのゴールデンラズベリー賞(その年の最低の映画に贈られる非常に不名誉な賞)にノミネートもされた映画でもあるので「面白い映画か?」と聞かれると頷く事は出来ない(あの賞の候補に選ばれてしまった、という時点で…。)そんな作品でもあります。

 レイフ・マコーレー(ベン・アフレック)…「来るなと言われても来たら愛してる証拠だ。…俺を愛してる。」

「さよならは一度だけでいいから見送りには来ないでくれ。」というのはつまりツンデレ的愛情確認だったのか…と納得すると同時に駅での2度目のサヨナラを経て、戦死報告&新しい男(ダニー)登場からたった3ヶ月ちょっとで思い出の品ごと気持ちを引き出しにしまわれた3度目のサヨナラ(「さよなら、レイフ。」byイヴリン)が見てて痛かったです…。戦争が終わるのも待たずに愛の為に彼女の元に帰って来たら彼女は自分の親友とデキ上がっていましたという状況には彼でなくても愕然とするだろう(「ごめんなさいね主人公、そういう事なの。」で全てが許されるのはルパン3世の不二子ちゃんだけで「そういう事なんだけど、それはそれとして今まで通り仲良くやってくれ。」というのは…無理!絶対!)と同情を禁じえなかった主人公でした。恋敵(というよりは間男)であるダニーとは一緒に戦闘機P-40を操作して零戦を撃墜した共同作戦から絆を取り戻した(それ以前に、当時運動性など圧倒的に優れていた高性能の零戦が、低性能のレジプロ戦闘機たった2機に次々と撃墜されること自体がありえない。これはもはやパイロットの腕以前の問題だとツッコミを入れてしまいました。)ようですが、それはそれ、裏切りは裏切りな訳で、ダニーの子を妊娠したヒロインに「あいつの子は俺の子も同然だ。2人で育てよう。」とプロポーズするのではなく「妊娠おめでとう。生まれる前にパパが戦死しちゃったのは気の毒だけど200%俺の子じゃないし、1人で頑張ってね!じゃ、そういう事で!」「エッ!ちょ、ちょっと…!?」と突き放す場面だろ(大体過去、自分を忘れて浮気した彼女が今後同じ事を繰り返さない保証なんてあるのか?)と終わり方にはガッカリさせられたものでした…。(どんだけ都合の良い男扱いなんですか、主人公…。)

 ダニー・ウォーカー(ジョシュ・ハートネット)…ダニー「命令じゃなくて志願して戦場に行ったのを黙って俺を騙した。その間に状況が変わったんだ。それを受け入れろ。」
レイフ「分かった。これが俺の受け入れ方だ!お前もこれを受け入れろ!」

ダニー曰くレイフは自分のたった一人の「家族」だったのに勝手に置き去りにした裏切り者だ…そうですが戦死報告(誤報)を良いことに親友の恋人を寝取った真性の裏切り者に何を言う資格もないだろう何、自分の事を棚上げして被害者面してるんだ、お前は。)と冷めた目でしか見れなかった男でした。(パラシュート格納庫での情事のシーンも、映画「テキサスチェーンソー」で洗濯シーツの中を追いかけっこしていたみたいにレザーフェイスが登場して2人の足でも切ってしまえば良いのに、としか思えず別に共感は出来なかった…ですね。)彼はレイフの事を勝手に自分達アメリカ人とは関係の無いイギリスの戦争に行ったダメ男みたいに言っていますが、ヒトラー台頭時にハワイで遊んでセックスしていたダニー達の何が偉いとも思えず、むしろアメリカ兵士が皆「イギリス(他国)の戦争なんて俺は知らな~い。」というダニーみたいな奴ばかりだったからイギリス側には「一体いつまで参戦しない!?アメリカは我々の事をどうでもよく思ってるんだ。それが許し難い!」とまで言われるし、アメリカ政府もオレンジプランの元に日本を挑発して奇襲攻撃をさせるしかなかった(アメリカ人が一丸となって戦争に参加する動機(憎しみ)を作る為にドイツと三国同盟を結んでいた日本を「てめえ、満州全部返せ!文句言うなら攻撃するぞ!(と言いつつ手は出さない。)」「せ、先手必勝!奇襲だ!皆!」と焚きつけた、それが真珠湾攻撃の真相です。)と納得もしたものでした。史実面に関しては、軍事面も日本描写も滅茶苦茶ですが、その辺りの一般的価値観だけはリアルに描かれていると妙な所で評価を上げてしまった映画でもありました…。

 イヴリン・ジョンソン(ケイト・ベッキンセイル)…「どう答えればいいか、分からないわ。」

日本の昔話にも、奥さんが死んで悲しみに暮れている男が早々に他の女とベッド(布団)インしており「アンタ、奥さんの49日も過ぎていないうちに何やってんの!?」「それがよう、オラは悲し過ぎて自分が何をしているか『分からねえ』だよ。」という笑い話があったなあ~(笑えないだろ、この話!)と、どうでもいい記憶がフラッシュバックすると同時に、何はともあれたった3ヶ月で他の男と深い仲になり妊娠までした事を土下座して謝るべきだろとツッコミを入れてしまったものでした。(取りあえずアンタの言うべきセリフは「ごめんなさい」だ。)おかげでこの女が登場するたびに「どっちでもIN。山本君(A面)でも加藤君(B面)でも、イエー♪」という懐かしのCMソング(どっちでも…IN、か。←下ネタ)が頭の中で流れると同時に「最近の映画ヒロインは尻が軽すぎる。」と父さんにも太鼓判を押された正当な評価に力強く頷いてしまったものでした…ゲフッ!

 山本五十六(マコ岩松)…「今回の攻撃で我々は眠れる巨人(アメリカ)を叩き起こし、怒らせてしまった。」

真珠湾攻撃成功後、どこぞの空母の甲板で↑のセリフを呟いている山本さんですが、当時彼は広島県呉沖の連合艦隊旗艦・長門という、空母でなく「戦艦」の上にいたはずで、赤い鳥居の上から垂れ下がっている国旗といい(どんな飾り方だよ!)、船の中で大量にともされている蝋燭といい(日本の艦船にも電灯位完備されています。火災の原因にもなるので電力系統に障害でも起こらなければ蠟燭なんて使いません。)緑色の零戦といい(機体色が緑化されたのは大戦後期。大戦初期の「現在」はほとんどが白色で零戦自体も実際に攻撃した物と型が違うし、それは仕方無いにしても改修やCG補正も無かったのには「こだわりが足りない。」と多くの軍事マニアがガッカリしたそうです。)工場の屋根には狙って下さいと言わんばかりに、わざわざ「軍需工場」と漢字で書かれているわ(生産している兵器名を示す看板まで掲げていたが軍事機密を考えれば表示することなどありえないし、いくら「スパイ大国」と謳われた国でもオープン過ぎだろ、これは!)日本の史実を全っ然調べなかったでしょう、ベイ監督!(我々は戦艦大和を作った時も櫓を組んで見えないようにしながら作ったんですよ!)とツッコミの嵐が入ってしまった有様でした…。(大体、真珠湾奇襲という重要事項を隣で子供が凧揚げしている野原という盗み聞きし放題の状況の中で行っている時点で…。←本当は御前会議の場という密室で行っています。)あまりの無性ぶりには試写会後「作り直せ!」「公開するな!」とブーイングの嵐も食らったそうですが、結局何もやり直すこと無くそのまま公開してしまったそうです…ゲフッ!

あすなろ坂④

2011.09.07
 昔のままにと再現された東京駅がえらくショボくてガッカリした(庶民の日常生活に根差した建物とは所詮この程度の豪華さも立派さも無いスケールの小さい物だった)反面、この作品に出てくる家・劇場・道路はどれもこれも豪華に描かれており「明治・大正時代に造られた今も立派に残っている建築物」(百年経っても残っているのは頑丈で立派なものばかりで庶民の日常生活にまつわるものはとうに無くなっている。)を参考にして背景を描いているだけあるなぁと感心したものでした。「いくらなんでも全ての世代がお城のような家に住んでいるのは富裕過ぎだろ!」というツッコミの答えはそういう部分にあったようです…。

 秋月精一郎…精一郎「集会の途中で警察に踏み込まれて…。」
詩絵&芙美「警察引き連れて他人の家に迷惑かけに来るんじゃないわよ、クズ野郎!」

わざわざ自宅でなく義姉夫婦の豪華な邸宅に隠れに来て(主義主張を貫くなら逃げ隠れせずに警察と討論すればいいじゃないですか。)60過ぎのおばあちゃん(芙美)に怪我をさせてまで庇って貰って(年を取ってからの怪我って治るのが遅くて大変なんだよね…。)海外逃亡も源さんの力添えのおかげであって(置いて行くと決めた妻子の面倒を見るのも源さん任せ。)一体この男はどれだけ他人に甘えているのか(武士の生き方を教える以前にアンタは男として情けなさ過ぎるだろ!)再度幻滅したものです。妻子の安全を考えるからこそ「足手まとい」として置いて行くと言っていましたが本当に安全を考えるなら真っ先に反政府運動を辞めるべき(反政府運動に自分の全てを捧げるのなら恋も結婚も子作りも将来責任をとれなくなる事は始めからすべきではない。)ですし、それはもはや男の「愛し方」でなく男の「身勝手」に思え理解を示せる女性は確かに不幸だろうと納得したものでした…ゲフッ!
 思えば詩絵さんを選んだ時も忍を選んだ時も自分に都合のいい女性を求めた結果のように思える(詩絵→売れっ子になれる実力があるのに劇団を飛び出して死ぬ覚悟で自分について来てくれた都合のいい女。しかし現実をよく見ていて理想という狭い考えでしか道を歩もうとしない自分とは意見が合わず、酔った勢いで肉体関係結ぼうが一言も文句を言わない都合のいい忍に乗り換えた。)のでそれを踏まえても女性を不幸にする達人として好きになれなかったものでした。(だからそんな男を増長させてしまっている忍も微妙…。)作品に関しても「設定の1つ1つが自分の考えだから妥協して変えるのは信念を曲げることになる。」と(大切なのはその信念を「伝える」ことだという目的を忘れてしまっています。限られた条件の中でどれだけ自分の考えを伝えていけるのかが劇作家の腕の見せ所…であって脚本家一人のこだわりの為に役者も舞台裏も劇団員全員を犠牲にする方が余程間違っていると思うのですが。)自分の全てはありのまま認められるのが当たり前といい大人にもなって勘違いしている様(そんな理想通りにはいかないのが世の中であって辛い時でも笑って気持ちを表に出さないのが大人というものです。)が幼稚で共感できなかったものでした。そもそも詩絵さんに「一緒に生きよう。一生…。」と(適当な事を)言って廊下でキスしておきながら、その後あっさり他の女(忍)に乗り換えたこの男が信念信念言っても説得力が無いんですよね…。女に関して言えばアンタは信念曲げまくりだろ!とツッコミを入れてしまったものでした…ゴフッ!

 秋月忍…みどり「客を取るから、客を取るから…さくらちゃんに手術を受けさせてって頼んだのよ!」

最後まで夫を想って彼と一緒に凶弾に倒れたといえば聞こえはいいですが娘が幼くして生活の為に売春を強要されても守る人間はいなくなる、この母親がやったことはそういう事です。(夫のことを追いかけて実の子供は他人に置き捨ててほっぽらかしですか、お母さん…。)そもそも本来、夫を追って死ぬなんて甘い事は「母親」には許されないはず(死ぬより辛くても子供を育てる為に生きるのが母親としての責務。)で夫の方だってそれを望んでいたのに愛しているはずの夫の遺志さえ無視して子供を捨てて男(夫)の後を追った身勝手な生き様には美しいシーンのはずなのに全然感動できなかったものでした。(生後7か月のまだ母乳が必要な乳飲み子を子供(サーシャ)に押し付けるな、ダメ母親!)子供がいなかったら(というより子供よりも男が大事なモンスターペアレント並の自己本位なダメ親ぶりを見なくて済んでいたら)色々印象は変わっていたんでしょうけどね…。最初から最後まで身内よりも男を選ぶ女だったなあ(それにしたって子供を手離すのは最低だが。)とまだ親の顔も覚えられない時期に両親をいっぺんに亡くす羽目になってしまった子供の方にひたすら同情してしまいました。(子供は親を選べないとはいえ、よりによった女の元に生まれてしまったね、みどりちゃん…。)それがこの人の性格と言ってしまえば仕方ないですが母親になった以上はもっと親としての意識を持ってほしかったです。(そもそも妊娠中にも関わらず流産の危険も無視して船に乗る辺りからして…。)

 さくらの両親…母「いい加減に出て行って貰えないの!?私やさくらまで変な目で見られるのは嫌だわ!」
父「お前…文句を言いつつも置いてあげている辺り、お人好しだよなあ…。」

阪神大震災の際、血の繋がった親類でさえ被災者の人達を引き取ろうとはしなかった事例があった(もちろん全部が全部そうではないですが。)のを振り返っても赤の他人なのに置いてあげているこの奥さんは心が広いと言えるでしょうね。(おじさんはそのまたおばさんに、そのおばさんは息子に頼まれて、その息子はさらに別の人から頼まれて…と他の人達は皆タライ回しにしてきたというのに。)そうやって文句を言われているのを知っており疎ましく思われて肩身の狭い思いをしつつもしっかり7か月も居座っている忍達の面の皮の厚さが立派だ(7か月だけじゃなくプラス出産の2か月前から居候やっていたんだっけ…。)と感じたものでした。(「あの…これ、いつもお世話になってる分…。」と金で居場所を買っているしたたかさに「…。」と思ったものでした。)本当に心ない奥さんだったら夫が死んだ時点でサーシャとみどりを追い出しているはずで刀1本で10年以上置いてくれた(サーシャの労働と引き換えとはいえちゃんと薬も買ってくれた。)彼女は、悪役風に描かれてはいますが真実悪い人ではなかったように私には思えたのでした…。人間言葉より行動に真実が出るんですよね…。

 有馬詩絵…源「韓国人が水に毒物を入れた疑いを掛けられてあちこちでリンチに遭っているだと!?」
詩絵「なんて馬鹿な事を!火事での死者の方が圧倒的大多数なのにそんな細かい事を気にするなんて!」

「行くよ兄さん(1923)火事を見に」というあられもない年表の覚え方からも分かるとおり関東大震災では皆が欲を出して布団やタンスなどとっても燃えやすい物を台八車に積んで財産と一緒に逃げようとしたせいで火事による被害は増大したそうです(死者が増えた原因は台所仕事中や工場運営中の火を使う時間帯のピークだった…だけではありませんでした。)死者のほとんどは火災による犠牲者(関東一円は文字通り火の海と化し東京での134か所からの出火は9月1日~3日まで3日間も燃え続けた。)で詩絵のように余震で崩れた建物に潰されたのは少数派と言えるようです。普通は庇った子供と一緒に潰されて2人とも助からない状況になる所を半身不随だけで済んだ(瓦礫に体を貫かれたり潰されたりすることも無く結果として体を切断する事もせずに助かった)のはいかにも出来過ぎた状況ですがこれは漫画なので細かい所はツッコミを入れずに読んでいく事にしましょう…ゲフッ!珍しくケンカして、そのまま生き別れになってしまったのを再会が果たせて仲直りできた奇跡に感動したものでした。

 サーシャ…「僕、一生懸命働くし一生懸命お祈りする。でも辛いことばかり…。神様なんていやしないよ。」

ロシア革命での貴族狩りから生き延びて、働かされているとはいえ疲労骨折や脱臼もせずに済むレベルの労働で、貧しいながらも年齢相応に発育できる食事は与えられて…これを神の御心(恵まれている)と言わずして何というのでしょうか?虐待の歴史を見てもサーシャもみどりも厄介者の割に扱いはそんなに悪くなかったと思うのですが…ゲフッ!)元々が貴族のお坊ちゃんだったせいか辛い現実について行けなかった様子です。若く頼りない愛する女性(生後7カ月の乳飲み子)を守るため考え方を変えて強く成長した彼ですがわずか6歳で父親の役割も母親の役割も背負う事になった彼の苦労を思うとやはり忍(実の母親)の勝手な行動は許せなかったものです。その後みどりを守る為に命を落とした…と見せかけて実は生きていましたが無傷で浸かっても大の男が心臓麻痺を起こす川に落ちて(しかも銃弾を撃ち込まれて)どうやったら助かることが可能なのかという疑問は払拭できず展開に出来過ぎたものも感じてしまったり…ゲフッ!それが漫画だと言ってしまえばそれまでなのですが…ゴフッ!

 有馬さくら…津川「みどりさんは凄い美人になりますよ。それだけじゃなく何か人を惹きつける物を持っている。女優になりなさいよ。」
詩絵「悪いけど女優に1番必要なのは顔じゃなくて演技力だから。」

顔(だけ)で通用するのはモデル業(それにしたって自分を売り込む為のお愛想や気配りが必要)であり、内気で慎ましやかなみどりには人前で発表する胆力が必要な女優業はまず向いてないと思うのですが…。(顔にしたって化粧で別人のように美しくなれるしね。演技力も見ていないのに容姿だけで判断しないで下さい、津川さん。)ともあれ、どこに行っても注目を集めるのはみどりの方で自分は「大富豪・有馬家の跡取り娘」というカテゴリーしか褒めそやされない(自分の人格・能力に関しては何の価値も見出して貰えない)事に内心イライラは募ったご様子です。この子も顔は可愛いし(「2人共磨けばなかなか…。」by娼家の女主人。)学年5位の頭はあるし(1位はみどりでしたが…。)立派に人並み以上ではあるのにどう頑張っても天才にはかなわない事にジレンマを感じている様にはむしろみどりよりもシンパシーを感じてしまったものです。そんな読者は私だけではなかったのか5巻では見栄っ張りないじめっ子→モンペ姿で畑を耕したり人好きのする肝っ玉母ちゃんに成長(キャラ改変)していました…ゲフッ!

 有馬みどり…みどり「サーシャが死んだのはあなたのせいなのよ…!」
さくら「どう考えても銃を撃ったオッサンのせいだと思うんだけど…。」

敢えてオッサンの罪を棚上げして考えるとサーシャは「みどりを守る為」に郭の掟を破って足抜けした訳で(これが身売りさせられるのがさくらだった場合、サーシャはここまで必死になって守ろうとはしないだろう。)どちらかというとみどりのせいだと言えるのですが…。言ってはいけない事を言って(責任転嫁して)さくらちゃんを傷つけた事に罪悪感を感じて出生の秘密に関しては黙る決意をしていました。意地悪をしてきた継母にも薬を煎じてあげたり、性格の悪い幼馴染(さくら)を庇って身売りしようとしたり、自分に都合の良い出生の秘密さえ黙っていたり出来過ぎた性格には逆に嫌味さえ感じてしまう程、慎ましやかで完璧なヒロインと言えるのですが…ですが…非難を覚悟で言わせてもらえば完璧な人間なんてハッキリ言ってつまらない。人間には必ず漆黒の部分や欠点がある(人間として生まれたからには百と八つの煩悩がある…はず。)と信じる私としてはこんな女絶対に現実にはいないだろ!とツッコミを入れてしまうのでした…ゲフッ!

あすなろ坂③

2011.09.06
 4巻の内容も多分に入ってしまっていますが取りあえず孫世代のカップル(結婚)確立までという事で語っていこうと思います。この作品の連載中、里中先生自身も何度か健康を害したそうで武史様の「毅然と病気を受け止め冷静に見つめる」姿勢を見習っていたそうです。成功なんて人が決めるもの(だから不確かな未来が華やかなものになると根拠の無い自信を持つのは間違っている。by芙美さん。)とはいえそこまでして魂を込めて描き続けたからこそ素晴らしい作品に仕上がったのだと感じたものでした。

 有馬史織…「強くなりたいの。私の恐怖感なんて踏みにじってしまう位強く抱いて!」

いつもいつも行動するのは「相手任せ」で流されるままに最悪の状態になってから初めて拒絶の意志表示をする(おかげで事後処理に当たる家族はいつも大変でした。)世間知らずのお嬢様だった史織が自分でここまで行動するようになるとは…彼女の成長を感じました。何が凄いって本当に8年も待ち続けていたのが凄いです。(普通ここまで待たせてしまったら、どんな出来た女でも意固地になる…だけで済んだらまだ良い方で最悪の場合、他に男を作って綺麗に忘れ去っています…ゲフッ!)しかも初体験がレイプだった事(強引=相手への優しさなど皆無という訳で女の初体験はただでさえ痛いだけなのにその上こんな扱い受けたらトラウマにもなるだろう。少尉は「結婚さえすれば『良い思い出』になる。」と言っていましたが何をどう頑張ってもレイプは『痛い思い出』にしかならないでしょうね。)で性愛に対して癒しがたいトラウマを抱えてしまったのに自分から立ち向かったのには今までを知っていただけに驚いてしまいました。成長を感じただけに、そこまでして乗り越えたのに結局彼女には子宝が恵まれなかったというその後の展開が痛かったです…。(おかげで家は続いているけれど、これで武史様の血筋は絶えてしまったんですよね…ゴフッ!)

 有馬武雄…新之介「雄々しい武士のように生きて欲しい。」

それと同時に「長生きして欲しい。」と願うべきだったでしょうか…?(武史様の血筋だけでなく彼にあやかって名付けた子供まで…!)妹達を助ける為に自分は力尽きて亡くなってしまった様が儚くて思わず涙してしまったものです。彼の死によって詩絵は弱くて優しい男の子の中にも思いがけない強さがある(人間は1面だけでは測れない。いざという時にこそ、その人の真価が分かる。)と初めて兄に対して憧れを抱くようになり、それが顔が似ていただけの秋月さん(この男は上手くいかないと先の展望も無いのに辞表を叩きつけるわ、彼女の妹に手を出すわ、妻子捨てて満州に行こうとするわ仕事も私生活も逃げてばかりの情けない男であり、武雄のように大切な人間の為に自分を犠牲にする気高さは無い。)への恋情へと繋がっていきます。姉妹揃って男を見る目は限りなく低く育ってしまったんだなあ、と別の意味でも悲しくなってしまったものでした。忍がうっかり川に落ちなければ、助けにきた詩絵にしがみついて2次災害を引き起こさなければ彼が無理することも無く今も生きていたのですが…ね。

 有馬珠絵…「武雄はもう誰にも優しくしてもらえないの。だから生きている詩絵や忍に優しくするのはえこひいきになってしまうのよ。」

「死んだ子供の分まで生き残った子供を慈しんであげるのが親の務め」というのは世間の理屈であって、そんな綺麗事で子供の死を片づけられる心が形成される訳でも、納得できる訳でもなく所詮1時しのぎの慰めにしかならない(甘美な慰めから覚めたら何も変わらない辛い現実が待っているだけ。)と思い入れのある初めての子供、しかも男の子を亡くした痛手から未だ立ち直れていない珠絵さん。終わったことばかりを見つめて今そこにいる人達を慈しむことを忘れてしまったせいで家族との絆はだんだんギクシャクしてしまいました。大切な家族を亡くした悲しみを味わっているのは新之介も詩絵も忍も同じ(特に姉妹2人はいつまでも兄の影から逃れられずに2人揃って兄に(顔だけ)似た人に恋してしまった。)であり彼女ばかりが特別ではなかった、同じ悲しみを背負った人間として愛情を育てて行くという1番大切な事を忘れてしまっていた事に遅ればせながら気づいてくれて良かったです。意地を張ってしまうのは相手に分かって貰いたいから(だったら素直に寄り添えばいいのですが…。)自分の為に相手が行動してくれるのが筋だと甘えているからで本当に思いやって欲しいのならまず自分が相手の為に行動しなければ気持ちは返ってこないんです…よね。その人の為に使うエネルギー(愛)があるのなら別方向で表現してもいいんじゃないかという芙美さんの助言の元に仲直りができてホッとしたものでした。

 橋本新吾…「ほんの少し手を伸ばせば…私達の人生は…。」

相変わらずの話ですが奥さんの立場って…。(そういえばこの巻から、夫の気持ちは昔の女性の元にあると気付きつつも長年尽くしてくれた奥さんも作りまくった子供達も登場しなくなりますがどうしたんでしょうか?とうとう愛想を尽かされて逃げられたのだったら…いいなあ。←オイ!)対する相手の芙美の方も「最近は新吾の夢ばかり見てしまう。」「(私達の愛の結晶である)息子の新之介の見送りに来てくれませんか?」と武史様を愛していると言いつつも昔の恋(新吾)に引き摺られるようになってしまっていて(奥さんの立場に対して遠慮は…!?)3巻以降の2人にはかなりイライラさせられたものでした。武史様の墓前(武史様の目の前)で逢引するのも無神経(アンタ達、互いの伴侶に対して気を使おうとはしないのか?)としか思えず「人生はやり直せるものじゃない。」という持論も「やり直すだけの意気地が無いから。」という本音が見えて(少なくとも新吾の方は生まれた女の子に昔の恋人の名前(芙美)を付けるわ奥さんに対して本当に愛があったのかかなり微妙。)嫌悪感はさらに募ったものです。互いの為にも(何より今の家族の皆さんの為にも!)終わった関係をウジウジ掘り返すのは辞めて欲しい物なのですが…ゲフッ!

 有馬忍…「あ…姉様、許して…今このひとときだけ…その気バリバリで貴女の彼氏とセックスすることを。」

ふざけるな!と人として女として嫌悪感と共にツッコミを入れてしまったものです。この時代「女性が男性の部屋に入る」だけで「とんでもないこと」(もちろん自由に恋愛を楽しんだ女性も少なからずいましたが、まだまだ結婚するまで処女でいるのが当然という時代です。)として世間から非難される時代だったのですが、よりにもよって姉の恋人を寝取るという時代の常識を超えて破廉恥な事をしでかしている彼女にドン引きしてしまったものでした。(私にも妹がいますが相手が酒を飲んで正常な判断力を失っていたからと言い訳して抵抗せずにこんなことをしでかしていたら多分衝動的に刃物を握って立ち上がる事でしょう。←何する気?)「生涯でこの一時だけ…。」と言っていますが1回だろうが100回だろうが裏切りは裏切りであり、結局1回で済んでもいない様になんて潔くない女だろう、と幻滅してしまったものです。(そして姉が妹への情の為に偽装結婚までしたのを「良かった、良かった。これで自分は罪の意識を感じなくて済む。」と自分に都合よく鵜呑みにして喜んで、その後姉の前でも「子供ができたの。」と姉×夫の事は「済んだこと」として平然とのろけられる辺り人格を疑いました。)慎ましく家の事をしっかりしているとはいえ女の価値は家政婦能力ではありませんし、惚れた相手だからと言っても勢いで迫られてすぐにOKする辺りかなり股の緩い女(風呂にも入らず、酒の勢いに任せて…ケダモノか、お前らは?)だという事が伺え、現実にいたらまず間違いなくお近づきになりたくない女性だなあ、と感じてしまいました…ゲフッ!(何というか8年間も自粛していた史織さんの気高さを見た後だっただけに余計に…ゴフッ!)見つめるだけなら傷つかない(本当は自分が傷つきたくなかっただけ。姉に申し訳ないと思うのなら肉体関係など結ばずに身を引けばいいものを自分で関係をかき回しておきながら「姉が可哀想。」なんて自己陶酔に浸る辺りはもう笑いが出そうでした。)という姿勢で結局皆を決定的に傷つけてしまったんじゃないかと女として好きになれなかった女性でした…ゴフッ!

 秋月精一郎…「女優としての君を愛していたようだ。」
詩絵「別れる原因を相手のせいにする前に人の妹に手を出したことを土下座して謝りなさいよ、クズ野郎!」

これが「忍に手を出してしまった上に君にはもう飽きてしまったんだ。」(悪いのは全部この俺です。)と正直に言って殴られてお別れしていたらまだ好感持てたのですが「君の女優としての実力しか愛してなかった。」(女優としてはいいけど女としてはダメだから付き合っていけないんだ。)と相手に全ての原因があるかのように別れる責任を押し付けたのには愕然としました。その後も詩絵さんへの「女優として成功した詩絵さんが秋月さんを捨てた。」という誹謗中傷をいいことに「自分が今をときめく大女優の性格が気に入らなくて捨てた上に付き合っている最中から彼女の妹とセックスしていた。」という真実を語らずに世間の非難を体よく回避した様にはなんて卑劣な人間だろうと忍共々軽蔑してしまったものです。(おかげで実の姉が悪者にされていようが自分の都合の悪い事は黙っている辺りは忍も同罪だと思う。)こんな男が仕事のパートナーで、その新しい彼女が妹だという立派な地獄絵図に詩絵さんはよく耐えられたものだなあと元カノの胆力&心の広さに感心してしまったものでした。(私だったら舞台の上に立った人間として手加減抜きで殴っています…ゲフッ!)顔は良いかもしれませんが身勝手で都合が悪くなると他人を当てにしてばかり(彼の舞台の成功もその後の満洲への逃亡もほとんど源さんの力添えのおかげで上手く行ったようなもの。)で一時に2人の女性からモテルほどいい男とは私には到底思えませんでした…ゴフッ!

 有馬詩絵…「女から求婚させるのは男の恥だと思わない?」

何でこの人が自分を裏切った元彼と妹の尻拭いの為に好きでもない男と愛の無い結婚をしなければならないのでしょうか?(その後源さんとの間に本当に愛が芽生えたから良かったものの下手したら詩絵は一生「幸せ」という嘘を演じながら人生を犠牲にしてしまう所だった。)現実にも離婚して他の女との間に子供もいる元夫とは今でも仕事仲間として仲良く付き合っているという漫画家さん(新井祥先生)がいますが、その方に最も寄せられた意見はやはり「よく平気で付き合うことができるね。」だったそうです。相手と仲が良ければ恋が無くなったら友達(仲良し)に戻れるというのは理想論に過ぎず現実には相手に裏切られても(浮気されても)なお仲良くできるかは未知数です。(というか、ほとんどの人が無理だろう。人間にはプライドも自尊心もあるのだ。…例外として自然消滅的に終わった恋愛だったら可能性はあるかもしれませんが。)ライバルが赤の他人だったら「2度と会わない」ことも可能なのに冠婚葬祭及び盆暮れ正月には必ず顔を合わせなければいけない身内(妹)だという設定に色々な意味で悲しくなってしまったものです。親も親で結婚前の女性だったにも関わらず他人(姉)の恋人と肉体関係を結んだ忍に対して何も言わなかったのでしょうか…ね?(それともやはりそういう「都合の悪い事」は黙っていたのだろうか、忍さんは?)

 余談…現代でもなお「男と二人きりで部屋にいる」(または男を自分一人の部屋に招き入れる)=「自分とHしてもいいと男を誘っているサイン」と誤解されるから気をつけよう、と言われているのに自分から男の部屋に入って行く(しかも相手は酔っている=何をしでかしてもおかしくない状況にいる)忍の行動って凄いな、と読み返して改めて彼女の軽率ぶりに「…。」と思ってしまいました…。(「頭悪くていい女って最高じゃん!」と男には好かれそうですけどね…。)

女王蜂~捕縛~

2011.09.05
 総会屋がらみのサラリーマン物語です。辞書によると総会屋というのは「小数株を持って株主総会に出席し嫌がらせや脅迫で会社をゆすったり会社側から要請を受けて他の株主の正当な発言を封じたりする人」だそうです。この本では大正時代にはその存在が確認され、売買単位に満たない端株しか持たなくても株主総会に出席できたこと、平成9年まで総会屋への利益供与を厳しく禁ずる商法497条が制定されなかった挙句に企業の事無かれ主義(と好景気の余裕)が総会屋を増長させた(莫大な金が流れた。)という背景が語られていました。また大きく分けて2種類あり「株付け」をして総会で難癖をつけて金を強請る一般的なタイプ(最終的には企業内部に潜り込んで「与党総会屋」になるのが目的。)と株付けをしないで企業の暗部・恥部を記事にして広告費として金を強請る(または大量の雑誌・出版物を買い取らせる。)「情報屋」タイプがあることまで書かれており、よく調べられているなあ~と感心してしまいました。後書きによると初稿の段階では齟齬があったものの校正者さんや担当さんと共に直していったそうで水戸先生が作品を書くにあたっての苦労が忍ばれます。お疲れ様でした、水戸先生。

 上谷那智…彼の写真が載る経済誌はいきなり数万部も売り上げが伸びた。(本文より。)芸能活動を一切していない男の顔でこれだけ売り上げが伸びたら奇跡でしょう。そんなにも美形でしかも真面目で性格もいいとなればモテない方がおかしいでしょうね。しかしこの本のジャンルはBL。そのモテている相手が全員男(ていうか男しか物語には登場しない。)でしかもロクな性格の男がいない(周りに常に女がいながら自分に気のある那智は自分の物だと一方的に解釈していた甘粕といい、弟の立場で那智を狙っていた芳己といい、電波な新城といい…性格悪い男ばっかりです!)ということが那智の悲劇でした。1人で抱え込んでしまう性格とはいえ、叔父の強迫(ビデオの件)に対して冷静に対処していたり「女王」としての強さを魅せてくれた辺り感動しました。攻めの専業主婦状態にならずにちゃんと社会責任を果たしている辺りこの人は立派な社長です。ホモな趣味に関しては個人的なプライベートということでツッコミを入れない方向で…ゲフッ!

 新城一也…新城「俺の子、孕んで下さいよ。」

男相手にそんなことを言っている辺りこの男は保健体育の成績が0(ゼロ)だったということが分かります。(1未満かい!)助けてもらった恩返し…というよりは恩を仇で返した感がある主人公の相手役です。(那智のあの強さが無ければこの男を「飼い慣らす」どころか早々にへたれていただろうと思うので…。)後書きより彼は人として欠けているものがあるせいで那智のような「優しい」人がどうしても必要だった(そして人として欠けているせいでそのやり方は非常に電波であり那智にとっては迷惑千番だった。)とあったので初対面で優しさを見せてしまった(助けてしまった)事自体が那智の失敗ではあったんでしょうね…。たとえ32階でも恋人を襲う為なら何の苦もなく壁を伝って窓から窓へ侵入するその行動性は評価すべきか犯罪者と糾弾すべきか微妙な所です…ゲフッ!とはいえ那智は自分から積極的に相手にアプローチするタイプではなく、また甘粕も芳己も自分でアクションを起こすタイプではないので(互いに憎からず思いながらも永遠に進展しない男達…ゲフッ!)必然的に新城としかカップルになれない運命ではあったんでしょうね。ホモ画像も「処理」して強力な味方になったことだし、いい結末を迎えたと解釈して…いいでしょうか、水戸先生?

 甘粕千景…甘粕「お前はうちに来い。俺とホテル暮らししろよ。」
那智「それって夜のお誘いってやつですか…?」

という甘粕の問題発言にも社長業と脅迫関連でいっぱいいっぱいな那智には気づける余裕はありませんでした。甘粕との「過去」について、やっぱり眠っていると思った相手へのキスは実際は絶対にバレているものなんだと認識を新たにしてしまったエピソードです。(このエピソードから察するにやはり那智は真性ホモだったのではないかと…ゲフッ!)「髭がまずいのかゲイにモテる。でも髭を剃ると女にモテて困る。」との状況で鬚(男)を選んでいる辺りはさりげない那智へのアピールだったのでしょうか?(さりげな過ぎて気づかれてませんよ?)しかし「周りに常に女がいる」(本文より)のでは関係の進展に期待を持てと言う方に無理があるでしょうね。(特にホモの場合「この人はノーマルなんだ。」と普通に諦めるでしょう。)「いずれ返してもらう」時は来るのかそもそも続編は出るのかちょっと気になる所です。

 上谷芳己…芳己「新城さんと好き合ってるなら、俺、ホモでも変態プレイしてても2人の仲を認めるよ…。」
那智「どう考えたらそういう「誤解」いっぱいの結論に達するんだ…?」

そんな感じに彼の「好き合ってるならいいよ。」発言に、いや、ちょっと待て!とツッコミを入れてしまったのは私だけではないでしょうね。「芳己は一生那智のことを男に犯されて喜ぶ変態だと信じるだろう。(中略)それでいい。お前はそう信じていてくれと那智は祈った。」(本文より)の記載にも、いやいや全然それで良くないし人生投げ過ぎです那智さん!と焦ってしまいました。芳己いわく「女の子みたいに綺麗な兄貴がずっと好きだった。」(そのくせ何回も彼女は作っており那智にも紹介している。男って。)そうですが、おそらくそれは「憧れ」止まりで新城との絡みを見なければ「恋愛の相手」として意識することも無かったんじゃないかな~と思うのです。意識しても目の前で見せつけられた途端に例の敗北宣言をしているし気にすることはないのではないでしょうか…ゲフッ!(いや、気にはしておくべきことだけど。弟だし。)キャラクターの中では唯一真っ当なキャラだったのに彼まで発情している様にはお前もかい!と笑ってしまいました。(笑うなよ。)「恋愛中毒」のノリだったらきっと彼も那智と最後までいっていたでしょうに残念だったねとも慰めを入れてもしまったり…ゲッフン!

 津川浩二…「社長の地位を継ぐ者は絶対に上谷の血を引く者でなければいけないという暗黙のルール」から考えると嫁さんが上谷の娘なだけの自身に1滴も上谷の血が入っていない浩二は最初から「候補」からは外れているはずなのですが(嫁さんを社長に仕立てて傀儡として影から操るのならともかく。)「親戚の男」なら誰でも候補に入ったのでしょうか…ゲフッ!「マトモな社会人ならば女性関係の話題は避けるべきだがそういった分別は浩二には無かった」の表記より初対面の女性にいきなり前の彼女との情事の話題を出して「俺は自分に正直だから。」(それとセクハラとは違うと思う。)と悪びれもしない分別の無い男を思い出しました。(顔を引きつらせながら「すごい話題を話すんですね。」と必死で嫌悪感を隠しながら相手をしている後輩がとても可哀想でした。)仕事と下半身関連の事象以外関心の無い男って本当に現実にいます。でもそういう男って結果として女にモテないので(真っ当な女なら恋人候補からは真っ先に除外するタイプなので。)女に飢えている分「若い女(中学生)からのアプローチ」などという美味しい話にはイチコロだったでしょうね…。「作戦」を立てたのは新城ですがそれに乗った浩二も浩二で(こんな時期に浮気などしたら墓穴を掘るだけだとちょっと考えれば分かりそうなものだというのに…。)那智の評価通り最低最悪の男だなと感じてしまいました。

天の涯まで~ポーランド秘史~下

2011.09.04
 「栄光のナポレオン~エロイカ~」に使い回しているシーンも満載(禁句)で構図くらい変えましょうよ池田先生、と読みながら何度となくツッコミを入れてしまった本です。エロイカではナレーションだけで完全に省略されていたユーゼフの死に様(番外編の主人公にしては扱い酷過ぎと思ってしまいました。)をしっかり描き切ってくれたポーランド物語終章です。物語からはるかに時が経って後、第1次世界大戦後1919年6月にポーランドが復活した(天の涯まで届いて欲しいと願った哀しい英雄達の叫びはこうして成就された。)ということを「やったね!」とでも言いだしそうなとてもいい笑顔のユーゼフと共に描いてくれたことが本当に救いに感じてしまいました。歴史物にしては史実捻じ曲げすぎの話なのであくまでも「物語」としてフィクションを楽しみながらツッコミを入れていく読み方をお勧めします。(ツッコミを入れるのかい!)

 ユーゼフ・ポニャトフスキ…テオドール「あのヴィスワ河を軍装つけたまま泳ぎ切ったお前ではないか。これしきの川に流されるのか!?」
ユーゼフ「いや、僕が泳ぎ切った河はエルベ河であってヴィスワ河には挑戦もしていないんだ…。」
テオドール「今はそんなこと言ってるんじゃねええええぇ!」

古都クラクフを抜け首都ワルシャワを分断しバルト海に流れ込む全長約1700kmのポーランド最大の河、それがヴィスワ河です。賭けに勝って老婆に不吉な予言をされたという伝説の河は勝手にそこまで格上げされていました(ヴィスワ河に掛かっている4本の大橋のうち都心地区とプラガ地区を結ぶ2番目の橋にはユーゼフの名前が付けられている。が、それはそれ、彼が河を泳いだというわけではない。)エルステル川がドイツ語のかささぎという意味(カラス科の鳥のように性根の黒い母親の策略を意味しているんじゃなかったんですね。)だということも初めて知り予言が的中してしまったことに思わず怖くなってしまったものでした。
 さて髭が生えてから保守的で退廃的な、鈍さで人(ヴラトゥカ)の心を傷つけるすっかり嫌な奴になってしまった主人公ですが(髭が生えてからキャラが変わったよねぇ、この人…。)国王の裏切り(タルゴヴィツァ連盟の加入)ポーランドの消滅もあってすっかり人間不信に陥ってしまったようです。この話では弟フェリックスや祖父ミハイロフ先生の喪失もあって悲しみを深めていますがどっちもオリジナルキャラでありフィクションもいい所なので信じてはいけないストーリーです…ゲフッ!信じてはいけないストーリーといえば「20年前父親のアンジェイが愛国社党を組織したのも今のユーゼフくらいの年だった。」と父の遺志を受け継いだとされている部分もそうで、父・アンジェイの存命中にそもそも愛国社党は存在していませんでした。話においてユーゼフの生涯は色々と理想化されすぎております…ゴフッ!理想化と言えばもう1つ(まだあるのか。)話中ではマリア・ヴァレフスカの初恋の相手として描かれていましたが、実際に彼ら2人は親しかったものの親子ほど年が離れており、マリアもその後42歳も年上のジジイと結婚する羽目にはなるものの決してジジコンというわけではなく(縁談聞いて卒倒してるしね。)まずあり得ない話だそうです。ここまで史実と違う部分が満載だと「ユーゼフのイメージが違う。」という皆のツッコミにも納得がいってしまいます。ていうか意図的に史実変え過ぎです、池田先生!

 ヴラトゥカ・ヴォーバン夫人…ヴラトゥカ「ヴラトゥカ・ヴォーバン夫人は男には事欠いていないわ。」
ユーゼフ「今は事欠いていなくても、いつか事欠く時がきて誰かの妻でいれば良かったと思うようになるよ。だからヴラトゥカ…結婚しよう。」
ヴラトゥカ「人の年を見て脅迫してんじゃねえよ、このガキ。」

そんな彼女はユーゼフの生涯の愛人アンリエット・ド・ヴォーバン夫人と名字だけ同じのオリジナルキャラです。実際のヴォーバン夫人はユーゼフが「とたん葺きの館」(パワツ・ポド・プラホン)で浮き身をやつした社交生活を取り仕切っていたこともありユーゼフ公にとりついた悪霊とまで噂されるほど巷で顰蹙を買ったフランス伯爵夫人(人妻)でした。(彼女がユーゼフの父親とも関係していた親子丼女だったというのはもちろんフィクション。)「私達が祖国を思い続ける限り、誰が力づくで祖国の名をもぎ取ろうとも私達は永遠にポーランド人よ。」というポーランド人としての生き様を忘れない女性として描きたかったのか人種からして違う人間になってしまっています。(ヴォーバン夫人はフランス人です。)最後はポーランド時代が終わった象徴のように服毒自殺をしていたカッコイイ女性でしたが…その為に立場さえとってかわられた本物ヴォーバン夫人が哀れに思えるのは私だけでしょうか?そんな訳で信じてはいけない登場人物です。

 フェリックス・ポニャトフスキ…騙した挙句に強姦し、子供まで産まれたのに放置した…そんなことまでヤッた相手ゼリアとどうやったら「和解」が可能なのか理解に苦しむところですが、それもそのはず彼はオリジナルキャラであり子供は正真正銘ユーゼフの息子です。最期には裏切ったと見せかけて将軍を暗殺したというカッコ良すぎる死に様が描かれていましたが、「ユーゼフの愛する者を全部殺してやる!」と息巻いていたスヴォーロフ将軍(フィクション)が当のユーゼフの弟に対して気を許すとも思えず、展開に違和感を感じたのは私だけでしょうか?死んだ時にゼリアと息子のことは気にかけても仮にも正妻であるアンナ(名門チャルトルィスキ家の娘。もちろんフィクション。)のことは思い出しもしていない様にやっぱりこの男微妙だなあという思いが拭えませんでした。その後ユーゼフが他ならぬ自分の息子にフェリックスと名付けている辺り(というよりオリキャラ・フェリックスの名前はここから逆に取ったのだろう。)「命惜しさに誇りまで捨てる最低野郎だな、お前。」という評価(誤解)は撤回されたのでしょうが「終わりよければ全て良し」で片づけていいほど簡単な問題じゃなかったような気がしてならないんですが…。(異母兄弟として母親との和解はどこいった?)無駄にオリジナルキャラを出さなくても(特に後半)物語は進んだと思うんですけど…ね。

 タデウシ・コシチューシコ…「貴族の特権こそが国政を誤らせる弊害だ。」
という君主制をぶち壊してでも地上にポーランドの名が残ればいいと考えていた根っからの革命児タデウシ(さすが中流士族出。)と違って「僕は自分が属している階級を滅ぼそうなんて気はないね!」とあくまでも「貴族の地位」に執着したユーゼフ。人気の違いはこの辺にもありそうです。(ユーゼフは「貴族だから」という上から目線で、平民の立場に立ってものを考えていないんですよね…。「俺達は祖国のために戦うのであって貴族階級の利益を守る為に利用されに来たんじゃねえ!」と意見は別れたようです。)鎌で武装した農民部隊と共にクラクフで蜂起した最初の全国的反乱の最高司令官でありユーゼフとはまるで気質の違ったポーランドの英雄でした。敗北後はナポレオンに不信を抱いて協力せずスイスで死にましたが、彼とポーランド独立運動の栄光・名誉とは決して切り離せない関係にあると言えましょう。漫画上ではマリアの兄テオドールとまるで見分けがつかず(髪の毛の形が雲みたいになっているのがテオドールの方ね…でも同じ髪の色、同じ太眉でやっぱり分かんないよ!)紛らわしいことこの上ないのですがセリフで判断しながら頑張って読んでいくしかないようです。そんなわけで頑張りましょう。(オイ!)

 マリア・ヴァレフスカ…1970年には偉大なる愛国者の一人としてポーランドで切手にもなっていました。話にあった通り自分より42歳も年上の62歳のジジイ(ヴァレフスキ伯)との縁談にショックを受け本当に肺炎になってしまったそうです。エロジジイとの不幸な結婚(言い過ぎ。)に諦観を抱いたマリアは信仰と愛国心に心の慰めを見出していましたがそんな中ナポレオンとの不倫を要求されるというさらなる不幸に陥っています…ゲフッ!とはいえナポレオンのことは真実愛しており彼女がエルバ島に渡った時期すなわちナポレオンの前妻ジョゼフィーヌが死に、後妻マリー・ルイーズがオーストリアに帰った(挙句にナイぺルク伯という新しい男を作った)「今」こそ「誰にも増して私を必要としている。」(ていうか自分の独壇場。)だと誤解していますが、実際に彼女を待ち受けていたのは返り咲きを熱望していたナポレオンに「マリー・ルイーズ皇后に変な誤解されると困るからお前帰れ!」と3日で追い返されたというあんまりな仕打ちでした…ゴフッ!元々ナポレオンはマリアの妊娠より自分に受精能力があると分かったとたんにマリアを捨てており(エロイカではナポレオンの自宅に彼女を住まわせていましたが、実際にはマリー・ルイーズとの再婚前にポーランドへと自ら身を引いている。)息子のアレクサンドルの認知さえしてくれませんでした。(戸籍上アレクサンドルはヴァレフスキ伯の子として認知されている。)彼がワーテルローの戦いで敗れた後「自分もセントヘレナ島へ連れて行ってほしい。」という訴えももちろん聞き入れてもらえず女としてはひたすら哀れといえます。元々はナポレオンの一目惚れであり、二人の仲を知って駆け付けようとした正妻ジョゼフィーヌをすげなく帰させるほどラブラブだったというのに男女の愛とは儚いものです。ナポレオンにとって彼女の存在って何だったんでしょうね…ガフッ!

あすなろ坂②

2011.09.03
 子供世代編です。(最も正確には文庫版1巻の頃から子供世代の恋愛編は始まってはいたのですが、時期ごとにまとめてみました。)作者さん的には新之助×史織(カップリングにするなっての!)の血の繋がらない兄妹の恋話を進めたかったようですが読者は誰もプッシュしてくれずにおじゃんになった経緯が見て取れます。(結局新之助一人がウジウジ悩むだけで終わっている。)そんな感じで時代は明治の外国猿真似時代へと進んでいます。もうすぐ「坂の上の雲」と同じ時代です。

 有馬新之助…「婚約は自然に任せるよ。」

聞こえのいいセリフですが「今は婚約するほど相手に興味はない。」という意味です。(騙されないでよ、史織さん。)自分の子供のネーミングに際してようやく自分の出生の秘密を掴みかけましたが(あれだけそっくりな顔をしていて、というより読者から言わせればむしろ見分けがつかなくて困っている位なのに(禁句)何故今まで気づかん!?と逆にツッコミを入れてしまいましたが。)敢えて蓋をして子供にも(新の字を打ち消して)養父の名前から1字取って名前をつけている辺り、実父に対しては(うっすらと感づきながらも)完全に割り切ったようです。ウジウジ史織を思い続けている諦めの悪さは父親譲りなので仕方ないにしても実際に手は出さなかったり(新吾だったら婚礼前に一線を越えている。)子供に好きな女の名前をつけなかったり(新吾の「男は勝手につけろ。女は芙美だ。」と一生「芙美」と関わって生きていこうとする様は…相手にとって酷過ぎると思うの。また新之助の子供位幼い子供を新たに作っている辺りは年取った後もどんだけエロいんだこの親父は!とツッコミも入れてしまったり…ゲフッ!)誠実さでいえば新吾よりも数段上の漢です。しかし土地をだまし取られたり事務能力はまるでなく、頼りがいは無いので旦那より稼いでいる珠絵奥さんとはいいカップルだなあと逆に納得してしまいました…ゴフッ!

 おきく…新之助「この体の隅から隅まで僕が洗い流してやる!」
おきく「…って結局ヤルことは他の男と同じなのかい!」

そう、下品にツッコミを入れてしまったのは私だけでしょうか…ゲフッ!(いや健康な他の女性ならともかく出会った時から青白い顔した病人相手にああいうことをするのは余計疲れさせてしまうだけなのでは…?余計に病気が悪化しないかと逆に心配してしまうのですが…ゴフッ!)最初は「本命にあげられなかったから。」(訳・君は本命じゃない。)と櫛をプレゼントしていたり(「正直に言ってくれて嬉しいわ。」というのは「トドメを刺してくれてありがとう。」という意味に近かったのでは…ガフッ!)妹に比べればアウトオブ眼中の憂き目を見てましたがそのあまりにも薄幸過ぎる(すべてを諦めて控えめな)生き様が新之助の心に火を灯しいつの間にかナンバーワンの座を勝ち取っていました。(勝ち取った矢先に…。)「きくにはたったの1日もこんな幸せな日は無かった…。」と死後1年が経っても心に留めておいてくれている辺りには史織に勝った!とも喜んでしまいました。最後だけでも愛し愛されて幸せな時を過ごせて良かったね、とその後のお妙さんのあまりに報われない死に様と比較しても安心してしまったキャラです。ご冥福をお祈りします、おきくさん。

 後藤珠絵…男の子なら新太郎というそのネーミングはまだマトモですが女の子なら新子(しんこ)というのは辞めてくれと切に願ってしまいました。(おしんこじゃないんですから!)結局名前は男女ともに新之助がつけてくれたらしく武雄と詩絵(うたえ。今度は珠さんから一文字貰ったらしい。史織に絡んだ名前をつけなかった辺り偉いと思ってしまいました。)で良かったね、とホッとしてしまいました。(珠絵さん、ネーミングセンス独特だよねぇ…。)恋をしてその後すぐおきくさんに新之助を奪われ、お亡くなりになって1年、その後やっといい感じになるも史織のお家断絶騒動で家出、押しかけ女房となった後は自分の作家活動で逆に家族を養っている…という波乱万丈の人生を歩んでいる様にパワーのある人だなあ、と感動してしまいました。また連載している「自分の恋の話」は確かに本にできるほどドラマチックな話ではある(実家が今をときめく大財閥様だから余計にね。)と納得してしまったり…ゲフッ!

 有馬史織…「恋」しているというより「計算」しているだけの女。またナースキャップについて、そのかぶり方じゃ意味がないよ(髪の毛をまとめる為のナースキャップでしょうに、ダラダラ出てるじゃないですか!)とツッコミも入れてしまいました。今回初めて自分のの出生の秘密を知っていましたが正直ショックを受けている史織よりも何もかも報われないまま死んでしまったお妙さんの方がよほど哀れに思えるのは私だけでしょうか…?もちろん今まで育ててくれたのは芙美さんの方で子供にとってはかけてくれた手間と触れあいが愛情というのも分かってはいるんですが、妙さんの場合、子供が嫌で捨てたわけでも年取って寂しくなったからという自分の都合で連絡取った身勝手な親とも違うじゃないですか。そして知り合いの保育士のお言葉より「たとえ川に捨てられた子供でも、川は子供を産まない。」(た、確かに…。)そうなので最後に実の子供に振り切られて一人寂しく死んでしまった死に様にはどうしても納得いきませんでした。(せめて死体相手でも「お母さん!」と呼んで取りすがってくれていたらちょっとは変わっていたんですが…その後芙美さん相手に「母様…!」と縋りついていたのも妙さんの存在を全否定しているようで個人的には微妙に感じました。)
 ちなみに妙さんの病気、子宮癌というのは子宮頸ガン(主に異性間交渉による炎症が原因で起こる。つまりこっちの方だったら原因は耕三ということになる。)と子宮体ガン(子宮内部にできる。通り道にできている頸ガンと違い初期発見は困難。)の2種類があり不正出血がある場合はもうかなり進行している(子宮、卵巣、リンパ節を含んだ拡大手術が必要。弱っている患者がそんな大手術に耐えられるかという問題もある。)ので現代日本でもできる手立ては少ないでしょうね。(未だがんに対する有効な治療法は存在しない。)死んでしまうのは仕方ない運命だったにしてもあの死に様は可哀想すぎると改めて思ってしまいました…ゲフッ!

 後藤光太郎…後の大財閥にして史織の元婚約者。「貧しさというのは一つの悪で、天から与えられた才能を生かせない怠け者だからだ。」という彼の言葉に史織は反発してますがそれは貴女がが病院に来る善意の人々にしか触れたことがなく庭師の耕三のような悪意ある貧乏人に会ったことが無いからだよとツッコミを入れてしまいました。何事にも溺れいない辺りこの人は新之助のように言われるがままにゆすりに応じたり金をだまし取られたりということは絶対にあり得ないでしょうね。融通の利かない所もありますが譲らない史織も史織だと思いますし(お互い様に見えます、私には。)自分と同じように相手だって「分かってほしい。」という気持ちがあることを見ようとしないままホイホイ婚約してしまった史織(それだって父親を安心させる孝行娘のポイントを稼ぎたいという計算があった。死んだ後で婚約破棄という大事にまで発展させ、お母さんも苦労したでしょうね。)にも問題はありますし振り回された光太郎ぼっちゃんも大変だったでしょうね。「婚約」してしまった以上は家同士の問題も絡んでくるのは当然で(それが嫌なら新之助達のように「お付き合い」に留めながら相手を見ていくべきだった。)周り中の好奇の目に晒されてしまった後藤家が哀れに思えてしまいました。(おかげで家を捨てる羽目になった珠絵さんはいい迷惑です。)「結婚は本人の気持ち次第。」と芙美さんはおっしゃっていましたが今はまだそんな時代じゃないよ?(「ゲゲゲの女房」世代までは親その他周りの人間が決める時代です。)と後藤家が憤慨する理由は大いに分かるような気がしました。(本人の気持ち次第にしたって式の直前は困ると思うし。)「いやあ、女を見る目が無かったよ。」と本人があっさり諦めている辺りの立ち直りの早さだけが救いでしたが(ウジウジ男・新吾もこの辺を見習ってほしいと思ってしまったり…ゲフッ!)大変だったろうなあ、と同情してしまいました。

 甲野晶平…史織「随分手が荒れてますね。患者さんに包帯を巻くのはもっと柔らかい手の方がいいと思いません?」
晶平「…イヤミですか?」

あけみおばさん(おねえさんとおっしゃい!)に対しても「恋したことも無いのに表情が豊かね。」(豊かじゃ悪いんですか?恋の結果が人の目に見えるものにならなければ認めないんですか?)と無神経発言をぶちかましていましたし天然なのか(でも自覚が無いだけタチが悪い部類に入ると思う。)言うことがいちいちイヤミだなあと感じてしまった史織の発言です。こんな酷い事ばかり言う女(余計なこと言わずに素直に「手伝います。」と言えばいいじゃないですか。)よりもカッコイイあけみ先生に惚れて欲しかったのですがやっぱり恋する時は若さがポイントになってしまうのでしょうか?彼に対しても「好きな人は誰なのかと聞いて欲しい。それから…。」と妄想し、それを察して動いてくれない事に対して不満を抱いていますが(現実には自分の思い通りに動いてくれる人間なんてこの世にいません。)何も言わないのに自分の事を何もかも分かって尽くしてくれなんて考えてみれば身勝手な話ですよね。(もっともこういう相手を試してばかり、尽くしてもらってばかりで何も返さない人間は私の友人にもいます。相手にしてもらうことばかり考えて自分のことを棚に上げていることに心底気づいていないのがこの人達のタチの悪い所です。)犯された史織(最も自分に気のある男と二人きりで部屋にいるという「状況」を作ってしまった史織にも隙があったとは思うが。)よりも気を使いまくっている晶平の方がよっぽど哀れに思ってしまいました…ゲフッ!(そんなことのあった後でも「嫌なことを忘れられるように抱きしめて欲しい。」と相変わらず相手を利用することを考えている史織に幻滅でした。男は人間は自分の都合を満たすために存在してるんじゃありません。)

 綾公路少尉…綾公路「どんな火事でも俺の心ほどは燃えないだろう。」

などの愛のセリフの数々に爆笑しながら読んでしまった男の人です。こんなセリフを素でいえる日本人男子が未だかつていたでしょうか?(欧米か!?)そんなわけで史織への求婚者第2弾です。婚期を過ぎた女(最も現代日本人女性の私に言わせれば18や19で結婚結婚騒ぐなと言いたいですが。)にも関わらず、少尉様(上等兵よりも上のいい身分の軍人。しかも華族のご親戚。本来こんな没落した家の女、しかも問題を起こして婚約破棄した女でなく、しかるべき身分の令嬢を娶るべき立場にある。)に惚れられるなんて話ができすぎてはいないかと思えてならず、ストーリー的に共感はできなかった(いくらなんでも無理がある展開だと思うのですが…元婚約者の大手銀行の株主・光太郎といいどんだけシンデレラなんでしょう、史織は?)ですが、それにしてもセリフの笑える男だなあと笑いながら読んでました。(笑うなよ。)また冒頭の「少尉殿、馬を撃つのでよけて下さい!」のシーンではその馬に乗ってるのによけれるか!ともツッコミを入れてしまいました。これで部下をクビにしない辺り、しかもミスを庇っている辺りいい奴じゃないかとも思ってしまったり…ゲフッ!

ジュラシック・パーク

2011.09.02
 「本当に面白かったわ、1作目だけはね。」とエルム街の悪夢シリーズと全く同じ感想を持ってしまった恐竜映画シリーズ第1作目です。出てくる恐竜の内容はジュラ紀というより白亜紀パークなのですが、それじゃ語呂が悪いでしょうという事で(あとは持ち主であるお爺ちゃんがそういう事すら分かっていなかった可能性も有り。)ジュラシック・パークという題名そのままに映画化されたこの話、小説版の表紙はわざわざ恐竜の化石をデザインした凝った絵にしたそうで、原作者からも「最高の表紙だよ!」と感激されたそうです。(それで映画化にもつながったのね。)

 ジュラシック・パーク…説明DVD「恐竜の血を吸って琥珀の中に閉じ込められたウッカリな蚊の中に残っていた血液と、カエルのDNA情報を継ぎ足して作ったのさ。」

ユネスコの世界遺産としても知られるイタリア・ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡をご存じでしょうか?79年の(恐竜が存在した時代よりずっと後の)ヴェスヴィオ火山の噴火により一瞬にして5メートルの深さに町全体を飲み込んだ時速百キロの火砕流によって速やかに埋まった(密閉状態にされた)この地区、瞬間的にそのままの状態で生き埋めにされた人達は18世紀半ばに発掘されたその時胃の中の物が残っているどころか遺体全てが腐って無くなっており、そこには人型の空洞しか残っていなかったそうです。(逆に、乾燥材として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれた火砕流堆積物が隙間無く町を埋め尽くしてくれた為に美術品の劣化は最小限に食い止められ、出てきた遺品の美しさ(状態の良さ)には世界中が驚愕したそうですが。)そう、それが火砕流堆積物だろうが、琥珀だろうが生物の常温保存なんてそんなもんです。挙句に樹脂という名のゴキブリホイホイで身動きが取れなくなってから死ぬまでに時間がかかっている(つまり死ぬまでの長~い時間、胃の中で消火活動が行われている。死因は窒息死か衰弱死か不明ですが、後者の場合、捕まる前に飲んだ恐竜の血なんて既に消化しきっている事だろう。)事を考えても上記の方法でクローニングできるのは100%カエルがせいぜいで恐竜復活は確実に無理だろうとツッコミを入れてしまいました。(そもそも生物遺体のDNA情報は521年経てば半分は失われるので、数万年前に生きていた恐竜復活は物理的に不可能。)そんな訳で現実にこんなパークができる日は当分来ないかと思われます…ゲフッ!

 アラン・グラント(サム・二ール)…勧誘員「発掘資金が足りないのでしょう?もし視察に来てくれるのなら1日2万ドルの顧問手当を払います。」

真の商人は金のやり取りを決める時に「相手にとっての価値」を先に考えてやり取りをする。自分がその場でどれほど利益を得るかは2の次に考える、そうです。そこまで金を出すと言うからには、きっとそこを訪れる者の命を危うくするような何かが待っているに違いなく認知症が入っていて、たかが臨時雇いの視察にそこまで金を出すと言っているのか、1日2万ドル出してでもアラン達を人身御供に立てたいと思っているのか冷静に考えれば状況が見えてくる(この世にそんな上手い話など存在しない)でしょうに、3年分の発掘資金に目がくらみ、1も2も無く飛びついてしまったが為に予想通りの大ピンチに陥ってしまった主人公達でした。(「飛びついて握りしめないとたちまち余所へ逃げて行ってしまいそうな良い話」に余裕が無くなってしまったのは分かりますが…。)この後もシリーズが続いている(何度恐竜に襲われても全く学習せずに話の主人公を務めている。)辺りには、もう溜め息しか出なかった男です…ゲフッ!

 ジョン・ハモンド(リチャード・アッテンボロー)…「ジュラシックパークは世界中の子供達の為のものだ。…と言っても『金持ちの子供』だがね。」

蚊入りの琥珀を杖にもしている(中に虫が入っているのはともかく琥珀という宝石を、しかもあんなデカイサイズを入手できる辺り相当な金持ちだという事が伺える。)子供好きのお爺ちゃん…でしたが、原作小説では↑のように計算高いジジイであり、パークを作ったのも「子供を楽しませる為」ではなく「子供という名のカモから金を巻き上げる為」にした策略ゆえでした。それはそれとしてキッチリ管理できる体制を作っておけば良かったものを、研究者達は恐竜復活が終わったからお前らもう帰れ、とばかりに契約を打ち切り、デブのネドリー頼みにした(おかげで当のネドリーの離反からとんでもない事態が引き起こされる。)のが間違いだったな、と切に感じてしまった顛末でした。せめて全部自分で管理できる体制を作っておけばこんな事にもならなかったんですけど…ね。(堅牢な設備あってのパークなのに、電源を切ってしまったが最後、恐竜が好きに闊歩できますという状況を作っちゃ…ねえ。)

 デニス・ネドリー(ヴェイン・ナイト)…「アッハッハ~ン。パスワードを開かない限り作動できないよ。」

おかげで全てを初期化して始めからやり直す羽目になった顛末に、近道する為に恐竜を囲うフェンスの電源を切って一連の事態を引き起こした張本人である極悪ぶりにはその自業自得から逃げだした小型恐竜の毒液で殺されたマヌケな最期を持ってしてもいかんともしがたく、映画公開後「これは『デブ=悪役』としたデブに対する偏見だ!」とデブの間で騒ぎにもなったそうです。(たしかに「ただのデブ」は食い過ぎたせいで太ったとはいえ自分で金を出して買ったものを食べているだけだし、全てのデブがネドリーのように企業スパイのような悪事を働いている訳じゃないからイメージ的には悪いかもね。)個人的には「強欲だが、どこか憎めないマヌケな小悪党」という特徴あるキャラクターとしてそんなに嫌悪感は感じなかった(むしろ最後には笑った)んですけどね…。

ラファエロ~その愛~

2011.09.01
 多くの聖母子像を描いたことで有名な3大巨人の一人です。ミケランジェロ、レオナルドと並び立つ「天才」の割に2人に比べて扱いが小さく「大して苦労もせずに持って生まれた天与の才能だけで絵を描いた。」(努力もせずに認められた)かのような「風説」(他「若くして亡くなったが女にもてた。」「大量生産した売れっ子。」など。)を気の毒に思い彼の人生を描いてみたいと思ったのがこの話を描くきっかけだったそうです。里中先生の書く「伝記ドラマ」は「浅黄色の風」もそうでしたが登場人物が優しさに満ちていて(例外・「天上の虹」。これは優しくなかった。)心が暖かくなる気がします。ネットで彼やその恋人の人となりを見るにとてもこんな人物とは思えないのですが、あくまでも解釈の一つとして読んでいきましょう。

 ラファエロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノ…マリア「謝ってほしいって言ってるんじゃなくてよ。結婚してって言ってるのよ!」
ラファエロ「すみません…。全ては性病をなかなか治せない私が悪いのです。」
   ~数日後~
ビッビエーナ卿「マリアが寝込んでしまったよ…。君とは会いたくないと言っている。」
ラファエロ「…ゲフッ!」

彼の死因については熱病ではなくて性感染症ではないかと現在では見方を見直されてきているそうです。(やだなあ、そんな見直され方…。)それまでの芸術手法を統合、洗練し、優美な様式を作り上げた総合芸術の天才ラファエロ。父親が死んだ時まだ11歳だったこの子がどのようにしてぺルジーノの工房に至ることができたのか謎だそうですが、実力があり従順で多くの仕事をそつなくこなしたために多くのパトロンができていました。話では「優しすぎて断れない」性格から女性と(仕方なく)関係していて本人的には腰が引けていた…と描かれてますが実際は大変な女好きだったらしいです。死因の熱病についても性愛が過ぎた為に高熱が出た(性感染症)のを医者が誤診して瀉血の治療を施してしまった為に急死したとの説もあったり…ゲフッ!(ちなみに本当に37歳の誕生日に死んでいる。)そんな訳でこの話のように優しく清らかな精神を持っていた(それでもヤルことはヤッていましたけどね!)とは個人的には考え辛いのですが…あくまでも「里中先生だけのラファエロ」として読み進めていくことにしましょう。歴史上の人物の解釈はあくまでも解釈した人の主観であって頑なに信じてはいけない、という話です。

 ミケランジェロ・ブオナローティ…名前はミカエル+エンジェル(天使。アンジェロ。)との由来だそうです。話上ではラファエロはミケランジェロともレオナルドとも仲がいい感じに描かれていましたが実際には接触はほとんどなくラファエロの作品にも彼の影響は見られていません。またミケランジェロはかっとなりやすい性格で若いころケンカして鼻を折られたことから容姿にコンプレックスを持ち自画像を残さなかったと言われています。
 作品としては4.34mの「ダビデ像」(敵であるゴリアテ見据える厳しい表情「テリビリタ」が上手いと思った。)が有名です。(ところで何で裸なんでしょうか?)その「バランス」にラファエロも感動していますが、あれはコントラポストという片足に重心を置き左右対称にしないことで躍動感を出すという数百年ぶりに復活された技法なんだそうです。(それまでの絵画・建築物は宗教関連の作品が主に作られていたこともあり両足に重心を乗せた「動きを感じない」表現で荘厳さを出すのが一般的だった。)他の作品としては「システィナ礼拝堂の天井画」(この仕事のせいで首が曲がり、目に絵の具が垂れたことで視力を損なったそうです。)「ピエタ」(死せるイエスを抱きかかえながら嘆き悲しむマリアの像。あの年の息子がいる女性にしては、いやにマリアが若すぎる気がしますが…。)が有名で、やっぱり話中でちょっと紹介されている様によく調べているなあ~と感心してしまいました。

 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ…ヴィンチ村のセル・ピエーロの息子のレオナルド、という意味の名前だそうです。私生児として生まれ読み書きの教育を受けなかった左手で鏡文字を書いていたと言われています。「万能人」(ウィモ・ウニヴェルサーレ)と呼ばれた彼はかのチェーザレ・ボルジアの軍事顧問兼技術者を務めたこともあり(8か月で辞めてしまいましたが)彼の絵を模写したラファエロにもその影響がみられるそうです。実力はあったものの遅筆で代表作にも未完の作品が多いことから「こ理屈ばかり並べて、ろくに仕事もしないで。」とミケランジェロからは嫌われていたようです。(ライバル意識ですな。)
 代表作品の1つ「モナ・リザ」については彼が仕えていたミラノ公ドウィーゴ・スフォルツァ(イル・モーロ)の義姉、マントヴァ候妃イザべッラ・デステがモデル(まつざきあけみ先生の「歴史を動かした女帝達」参照。)と言われており「聖母の微笑か?魔女の誘いか?」と絵から受ける印象強さにラファエロが戸惑っている姿が見られます。心理学的にいうと彼女が浮かべているのは「嘲笑」でありしかもカメラ目線なので絵を見ている人間は「一体自分の何を笑っているのだろう?」と落ち着かない気持ちになるんだそうです。(だから学校の怪談で夜な夜な出歩くとか、動物を食べるとか悪いイメージで捕らえられることが多い。)とはいえここまで「気になる」肖像画は他にないでしょうね。あらゆる感情、あらゆる内面を包み込んでいるのかはとにかく「究極の肖像画」であることは間違いないなと私も思ってしまいました。

 マリア・ビッビエーナ…ラファエロの婚約者。とはいえ婚約はしたものの結婚は渋られてしまい、そうこうしているうちに病気で亡くなってしまいました。本の最後の方に「マルゲリータを描いた絵」として登場している「ラ・ヴェラータ」(「ヴェールの女」。頭にはヴェール、髪には飾り物を付けた貴婦人の婚礼の肖像画。)は実は結婚が実現しないまま失ってしまったマリアへの贖罪の気持ちで描かれた絵ではと言われています。(つまりモデルはマリア。…同じ女性を描いたにしては2つの絵から受ける印象が違い過ぎるのが気になっていたのでそう解釈すると納得いきます。)絵から「貞淑で清らかな乙女」という印象を受けますがだからこそ遊び人で名の知れたラファエロには逆に合わない女になってしまったのではないか、と邪推してみたりもしました。結婚を引き延ばしていた理由はどうあれ相手の女性との結婚に気が進まないことだけは真実なので、思えば哀れな女性です。彼女が望んでいた婚礼姿に描いたのはせめてもの謝罪の気持ちでしょうね。(え?漫画上では髪の色は金髪だったって?これは写真が出来る300年以上前の時代の話ですよ?)

 マルゲリータ・ルティ…ラファエロの恋人。(「アテナイの学堂」にもラファエロと同じ高さに白い服を着た女性として左側に描かれている。)里中先生解釈では「自分の気持ちに正直な潔い女性」として描かれています(しかし金の為に銀行家キージの愛人になるのは有りだったらしい…ゲフッ!)が、絵のタイトル「ラ・フォルナリーナ」(裸体の肖像画。ラファエロの死後に見つかった。つまり大事に手元に置いといていた作品でもある。)には「粉屋の娘」という意味以外に「高級娼婦の源氏名」という意味があり、本名マルゲリータという遊女だったのでは?とも言われています。(ビッビエーナ卿が「汚らわしい!」と部屋から追い出すわけです…ゴフッ!)彼女がラファエロの「恋人」(少なくとも1番のお気に入り。)であったことは間違いないようですが「ラ・フォルナリーナ」と「ラ・ヴェラータ」の女性の顔が微妙に違う(髪の色はおんなじ黒髪だけどさ…里中先生の模写を見たって似てなくないですか?)所を見るに「モデルは別の女性」説が余計に信憑性を増してしまうのは私だけでしょうか?1番愛していたのは腕に「ウルビーノのラファエロ」と腕輪をつけていた「ラ・フォルナリーナ」(マルゲリータ。左手の薬指には指輪を塗りつぶした跡もあるという。)のようですがマリアに対しても罪悪感はあったようですし、どっちの絵を先に描いたのかは不明ですがマリアへの罪悪感から「ラ・ヴェラータ」をマルゲリータとの愛の記念から「ラ・フォルナリーナ」を描いた(裸の絵である辺り2人が親密というか裸を見せあう仲であったということが分かる。)と解釈した方が個人的にはしっくりきてしまいます。娼婦だということからもこんなに優しい心温かい女性ということは(絵から見えるオーラというか第一印象から見ても)あり得ないのではないかな~と思ってしまったり…ゲフッ!
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